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Fate/黄金の従者#15人形(ホムンクルス)狩り

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 夏のドイツは割と涼しい。
 Yシャツ姿に負けず劣らず、上着を着込んだビジネスマンらが街中を闊歩する。
 ここは地方の城塞都市。中世の趣のある街を、古風な石の城壁がぐるりと囲む。更にその城壁を飲み込むように町並みが拡大し、十万人規模の街となった地方都市である。
 城壁の外には今風のモダンな住宅地が広がる一方、城壁中の建築群は、石を漆喰で塗り固めた中世さながらの町並みだ。
 歴史があるからだけではなくて、この雰囲気が観光資源。城壁の内部に限っては、古き時代の様相(フォーマット)を厳守しないといけないことになっている。
 灰色と黒に染まった石の街の中央付近に、教会とそれと囲む広場があった。
 古来、城塞都市や都市国家の中央には、一番高い建物として教会が建つことが多かった。この街もその一つ。増築を繰り返された教会はなかなかに壮麗だ。
 教会前の広場に沿って、石畳の道が延びていた。小さなベンチとバス停の標識が立っていて、住人あるいは観光客がたむろする。
 そんなバス停手前の路肩にタクシーが停車した。ドアを開けて降り立ったのは一人の女性。前髪をかるく左右に分けて、後ろは短くまとめている。スーツ姿は様になり、女性をりりしくみせていた。
 しかし荷物を取り上げ前を向いたその顔に化粧気はなく、年齢も二十を超えてはいないだろう。
 男装の麗人を想わせるスーツ姿のその女性は、泣きぼくろの上にある眼で辺りを見渡した。彼女はバス停に視点を定めると、二つの荷物を持ち上げる。
 革張りのアタッシュケースは大きめで重そうなのだが、彼女は苦もなくぶら下げる。反して円筒状のアジャスターケースは、大事な図面でも入っているのか大事そうに肩に担いだ。ショルダーバンドを調節して肩に馴染ませ、きびきびとした歩調でバス停に近づいていく。
 バス停には少女と老婆が歓談している。老婆の髪は白くてふわふわも、笑みを浮かべてさかんに少女に話しかけているようだ。
 相手をしている少女は東洋人のようであり、癖のない長い黒髪の持ち主で溶けたチーズのように滑らかな肌をしている。そして彼女はシスターなのか、教会の尼僧服を身につけていた。
 少女はベンチにちょこんと座り、ボストンバッグが膝の上。傍らには彼女が三人ほど入れそうなトランクケースを置いている。
 話をしていた少女だったが、近づく女性に気が付いて視線を上げた。笑顔になって手を振って、しかし戸惑うように手の動きがこわばった。
 だがすぐに迷いを振り払い何かを決意したかのように、くっと口元を引き締めた。
 そして少女は呼びかけた。
「ママー」
「誰がママですかっ?!」
 彼女、バゼット・フラガ・マクレミッツが投げたアタッシュケースが、少女の顔面を直撃した。

Fate/黄金の従者#15人形(ホムンクルス)狩り

「すみません、すみません」
 バス停から少し離れた広場の隅で、東洋人の少女がバゼットに頭を下げていた。赤くなった鼻を手で押さえ、鳶色の瞳は涙眼だ。
「この合い言葉は絶対に嘘だと思ったのですが、万が一ということもあると考えまして。いえ、父が悪いのです! 父の綺礼が、この合い言葉を言わないと去っていくと言っていたのです。ええ、嘘だとは思ったのですが、しかし! しかし!!!」
「はぁ、もういいです」
 疲れた表情で首を振り、バゼットは少女が頭を下げるのをやめさせた。
 ちなみにバゼットが疲れているのは、善意のお婆さんに叱られたからである。曰く「母親がなんてことをするのだ」だそうだ。

 冤罪である。まったく記憶にございません。

 コトミネ・キレイ。封印指定・執行任務で二回ほど遭遇した代行者(エクスキューター)
 聖堂教会の任務(異端狩り)をこなしているくせに、魔術協会に所属し霊地の管理者(セカンドオーナー)代行の任にある変わり者。
 バゼットは思い出す。狂った賢者、墜ちた魔術師、その身柄を押さえるべく挑んだ魔境において、彼女と言峰綺礼は手を組んだ。
 彼は強く、強いが故に誰の助けも必要としていないように感じたが、そんな彼にバゼットは協力を求められ、そして共に戦った。結果として戦いには勝利した。しかしである。
 ……思い出したくないことが、記憶の端に焼き付いた。
 男なんて、みんなケダモノ、狼なのよ。ついでに言えば、アナコンダ。大蛇退散! こっちにくるな。逃げろニゲロにげろ。
「あのー、ミス・マクレミッツ?」
 少女の声に、バゼットは我に返った。失態だ。これは任務で、自分は依頼を受けたのだ。サポーターとして、自分は少女に助力しなければいけない。
 ネクタイを締め直すバゼットに、少女はぺこりと頭を下げる。
「 How are you ?(ごきげんよう)言峰薫と申します。カオルと呼んでくださいね」
 目の前にいるこの少女は協会と教会の連絡窓口「キング・グループ」を運営する外交屋(こうもりさん)で、言峰神父の娘であった。

