トップ Profile オリジナル小説 二次創作トップ 頂き物・絵 頂き物・Text 掲示板 メール リンク ぶろぐ日記
Fate/黄金の従者#16幕間その1

前の話へ 次の話へ

***** 1社長さんの憂鬱 *****

 柔らかな冬の日差しが入り込み、教室の窓際を明るく照らす。時間はお昼を少し過ぎ、食事を済ませた中等部の生徒たちがまばらにまとまり歓談している。
 まったりとした空気が流れる教室の、後ろのドアがカラカラと乾いた音をたてて開かれた。
 入ってきたのは女子生徒。
 昼だというのにふくらむ鞄を肩に提げ、両手で分厚い封筒を抱いている。疲れているのかうつむき気味で、よろけた歩みでのたのた進む。着いた先は窓際の一番後ろ。いわゆる「不良の特等席」だ。
 女生徒は机の上に封筒と書類をばさばさ載せた。鞄は椅子の横に置き、自分は座ってちょっと大きく息を吸う。
「はぁぁああーっ」
 息を吐き、女生徒、言峰薫は書類の上に突っ伏した。

 ──── 月曜日、午後12:43 ────

「おはようございます、言峰さん。今日は登校できたんですね。……ねぇ、薫、大丈夫?」
 机を抱いて動かないお嬢さんに声をかけたのは遠坂凛。お友達を気遣います。
 この子は毎週月曜日は会社で仕事。私立校なのをいいことに、義務教育をぶっちぎる「社長」言峰さんちの薫ちゃん。今日は午後から登校らしい。
 登校したということは、会社は全てこともなしのはずである。その割には疲労しているのが丸わかりだ。これは何かあったのか?
 うーっ。と、うめき声を上げる薫嬢。
 彼女は封筒から書類を更に出し、遠坂凛に突き出した。
「なぁに? こら、薫。「向こう側」の書類を学校なんかに持ってこないでよ」
 書類を一瞥して、凛は薫の頭を小さく小突く。
 英語、ラテン語、イタリア語、そしてフランス語で書かれたそれは言峰薫が代表取締役を務める「キンググループ」の取引書類。しかもヨーロッパ支部のもの。
 フランス・パリに置かれた欧州支部はオフィスがひとつあるところからスタートしたが、今では旅行代理店と留学斡旋、パリ近郊の不動産取り扱いなどに業務を広げている。
 しかしそれは「表側」の業務内容だ。
 社会の裏に隠れて生きる魔術師たち。教会の光の裏で暗躍し、魔と戦う悪魔祓いや異端狩り。
 その双方、すなわち魔術協会と聖堂教会の仲立ちこそ、キンググループ欧州支部の存在意義だ。
 そして言い出しっぺで、会社を隠れ蓑に窓口を作ったのが薫(この子)である。
 外交(こうもり)業務も、もう三年が経過した。
 魔術協会の派閥のひとつ、エルメロイ派を中心とした魔術協会穏健派。
 薫の養父、言峰綺礼がかつて在籍していた第八秘蹟会と聖堂教会穏健派。
 これらの人脈を結びつけ、定期的に書簡をやりとりさせたり会合を持たせたりしているらしい。
 調停書には遠坂の家紋と言峰の名が入る。よって言峰綺礼の管理者(セカンドオーナー)代行、言峰薫の外交(こうもり)業務、共に師匠筋である遠坂の名前を高めることにもなっていた。
 とはいえ凛も薫も未だ学生、中等部の二年生。もうすぐ三年、一年ちょっとで高等部に進学とはいえまだ子供。
 なのにこの子は頑張りすぎだ。凛は思う。自分も人のことは言えないが、もっと子供らしく暮らしてもバチは当たらないはずなのだ。
「えーと、何? キンググループ・ヨーロッパ、ロンドン支部とローマ支部? 何これ?」
 凛が書類をざっと見て、机の上に視線を落とす。薫は頬を机に押しつけ押しつぶし、ぷーと泣きそうな顔をした。
「ロンドン支部が協会側、ローマ支部が教会側です。まー、ヨーロッパでは勝手にしてと言ってましたが、
どっちの“キョーカイ”も利権には食いつきがいいですねぇ。あっはっは」
「あっはっは。じゃないわよ。薫、あんたそれ大丈夫なの?」
 声を抑えつつも凛は問わずにいられない。しかし薫は机の上で平べったくなりつつも、深刻そうではいなかった。
「大丈夫ですよ。どっちの支部もまともな会社の予定です。出張の経費削減とかになるんじゃないですか? やっぱりお金がないと組織は辛いですからねぇ。まあ、支社長のポストなんかが作られましたから、多少は有力な人材が入ってくる予定です。ウチのグループも大きくなったってことですかね。よっと」
 薫は体を起こして大きく伸びをし、あくびする。
「はしたないわよ。あんたがそう言うならいいけれど、日本の会社は渡しちゃダメよ?」
 呆れた口調の凛に対して、薫はフッと鼻で笑った。
「当然です。キンググループ・ジャパンは私がおじさまと王様と一緒に作った会社です。こっちは絶対に渡しませんよ。それにどっちの支部でも、新規事業で会社を作れば株式の半分以上を私とおじさまと王様にもらえる契約です。口を出す気はありませんが、影響力は保てます」
「はー、できればそこに私も加えて欲しいのよね」
 遠坂の家は冬木市の大地主。しかし実入りの良い物件は、今や凛の手を離れている。そして言峰綺礼曰く「子供は清貧であれ」とのことで、あまりお金が入ってこない。
 ちくしょう。綺礼、あんたは私の敵だわ。薫、貴女は私の味方よね?
「あっはっは、凛。貴女が高等部を卒業して時計塔に留学する時には、ウチも管理者権限を返上しますし、やる気があるなら経営にも参加して貰いますから。でもそれまでは勉強しといてください。それが先代遠坂当主、遠坂時臣氏とおじさまの約束らしいので」
「わかってるわよ」
 凛は口をとがらせる。それは判っているけれど、この子は先に大人になっていくようで嫌なのだ。
 書類を片付け、封筒を机にしまう言峰薫。この子は学校でも有名人で問題児である。
 黙っていれば優等生だし、静かにしてればお嬢さま。クラブ活動はバレーボールで、飛び抜けた跳躍力と鍛えられた体が放つアタックは中等部最強と言われている。
 しかしである。
 仕事と言って月曜日は必ず半休、あるいは全休。友人は少なく男嫌い。日曜日は教会の手伝いと言ってクラブ活動に参加を拒否して試合に出ない。
 調子に乗るなと呼び出す生徒がいるほど緩い私立ではないのだが、絡んできた上級生を相手に乱闘騒ぎも一回やった。
 とはいえ親は言峰綺礼。笑みを浮かべて学校にやってきて、相手の親と直談判。結果、相手は泣きながら「ごめんなさい」と言う羽目になったとか。凶悪な親子である。
 もっと子供らしくして欲しい。
 遠坂凛は、時々胃の辺りをさすります。学校マスターの難易度が、これほど高いとは思わなかった。みんな薫が悪いのだ。覚えてなさい、お馬鹿弟子め。
 ふー。などと溜息をつく言峰薫。しかし、溜息をつきたいのはこっちだと思う凛だった。

「ふー」
 溜息をつきながら、言峰薫は肩に入った力を抜いた。
 色々と、面倒くさくなってきた。ほとんど自分のせいではあるが、どうしたものかと考える。
 魔術協会、聖堂教会。それぞれに話が出来る人が増えてきたのは喜ばしい。しかしあまりに不安定なのが自分の立場だ。
 霊地冬木の管理者、遠坂門下の魔術師。しかし薫個人は魔術協会に籍を置かずにいるのが現状だ。あくまで魔術師・遠坂凛の個人的な弟子として、名前が登録されている。
 そして教会の人間としては一介の信者であり、修道女見習いのままである。
 正式に修道院入り、つまり出家するには「私財の放棄」が必要だ。しかし、会社を作ってしまった都合上、出家が出来なくなってしまった。出来ないこともないのだが、会社を放棄すればギルガメッシュの機嫌を損ね、バッドエンドに一直線に決まってる。
 教会には献上金を入れていて、それは小さな額じゃない。やはりお金は必要なので、ぞんざいには扱われない。お飾りとはいえ「代表取締役社長(プレジデント)」で偉いので、どんな人でも話くらいは聞いてもらえるようになってきた。
 しかし、話す相手にお偉いさんも増えてきた。子供扱いされるのは好都合だが、こっちはいつまでも「見習い」なので肩身が狭い。
 だがしかし、立場も変わるときが来た。数日後には、いよいよ契約の儀式が執り行われる。

 とにかく今は頑張ろう。将来は、全部凛に渡して修道院に入りたい。

(……多分、無理だと思うけど)
 気だるげな昼下がり、社長さんは教科書を取り出した。


***** 2中等部日記 *****

「異議あり!」
 場所は変わって中等部の生徒会室。裂帛の気合いと共に、薫は指を突きつけた。
 少々手狭なその部屋に、凛と薫と男子生徒の姿があった。
 薫に指を突きつけられた男子はしかし、薫の視線をものともしない。ほぅ、と小さく息を飲み、フフンと小馬鹿にしているようだ。
 中肉中背、背筋は伸びて腕を組み、メガネの奥の瞳は涼しげだ。むむむと唸る薫を前に、一歩も引かず冷静沈着。その貫禄、並みの中等部生徒とは思えない。
 凛は薫と男子生徒、生徒会長の柳洞一成を横から見やり、苦笑した。
 遠坂凛、柳洞一成、言峰薫。全員が中等部の生徒会役員だ。
 忙しいという薫を無理矢理に、凛は生徒会に引き込んだ。これも学校をマスターするためであり、薫に学校生活を堪能させるためである。
 生徒会長、柳洞一成。副会長、遠坂凛。同じく副会長、言峰薫。今日は書記はいない。
 はじめは嫌がった薫だが、柳洞一成という男子生徒には懐いてしまった。
 薫は綺礼、キング兄弟、教会にいる大人や子供の他には男性と仲良している様子を見ない。
 例外は間桐慎二だが、あれはむしろ向こうが嫌がっているのを薫がおもしろがっている。正直、済まないと思うが放置である。
 何かと反抗的な薫のくせに、柳洞君の指示にはよく従う。どうも薫は大人の男性、あるいは貫禄があるというか、偉そうな男性に弱いのかもしれない。
 ふんぞり返る綺礼・キング氏・間桐慎二が頭に浮かび、凛は少しげっそりした。薫、あんた微妙に趣味悪い。
 しかし、この柳洞一成という男子生徒は割とまともだ。
 顔つきは端正で成績優秀。空手をやっていて腕っ節が強いのも薫の好みなのかもしれない。家は冬木市外れの古刹、柳洞寺。つまり仏教のお寺なのだが、薫は東洋の知が大好きという変な子で、むしろ仲良くしたいらしい。
 柳洞君は、今時珍しすぎるほどの堅物でありレトロな感性の持ち主だと凛は感じる。
 真面目すぎるところがあれであるが、ちゃらちゃらしている輩に比べれば遙かに好ましい。薫が懐いている辺り、きっと良い人なのだろう。
 だがしかし、この二人、黙って並んでいると絵になるが、何を話しているかというと仏教経典と基督教神学の相違点と相似点などを熱く語っていたりするので油断できない。
 とはいえ、異宗教間交流だと言い、薫は柳洞寺に行き何度か参禅したりしている。
 柳洞寺は禅寺で、法力僧のような能力者はいないが結界が形成されているので調査する。とは薫の談だが、楽しそうにしているので勝手にさせている。
 そんな柳洞一成と薫だが、何の意見をぶつけているかというと……。