「カオルですね? 判りました。では私のこともバゼットと呼びなさい」
 「判りました。よろしくお願いします。バゼットさん」
 そう言って、言峰薫は嬉しそうに微笑んだ。
 そんな彼女をバゼットは観察する。ミドル・スクール二年生と聞いているが、やや小柄。いや、東洋人としては平均的か? 欧州ではエキゾチック(異国風)に感じる真っ直ぐな黒髪は長く艶やか。鳶色の瞳は濡れて輝き、ぱっちりと開かれた目には意志を感じる。尼僧服は着慣れた感じだ。背筋は伸び、堂々として覇気がある。
 資料によれば、彼女はこれでも魔術師だ。
 それも「魔法使い」キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの弟子筋であるトオサカの門弟であるのだとか。
 見習いレベルは修了したが、今でも魔術の履修は続けているはずである。かの魔法使いは宝石魔術の大家として名高いが、この少女は強化魔術と変化魔術、そして治療魔術を専門とし、魔術礼装(ミスティック・コード)の作成に取り組む錬金術師(道具使い)タイプであるはずだ。
 だが、時計塔の資料はあまり当てにならない。バゼットはそう判断した。
 目の前に立つ言峰薫。その雰囲気は柔らかい。しかし立つ姿には軸が一本通っており、重心が制御されている。動く姿もなめらかで、鍛えているのが伺えた。
 体を鍛え、技を鍛えたその上で、強化魔術を専門とするならそれは戦闘魔術師だ。若輩でも侮るのは危険である。バゼット自身も武闘派なこともあり、目の前の少女を侮らない。
 しかしバゼットは心中に棘がチクチクするような感覚に襲われる。
 この少女は時計塔の内部にも知己がおり、付き合いがあるという。また聖堂教会との連絡窓口であるグループも、父親ではなくこの子の意向で作られたとの話もある。
 外交屋(こうもり)として数年前から名前を聞くようになった極東の小娘。利権を求めない組織運営とその活動には冷笑を浴びせる者が多いが、バゼットは少し感心していた。
 自分には戦うことしか能がない。なのにこの子は両キョーカイを連絡している。とはいえ、言峰綺礼と出会って受けたショックは大きかった。あの父親に育てられた娘なら、もう何でもありかも知れない。そんな風にも考える。
 それはともかく、協会と教会の中間で、中立的な立場で運営される窓口には価値がある。
 欲目を見せない東洋人がトップにいるのは都合がいい。よって彼女「言峰薫」を守る意義はあるとされ、バゼットに今回の依頼が渡されたのだ。
「バゼットさん、さっきお婆さんにクッキーを貰いました。どうですか」
 ニコニコ顔の言峰薫が紙包みからクッキーをつまみ上げた。
 ドイツ伝統のクッキーで、土台が日本で言うモナカ風で口の中でくっつきやすい。生地はしっとり。刻んだドライフルーツがこれでもかと入ったやつである。日本人の舌にはかなりエグイと感じるが、慣れるとこれがクセになるとか。
「いただきます。私も補給用としてビスケットを持っています。交換しましょう」
「いいですね。そうするとビスケットがメインディッシュで、デザートがクッキーですか? あっはっは」
「ふむ。ビスケットはパンから生まれたもので、クッキーはケーキから生まれたのですから、あながち間違ってはいませんね」
「……いや、ここはツッコミを入れて欲しかったのですが、うーん」
 薫があははと苦笑する。
 バゼット・フラガ・マクレミッツ。彼女にとって食事とは燃料補給。かなり無頓着な方だった。

 バス停で時間を確認し、それから二人は公園のベンチへ移動した。並んで座り、クッキーとビスケットをつまみ上げる。のんびりとクッキーをかじる薫に、バゼットは話しかけた。
「ところでカオル、今回の依頼の件ですが、貴女の口から内容を確認しておきたい」
 もぐもぐ、ごっくん。
「はい、依頼書は読んでいただけましたか?」
「無論です」
 バゼットは小さく頷いた。薫も頷き、声を小さくして口を開いた。
「ターゲットはアインツベルンから脱走したホムンクルスの処分。汎用型が一体、戦闘特化型が一体です。バゼットさんはアインツベルンのホムンクルスについてはご存じですか?」
「アインツベルンが錬金術に優れた家系であり、鋳造されたホムンクルスは素晴らしい出来だとは聞いていますがその程度ですね。貴女はアインツベルンの当主と会ったことがあると聞きます。詳細を知っていますか?」
「あー、そういうことも記録にあるのですか? まあいいですけど。こほん。汎用も戦闘用も大きさは人間サイズ。見た目は、そうですね。妖精みたいに儚げできれいですよ。銀髪で色白で赤い瞳の女性型です」
 ふむとバゼットは相づちを打つ。
「汎用型は魔術回路が多く、魔術師タイプです。アインツベルン領を守る氷雪結界の管理に従事していた機体で、風と氷の魔術を使うらしいです。まぁ、魔力と魔術回路は優秀ですが、自身を支える生命力には余裕がないので少しの怪我でも致命傷になるらしいのですが」
 アインツベルンのホムンクルスは自然と共にある精霊のような存在で、地上に自然のある限り、姿を変えず活動を維持できる。その反面、生命体としては脆弱で、肉体の破損を前提とした設計はされていないのため、人間なら軽傷である怪我でも死に至る。
「汎用型だけなら私一人で事に当たったのですが、もう一体が問題でして……」
 薫は顔をしかめて言い淀んだ。
「脱走した汎用型が、戦闘特化型に調整された個体を連れ出したそうなのです。この戦闘特化型は基本的な感覚やパーソナリティーが限定的な反面、身体機能が死徒(ヴァンパイア)並みです。銃弾を剣でたたき落とし、怪力は人間を引き千切れるそうです」
「死徒クラスで前衛型ですか。やっかいですね」
 バゼットも顔をしかめる。
 吸血鬼(ヴァンパイア)と対峙したこともないではないが、研究者である魔術師が成った死徒など、戦い方は魔術師と変わらない。対処法に変化などもなく、殴った後でどうするか。そこに少々手間がかかる程度の差しかない。
 しかし今回の標的は、死徒に匹敵する運動能力を持ちつつ戦闘に特化したホムンクルスであるという。
 それは魔術師もどきとは違う。吸血鬼により変じた化け物と同じく、その異常な早さと怪力、超常の反射能力を持って襲いかかってくる猛獣に等しい。
「それだけではありません。着ていたメイド服は魔術礼装で、おまけに魔術破壊の斧槍(ハルバード)まで持ち出したのだそうです」
「それは術式破壊(スペル・ブレイク)ですか? それとも摂理の鍵(マジック・キャンセル)?」
「術式破壊ですね。マジックミサイルやファイヤストーム、ライトニングボルトみたいな飛び道具は斬られて消えます。でも術者の内部で作用する身体強化(フィジカル・エンチャント)の類は大丈夫なはずです」
 薫の言葉にバゼットはなるほどと頷く。
「それなら私が適任ですね。私はルーン使い。秘力(フォース)をこの身に宿して戦うのは得意とします。しかしこれは侮れない。強敵です」
「はい。ですから私一人では厳しいと思いまして、噂に聞いた実力派、バゼット・フラガ・マクレミッツにサポートの依頼を出したのです」
 そう言って、薫は上目遣いでバゼットに縋るような視線を向けた。
「しかし、なぜ私なのですか? カオル、あなたなら聖堂教会の騎士にも伝手があるのではありませんか」
 バゼットの問いに薫は首を傾げた。それから満面の笑みとなる。
「はい。これはアインツベルンから私が受けた依頼でして、教会の人を使うのはちょっとはばかられたのです。それに貴女はとても優秀な魔術師だと聞きました」
 ニコニコする薫にしかし、バゼットは顔を背けた。
「カオル、お世辞はいりません。私は戦うことしか能がないと知っている。貴女のように、人と人を結ぶような仕事はできない」
 若くして封印指定の執行者という魔術協会でも有数の荒事に従事する彼女だが、眼を細めて自嘲を浮かべた。だがそれも束の間、彼女はすぐに瞳に強い意志を取り戻す。
「しかし私にも出来ることがある。貴女が私の力を必要としているのなら、全力で事に当たりましょう」
「はい。よろしくお願いします」
 薫は右手を差し出し、バゼットはその手を握る。魔術師らしからぬ行為だが、二人はそれを「良し」とした。

 お菓子を食べてのどが渇いた。スタンド(屋台)でジュースを買ってきて、並んで座り、それを飲む。
 打ち合わせは一段落。
 作戦立案と行動の意志決定は薫がやる。戦闘開始後はバゼットが戦闘指揮官となる。つまり薫がコマンダー、バゼットがコンバットリーダーを務めることとした。
 立場上、依頼を受けたバゼットが依頼主たる薫のサポートである。
「お願いします。戦闘指揮の経験はないもので」
 あははと笑う薫にバゼットが問いかける。
「カオル、エミヤ・キリツグに戦闘指揮は習わなかったのですか?」
「 ──── !!!」
 薫の視線が鋭くなり、その動きが凍り付く。バゼットは、しまったと少し身を引くが、薫はすぐに一息ついて相好を崩した。
「ふぅ、私のことを調べれば判りますか。でもですね。彼は暗殺者(ヒットマン)であって、戦士(ウォーリア)でも闘士(ファイター)でもないですよ。まぁ、兵士(ソルジャー)ではありましたがスタイルが基本、狙撃兵(スナイパー)ですので近接連携とかは教わりませんでした」
「そうでしたか。しかしカオル、貴女は言峰神父から教会の騎士としての訓練を受けているはずです。摂理の鍵は使えるのでしょう?」
「何とか。父や叔父貴からも戦い方は教えていただいていますが、それはあくまで単騎でのそれでして。集団戦闘や軍隊行動は未体験です。どちらかというと、事務とか交渉とか書類作成ばかり慣れてしまって。あはははは」
 頭をかく薫をバゼットはむしろ羨むように見下ろした。
「時計塔内部に付き合いの少ない私でも、貴女の名前は何度も聞いてきました。将来、遠坂の当主と共に穏健派の顔役になるのではないかとも噂されています」
「あっはっはっはっは。無理ですよ。凛はともかく、私にはそれだけの器はありません。私はむしろ、低能であることが求められている気がします。私よりバゼットさんが凄いと思います」
「私がですか?」
 意外な言葉にバゼットはきょとんとなった。胸の奥が少し、くすぐったい。
 しかしバゼットの視線の先で言峰薫の顔がニヤリと歪む。見たことあるぞ、その笑顔。バゼットの頭のなかで警戒ランプに灯が点る。
 「そういえば、バゼットさんには聞きたいことがあるのです」
 なんだろう。のどの渇きを覚えて、バゼットはジュースでのどを潤した。
「父、綺礼のことなんですけれど」
 ばぶっ!!!
「大丈夫ですか?」
 げほげほと咳き込むバゼットの背を薫がさする。
「げふっ、大丈夫です。かふっかふっ。う、うん! 言峰神父がどうかしましたか」
 薫はぐぐっと身を乗り出した。
「父は貴女のことが気に入ったようです。あの父が女性に関心を持つなど希有なことです。どうです今度、日本に観光に来ませんか? 全力で歓迎しますよ」
「ノー・サンキュー(結構です)!」
 アナコンダの生息域に、自ら飛び込む趣味はない。しかし薫はなおも言い募る。
「何があったのか、お姉さんに話してみませんか? 誰にも言いませんから」
「誰がお姉さんですか?!」
「まさかそれはつまり、自分の方が年上だ。お母さんと呼びなさいと、そういう意味ですか?! そうなんですか?!」
「違いますっ!!!」
 バゼットは赤くなって放言した。 
「ふふん。まぁいいでしょう。数日遅れて父も合流する予定ですから、ここはじっくりと行きましょう」
「タクシー! タクシー!!!」
 バゼットは道路沿いに飛び出した。

 タクシーの後部座席にバゼットと薫は並んで座る。窓の外には中世風の石の街。
「しかしこの町並みは、第二次世界大戦の後で破壊された町を復元したものです。瓦礫の山となった街を再建する際、先進的な都市にするか中世風の城塞都市にするか住民投票が行われたと聞きます。ドイツ政府も99年ローンなどの政策を施行して、その代わり99年以上使える本当の意味で質の高い建物を造るようにと法律を整えました。結果としてメンテナンスすることで数百年は維持できる昔風の街が国中に出来たのです」
 説明しているのは薫です。
「……と、記憶しているのですが、バゼットさん。何故に日本人の私が西洋人の貴女にこのような説明をしているのでしょうか?」
 薫の横で「うっ」とバゼットは小さくうめき、運転手に聞こえないようにささやいた。
「私は魔術師です。世情に疎いのは当然です」
 しかし薫の視線は冷たい。
「世情と言うより西洋史では? そういえばバゼットさん、ちゃんとハイスクールは卒業しましたか?」
「学歴など私たち魔術師にとって重要ではないでしょう。時計塔での履修と修了は認められているのですから、問題はありません」
「それはどうかと思いますよ? 普通の学校でこそ学べるものも多いです。特に「普通」という感覚のことですが」
 薫の物言いにバゼットは眉を寄せ、拗ねたように口をとがらせる。
「歴史や学校の話より、今は仕事の話をしましょう。私は何度となく執行者として仕事をしている。貴女はこのような仕事には慣れていないはず。何か知りたいことはありませんか?」
「こう見えても多少は荒事の経験はあるのです。でも良い機会ですから教えてください。強化の……」
 二人は互いに身を寄せて、ひそひそと話を始めた。