「異議あり! 大判焼きは粒あん。これがベスト!! それがジャスティスなのです!!!」
「異議あり! 大判焼きはこしあんとキマっている!! 粒あんなど俺は認めん!!!」
 薫が柳洞一成に指を突きつけ、彼もまたビシッと指を突き出し反論する。そして遠坂凛は、ごちんと机に頭をぶつけた。
 言っときますが、生徒会の仕事はすんでます。

「異議あり! 粒あんのプチプチとした食感。あれこそが大判焼きのスペシャルだと貴男が気付かぬはずがないのです!!!」
「異議あり! こしあんのなめらかさ。あれこそ和菓子の至高。君に理解できぬ道理はない!!!」
「異議あり! 確かにこしあんのなめらかさは認めます。しかし! こしあんはアツアツでこそ、その本領を発揮すると思うのです。すなわち、あんまん。あれはこしあんでこそマグマのような熱さが楽しめます。しかし大判焼きやどら焼きは違います。あれは冷めても美味しくツブツブが楽しめる粒あんこそがふさわしいのです!!!」
「異議あり! 粒あんの食感は俺も好きだが、それとこれは話が別だ。何よりこしあんこそ冷めても美味い。熱くて美味く、冷めてしっとり。それがこしあんの底力だと俺は信じている!!!」
 ぬぬぬぬぬ。薫が顔を赤くし、反して生徒会長は余裕であった。
 そして遠坂さんは机の上で、ごろごろとおでこを転がしていたりする。
 柳洞君、まともな男子だと思うんだけどな。きっと薫が悪いんだ。
 心中で弁護してあげる凛だった。
 二人の論戦はヒートアップし、人生論にまで発展している。お願いだから、大判焼きで人生を語らないで欲しい。
「凛、貴女はどう思うのですか?」
 は? 帰ろうかなと鞄をいじっていると、不意に薫が訊いてきた。
「ふむ。遠坂さん、君はどう思う?」
 同じく柳洞一成も、うろん気な視線を投げかけてきた。
「粒あんですよね?」
「無論、こしあんだろう?」
 二人の目が据わっている。なにこれ? 凛は眼をパチパチさせた。こめかみに指を置き、しばしの間考える。
「えーと、私はカスタードとか好きなんだけど」
 舌の上でとろけるカスタード。クリームの女王ではなかろうか。これこそ遠坂凛のアンサー。しかし、

「「はぁ?」」

 呆れるような声に凛が見やると、柳洞一成と言峰薫。二人がまるでゴミを見るような目でこちらを見ていた。
「カスタード? 凛、貴女は何を言っているのです。大判焼きなのですよ? クリームパンに謝りなさい」
 いや。薫、あんたこそクリームパンに謝れ。
「カスタード? 遠坂さん。君は大判焼きを何か他のものと勘違いしてはいないか? ありえないだろうそれは」
 いや。柳洞君、カスタードの大判焼きは普通に売っているから。
「一成君、すみません。どうやら凛は調子に乗っているようです」
 マテ。薫、あんたそれはどういう意味だ。
「仕方がないな。今日はもう仕事は済んだ。帰るとしようか」
 マテ。柳洞君、あなた「仕方がない」とはどういう意味よ。
「そうですね。では帰りに駅前の地下で大判焼きなどどうですか? ふっふっふ」
「よかろう。決着をつけようというのだな。受けて立とう。ふっふっふ」
 柳洞一成と言峰薫は連れだって生徒会室から出て行った。

 残された凛は呟いた。
「……なんでよ」

***** 3おままごと *****

 冬木教会の裏手には、外人墓地が広がっている。
 教会自体は新都にあるが、冬木市深山町の山手には古くから外国人が多く居住し、洋館などが多かった。遠坂邸、間桐邸も深山町に存在する。
 時は過ぎ、現在では外人墓地への埋葬も少なくなった。教会と森に守られた墓所は静けさと穏やかな風のみが満ちている。
 そんな墓地の一角に、二人の少女が佇んでいた。一人は学校帰りなのか制服を着込んでおり、もう一人は教会の尼僧服だ。
 二人。すなわち遠坂凛と言峰薫は、寄り添うように並んだ墓に花束を献花する。
 凛はしゃがみ、ぷちぷちと雑草をむしりだし、薫は静かに手を組んで、聖書の文言を唱え出す。
 墓石に刻まれた名は遠坂時臣と遠坂葵。凛の父と母の名だった。

 凛がまだ7才だった7年前。この地に眠る大聖杯が起動した。これにより、魔術師が英霊を呼び出し戦う聖杯戦争が行われた。
 そして時臣は戦いの中で敗れ死に、葵もまた戦いに巻き込まれて……。
 凛は思考を停止した。
 取り敢えず、草むしりをすませてしまうことにする。ここに来るのも久しぶりだがそれにしてはキレイなものだ。どうやら綺礼が手入れをしているらしい。
 言峰綺礼。性格は悪いが律儀で生真面目なのは認めている。
 ぱんぱんと手を打って、凛はその場に立ち上がる。ふと見るが、薫はまだ祈りを続けている様子だ。
 この子は何を思うのか。お互いに、小さな子供だった頃を思い出す。

「はじめまして葵さん、言峰薫と申します」
 あれは薫が遠坂門下となってすぐの頃。母、葵が一時的に帰宅を許され、数ヶ月ぶりに病院から出て遠坂邸に帰ってきた日のことだ。
 薫はなんとか笑顔を作り、精一杯元気にお辞儀した。だがしかし、
「まあまあ桜ったら、急に大人っぽくなったわね。あなた見てくださいな、桜が帰ってきましたよ」
 この時、葵は既に、夢の中の住人となっていた。
 聖杯戦争に何らかの形で巻き込まれ、殺されそうになったが教会に保護され命だけは取り留めた。
 しかし遠坂葵は一般人であり、魔術師などではなかった。
 夫である時臣の死がこたえたか、殺されそうになったショックからか、酸欠による脳障害か、あるはそれら全てが重なったのが悪いのか。
 彼女の意識は戻ったが、彼女の心は戻らなかった。
「あなた、ネクタイが曲がっていますよ。時臣さんは凛と桜には自慢のお父さんなんですから、しっかりしてくださいね」
 遠坂葵は誰もいない空中に語りかけ、返事のない無言劇(パントマイム)を続けている。
「いえ、私は言峰綺礼さんに養女にしていただいた者で、薫です。桜さんではないですよ?」
「いけませんよ桜、そんなことを言ってお母さんを困らせないで。あなたも何か言ってください。ほら桜、お父様もああ言っているでしょう? 謝らなくてはダメよ」
「いえ、そう言われてもですね」
 眉を寄せ、泣きそうな顔で薫は凛に視線を向けた。助けてと、薫の視線が物語る。これは違う、何とかしてと、声にならない悲鳴を上げて、彼女の視線が告げていた。

 しかしあのとき、遠坂凛は目を伏せた。

 遠坂葵の心の中は、桜がいたころの幸せな時に巻き戻された。母は夢から戻ることはなく、時臣がいて桜がいた頃の、幸福の中で生きている。
 人気の失せた遠坂邸をさまよい歩き、記憶の中の夫や次女に語りかけ、満ち足りた家族に囲まれる。そんな夢から出てこない。
 そんな母を介護する凛はしかし、現実に取り残された。凛は葵と会う度に、決して届かぬ幸福の舞台劇を見せつけられる。
 それでも凛は魔道の名門、遠坂の重責を背負い生きていく。遠坂の、魔術刻印の痛みを背負い生きていく。
 だから凛は泣かないと決めた。
 父と最後に言葉を交わしたあの日あの時、父は確かにこういった。
「凛、いずれ聖杯は現れる。アレを手に入れるのは遠坂の義務であり、何より、魔術師であろうとするのなら避けては通れない道だ」
 あの時のあの言葉で、遠坂凛は魔術師になると決意した。父の跡を継ぎ、魔術師に「遠坂」になろうと心に決めた。
 だから泣かない。遠坂凛は遠坂の当主であり、遠坂の家訓は「常に余裕をもって、優雅たれ」だ。
 ──── 辛くても。
 ──── 苦しくても。
 ──── 悲しくても。
 そんな感情には流されず、余裕をもって優雅たれ。それが遠坂の後継者として正しい在り方。だから遠坂凛は泣かない。泣いてはいけない。
 そんなことはずっと前から知っている。知っているから強くもなれる。なれると思っていたのだけれど。
「凛、お姉ちゃんからも言ってあげなさい。もう、桜ったら今日はなんだかとてもわがまま」
「いえ、ですから私は薫であって、桜ちゃんではないのです」
 否定はするが、薫は葵を押し切れず、腕の中に抱かれていた。葵に抱かれた腕の中、薫は悲鳴を上げることはなく、しかし助けてと視線で語る。目尻に少し涙を浮かべ、薫は必死に耐えている。
「凛、こっちにいらっしゃい」
 そう言い、葵は凛も腕に抱く。遠坂葵の腕の中、遠坂凛と言峰薫は涙をこらえた。
「ほら桜、お母さん「お母さん」よ。桜、……桜」
 あまりに優しい語りかけに、しかし薫は泣きそうになっている。必死になって凛を見て、何とかしてくれと声にならない悲鳴を上げている。
 だがしかし、凛はそっと目を伏せた。弟子に言葉もかけられず、凛は母の腕の中で目を伏せた。
 桜、桜、と葵は薫に語りかけ、薫がグッと息を飲んだ音が聞こえた。
「……お、母さん」
 絞め殺されるヒキガエルのような声で、薫は葵にそう言った。そしてシクシクと泣き出して、そんな彼女を葵はなでた。
「あらあら、凛も桜もどうしたのかしら? 二人とも甘えん坊ね」
 泣き出した凛と桜(薫)の姉妹を抱きしめて、遠坂葵はしかし幸せそうだった。

「薫、ごめんなさい。でも、ありがとう」
 葵は眠り、薫は帰る。
 泣きはらし、乱暴に袖で涙を拭う言峰薫。凛はとても顔を見られない。偉そうなことを言っておきながら、弟子に弱いところを見せてしまった。遠坂凛はもっと強くなければならない。
 そう「常に余裕をもって、優雅たれ」だ。
 強くなろう。薫が泣いてくれたのだから、自分は泣かずにいてもいいはずだ。
 そう思う、ことにする。
 しかしその時、薫の体から火の魔力が漏れ出した。見ると薫は歯を食いしばり、憤怒の表情となっていた。
 戸惑う凛をしかし薫は見もせずに、静かに強くこう言った。
「言峰綺礼、──── ブチ殺す」
 え? 問いかける暇もなく、薫は教会に帰っていった。