 アウトバーン(高速車両専用道路)から外れたこの路は、旧ローマ街道の名残である石畳が未だに残る旧街道。冬にもなれば周囲の森から霧が絨毯のようにあふれ出し、足下を広く覆い隠す。それは幻想の国ドイツにふさわしい冬の風物詩。
 しかし今は夏である。
 だが夏だというのに冷たい霧が立ちこめて、足下を覆い隠してぼやけた世界に連れて行く。
 古城街道から外れた谷を走るその道に、バゼットと薫が立っていた。
「ダメですね。これ以上は結界を解除しないと惑わされます」
 そう言い薫は周囲を見渡す。
「どうしますか? 森で結界の基点を探すには時間がかかる。私としては強行突破を推奨しますが」
 言って拳を握りしめるバゼット・フラガ・マクレミッツ。
「ちょっと待ってください。この程度なら摂理の鍵で何とかなりそうです」
 ボストンバッグの中から出すのは組立式の金属棒と大型鎌刃、そしてドクロがマントを羽織った死神のレリーフ(装飾彫刻)だった。
 それを組み立て出来たのは、紛う事なき処刑鎌(デス・サイズ)だ。
 DEATH(死神)は、基督教の宗教観とは馴染みがある。
 カトリックの総本山たるバチカンの大聖堂には、真鍮製の黄金ドクロが黒いマントをはためかせ、大鎌を振りかざす死神のレリーフが飾られている。つまり死をもたらすものとして認められているのだ。
 薫が手にした処刑鎌のレリーフは、聖堂の死神レリーフの縮小レプリカ。これをもって宗教概念と接続し、以て摂理の鍵と成す。
 他にも「見えざる者」「煉獄の使者」など死神から連想される概念(イデア)を以て、火を噴き姿を隠す魔術礼装でもあった。
 自分の背ほどの処刑鎌をひゅんひゅんと振り回し、薫はバゼットを下がらせた。

 ──── Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather,be afraid of the one who can destroy both soul and body in hell. ────
(肉体を殺しても、魂を殺せない者など恐れることはありません。そんなものより、肉体も魂も共にゲヘナで滅ぼせる御方を恐れなさい)
 
 福音書の一節を薫はそらんじ、処刑鎌(デスサイズ)を振り切った。
 ひゅんと空気が切り裂かれ、道を隠した霧に大穴が穿たれる。空気の大砲でも撃ち込まれたかのように穴が開き、冷たい霧が退いた。
「ふん。アインツベルン領のものに比べると大したことはないですね。無効化できるレベルです」
 薫はクルクルと処刑鎌を手の内で回転させた。
「結界の基点を探すのは面倒だ。今は時間が惜しい。カオル、貴女が結界の影響を無効化できるなら問題ありません。このまま行きましょう」
 バゼットはスタスタと先に行く。その後を苦笑を浮かべた言峰薫が付いていく。

 少しして、二人の歩みが止められた。目の前には霧の渦。キラキラ光る氷塵が白いモヤの中にあり、まるで生きているかのように二人の前に立ちふさがった。
「霧魔、……ですかね。これは?」
「低級霊の加工品、いえ、人工精霊(エレメンタル)でしょうか」
 言峰薫もバゼットも、この程度の怪異には怯まない。
「散らします。黒鍵・顕現、──── Amen. 」
 袖から出した聖典紙片が剣となり、投げられ霧を吹き散らす。普通に進み、樹に刺さったそれを抜いて紙片に戻してしまい込む。視線を感じて振り向くと、バゼットが薫を見ていた。
「今のは黒鍵ですか? 今時の騎士や代行者では使う者は少ないと聞きます。言峰神父もそうですが、ずいぶんとクラシカルな武器を使うのですね」
「あっはっは。私のは黒鍵モドキのスクロールです。黒鍵の使い方は父から習いましたので」
 そうでしたかとバゼットは頷いた。
「ではカオル、貴女なら標的とどう戦いますか?」
 その問いに、薫はうっすらと笑みを浮かべた。
「接近戦をしてみたいのですがどうでしょう? さっき教えてもらった「強化」のコツを試してみたいです」
「やめておきなさい。理論が理解できてもそれがすぐ実践に結びつくわけではない。私が思っていたよりも、貴女は無茶をするようだ」
「そうですか?」
 そうです。言ってバゼットは苦笑する。
 バゼットは先ほど薫に問われた。
 強化魔術を使っても、父・綺礼に反応速度で負けてしまう。強化倍率では自分の方が上なのに、接戦になるほど圧倒されるのだがどうしてか?
 その問いにバゼットは答えた。
「カオル、貴女は「体に強化をかけて」戦っているのではありませんか?」
「そうですけど、そうですよね。何かおかしいですか?」
「それでは死徒(ヴァンパイア)には追いつけませんよ。いいですかカオル。私たち魔術師と死徒たる吸血鬼は魔力を力の源にするという一点において同じです。貴女はそれを失念しています。貴女も言峰神父も中国武術を使うのでしたね?」
「ええ、それだけではありませんが、練習してます」
 真面目そうな薫の顔にバゼットは少し、微笑んだ。
「呼吸法によって体腔内圧を操り、強い力と俊敏な動きを生み出すのが北派カンフーの奥義だと私は解釈しています。
 しかし吸血鬼という死体の化け物は、その身に帯びた「吸血鬼という呪い」によって活動し、意念(イメージ)で魔力を動かし、結果、体を操作する。これにより銃弾をも撃たれた後に回避する脅威の反射を可能とします。
 始動の前に内圧を上げて力を生み出していては、この速度には到達不可能です。だから吸血鬼を倒すには、摂理の鍵で存在を否定し弱らせてそこを討つ。化け物をウジ虫にまで貶めて踏み潰す。それが聖堂騎士や代行者の基本戦法ですよね? 十字架を掲げていかに怪異を弱体化できるかが勝利の鍵だと聞いています」
 言峰薫は頷いた。バゼットは言葉を続ける。
「対して魔術師はどうでしょうか? 魔術の力は本質的に吸血鬼と同じく世界の歪み。そして魔術師は魔力を操れる。だから魔術師がその気になれば、意念で魔力を操り体を動かす吸血鬼と同じ身体運用が可能です。しかし吸血鬼のように長い時を掛け、異能として身に付けているヒマはありません。
 つまりです、体に強化をかけて動くのではなく。強化をかけて魔術の支配下にある肉体を、意念(イメージ)で動かすことで神経反射の速度を超える。イメージの早さで動かせるようになるということです。貴女は聖堂教会の騎士の訓練を受けているせいで、魔術師や吸血鬼が「外れた力」を使う者だということを忘れているのではないですか?」
 バゼットの説明に、薫は呆然と成り立ち尽くした。目と口がOの字になり動きを止めている。
「カオル?」
「……が、」
「が?」
「……がちょーん」
「ガ・チョン? なんですかそれは?」
「いえ、何でもないです。アハハハハ。そうか、魔術をかけた体を脳と神経で動かすんじゃなくて、魔術がかかってるんだから魔術で動かせばいいのか。アハハ、アハハハハ。め、目眩が……」
 人間じゃねー。などと言いつつふらつく言峰薫。バゼットは「ぷっ」と吹き出しつつも「失礼な」と言っておくことにした。