 そして次の日。
 学校の校門前に、サイドカー付きの大型バイクが滑り込む。サイドカーから飛び降りたのは言峰薫。その顔には何カ所かの痣があり、頬にはガーゼを止めていた。
「薫?! どうしたのそれ?! 薫?!」
 訪ねるが、彼女は真っ赤なランドセルをしっかり背負い、スタスタと先に行ってしまう。
「ちょっと綺礼! あんた薫に何をしたのよって、綺礼、それは?」
 見ると薫の養父、言峰綺礼の頬には殴られたような痣があり、口の端が切れているようだった。しかし綺礼は手当てをしておらず、空気にさらしているようだ。
「これかね? これは昨日、薫に殴られた痕だが、なに大したことはない」
「誰もあんたの心配なんかしてないわよ。あんた薫をどうしたのよ?!」
 凛は噛み付かんばかりににじり寄る。しかし綺礼は凛に視線を合わせず、遠のく薫に目をやった。
 言峰綺礼のその顔が、歓喜の色に染められる。あっけにとられる凛を知ってか知らずか、綺礼はクククとのどを鳴らした。
「アレはな、いや薫はな。十年かけて私の根性を叩き直してくれるのだそうだ。私のねじ曲がった性根を、アレは叩き壊して作り直してくれると言ったぞ」
 そう言って、綺礼はクククと笑い、ハハハと嗤う。楽しくてたまらないと言いたげに、言峰綺礼は養女を見やり、体を震わせ笑い続けた。
 そしてあの日から、薫は綺礼のことを父ではなくて「おじさま」と呼ぶようになった。

 祈りを終わらせ、薫は目を開け手をほどく。彼女が振り返るとそこには綺礼が歩いてくるところだった。
 言峰綺礼は墓に献花し祈りを捧げる。祈りが終わると薫は綺礼の手を取り、手をつないだままで教会へと戻り行く。
 運命(Fate)を変えると誓った少女と、自らを変えられることを望んだ男。二人の奇妙な関係(たたかい)は、今もこうして続いている。

***** 4キュベレー *****

 夜が訪れ、冬空に星が瞬く冬木市新都の中央公園。
 再開発が続きビル群とマンションなどに囲まれたそこに明かりは少なく、ぽっかりと穴が開くように、暗がりが穴を穿つ場所だった。
 だがしかし、大火災から七年の時間が過ぎた寂れて開けただけの公園は、とあるグループ企業の支援を受けて管理され、作り替えられ施設もいくつか建てられた。
 公園中央の運動場は広く土地が割り当てられて、灯りが少なく今なお暗い。周囲を囲む歩道に沿って保護樹が並び、人の流れと入り口を数カ所に限定する。
 その入口から離れ奥まった一角に、ストーンヘンジとギリシャ神殿を模したような野外劇場が作られていた。
 背後には、市役所がキンググループの支援を受けて建築した冬木総合芸術ホールが山のようにそびえ立つ。その麓に置かれたオープンシアターは、さしずめこの地の神殿だ。
 そんな野外劇場に、かがり火が燃やされ辺りを照らす。
 石柱に囲まれた祭壇。つまり劇場の中央に、肌が透けるほどの薄衣をまとい全身に黄金の宝飾品を身に着けた少女が進み出て、それを集った者達が見守り囲む。
 祭壇隅に控えるのは儀礼執行役の言峰綺礼。舞台横の上座にはギルバート・キングことギルガメッシュが座る。
 反対側には遠坂凛。間桐家党首代理の間桐慎二と間桐桜。凛の母方の実家たる禅城の叔父。綺礼をサポートする聖堂教会スタッフの姿も見える。
 そんな中、居心地が悪そうにしているのは沙条綾香という少女。
 まばらに切りそろえたおかっぱ頭で、顔にはメガネを掛けている。歳は凛や薫と同じく中等部の二年生。深山町の山側奥の古い館に住んでいて、魔女術(ウィッチクラフト)を今に伝える魔女(ウィッチ)なのだとか。
 薫が見つけてきたのだが、沙条綾香の望みは平和で静かに暮らすことであり、魔女の血を受け継ぐものの、魔術師のように根源を目指していたりはいなかった。
 こんな人材がいるとは知らなかった凛だったが、沙条綾香は「遠坂」を知っていたらしい。先祖は海を渡りこの地を訪れ、居住を許されたのだと伝えられているのだとか。
「魔」に関わるものと呼ぶほど熱心ではないようなのだが、それでも沙条綾香は魔力を操る神秘の徒。
 魔女(ウィッチ)の家系として凛の知るところとなった。
 とはいえ工房をしつらえることもなく、せいぜいが家庭菜園で薬草を育て、台所で魔法薬を調合する程度であるらしい。
 言峰薫の依頼を受けて、薬草や魔法薬を売って小遣い稼ぎをしているという。薬草園から逃げ出した魔法植物マンドラゴラの親子を追いかけ、みんなで大追跡をしたのは記憶に新しい。
 そんな沙条綾香はメガネの奥で眉を寄せた。寒いのか、羽織ったカーディガンの前を寄せて呟いた。
「ねえ、私もう帰っていいかな」
 気だるげなその瞳は、何でこんな所にいるのだろうと言いたげだ。
 そんな彼女を、遠坂凛はたしなめる。
「沙条さん、儀式が終わるまでは我慢してくださいね。今日は私の弟子、言峰薫が家を興す大事な日です。貴女は魔術師ではありませんが冬木に根を張る魔道の家系。しっかり見届けてくださいね」
 そう言い凛はとっておきのステキ笑顔を見せるが、沙条綾香は受け流す。
「んー。面倒くさいなー」
 そう言い明後日の方向に視線を飛ばす魔女。なかなかに神経が図太いようだ。
 チッと内心で舌を打ちつつ、凛は舞台中央に身を屈めた少女に視線を戻す。

 少女、すなわち言峰薫は、灯りで肌が透けて見えるほどの薄い衣を身にまとう。
 頭にはカラフルに宝石輝く黄金のティアラをのせて、両耳に紅玉をあしらった黄金のイヤリング。首に巻いた黄金のネックレスには大粒のロードライトが光り輝く。
 金糸を織り込んだ帯紐で腰は絞られ、彼女の肢体の輪郭線を際だたせ、動く度に服の各所に付けられた黄金のブローチの宝石たちが、キラキラ光を反射する。
 すねに当てたアンクレットからは黄金の鎖が伸びていて、まるで彼女が奴隷であるかのようだ。
 しかしブレスレットが巻かれたその両手は天に向かって祭器を突き上げ、彼女が祭壇の支配者であることを示していた。

 霊地冬木には龍脈と呼ばれる地の霊力が束ねられる場所がある。
 第一の龍脈は、円蔵山から続く冬木市最大の霊脈が結ぶ柳洞寺。
 第二の龍脈は、冬木市深山町の丘の上たる遠坂邸。
 第三の龍脈は、冬木市新都の郊外に建つ冬木教会。
 そしてこれらの龍脈の整備と街の発展に伴って、新たに霊力が吹き出す場所となったのが、第四次聖杯戦争終焉の場となったここ。冬木市新都中央公園。
 聖杯の呪いがブチまかれ、多くの人間が狂い死にしたこの場所だ。

 かつてここは呪いと怨念が渦を巻き、空間が塗りつぶされており、固有結界にも例えられるほどの場所だった。
 しかし言峰薫はここを整備し慰霊碑を建て祈りを捧げ、長く浄化に努めてきた。七年の時間は薫の祈りの力を高め、それと同時にこの地の怨気を薄れさせた。
 完全に浄化するには更なる時間が必要だろうが、霊脈上の怨念を浄化した功績と本人の希望により、言峰薫にこの霊脈管理が任されることとなったのだ。
 今宵は薫がこの地の霊脈と契約する儀式が執行される。これにより言峰薫は一人の魔術師として正式に独立し、冬木市に根を張る一戸の家系と見なされる。
 霊脈制御の中枢となるよう設計された野外劇場は、薫という司祭を得て祭壇として機能し魔力を束ねる。
 その背後、舞台の奥には彼女の魔術工芸品(アーティファクト)がずらりと並ぶ。
 儀式に使う四大武器。ワンド(火の杖)ダガー(風の短剣)チリス(水の杯)ペンタクル(地の万能章)そして十二星座の力を操るロータスワンド(蓮の杖)
 正統魔術師の証たるアゾット剣も、色とりどりの宝石をはめ込まれて数多く置かれてあった。
 ちなみにペンタクル(万能章)とは六芒星が描かれ四色に塗り分けられた円盤なのだが、これは「水戸黄門の印籠」のようなものであり、天使や悪魔、精霊や妖精などに「ひかえおろー」とぶちかますための物である。ただし他のも全部そうだともいふ。
 その向こうには多くの武具が飾られる。
 騎士長剣(ロングソード)に騎兵刀(セイバー)、処刑鎌(デスサイズ)に投擲槍(ジャベリン)、呪歌の杖たるガルドルガンドは短槍(スピア)仕様で白銀の身にサファイアが飾られる。
 更にはアインツベルンの物だという斧槍(ハルバード)や、聖堂教会のランサー(ドイツ式十字槍)なども並んでいる。
 ランサーとは英語のLancer(槍兵)ではなくドイツ語のRanseur(十字槍)で、槍の穂先にロングソードの刀身がそのまま使用されているのが特徴だ。
 その横の大型戦斧(バルディッシュ)は妙にメカニカルなデザインをしている。
 薫が付き合いのある組織から提供されたデバイス(発動体)で、AI搭載という変わり種なのだとか。薫曰く「こんなの魔術ぢゃない」だそうだ。魔力を制御するが神秘がさっぱり抜けているという。
 黄金の剣十字レリーフがはめ込まれ、チタンシルバーのボディが光を受けて控えめに輝いている。
 武器群の前に敷物が広げられ、魔術書や宝飾品の類が置かれている。
 ガーネットがはめ込まれた聖典の書(携帯魔力炉)、サファイアがはめ込まれた水棲怪魔使役教本(ハイドロ・ミディアンズ、スペルブック)、束ねられた数百枚のマジックスクロール。
 これらは魔術刻印を持たない薫が自作した呪文書(スペルブック)だ。
 大小様々なアクセサリーには魔術加工されたルビー・サファイア・ガーネットが光り輝く。
 それは宝石魔術の大家、遠坂の弟子たる薫の面目躍如。
 貴金属と宝石の加工に特化し、魔術礼装(ミスティックコード)の作成と使用に秀でた道具使い(錬金術師)タイプの宝石魔術師。言峰薫は物持ちだ。
 魔術工芸品を囲むように学術書や魔術書の類が積まれている。
 金枝篇を初めとした文化人類学資料。神話学や伝承学の大辞典。英国で調達したという魔女術や魔法薬の著作物。ラテン語で表記された基督教神学書。凛が譲渡したドイツ語の魔術書も並んでいるし、間桐の家から送られた文献類もそこには混ざっているはずだ。
 凛が用意したのはタリスマン(呪具)やアミュレット(護符)を初めとした魔術工芸品の理論と作成手順書。間桐から送られたのは、フレッシュ(生肉)ゴーレムやフランケンシュタインの怪物(屍肉を使った人造人間)の製法や生きた人間の人体改造といった外道の技が学べる魔術書であるらしい。
 死徒(ヴァンパイア)を大師父をする遠坂の家の書庫にも、屍体を魔術的に利用する方法が書かれた本はあるのだが、やはり宝石魔術を学んで欲しかったのであまり教えてこなかった。
 治療魔術には気合いを入れる薫は、綺礼の伝手で教会からその手の資料を集めていたようだが、間桐がくれるというなら良しとする。間桐の家も名門だ。素晴らしい資料を取りそろえているだろう。

 舞台上の薫は四方に四大(地・水・火・風)の武器を置き、更に星座の印楔(シジル)を刻んだ宝石達を散りばめる。
 北極星に向け星を司る蓮の杖(ロータス・ワンド)を置き、薫は舞台(祭壇)の中央に立ち戻る。
 あらためて、薫は祭祀の杖を手に取った。
 全長は約3メートル。1メートル少々はある握り柄には、黄金の護拳(ナックルガード)が被せてあり、薫の守護石であるガーネットと王権を象徴するルビーとサファイアがふんだんに散りばめられ、ラピスラズリの蒼が装飾線を優美に描く。
 先に伸びているのは円筒刀身。シャフトに通した三段の円筒は隕石の鉄で出来ており、表面にはラテン語のアルファベットが刻まれ血の色のアルマンディン・ガーネットが魔術加工ではめ込まれたいた。
 刀身の全長は薫の身長より長く、1.8メートルほどであるようだ。その先端には岩盤の掘削機を思わせる切り込み先が着いている。

 ──── 乖離法典フレア ────

 それがこの祭祀用魔術礼装の名前であった。
 波動収束の騎士長剣、魔力放出に対応した騎兵刀、術式をまとう処刑鎌、宝石の魔力で弾ける投擲槍。
 支配・王権・法の執行の魔術礼装、アゾット剣「王の剣」
 祈願成就・宣言成就の力を持つ呪歌の杖たるガルドルガンド。
 聖典の記述から力(概念)を引き出す聖典紙片、魔力炉を備えた聖典の書。
 今まで作成してきた全ての魔術礼装のエッセンスを一つにまとめ、現時点で薫が作れる最高の魔術礼装。
 古代オリエント、バビロニア神話群の天地開闢の創世神話「エヌマ・エリシュ」ラテン語音訳テキストを刻んだドリル型の突撃槍(ランス)だ。
 これに薫の魔力属性「炎上(フレア)」の名を与え、薫の魔力で駆動するランス形状の呪文書(スペルブック)として組み上げたのが「乖離法典フレア」である。
 ランスという武器の形はしているものの、その本質は儀式用の祭祀礼装。星(世界)の力に感応し、世界(領域)を支配し所持者に王の権威を与える「王権の杖」であり「祭祀の聖典」だ。
 3メートルもの法典を掲げる薫の身を包むのは、肌が透けるほどに薄い生地の麻衣。その上に宝飾品を散りばめているがそれも魔術礼装だった。
 ティアラは塔を意匠化したデザインで、イヤリングは船を思わせる木の葉型。
 ネックレスのブロックタイルは神殿であり家であり、ブレスレットは一つ目の熊に似た怪物だ。
 そして足のアンクレットには仙草と蛇の姿が彫刻されているのだが、蛇は踏みつけられているらしく苦悶の表情を見せている。
 黄金宝飾は一式で一つの魔術礼装で、モチーフはノアの箱船伝説の原型であり聖書の原典でもある「ギルガメッシュ叙事詩」から選ばれた。
  エヌマエリシュもギルガメッシュ叙事詩も、共に石板や粘土板に書かれた文書である。
 これを鋼板、あるは貴金属に刻み込み、武具・装身具として仕上げたのが乖離法典フレアであり、制御サポート用の宝飾礼装「ギルガメッシュ叙事詩」なのだった。

 これを以て儀式を行い、言峰薫はこの地と契約する。

 祭壇と化した舞台上の魔術礼装と宝石が、魔力を受けてキラキラ光る。その光を薫は受けて、きらめくランスと宝飾品に包まれた体をひるがえす。
 儀式の術式は起動した。執行役の言峰綺礼が前に出る。そして凛の名前を呼んだ。
 遠坂凛は進み出て、段差に足をかけて祭壇へと舞い上がる。
 真っ白な儀式用のローブを着込んだ言峰綺礼は恭しく十字架の杖を掲げ、そして言う。
「先代遠坂当主、遠坂時臣より預かりし霊地冬木の管理者(セカンドオーナー)権限を、遠坂凛に返上する」
 綺礼は祭祀用のローブを凛の肩に掛け、杖を渡して後ろに下がった。
「受領します。よく勤めてくれました。言峰綺礼、礼を言います」
 綺礼は薄ら笑いで頬を緩ませ舞台の上から降りていく。ギルバート・キングが座る横まで移動して、振り向き舞台に向き直る。
 凛は綺礼が静止するのを見届けてから、場の者全てに言い放つ。
「ではここに、管理者“遠坂凛”の名のもとに、“魔術師”言峰薫の、この地との契約儀式を許可します」
 凛の青い瞳に見つめられ、薫は神妙に頷いた。
 凛はゆっくりと身を翻し、静かに舞台の下へと身を戻す。

 黄金に包まれた言峰薫は黄金の突撃槍(ランス)を夜空に掲げ、法典礼装に魔力を流す。三連円筒刀身はゆっくりと、順・逆・順に回転を初めて呪力を周囲にまき散らす。
 薫は半分目を閉じて、意識を自分の心に飛ばす。頬が紅を差したように赤く染まるのは、炎に照らされたせいばかりではない。
 火属性魔術師(ファイヤ・マジシャン)である薫の身から、火の魔力が滲み出す。
 薫は汗ばみ、その表情は夢心地ではなかろうか。そんな彼女は唇をかすかに開き、法典の詠唱を開始した。

 ──── エ・ヌ・マ、エ・リシュ。ラ、ナ・ブ・ウ。シャ・マ・ム ────
        (上にある、天には未だ、名前無く、)

 ──── シャ・プ・リシュ。アム・マ・トゥム。シュ・マ。ラ、ザク・ラト ────
        (下にある、地にもまだ、名がなかった時のこと、)

 ──── ギ・パ・ラ。ラ、キ・イス・ス・ル。ス・サァ。ラ、シェ・ウー ────
        (世界には形なく、水も大地も見あたらず、)

 ──── エ・ヌ・マ、ラ・エア。シュ・プ・ウ。マ・ナ・マ ────
        (ただ風が吹くのみで、まだ何も存在しなかった、)

 古代アッカド語のラテン語音訳テキストが詠唱される。
 ドリルランス、乖離法典フレアが唸りを上げて回転を上げていく。
 円筒刀身の回転は。すなわち刻まれた法典テキストの詠唱と等価であり、以て高速詠唱と等しい効果をもたらした。
 天地開闢という原始概念が熱風に乗って吹き荒れ渦を巻く。
 しかし薫は揺るがない。
 黄金宝飾に散りばめられたギルガメッシュ叙事詩の象意を以て、エヌマ・エリシュをねじ伏せる。
 エヌマエリシュは歌い上げる。
 世界は生まれる。作られる。大神は切り裂かれ、その体が世界となった。世界に新たな神が立ち、王となって世界の全てを支配する。
 法典を掲げ祭祀を行う言峰薫は、この地に降臨(おりた)神の役。王であるとの名乗りを上げて、この大地を支配する。
 祭祀の祭器をその手に掲げ、言峰薫は宣誓呪を連ねていく。

「おい遠坂」
 儀式の執行を皆が見守る中、間桐慎二が凛に声を掛けてきた。
「間桐君、儀式の途中ですよ」
 内心はともかくとして、猫かぶりモードで遠坂凛はたしなめた。
 しかし慎二はフンと鼻を鳴らして、祭壇脇の白い布を被せた黒い鎧を顎で示した。
「なあ、あれキュベレーじゃないか? それにこの儀式、エレウシスの密議と生け贄の儀式をアレンジしてるだろ。薫のヤツ、馬鹿じゃないのか?」
「へえ、判るんですね」
「ハン、馬鹿にするなよな」
 彼はふんぞり返りつつ、呆れた風にこちらを見ている。
 凛は慎二の示した鎧に目をやった。舞台の西に位置する片隅に黒光りする鎧が置かれ、真っ白な布が被せあった。布には刺繍がされており、青空・樫の木・ウグイス・山百合・サファイアなどが見て取れる。これらは全て聖母マリアを象徴するシンボル群だ。
「兄さん。キュベレーって何ですか?」
 おずおずとた感じで尋ねた間桐桜に、慎二は呆れたような顔になる。おいおい桜、前に教えてやったじゃないかと慎二が言うが、桜は、えーと? あれ? と首を傾げる。
「ねえ桜、古代オリエントって判るかしら?」
 苦笑しながら凛は桜に声を掛けた。オリエント? と更に首を傾げて、桜は慎二に頭をつつかれた。ああ兄さんスミマセンと身を縮める桜に、凛は再び苦笑する。
 少しだけ、寂しい気持ちを抱きしめて、凛は桜に教えてあげる。
「キュベレーっていうのは大地母神の一柱よ。
 イスラエルやパレスチナがある地中海東岸を古くは“カナン”その東の内陸を“小アジア”そしてイラン・イラクの辺りを“メソポタミア”と呼んで、これらの神話をまとめて古代オリエント神話というの。
 キュベレーはこのうち小アジアに起源を持つ大地の女神で、古代ギリシャや古代ローマでも信仰されたの」
 凛の説明に桜はふんふんと頷き、その向こうで沙条綾香もふーんそうなんだと呟いた。間桐慎二は知った顔である。
「それでね、基督教では聖母マリアが信仰されるんだけど、本当はいけないとされているのよ。だけどほら、基督教って男ばかりで女性の神格が聖女とか天使を女性として扱うくらいしかないでしょう? だから聖母マリアは人気があるの」
「はあ、聖母マリアですか」
 浮かない顔の桜に対し、凛は話を続けます。
「でね、聖母の形態として「黒いマリア像」というのがあるの。ヨーロッパでは黒は大地の色で、地底は死の国であると同時に再生の場所なの。この大地の力を象徴する地母神がキュベレーであり、ギリシャ神話に組み込まれる前の地母神だったアルテミスよ。
 つまり、黒い聖母像の正体はキュベレーで、地母神キュベレーは聖母マリアの原型なの。薫はカトリックで教会の子でしょう? だから大地との契約に使う御神体に、聖母マリアを模したキュベレーを用意したのがあの鎧なのよ」
 そうなんですかと間桐桜は目を丸くした。しかし判っているのか妖しい気がする。慎二と目を合わせると、慎二はつつっと桜に視線をやった。
((オーケー。桜に勉強させておく・おいてね))
 何となく意志が通じた瞬間だった。ニヤリと嗤う遠坂凛と間桐慎二。桜は顔を引きつらせ、沙条綾香が「ご愁傷様」と呟いた。
 取り敢えず気を取り直し、凛は更に解説する。
「それとね、キュベレーに仕えた神官は自ら去勢し女装を行い、以後は女性として生きたって言われているわ。薫は性同一性障害のケがあるけど、年貢の納め時って事らしいわよ」
 ははは、それはいいなと慎二が笑い、横で桜も苦笑い。
 薫曰く「もう諦めます」だそうだ。この日が来るのは長かった。
「ああそれから“エレウシスの密議” っていうのは古代エジプトの儀式が古代ギリシャに伝わって出来た儀式よ。人間である一個人に「神に連なる者」あるいは「神になる」資格を与えるための儀式なの。この儀式が広まって希釈されてイニシエーション(参入秘儀)の原型になったのよ」
 おどおどする間桐桜。凛は再び慎二と視線を交わす。
(よろしく)(まかせろ)
 頷く二人に桜は「ええっ?!」と声を上げた。ちょっと泣きそうだったりした。