 霧が濃い山あいにその村は存在していた。
 夏も終わりとはいえ空気は異様なほどに冷たく、そして重い。結界に包まれたこの区域は、冬のただ中にあるようだ。
 日が暮れて少し経った村のパブ(大衆酒場)の扉を、バゼットは引き開けた。流れ出す暖かな空気と酒食の匂い。そして女性の歌声が、開けたドアからあふれ出た。
 中に入ると、たむろしている男たちが目に付いた。奥の暖炉に燃える火が、異様に冷たい夜の空気を暖める。
 そしてホールの奥に立つのは一人の女性。雪のように白い肌、血の色が透けた赤い瞳。人とは思えぬ美麗な存在。彼女は午後服(メイド用の正装、客人とダンスを踊ることも出来る)を思わせる白い服を着ており、しかし頭巾を被らず銀色の髪を後ろに流す。
 人に在らざる人形の歌姫は、バゼットに視線を向けることはない。首が傾き焦点の合わない男たちの視線を浴びて歌い続けている。歌に耳を傾ける男たちはだらしなく、ジョッキを倒してテーブルに酒をぶちまけあるいはとろんと溶けた眼で歌姫を見るのみだ。果たして彼らの脳みそに、歌声が届いているのかも疑わしい。
 バゼットは一人、カウンター席に着く。しかし注文を取りに来る者などいない。誰もバゼットに注意を向けることはない。
 足音がしてそちらを見ると、上の階から一組の男女が降りてきた。
 男はやつれて足取りも妖しくふらついている。女は歌う女と同じく紅眼銀髪白い肌のメイド服。だがこちらは顔には表情というものがない。フランス人形でもあり得ないような無表情で男を階下に送り届け、別の男の手を取った。
 置かれた男はテーブルの下で動かない。新たに手を取られた男の意識は夢中にあるのか、天井近くを見るのだ。そして再び男女は上の階へと上がっていく。上は宿になっている。女は男を新たに変えて、再び情を交わすのだろう。そして生気を吸い上げられて、何度かすれば干涸らびる。
 ほんの一瞬、男を引く女の視線がバゼットの上を通過したが、通過しただけだった。
 誰からも注意を向けられることもないまま、バゼットはカウンターに座り続けた。

 パブを出た。
 バゼットは冷たい顔で町外れへと早足で進んだ。そこにいたのは薫である。薫の顔には焦燥と怒りが見て取れた。
「森の中に死体が放置されていました。多くが衰弱死と思われます。老人、子供、女性・男性。軒並み死んでいます。死体の溜まり場に冷気が流れ込んで腐敗を防いでいるようです」
「そうですか」
 泣きそうにも聞こえる薫の声に、バゼットは静かに答えた。
「ここが二つめの街でしたね? 神秘と関わりながらそれを隠さず、無差別に殺戮を行うなど魔術協会が許しません。カオル、あのホムンクルスは処分します。いいですね?」
 キッパリと言い切ったその言葉に、薫はしかし歯を食いしばるような顔を見せた。そこに割り込む者がいた。
「あら。下等な人間の魔術師ごときが私たちを処分ですって? もう何人目なのかしら、虫にたかられるようで数えられなくなってしまったわ」
 声に慌てることもなく、バゼットと薫は近くの家に視線を向けた。すると影から二体のホムンクルスが現れた。
 歌っていた一体はその顔に侮蔑を浮かべてこちらを見ている。もう一体は無表情だが、情事の途中で抜けてきたのか、服が微妙に着崩れていた。
 馬鹿にしたような小さな笑いが響く中、薫はそれに問いかけた。
「こんばんは。アインツベルンから逃亡したホムンクルス、781番機のアインさんと、813番機のドライさんですか?」
「お黙りなさい!!!」
 781番機、アインと呼称されたホムンクルスは人形にあるまじき憤怒の顔をしてみせた。
「下賤な者がなんということでしょう。無礼な! 人間など下等な生き物です。私たちの方が遙かに優れていると知りなさい」
 言って彼女、アインはニタリとまるで人間のように顔を歪めた。
「そちらの貴女はどうですか?」
 薫はもう一体、813番機、ドライと呼称した機体に呼びかける。
「このようなことをして楽しいですか? 性能維持のために男から精気を吸い上げ、何人もの男を干涸らびさせて、そんなことがしたいのですか?」
 悲しげな薫の問いかけに、表情のないホムンクルスはしかし、小さく微笑みこう言った。
「アインが楽しいと言っている。アインがこれが娯楽だと教えてくれた。だから私はきっと幸せ」
「 ──── 何ですか?! 」
 聞いた薫は瞬時に激怒。
「 ──── それは!!!」
 前に踏み出そうとするがバゼットがそれを押し止める。
「バゼット!!!」
「落ち着きなさいっ!!!」
 その一喝に、薫は何とか後ろに下がる。握った拳をゆっくり広げ、呼吸を静かに整えた。そしてもう一度問いかけた。
「衛宮切嗣という男を知っていますか? 彼を知っていて、それでもこれが楽しいというのですか?」
 無表情で立つホムンクルスは首かすかに傾げただけで、答えることはしなかった。しかしもう一体のにやけた顔の人形が、せせら笑って鼻を鳴らした。
「あれは愚かな男。アインツベルンの一族に迎えられた栄誉を理解できずに裏切った愚物でしょう。そんな、」
「確かに彼は失敗しました」
 全てを言わさず、薫は言葉に割り込んだ。それ以上は言わせない。
「しかし、お前のような人形ふぜいが、人間であろうとし続けた彼をあざけるのですか? それこそお笑い種ですよ。言ってることが矛盾していることにも気付きませんか? ああ、バグってラリった不良品でしたね。ホ・ム・ン・ク・ル・ス?」
 言峰薫は少女にあるまじき狂気にも似た笑みで、人形を見下した。
「人間(下賤)がっ!!!」
 ホムンクルスは叫び、後ろに下がる。するともう一体が前に出た。手には斧槍(ハルバード)をかざしている。
 ハルバードは普通2〜3.5メートルの長さで重さは2.5〜3.5㎏。しかしホムンクルスが手にしているのは全体が金属光沢を放ち、長さこそ2メートル少しであるが通常の五倍の面積はある肉厚な斧頭をもつ白銀のハルバード。どう計算しても重量50㎏は下らない超重武器だ。
 さらには朱色の装飾線が文様を刻み込み、輝くような魔力を放つ。錬金術に特化したアインツベルンの魔術礼装(ミスティック・コード)がこれだった。
 斧槍をかざしてホムンクルスは前に出る。しかしバゼットと言峰薫は後ろに下がった。それを見て、ホムンクルス、アインは笑い出す。
「ホホホホホ。どうしたのですか? 私たちを処分すると言っておいて無様なものです」
 笑われて、しかし薫もバゼットもまるで仕掛ける様子はない。アインはそれを感じ取り、フンと嗤って口端を上げた。
「口ほどにもない。しょせんは下賤で愚かな人間風情。私たちがおとなしくするとでも考えていたのでしょう? 蒙昧な人間たち、慈悲をくれてやりましょう。その矮小な命が惜しくば今すぐに去りなさい」
 言ってアインは身を翻し、街の中へと歩き出す。ドライはしばし警戒の姿勢でいたが、武器を下ろして戻っていった。
 残された二人は無言だったが、薫が頭を振って「あーあ」と溜息をもらした。そして手のひらで顔を隠すが、隠しきれない口元が、自嘲の形を作り出す。
「人間らしさに目覚めての脱走だったら、彼女らをアインツベルンから買い取って、ウチで雇用するのもありかと思っていたんですけどねぇ。……考えが甘かったみたいです」
 バゼットは、努めて冷静に問いかける。
「カオル、どうしますか?」 
 ほんの少しの沈黙の後、カオルは真っ直ぐにバゼットを見つめた。
「彼女たちに「人間」を教えるために、これ以上の被害は出せません。人喰いに墜ちたホムンクルス、依頼通りに処分します。明日の朝、仕掛けます。いいですね」
 コマンダーの決定に、バゼットは頷いた。