 薫の詠唱は続いている。
 薫の魔術基盤は、秘教体系(カバラ)の中でも基督教カバラを基調とする。
「カバラ」とは、聖書の研究から生まれた秘教哲学であり、秘密の思想のことを差す。
 天上の神からの祝福を一身に受け、上下的な方向性を持つユダヤ教カバラ。
 受肉した神の子。ならびに神権代理の権限を教会が持ち、天文・数理・音学で神学を補い宇宙を捉える基督教カバラ。
  中世後期、これに万物照応論と生命の樹(セフィロト)を取り込み、あらゆる概念を縦横無尽に対応させる魔術カバラが生まれた。
 現代の魔術師達は、多くは魔術カバラを魔術基盤とするのだが、薫は基督教カバラを基盤としている。
 聖書に加え、天文・数理・音楽の追求を通して真理探究を目指すのは、五世紀頃の賢者の真理探究スタイルと一致する。
 時代遅れではあるのだが、教会の子である薫には、神学を中心に置く古いスタイルが良いだろう。

 しかし薫は魔術師でもある。

 基督教カバラからそのルーツに遡る。
 ギリシャ・ローマを経て広まった基督教の唯一神ヤハウェは、元はと言えばカナン神話の大神アヌの息子の一人。ユダヤのルーツたるとある民族の民族神だったというのが神話学での通説だ。
 アヌはすなわちバビロニアのエアに対応し、よって起源はメソポタミアのシュメール文明に遡る。
 魔術師は根源を求め、起源を求め、現在(いま)を過去へと逆行する。
 故に薫は基督教をさかのぼり、ノアの箱船の原型である英雄王ギルガメッシュの物語を身に帯びて、天地開闢の原型たるエヌマエリシュの祭器に辿り着いたらしい。
 何をするのかと聞いても話すのを渋っていたが、凛はこれを聞き出した。
 何を気にしていたのかは今ひとつ判らないが、薫も一応、見習を終えたひよっ子魔術師。秘密を持ちたいお年頃なのだろう。
 第二魔法を目指す「遠坂」とは路線が異なるが、薫なりに「根源」を目指そうと考えたに違いない。師匠としてちょっと嬉しい凛である。
 魔術師たる薫は宝石魔術師であり、魔術礼装を作成してそれ使う錬金術師(道具使い)。
 研究テーマは「神酒の杯」にするという。
「杯(チリス)」は水属性の魔術工芸品ではあるが、聖杯(豊饒の大釜)の亜種でもある。
 冬木には聖杯があり、聖杯戦争御三家の遠坂の弟子たる薫である。聖杯の研究もするらしい。更にいえば「神酒」は命の酒なので、治療魔術の研究も兼ねているのかもと遠坂凛は考える。
 そこまで考え、凛は視線をギルバート・キングに向けた。金髪紅眼の青年は、泰然として腰掛けふんぞりかえっている。
 七年前の聖杯戦争の折りに、父・時臣に協力した男。中東の貴い血を引く人だと聞いている。
 薫を拾い、言峰綺礼に引き取らせ、今は共に暮らしている男。
 そんな彼に懐いている薫が作り上げた魔術礼装は「ギルガメッシュ叙事詩」と「エヌマ・エリシュ」を用いた武具の形の法典礼装。
 ということは、父が召喚したであろう英霊は……。
 そこで凛は推測を中断した。
 ありえない。
 もしも自分の推測が当たっていたのなら、父が負けるはずがない。完璧だったあの父が最強のサーヴァントを従えたその上で、言峰綺礼という代行者のサポートを受け、更に監督役の言峰璃正おじさまの協力を得てなお勝てないなどありえない。
 少しだけ、薫から話は聞いている。
 強力な英霊は、やはり強い自我を持つ。触媒により召喚した場合はマスターと相性が合わないこともある。その場合、令呪(コマンドスペル)では抑えられないこともあるのだと。
 聞いたときは冷や汗が出た。
 伝説に歌われる英雄を召喚して戦う聖杯戦争。はるかに格上の彼らを支配するのが令呪だと思っていたが、絶対ではないというのだ。
 自害しろと命令すれば、逆らう間もなく殺せると薫は言うが、それをやっちゃダメだろう。
 よく考えて触媒を用意するか、触媒は使わずに自分の波長に近い人に来てもらう方がいいと薫はのたまう。
 聖杯戦争の詳細は、聖堂教会の内部資料だと言って閲覧させてもらえない。それでも凛は綺礼や薫の言葉の端々から情報を吸い上げる。
 とはいえ次に聖杯戦争システムが起動するのは60年周期で先の先。それこそ自分の孫の代ではなかろうか。そんな風に考えて、凛はふうと息を吐く。

 三年後の冬、七人の魔術師が七体のサーヴァントを従えて戦う時が来るのだと、遠坂凛はまだ知らない。

 薫の詠唱は乖離法典フレアの回転と共鳴し、意念は高まり鳴り響く。その呪力は熱風に乗り周囲を染めて、呪力圏(スペルバウンド)を広めていく。
 薫が放つ魔力は中央公園を覆い尽くし、キュベレーを通じて大地に浸透する。
 法典の記述により支配権と王権が打ち立てられ、この地に王をもたらした。
 きゅるきゅると音を立てていたフレア(ドリルランス)が停止する。
 大量の汗に濡れた薫が、上気した赤い顔でハァハァと荒い息を吐く。
 凛は再び祭壇へと上がり、この地との契約を果たした司祭にして魔術師を祝福した。

「管理者(セカンドオーナー)遠坂の名において、管理者権限を言峰綺礼に委託します。言峰綺礼、よろしいですか?」
「承諾した。慎んで管理にあたり、責務を果たすと私はここに誓約する」
 凛はローブと杖を渡した。霊地冬木の管理者権限を、綺礼に再び委託した。
 決して好きとは言えないが、言峰綺礼は真面目な男だ。父・時臣の遺言もある。自分が時計塔に留学するまでは、管理者の仕事をお願いする。
 今回一時的に権限を返してもらったのは凛のわがまま。弟子たる薫の独り立ちを師匠の自分が祝福してやりたかったのだ。
 本音を言えば、薫には助手でいて欲しかった。だが彼女は外交屋(こうもりさん)なので、独立するほうが都合がいいと言う。
 まあ良い。この子を逃がす気はない。新たな家系になったとはいえ薫は子供。魔術師としてもまだまだ未熟なのだから、面倒を見てやらねばならぬ。
 公園は祭祀場だが、魔術礼装の作成や宝石加工は今まで通り、教会地下や遠坂邸の工房でやるのだし。凛はググッと拳を握る。
 だが独立しても、薫は魔術協会には籍を置かないことになっている。
 この独り立ちを契機とし、彼女は綺礼が以前所属していた聖堂教会の第八秘蹟会、聖遺物の管理と収集を業務とするセクションの異端調査員になる。
 つまり言峰薫は遠坂凛の個人的な弟子のまま、聖堂教会の下っ端構成員になったのだ。
 父の綺礼は代行者でありながら魔術教会に出向して、籍を置く管理者代行。
 娘の薫は魔術師でありながら聖堂教会に名を連ね、しかしやっているのは両者の仲立ち。
 魔術協会に籍を置きつつ聖堂教会に顔が利く言峰綺礼。聖堂教会の構成員だが魔術協会に知己が多い言峰薫。 
 お互いがお互いのフォローでもする気なのだろうか。見事なこうもり親子である。

  後日、カオル・コトミネの手綱を握っておけと魔術協会から凛に手紙が届き、以後頭痛の種となる。


***** 5 スーパーソニック *****

 冬の空気は冷たく澄んで、星の灯りを地表に透す。
 人の気配が途絶えた冬木市新都の中央公園。その奥まった一角に建つ野外劇場に、ドレス姿の少女がくるりくるりと舞い踊る。
 闇より黒いドレスはシンプルなラインであるが、光沢があって星の光を反射する。僅かにのぞくフリルの白が、ドレスの黒を際だたせる。
 そして服よりなお黒く艶やかな髪は長くたなびき、大きく開いたドレスの後ろに少女の背中をさらけ出させた。
 新着ドレスをお披露目し、言峰薫は舞台中央で優雅にその身をかがめてみせた。
「いかがでしょうか王様」
 言峰薫の視線の先、神殿上座の玉座の位置にギルガメッシュが立っていた。
「簡素に過ぎて宮殿で着るには艶やかさがまるで足りんな。しかしだ、その上に鎧を纏うとなれば致し方あるまい。だがカヲル、その前にここに来い」
「はい、王様」
 黒いドレスを揺らめかせて薫は進み、己が王の前に出る。
「背を見せよ」
 薫は「はい」と答えて背を向けた。そして右の手刀で髪を持ち上げ、開いた背中をギルガメッシュの視線に晒す。
 かつて魔術が刻まれた際、薫の背中は焼けて爛れた。それから既に二年以上の時間が過ぎている。
 飛行魔術の制御にもようやく慣れた。よって戒めとして残しておいた火傷の痕を、霊脈との契約を機に消し去った。
 薫の背には、もうケロイド状のただれた皮膚は残ってない。しかし目を凝らせば不思議な紋様を見るだろう。
 ギルガメッシュは手を伸ばし、指でもって言峰薫の背を撫でた。上から下へ背骨に沿って、男の指が女の背中を撫で下ろす。
 紅玉のような男の瞳と笑みに歪んだ口元が、満足げな表情を作り出す。
 だがしかし、そこでギルガメッシュは悪戯を思いついたような顔になり、指を返して薫の背中を撫で上げた。
「のっひょぉぉぉおおおっ?!?!」
 びくっと体を仰け反らせ、薫は前に飛び退き悶絶する。硬く目を閉じ口を閉じ、肘を曲げた腕で脇を締め、内股になって何かをこらえるようにぷるぷる体を振るわせる。
「ハハハハハハハ。どうしたのだカヲル」
「ぐぉぉおお。な、な、な、何すんですか王様?! セクハラとパワハラは犯罪です! 女の作法は十八になってからと約束したじゃないですかっ?!」
 くわっと噛み付かんばかりにまくし立てるが、ギルガメッシュは涼しい顔だ。
「そうであったか? それは我(オレ)としたことが何とうっかり」
「何がうっかりですか?! 絶対にわざとでしょう!」
 いきり立つ薫にギルガメッシュはハハーンと首を振る。
「やれやれ、少しは女らしくなったと思えばもうこれよ。カヲル、貴様には少々慎みが足りぬぞ」
「こ、この人は、この王サマは!!!」
 ぐぬぬと眉を寄せる薫を前にして、しかしギルガメッシュは気にせず笑う。まさに王様である。
「さて、何時までも遊んではおられぬ。疾く我に鎧と槍を見せるのだ」
「うー。遊びだしたのは王様なのに。判りました。少々お待ち下さい」
 不本意ですと表情だけで訴えて、薫はその身をひるがえす。ドレスの裾を揺らめかせ、向かった先にあるのは黒光りする金属鎧。先日の儀式で使用した「キュベレー」の鎧である。
 西洋において、黒は死の色、闇の色、そして再生を象徴する大地の色だ。
 薫は鎧を手にとって、ドレスの上から一つ一つを身に付ける。
 ティアラをかたどる額当て。頭部を守る鱗のような板金はウィンプル(頭巾)を思わせる。
 胴当ての曲線は女性の体のそれであり、鎧を着けてそれでなお、薫の体の輪郭線を隠さない。肩当ては薄く小さくなで肩で、肘から先は鎧で守られてはいなかった。腰回りは衣を重ねたようではあるが金属製で、腿から脛をここだけは丈夫そうな鎧が守る。
 腕を除いて全身を覆う鎧だが、しかしそれは前面のみで背部は守っていない。
 だがキュベレーを装着したことで、薫にはこの地の魔力が注がれる。蛇口(瞬間魔力使用量)とタンク(最大魔力容量)は小さいままだが、それ故に使い切れない外付けタンクを薫は手にしたこととなる。
 公園内に限られ鎧を着なければならないが、全開で15秒も保たない魔力放出の制限が外れるのはありがたい。
 薫は次に、ビロード張りのケースに手を伸ばす。
 そこに在るのはラピスラズリの蒼い握り柄、黄金のギアボックスと紅玉あしらいのナックルガード。三本並ぶ黒光りする円筒は刀身であり法典で、ラテン語のアルファベットが刻まれてはいるものの内容は古代アッカド語の音訳テキスト。
 そして螺旋階段を思わせる銀色のシャフトが束ねられて置かれている。
 ラピスの蒼に染まった柄を取り、ギアボックスを取り付けひねる。肩まで隠せる大型護拳(ナックルガード)を載せて固定する。
 第一シャフトを差し込んで「地の法典」を取り付ける。第二シャフトを絡ませて「王の法典」にシャフトを通す。
 そして「天の法典」の歯を咬ませ、切り込み先が刻まれた第三シャフトをねじ込んだ。
 全体がぎしりと音を立て、がちがちがちと、中で繫がる音がした。
 薫の目が優しく緩み、しかし口元がぱっくりと左右に広がる。虚ろな笑みを満面に浮かべた薫は小さく呟く。
「出番ですよ、起動しなさい ———— 私のフレア」

“大地の鎧(キュベレー)”を薫は身に付け“突撃槍(フレア)”をその手に掲げ、ギルガメッシュの元へと立ち戻る。

「王様、お待たせしました。おじさま、死にそうになると思いますが治療よろしくです」
 祭壇に建つ柱の一つに寄り添っていた言峰綺礼が苦笑を浮かべた。
「薫、さすがにこれは私でも無理が過ぎると思うのだがな」
「あっはっは。私もそう思います。でもせっかく王様が稽古をつけて下さるのですから頑張ります。王様、宜しくお願いします」
 薫の言葉にギルガメッシュは、うむと頷く。そして薫を引き連れ祭壇から降りたって、公園の中央で向き合った。
 笑みを浮かべたギルガメッシュがパチンと指を弾いて鳴らす。
 彼の背後に光の波紋が広がり、光の粒子が吹き出した。光はギルガメッシュの身を包み、黄金の鎧となって結実する。
 更にギルガメッシュは右手を掲げる。
 すると光の波紋の向こう側から蒼い握り柄と黄金のナックルガードが顔を出す。それを握り引き抜くと、姿を現すギルガメッシュの最強宝具。

 かつて混沌としていた太古の地球。その世界を天地に分けた天地開闢・天地乖離の神器。天地創造の法典にして太古の原典。乖離剣“エア”を黄金の英雄王が手に取った。

「さて、カヲルよ。このたび貴様はこの公園という領地を得たが、この世界の全ては我(オレ)の庭であり我の領地だ。本来ならば我が許可せぬ盗人どもに土地を与えるなどあり得ぬが、カヲル、貴様は我の従者だ。この地を治めること我が許す」
「はい、ありがとうございます。王様」
「そしてこれが祝いだ。この“エア”と切り結ぶこと、今宵は許そう。エアの仔であるフレアの力、この我に見せて見よ!」
 ギルガメッシュは総毛立つほどの覇気を放つ。しかし薫はそれに怯えることはなく、突撃槍(ドリルランス)乖離法典フレアを天に掲げて、
「はい!  ──── その時、上に(エヌマ・エリシュ)!!!」
 魔力を注ぎ、火を入れた。

 三連円筒刀身が、順・逆・順にぎゅるぎゅる回る。
 魔術礼装、乖離法典フレアは本来、儀式用の祭祀礼装。
 その働きは法典に刻まれた呪力を熱風に載せて拡散し、周囲の大源(マナ)を支配する「支配の杖」であり「王権の杖」である。
 魔術回路が少なく多くの大源(マナ)を扱えない薫が、大量の魔力を導くための“領域支配”の礼装だ。
 しかしそれが全てではない。
「エヌマ・エリシュ」は人類最古の天地開闢の物語。混沌を切り裂き天地と別れ、神が顕れ世界を作る創世の原典である。
 メソポタミアを全支配したバビロニアの祭祀において、王(神)はエヌマ・エリシュを奏じて人と世界を支配した。
 ならばエヌマ・エリシュを掲げる薫も王であり、世界を支配し切り裂く力を振るう神でなくてはならぬのだ。

 世界を歪める。世界をだます。神話という幻想の力を以て、過去を今に顕現する。

 歪曲と逆行という魔術の作用原理を働かせ、魔術礼装・乖離法典フレアは「天地開闢」の概念を導き出した。
 ここでフレアの働きは逆転する。
 領域の大源(マナ)を支配する祭祀用の補助礼装から、天地開闢の概念干渉により閉じた世界(結界)を切り裂き、触れる全てを上下に別ち粉々にする結界破壊の限定礼装へ姿を変える。

 仄かに光る円筒刀身。緩やかながら渦巻く魔力に、触れた世界が悲鳴を上げる。
 それを見て、ギルガメッシュはニヤリと嗤う。凶暴な光を眼に宿す。
「フフフフフ、ハハハハハハハ。いいぞカヲル。それでこそ我(オレ)の従者、この現世においてただ一人、我の名を識りこの我に跪く、たった一人の我の民(モノ)だ。 ──── 来い」
「はい!」
 薫は叫び、背中と両の足首から燃える炎の翼を広げる。そして突撃槍・乖離法典フレアβマスター(最終試験機)の切っ先をギルガメッシュへと向けて。
「いきます!!」
「クハハハハ! 生意気な従者め!! 来るがいい!!!」
 突撃を開始した。

 薫は地を蹴り風を蹴り、羽ばたく翼は火を噴いて、さらに背からは魔力を吹きだし、唸るランスを突き入れる。
 長さに勝る薫の突きを、ギルガメッシュはエアで受け、薙ぎ払って受け流す。
 乖離剣エアの三連円筒刀身が唸りを上げて回転し、乖離法典フレアの三連円筒刀身もまた、唸りを上げて絶叫する。
 共に同じく「天地開闢」の力を内包する「固定化した神秘(礼装・宝具)」であるが、エアは宝具の頂点と言って過言でなく、対してフレアは薫が作った魔術礼装。神秘の格ではるかに劣る。
 合わせた箇所で火花が花のように大輪を描いて弾け、魔力の風が吹き乱れた。
 くっと薫は息を呑み、大きく飛んで後ろに下がる。姿勢を低くし身をかがめ、横一文字にフレアを構えて静止する。
 サッと視線を横に薙ぎ、異常がないかを確かめた。大丈夫、まだ壊れてないようだ。
「どうしたのだカヲル。畏れるにはまだ早い。我(オレ)を知る貴様であっても、一撃で恐れを成すなど我が許さぬ」
 凶悪な笑顔のギルガメッシュはそう言い足を踏み出した。
 受けに回るは死ぬも同然。長大なランスを持って後の先などはあり得ない。先に手を出せ槍を出せ!
「キィー、エィッ!!!」
 八極の大槍術。足下への突きから円を描いて外に跳ね、頭を狙って殴りつけた。
「ハハハハハ」
 しかしギルガメッシュはこれを容易く受け止める。微動だにせずかざして止めた。
 乖離剣と乖離法典、回る刀身のみがガリガリと音を奏でて悲鳴を上げて、あたりに叫びを撒き散らす。
「いいぞカヲル。この鋭さ、この重さ、そしてなによりこの気概。これでこそ。これでこそだ!」
 ギルガメッシュはランスを弾き、返す刀で薫の首を横に薙ぐ。しかし薫は腕を引き、護拳に隠れて頭を守る。大木で殴られたような重い一撃が炸裂するも、薫はそれを受けきり右足を後ろに引いた。
 出来た間合いでを拳をひいて、正拳突きにランスを載せる。
「ハーッ!」
 真っ直ぐに鳩尾へと放たれた薫の一撃。だがそれは上から振り下ろした一撃で押さえ込まれた。ギルガメッシュは凶暴さに歪む顔に笑みを浮かべる。そして薫も凶暴な笑みで顔を歪ませた。
「隙ありっ!!!」
 下からエアにフレアを押し付ける。火花が散るが何のその。薫はそのまま強引にギルガメッシュを空に浮かせた。
 ギルガメッシュの体重は68キロ、鎧を着てエアを持っても150キロに届くかどうか。薫の体重は50もないが、鎧とランスで100キロ近く。
 こと体の重さに限っては、互いに人間の領域なのだ。
 だから飛ばせる。
 薫の普段の強化は約7倍。鍛えた薫は魔術が無くても100キロの人間を普通に担げる。この筋力を魔術で増幅し、さらに魔力放出を併せれば、ギルガメッシュであろうと無防備ならば吹き飛ばせる。
 能力はともかく身長と体重は人と変わらぬサーヴァントの、これが攻略の鍵だと薫は考える。
「オオ?!」
 飛ばされたギルガメッシュが喜びの声を上げる。満面に笑みを浮かべて薫を見やる。
「てややぁぁああーっ!!」
 足の翼で空気を蹴って、薫は天に駆け上がる。喉元へと狙いを付けて、力を込めて突き上げた。
「ハイアングル・ギロチンフラッグ!!!」
 それは頭蓋骨の貫通を狙い、死徒(吸血鬼)の首をもぎ取る聖堂騎士の絶技であった。
 獣のように跳ぶ化け物を地上から撃ち貫くのが本来の形なのだが、薫は魔術で空を走れる。故に薫は己を空へと打ち上げる。
 地から天へと逆しまに疾った稲妻の如きその突きを、ギルガメッシュは身をよじって受け流した。
 勢い余って上へと抜ける薫を一瞥し、ギルガメッシュは地に降りる。
「ハハハハハ。地にあって全てを支配する王たる我(オレ)を空へと飛ばし、天にあって全ての雑種が仰ぎ見るこの我を、串刺しにせんとするとはなんたる不敬! ハハハハハハハハハ。カヲル、あとでお仕置きだ」
「えええっ?! 王様! それは話が違います!!」
 あたふたする薫をギルガメッシュは笑い飛ばし、おっとうっかりと言ってエアを構え直した。
「ハハハハハ。いかんな、これでは我が笑い殺されてしまいそうだ。故にカヲル、貴様には特別に乖離剣の剣技を見せてやろう」
 言って彼はエアに魔力を注ぎ込む。唸りを上げて、エアは回転を速くし渦を巻く。
「エアの剣技ですか?! 王様、どうか手加減をお願いします。即死したらさすがに死にます」
「心配するな、挽肉になっても温かければ生き返らせてやる。嫌でもなぁ」 
「そこまで逝ったら、むしろ死なせてくださいっ!!!」
「いくぞ」
「うわぁぁああっ?! 聞いちゃいねぇぇええーっ!!!」
 乖離剣エアを振り上げ、ギルガメッシュは斬りかかった。