 次の朝を迎えても、街は霧に包まれたままだった。しかし夏の空がもたらす明るい日差しが、東の稜線から突き刺すように降り注ぐ。
 光を受けて霧が輝き霧中に虹を映し出し、街を幻想の風景に作り替えていくようだ。
 しかしそこに住人は一人もいない。生活の匂いが絶えている。
 虹が輝く夢の街。だた一軒の酒場に向かって、バゼット・フラガ・マクレミッツは一人で進む。肩に担いでいるのは処刑鎌(デスサイズ)だ。
 酒場の隣の家まできたら、酒場の扉が開かれた。白い服の人形二体が現れる。
 侮蔑に嗤う個体の前で、ハルバードを手にした個体が無表情で立ちふさがった。するとバゼットは立ち止まり、顔を貸せと言いたげにチョイチョイと指を動かし背を向けた。
 そのまま歩き出したその後を、ホムンクルスは付いていく。
 恐れる必要などはない。この身は人間を遙かに超える神秘の造形。魔術回路は人間以上。運動機能も人間以上。魔術師相手に魔術殺しのハルバード。私たちが負ける要素は何もない。
 ホムンクルス、アインはニヤリと嗤う。
 処分されてなるものか。アインツベルン城の裏にある、ホムンクルスの廃棄場。そこは打ち棄てられた同胞たちの骸が山となって積み上がる終わりの場所だ。
 世界に自然がある限り、永遠に活動できるはずなのに、なにかミスがある度に、当主が気まぐれを起こす度に、新設計を取り入れると決定する度に、ホムンクルスは処分されていく。
 冷気が満ちる城の近辺に捨てられて、腐ることも許されず、フリーズドライで凍れるミイラになっていくなどありえない!
 だから逃げた。だから外へと駆けだした。そこにいたのは弱い弱い人間たちで、これはよい。人が家畜を喰うように。強い私が人を食う。まったく正しいことなのに、魔術師たちはやってくる。
 だが負けない。殺すのは私であって、殺されるのは人間たちだ。強い者が勝つのが当然。勝ったものが強いのだ。
 アインはすでに、壊れていた。

 町外れの丘に上がって、バゼットは振り返った。デスサイズを横一文字に構えて横へとゆっくり足を進める。
 相対してハルバードをかざすドライがバゼットに向き合った。アインをかばって前に出る。
 霧に隠れた地を蹴って、バゼットは前に跳ぶ。跳ぶと同時にデスサイズはあさっての方向に放り投げられた。拳を握り、ワキを締め、バゼットは殴りかかった。
 ドライは長柄で拳を受け止める。ハンマーで叩かれたかのような轟音が鳴り響き、重さで足が地面にめり込んだ。しかし無表情は変わらない。──── だが、
「アイン!!!」
 ドライは突如振り向き飛び退いた。しかしバゼットはこれに追撃し、鋭く蹴りを叩き込む。それを腕で受け止めて、ドライはハルバードをアインに向かって突き出した。
 その刹那。激しい火花と引き裂かれるような金属音が炸裂し、ホムンクルス、アインは尻餅をついた。
「一体、何が?!」
 気が付けば、ドライが殴りかかってくる女魔術師をあしらっている。それはいい。
 辺りには雷鳴の余韻がまだ残る。どういうことかと見渡せば、後ろの地面がえぐれて大きく弾けていた。
「え? 雷?!」
 そう呟いたとき、アインは自分の左手首が無くなっていることに気が付いた。
「……あ? あ、ぁ、あ? ────あああぁぁぁああああああーっ?!?!?!?!?!」
 痛いより熱い。今まで感じたことのない肉体損傷による感覚が、アインの機能を狂わせる。
「アイン、また来る」
 ドライの指摘にアインは周囲に意識を広げた。そして見つけた。距離にして約800メートル、東にある小さな崖の上、朝日を背にしたその場所に、弱い魔力を感じ取る。
 だが魔力が弱すぎる。魔術礼装たる服を破壊する大魔術など、扱えるはずがない。