「乖離剣 ──── 」
 ギルガメッシュはエアを振り上げ、頭上より切り下ろす。
「 ──── 全(ニンツ)」
 ごがんと轟音が鳴り響く。中身の入ったドラム缶でも叩き付けられたかのような重い一撃に、フレアのシャフトが悲鳴を上げる。
「乖離剣 ──── 」
 狂笑を浮かべたギルガメッシュは背を見せた。そのまま体を回転させて、横薙ぎの一撃を振り抜いた。
「 ──── 月(スィン)」
 薫は後ろにはじけ飛ぶ。それを追い掛けギルガメッシュは飛び掛かる。
「 ──── 乱(エヌルタ)」
 飛び込んでの一撃に、薫は地面に叩き付けられた。
 手加減されているとは思う。しかし車に撥ねられたかのような衝撃が体を突き抜け呼吸が止まる。
「ハハハハハ。カヲル、立つのだ! それ、この一撃はちと響くぞ!!」
 薫がなんとか見上げると、ギルガメッシュはエアに魔力をまとわせ力を溜めている。
(死ぬ)
 痛みにすくむ体を死への恐怖で奮い立たせて跳ね起きた。ギルガメッシュがニヤリと嗤う。
「乖離剣 ──── 」
「回れ回れ、回れぇぇええーっ!!!」
 渾身の魔力を込めて乖離法典フレアを回す。そこに魔力の輝きをまとったエアが袈裟斬りに叩き付けられた。
「 ──── 知(エア)」
 雷が落ちたような炸裂音が辺りの空気を振るわせた。飛び散った空気が風を巻いて荒れ狂い、地面を切って放射状に亀裂を走らせる。
 炸裂の中心地に立つギルガメッシュは「ほう」と小さく賛美する。視線の先には言峰薫、横っ飛びで豪快にヘッドスライディングをキメて今の一撃からダメージ無しで逃げたのだ。
 しかし薫が無事でも得物はそうはいかなかったようであり、ナックルガードが大きく凹み、端がえぐられ裂けて千切れていた。
「ハァハァ、王様、今のは死ねます。というか殺す気マンマンじゃないですよね? 技を見せていただけるだけですよね? そうですよね王様?!」
 ぷるぷると震えつつ、しかしフレアをかざす薫ちゃん。完全に涙目である。
「ん? そうであったな。我(オレ)としたことがつい興が乗って力が入ってしまったか。なんといううっかり。今宵は我のうっかり祭りか」
「そんな祭りはやめてください!!!」
 薫はもうダメです許してくださいと泣き出した。

 連続技があるのだが。そう言うギルガメッシュに薫は泣き付き、これで勘弁してもらう。
 怖かったので少しの間、みーみーと泣いておく。ガマンは体に悪いのです。水で濡らしたタオルを絞り、顔を拭いて涙を拭う。
 そんな薫に言峰綺礼が近づいた。
「薫、よくあそこで体を動かした。並みの鍛錬ではああはいかない。お前は強くなったと私は思う」
「おじさま、ありがとうございます。でもですね、正直に言って本気で死ぬかと思いました」
「ククク。謙遜することはない。手加減されたとはいえ、お前は宝具を手にしたサーヴァントと切り結んでも生きている。もっと自信を持つといい」
 優しげとは言えないが、頬を緩ませ微笑む言峰綺礼。薫も彼に微笑んだ。
「しかしどうする。今日はもう終わりにするか。それとも試験を続けるか」
「このままフレアのテストを続けます。幸いコアパーツは壊れてませんし、ナックルガードは交換します」
「そうか、では続けるがいい。薫、お前の挑戦が成功することを私は祈ろう」
 綺礼は静かに十字を切った。

「では行きます」
 薫は赤い炎の翼を広げ、星空へと舞い上がる。
 手にしているのはドリルランス、乖離法典フレアであるが、大地の鎧(キュベレー)は着ていない。
 ドレスも脱いで、着ているのは特別製の尼僧服。いつも着ている服とも言ふ。
 その上に、胸から膝まで続くキャタピラ構造のブレスト&スカート鎧。肩とヒップに翼を模したショルダーガードとサイドスカート。そしてコウモリを意匠化したフェイスガードを顔に当てている。
 軽やかに空を翔ることを主眼とした軽量装備である。
 普段なら、ガルドルガンド(呪歌の杖)か処刑鎌(デスサイズ)を持つのだが、今日の目的は乖離法典の最終テスト。
 このテストで使い潰して、次に組むのがゴールデンマスター(正式規格機)の予定である。細かな改良は続くが、全体のテストは終了だ。
 雲の上まで舞い上がれば、眼下に広がる光は人が生み出す都市の光だ。地上の星の一つ一つに、人の生活があるのだろう。
 そんな事に思いをはせて、薫は深く、息を吸う。そして目を開け、呪文を紡ぐ。
「身体強化(フィジカル・エンチャント)感覚強化(フィーリング・エンチャント)物質強化(マテリアル・エンチャント)」
 薫は自身を強化する。そして鎧と突撃槍に魔力を循環して強化する。さらに。
「概念強化(イデア・エンチャント)翼・鳥・天使・不死鳥・火の鳥・火炎・流れ星! いくよルビーちゃん!!!」
 薫は真っ逆さまに加速した。
 世界を歪め、あらゆる悲劇を喜劇に変える最強無敵の魔術礼装カレイドステッキ。その精霊ルビーから授かった魔道の翼の力を借りて、今日こそは、空気の壁を突き破る!
 構成概念の強化を受けて、魔術の翼が膨らんだ。力強く羽ばたき火花を散らし、言峰薫は加速する。
 薫は風に向かって槍を突き刺し、ドリルランスを起動する。
「 ──── その時、上に(エヌマ・エリシュ)」
 フレアが空気を穿ち穴を開け、そこに体を滑り込ませる。飛びながらでは気流操作ができない薫が考え出したのがこの答え。
 風を操れないのなら、全てを切り裂き進めばいい。

「エヌマ・エリシュ。ラ・ナブウ、シャマム(上にある、天には未だ、名前無く)」

 墜落寸前で薫は上昇し、再び天へと舞い上がる。

「シャプリシュ、アムマトゥム。シュマ、ラ・ザクラト(下にある地にもまだ、名がなかった時のこと)」

 薫は炎をたなびかせ、直径300メートルの魔法円を描き出す。

「ギパラ、ラ・キイスル。スサァ、ラ・シェウー(世界には形なく、水も大地も見あたらず)」

 フレアでえぐった空間を繰り返して通ることにより。

「エヌマ・ラ、エア。シュプウ・マナマ(ただ風が吹くのみで、まだ何も存在しなかった)」

 秒速約340メートル。時速で1220キロメートルの壁に肉迫する!

 凍り付いた泥の中で、身を削って進むような悪感に薫は耐える。
 力が足りない時間が足りない勇気が足りない策が足りない。そろそろ礼装開発にも見切りを付けて、自分を煮詰める作業に入らなければ熟練度が上がらない!
 薫は歯を食いしばる。
「あと三年、あと三年しかないんです! ──── 天地乖離す、」

 壁のような硬い空気にもがきながら薫は叫ぶ。それは薫にとっても乖離法典フレアにとっても呪文ではなく只の言葉だ。だがしかし、人は言葉(気合)で加速する。

「、開闢の星 ────」

 フレアが回転を増すことはなく、飛行魔術(火の鳥)が加速することもない。しかしその瞬間、宙に描いた魔法円が囲んだ大源(マナ)を収束して言峰薫に注ぎ込む。
「突き抜けろ! オーラ・バーストォォオオ!!」
 渾身の魔力放出が、最後の力となって薫の体を空気の壁に叩き付ける。叩き付けられ、叩き付け、ランスでえぐり、空気に体はえぐられる。
 空気という名の地獄の中で薫は吠える。突き抜けろ。突き抜けろ。運命を貫き砕くそのために。
 誰にも聞こえぬ叫びを上げて、しかしそれは刹那の瞬間だった。
 ぱりんと砕けるような音を確かに聞いた。空気の泥をするりと抜ける。槍が抜け、腕が抜け、頭が抜け、体が空気の泥から抜け出した。

 この一瞬、薫は超音速(スーパー・ソニック)の領域をかいま見た。

「カヲル、生きているか?」
 ……返事がない。このままでは屍になるようだ。
 一瞬の急加速後に、薫の装備はバラバラになって撒き散らされた。意識を無くした薫はクルクルと回転し、墜落して地面の上を車輪のように転がった。
 出血こそ目立ちはしないが、それでも血を吐いている。呼吸もしている様子がない。耳を澄ますが心臓の鼓動も聞こえない。
「いかんな。綺礼、疾く蘇生しろ。我(オレ)の財を持ち出すほどではないが、尋常の手当ではこのまま死ぬぞ」
 言峰綺礼がしゃがみ込み、薫の手を取り脈を取る。
「ふむ、衝撃波に負けて脳しんとうを起こしたか。それとも毛細血管が一斉に破裂したショックで気絶したか。いや、全魔力の瞬間消費に精神力が摩耗したのかもしれない。あるいはそれらが同時に起こったか、そんなところだな」
 そう言いながら言峰綺礼は娘の体に手を当てる。ムンと軽く一押しすると、薫がブッと血を吐いた。
 げほげほと何度もむせて、しかし呼吸が再開された。うっすらと目を開けて、薫は血に汚れた唇に笑みを浮かべて頷いた。
 綺礼は薫に頷き抱き上げる。力の入らぬ手足がブラブラ揺れて、血の雫がポタポタ墜ちる。
 僧衣が汚れることは構わずに、綺礼は薫を祭壇へ運んで手当を始めた。
 泥を洗い流して消毒し、出血をガーゼで抑える。外れた関節をはめ込み、包帯で固定する。折れた骨は固定具で矯正し、テープで正常位置に保持をする。外形を整えたその上で、霊媒治療により肉体に「復元」を掛けて巻き戻す。
 霊体の情報を「正」として、肉体を霊に付随するものと捉えて下位に置く。霊体に干渉し、これをいじって霊体・肉体・精神までも治療する霊媒治療。適性のある綺礼の腕は、秘蹟を使う司祭にのそれにも匹敵する。
「これでいいだろう」
 数分の後、綺礼は額の汗を拭って霊媒治療を終了させた。薫は血に汚れた包帯まみれだが、体は既に怪我はない。今は安らかに寝息を立てている。
「では撤収するか。私は公園の結界を不活性レベルに落とす。ギルガメッシュ、お前は薫を車に運んでもらえるか」
「王たる我(オレ)が従者を背負うなど噴飯ものだぞ。だが許そう。この我ですら、財の力なくば空気の壁は越えられぬ。祝いのついでだ」
 ギルガメッシュは己の従者の腕を取り、肩に回して背中に薫を背負い上げた。やれやれと声を漏らすが、その口元は笑っている。
「幼き頃は我を真似て剣を撃つ弓兵(アーチャー)の如きであったのにな。もはや薫は弓兵とは呼べぬ。
 だが騎士王を真似て疾(はし)るが剣兵(セイバー)でなく、槍を掲げるが槍兵(ランサー)でもない。
 キリツグに教わり暗殺者(アサシン)にならず、凛に魔道を習うが魔術師(キャスター)でもない。
 やはり綺礼、貴様の娘であるから狂戦士(バーサーカー)か?」
「なぜだ」
 心外だという顔の綺礼にギルガメッシュは腹を抱える。
「ハハハハハハハ、おっといかん落ちる落ちる」
 ギルガメッシュは薫を背負い直し、ハハハと笑いながら公園の外へと歩き出した。

 一人残った綺礼は公園を見渡した。
 結界はともかく、公園中央に刻まれた亀裂は重機を入れないと面倒だ。業者の手配は藤村組でいいのだろうか? 薫には学校を数日休ませるとして、凛には話をどう付ける?
 色々と手間がかかる娘に言峰綺礼は苦笑せずにはいられない。
 だがしかし ────。

 血と泥に汚れて地に倒れ、それでも笑みを浮かべたあの娘。その姿を美しいと思ってはいけないか?

 心に震えるものがある。だが綺礼はそれに捕らわれることはなく、事後処理に取りかかった


***** 6 鐘の音 *****

 白い天井、白い壁。揺れる白いカーテン越しに、午後の日差しが優しく差し込む。
 一つ置かれたベッドには、少女が眠りについて、すやすや寝息を立てていた。
 病室に設えられたベッドの上で、言峰薫は眠っている。髪はまとめて三つ編みに。片腕が毛布の上に出て、点滴がチューブで繋がり少女の中に浸みていく。
 部屋はベッドが一つきりの個室であるが、ベッドに寄り添うように椅子が置かれて遠坂凛が腰掛ける。
 しかし凛は薫を気遣うような顔をしてはいなかった。
 この病室の入院患者の言峰薫。さっきまでは目覚めていたのです。凛が見舞いに来たときは、なんと書類を広げてペンを手に書き物などをしていたのだ。
 あんたは何をやっている?!
 表向きは過労で倒れたとされてはいるが、実際には魔術実験で音速に挑戦して力尽きたと聞いている。無茶をするにも程がある。
 大人しく寝てなさい。
 邪眼(イヴィル・アイズ)の魔術で暗示をかけて、強引に意識を落としてやった。こうでもしないとこの弟子は、入院しながら仕事する。
「やっぱり綺礼の影響かしら」
 凛は眉間のシワを揉む。
 性格はともかく真面目すぎる言峰綺礼。養女までもがその影響で働きすぎるのは問題だ。人生には余裕が必要なのだ。
 そう「常に余裕をもって優雅たれ」それが遠坂の家訓である。
 退院したら、桜も誘って遊びに行こう。沙条さんも仲間に入れて、冬木市魔女術研究会で遠出するのも良いかもしれない。植物園、美術館、庭園なんかがいいかしら?
 そんなことを思いつつ、凛は書類を束ねて辺りを見回す。封筒を発見し、片付けようとするが手が止まる。
 凛は書類に目を通す。
 キンググループ・ヨーロッパの活動報告書。新都中央公園への重機の手配。そんな書類に混じって十字架のスタンプが押された書類があった。
「何かしら? げっ?!」
 それは聖堂教会の内部資料。秘匿レベルが少々高く、閲覧権限・制限ありで取扱注意と書いてある。
「こ、この子は」
 凛は頭痛に襲われよろめいた。お願いだから、こーゆー危険物はホイホイ持ち出さないようにして欲しい。
 魔術の秘匿には異常なほど気を使うのに、反面こういった書類の扱いが薫は雑だ。
 キンググループ欧州支部の会社書類は基本的にフランス語。魔術協会関係は英語で聖堂教会の日常書類はイタリア語。教会の記録書類はラテン語となるらしい。
 多くの日本人は外国語を苦手とするが、全員がそうではない。もっと気を使って欲しいものである。
「はぁ」と小さくため息一つ。ああ、幸せが逃げていきそうだ。
 小さく首をを左右に振って、凛は書類に目を通す。
 閲覧権限? 師匠は弟子の動向を、把握しておく必要があるのです!
 責任感に背中を押され、どれどれと凛は字面を目でおった。
 書類の日付は1年半前の夏のもの。内容は ────。

 一年半前の夏。イタリアの片田舎に死徒二十七祖の十三位「タタリ」が出現した。
 討伐に向かった聖堂教会の騎士団、ヴァステル弦盾騎士団は全滅し生存者なし。
 同行した魔術協会三大部門の一つアトラス院のアトラシア(院長代理)は生き残るも帰還せず、聖堂教会と魔術協会の双方から指名手配が出ることとなり今に至る。
 そして、両者の仲立ちを趣旨とするキンググループとしてはアトラシアの身柄確保は第一義とせず、秘密裏に接触し詳細を問うことを試みるとある。
 魔術協会、聖堂教会の双方にこの言を伝え行動しているが、今の所かんばしい報告はないようだ。

 こんなことをしていたのかと凛は更にため息を付いた。
 凛は薫の寝顔を眺める。
 やすらかな寝顔になるまで何年かかったと思ってるのだ馬鹿弟子は。
 うなされて、うなされて。隣に寝かせたこの子が夜中に何度も目をさます。暗闇の中で辺りを見渡し、安心したように息を吐き、倒れるように寝直すのだ。
 何度となく暗示をかけて安定させたが薫の精神(こころ)は強くない。綺礼やキング氏が数日でも居なくなるとそれだけで不安になり怖がってしまう。
 どうにも納得がいかないのだが、傲岸不遜で厚顔無恥なあの二人と居ると安心していられるらしい。
「凛も同類です。ふにゅ?!」
 以前、そう言われたときはほっぺたを伸ばしてやった。生意気である。あの二人と同じと言われてはいけない気がする。それが遠坂のプライドなのだ、きっとそう。
 この子と出合ってもう七年。やっと普段の顔が女の子らしくなってきたのだ。どうかこのままこの子が幸せになりますように。
 そんなことを考える。
 あの親(綺礼)で、あの保護者(キング氏)か。凛は少し考えて、グッと親指を突き出した。
「薫、ファイト!」
 師匠である自分のことは棚に上げておくのが今日の遠坂クォリティ。
 そんなことをやっていると、ドアがノックされ開かれた。
「あ、失礼」
 凛がいるとは思っていなかったのか、見舞客は軽く会釈し部屋へと入り、そして静かに戸を閉めた。
「こんにちは。私は氷室鐘といいます。言峰さんは眠っているのですか?」
 カネという少々古風な名の少女は、そう言って凛に見舞い用の果物籠を差し出した。
 長い髪を腰まで伸ばし、切りそろえた前髪の下にはかけた眼鏡がキラリと光る。
 着ている服はシックにまとめ、締めたネクタイがアクセントとなって大人びた雰囲気を醸し出している。
 そのファッションセンスに強敵の気配を感じ取る。見舞いの品に高価そうなマスクメロンが入っているのもポイントが高い。
 感心しつつ、凛は隙なく笑顔を向けた。
「はじめまして氷室さん。私は遠坂凛です。言峰さんとは小さな頃から家族ぐるみでお付き合いをしている友人です」
 凛の名の聞き、氷室鐘は「ああ、貴女が」と得心がいったように頷いた。
 彼女は冬木市市長、氷室道雪の娘で、市が主催したパーティーで会社社長の言峰薫と出会ったそうだ。
 彼女の母親はフランスびいき。フランス語が話せフランス・パリに支社があり現地に詳しい薫と母が話し込み、自分も紹介されて知り合ったと氷室鐘はいきさつを語った。
「貴女のことも薫嬢から聞いている。彼女が教会の養女になって以来の付き合いだとか」
「そんな事まで話をしたんですね。この子にしては珍しいんですよ」
 この鐘という少女は自分や薫に負けず劣らず大人っぽい。同世代の子供より大人達と話すことが多い薫と波長があったのかもしれない。
 凛は頬を緩ませる。
 何にせよ、薫に女の子の友人が増えるのはよいことだ。
 凛と桜。加えて沙条綾香。女友達が魔道に関わるものばかりというのは好ましいとは思えない。やはり「普通」をマスターしておかないと、いざというとき「戻って来られなくなる」危険性がある。
 異常を日常としてはいけない。異常を基準とすれば狂人となる。それでは人は幸せになれない。
 凛は快楽主義者を自称している。辛いことも苦しいことも、価値を認めてやるべきと感じているからやっている。
 ならば楽しくあるべきだ。
 そして楽しくあるためには「普通」の精神性を保つべきで、それが遠坂凛の世界なのだ。
「氷室さん。これからも薫と仲良くしてあげてくださいね」
 そう言い凛が微笑むと、氷室鐘も笑みを浮かべた。そして彼女は片目を閉じて、絵描きがデッサンを描くかのように凛と薫に目を向けた。
「承知した。しかし君たちは良いな。実に絵になる」
 差し込む光。ぐうすか眠る言峰薫。側に寄り添い微笑む遠坂凛。それを見て、氷室鐘はそう言った。
 それから凛は氷室鐘と少し話をした。薫嬢によろしくと言い残し彼女は帰り、再び部屋は静かになった。
 さて。と凛は立ち上がり、マスクメロンを横領しつつ帰り支度を開始した。
「それじゃ私も帰るわね。おやすみなさい薫」
 それだけ言って、遠坂凛は退出した。

 陽が落ちて、暗闇の帳(とばり)が降りた病室に薫は眠る ──── 今はまだ。

前の話へ 次の話へ

16.1社長さんの憂鬱。2009.11/2th。16.2中等部日記。2009.11/2th。16.3おままごと。2009.11/7th。16.4キュベレー。2009.12/3th。16.5スーパーソニック。2010.1/13th。16.6鐘の音。2010.1/24th

あとがき
 悩みましたが「月姫」「メルティブラッド」「空の境界」とのクロスオーバーを決定しました。外伝的な扱いで、経験値を積むことが目的になるでしょう。
 それ以外とのクロスオーバーばプチねたで取り扱うことといたします。
 やっと原作のストーリー展開を参考に出来る。楽になります(石を投げないでください)思えばずっとオリジナル展開でやってたのか。我ながらアホだ(自分的には頑張ったんですけどね)
 とはいえ「参考にする」程度では原型を留めない可能性アリですが。
 キャラの個性は出来るだけ変えない。ストーリー展開は変えるが原作の雰囲気・テーマは尊重するということでどうか一つ。
2010.1/24th

次回予告
 言峰教会の裏庭で、たき火の炎がパチパチ爆ぜる。
 星空の下でのバーベキュー、炎を囲む席で語られるのは冒険譚。
 それは人類最古の英雄王、ギルガメッシュの物語。
 次回、幕間その2「ギルガメッシュ叙事詩」

トップ Profile オリジナル小説 二次創作トップ 頂き物・絵 頂き物・Text 掲示板 メール リンク ぶろぐ日記
inserted by FC2 system