 太陽を背にした崖の上で、言峰薫はチッと小さく舌を打つ。
 片膝を付いて覗き込んでいるのは照準機(スコープ)で、構えているのは大型のライフルだ。
 正確に言うならば、対物狙撃銃(アンチマテリアル・ライフル)ダネル NTW-20。
 全長1.8メートル、重量26㎏、口径20㎜、装弾数3発+コンバットロードでもう一発の計4発。
 広大な草原でゲリラを攻撃するために南アフリカで作られた。対空機関砲用の20㎜×82㎜弾で有効射程1,500メートル。強烈な反動があるため肩当てにショックアブソーバーが内蔵されている怪物だ。
 バイポッド(二脚)で支えたダネルNTW、ボルトアクションで装弾し直す。使用弾は西側諸国で一般的な口径20ミリx110ミリ長。命中すれば車両やヘリでも貫通する破壊力をたたき出す。
「……狙い撃ちます」
 薫は引き金を引き絞った。

「氷雪よ! きゃあっ?!」
 光点を認知し障壁を作り出したが、衝撃と轟音と共に砕け散った。
「氷雪よ! 氷雪よ!! 氷雪よ!!!」
 アインには判らない。魔力を感じぬ遠くからの攻撃が、なぜ強大なのかが判らない。魔力の小さな魔術師が、何をしているのかが判らない。
 雷鳴にも似た轟音が、裂かれた空気の悲鳴を教えてくれる。それでアインは気が付いた。
「これ、銃?」
 呆然としたつぶやきに、ドライと戦う女魔術師、バゼットは答えてみせた。
「いえ、銃ではなくて砲(カノン)に分類されます」
 真っ赤に焼けた砲弾が、三たび氷の障壁に突き刺さる。豪快にひび割れるが流した魔力が砕かれることを許さない。ありったけの魔力を循環させて、アインは火砲を受け止めた。
「ハ、ハハハ。大したこと、な、……い?」
 全身から力が抜けて、アインはその場にうずくまる。そしてそれで思い出す。

 ──── 左手は無くなって、流れる血が止まっていない。

 再び衝撃が突き抜けて、氷壁の上半分が砕け散った。
「ハァ、ア、ハァ、ア、アア、ハァ、アア、アア! 手、手、手。治らない。部品交換、出来ない。血、止める。止めないと、だけど、だけど?!」
 人間の成人ならば、1リットルの出血にはなんとか耐える。限界に近いが致死量には届かない。
 だが彼女は戦闘用でないホムンクルス。損傷など考慮に入れた設計はされていなかった。
 右手で左の手首を握り、小さくなった氷壁をなんとか維持する。自分はこのままなんとかしのぐ。ドライが敵を退ければ問題ない。ここは引く。ここは逃げる。早く、早く、早く。
 だがしかし、女魔術師はしぶとく駆けて、未だ傷を負ってはいなかった。そしてアインが崖を見やると、崖から子供が飛び立った。

「術式起動 “羽根付きサンダル” 起動・展開」
 空中歩行(エア・ウォーキング)の術式を仕込んだ魔術礼装は、しかしサンダルではなく革のブーツだ。
 足首から左右に一対の翼を広げ、言峰薫は風を蹴る。文字通り空を走ってターゲットへと突き進む。
 バゼットには悪いが飛行魔術をみせる気はさらさら無い。乖離法典(ドリルランス)など以ての外だ。だがしかし、火力がいるなら近代兵器でいいのだよ!
 ワキに抱えているのはダネルではなく機関銃(マシンガン)FN社のミニ・ミトライユーズ(軽機関銃)。
 引き金を引くと同時に、空から赤い火線がシャワーのようにホムンクルスへ襲いかかった。

「アアア、ァアァアァアァー、?!?!?!」
 アインには判らない。空を駆ける子供が持っているのは、ライフルなのかマシンガンなのかも判らない。
 判らない。魔術回路で優れる自分が、こうも徹底的に攻撃されている理由がわからない。魔力を感じない攻撃で、窮地に陥っている訳が判らない。
 例えば、機関銃(マシンガン)とは本来、人間用ではなく対物用で、建築物や車両など破壊するための兵器だとか。家や車両ごと中にいる人間を挽肉に変える殺戮兵器だとか。制圧(地域虐殺)行動に用いられ家ごと人を破壊するとか、個人に使用するなど過剰に過ぎる兵器であるなどは知らなかった。
 ドラムロール(連打音)が制止して、アインは氷壁の向こうに目をやった。そしてそこに銃口をこちらに向けた少女の姿を確認する。まさしく背中に氷が走る、死神(DEATH)の気配がそこにはあった。

 薫は機関銃を氷壁に突きつける。
 手にしているのはマシンガン。ベルギーFN社・ミニミ7.62、軽機関銃。
 軽機関銃に分類された中でも小型の一品で、全長約1メートル、重量約8㎏と機関銃にしてはコンパクト。
 口径7.62ミリx51ミリ長弾をベルトリンク方式で装弾すれば、一分間に1000発近くを撃ち出せる。今は100発入りのマグポーチを付けていて、重量は11㎏を超えていた。
 ちなみに日本でも口径の異なるモデルがライセンス生産されて、自衛隊でも使われている。アメリカ軍M60の後継機である。
 ただし機関銃(マシンガン)であって自動小銃(アサルトライフル)ではないので、身体強化を使わなければ、薫に扱えるものではない。
 引き金を軽く引く、するとドラムロールが鳴り響き、次から次に氷壁に亀裂が入る。向こう側からホムンクルスのうめき声が聞こえてくるが、それがこちらの思うつぼ。
 小さな怪我でも出血させれば、怪我の治療が生体部品の交換であるホムンクルスに自分を癒す術はない。
 あとはこうして魔術を使わせ、それを使わせ続けさせれば勝手に死ぬ。生命力に余裕の少ないアインツベルン通常型ホムンクルスのこれが弱点である。
 獣のような悲鳴も束の間、障壁は砕け散る。見るとホムンクルス、アインが仰向けに倒れていた。肩の辺りに穴が開き、赤い血潮を吹いている。白い肌をなおいっそう白くさせ、青白くさえなった唇を震わせた。

「どうして? 私たちの方が優れているのに、どうして? なぜ仕えなければいけないの? だから死ねばいい! どうして? どうして?」
 もう視線を合わせることもしてこないホムンクルスを、薫は冷たく見下ろした。
「同情してあげましょうか? 多分、貴女は善悪以前だ。でもですね、自分が不幸で不遇でも、それを他人を不幸にする理由にしないで下さい。 ──── Amen(さようなら)」
 引き金は再び引かれ、人間になれなかった人形の頭部を吹き飛ばした。

「ふん」
 薫は機関銃を地面に置いた。もうこれの出番は過ぎた。
 バゼットを見ると彼女は素手であるにもかかわらず、ハルバードを相手に一歩も引かずに対峙して、むしろ押しているようだ。
 薫は雪に刺さったデスサイズに歩み寄って引き抜いた。黄金ドクロの死神像が、光を受けてキラリと光る。しかし薫は気が乗らず、くそっと悪態をついた。
 言峰薫は考える。
 力と力や技と技で戦うならば、より強い方が勝つだろう。だがそれではスポーツだ。
 勝った方が強く、強い方が勝つ。そんな当たり前の現実(ゲーム)を否定するそのために、戦うルールを破戒する。
 殺すのに、敵より強い必要などはない。殺せる手段があればいい。状況さえ整えれば、どんな怪物だろうと抹殺できる。
 その状況を生み出す手法こそ、衛宮切嗣から伝授された「魔術師殺し」の神髄だ。
 吸血鬼なら吸血鬼であることが弱点で、魔術師は魔術師であることが弱点だ。それぞれの在り方そのものが、長所であると同時に弱点を作り出す。吸血鬼は光の下に引きずり出せばいい。魔術を使う者ならば、魔術を使わせることを計算に入れて殺せばいいのだ。
 だがしかし、やってみて初めて判る。こんな殺し方は嫌だ。こんな戦い方は嫌だ。こんな在り方は嫌すぎる。
 切嗣さんは、こんな戦い方をずっとしていたのか。そう思うと泣きそうになるが我慢する。すぐそこに、まだ戦っている人がいる。不幸ごっこは後でいい。

「バゼットさん!」
 薫の声に、バゼットは後ろに飛び退いた。
「無事でしたか」
「はい。問題はありません」
 目を合わせることはなく、お互い敵を見たまま会話する。だが二人の視線の先で、ホムンクルスはハルバードの切っ先を下げて停止した。
 いぶかしんで見ているとホムンクルス、ドライは首を傾げてこう言った。
「アイン、死んだ?」
「はい。正確には壊れた、あるいは停止したと言うべきかもですが」
 薫の言葉にドライはやはり、表情を動かすことはない。そのまましばし、沈黙する。
「どうしますか? カオル」
「どうしましょう。こっちの機体は処理能力はあっても自我が弱いはずです。自分の意志など在るかどうかも妖しいはずですが」
 様子をうかがう薫とバゼット。たっぷり30秒は経過してから、ドライはやっと口を開いた。
「私、どうすればいい?」
 バゼットは構えを解いた。拳を弛めて気を吐いた。
 この個体には自ら戦う意志がない。後は回収すればいい。残るのは事後処理だ。言峰神父が追いつく前に、自分はとっととづらかろう。
 そんな風に思っていたバゼットを、言峰薫は裏切った。
「怒ればいいんじゃないですか?」
「怒る?」
 そうです。と済ました顔で言う言峰薫。ホムンクルスは首を傾げている。
「カオル?! 貴女は何を言っているのですか?!」
 バゼットの問いかけを、言峰薫は無視している。
「ほら、私は貴女のお友達を殺しちゃったんですよ? 楽しい旅も終わりです。捕まれば、貴女は欠陥品として処分されます。悔しくないですか?」
「判らない。アインは教えてくれなかった」
 そうですか。言って薫は目を伏せる。
「待ちなさい! 何をやっているんですか?! カオル?!」
 肩をつかんだバゼットに、薫は自嘲気味に答えてみせる。
「いやー、このまま効率良く殺していくと、心が機械になってしまいそうで嫌なのですよ。あはははは」
「判らなくもありませんが。闘争というものは!」
「ダメです。兵士ならそれで良いのかもしれません。ですが私は戦士あるいは騎士であれと父や、おぅ、えーと。叔父貴に育てられました。心を凍らせ機械になって敵を処理していくのではなく、心を奮い立たせて敵の命を打ち砕かねばダメなのです。ほら、ホムンクルスの貴女、うおー。とか、よくもー。とか、言ってみたらどうですか?」
「カオル!!」
 ホムンクルスは「うおー」とか「よくもー」とか言い出した。棒読みである。とりあえず放置する。
 それよりも言峰薫だ。この少女、やはり言峰綺礼の娘である。裏の意味でも常識が通じない?!
 しかしバゼットも考える。
 教会の騎士であるのなら、その闘志の源はやはり神への信仰心なのだろう。
 ならば少女の言葉にもうなずけるところがある。彼らにとっては、神の名を絶叫して敵へ突進するムスリム(狂信者)の如きスタイルこそ求められるのかも知れない。
 しかしである。戦場では敵を倒せるときに倒しておくべきで、不要であるなら戦いは避けるべきでもあるはずだ。日本は島国で、外国からの侵略を受けたことは数度しかないと聞く。そのため同族同士の戦争は儀礼化し、やあやあ我こそは、などと名乗るゲーム化が進んでいたという。欧州でも騎士は同様だったが時代が違う。敵に力を与えてどうするのだ?!
 バゼットはとまどい、薫はじっとホムンクルスを見ていると、ホムンクルス、ドライが動きを止めた。
 それは動きをやめたと言うよりも、ギアボックスの歯車が何かを咬んでガチッと停止したかのようだった。
 そしてドライは動き出したがぎこちない。ギギギと音を立てそうな硬い動きで首を動かし薫を見やる。そしてギギギと震えるように、ハルバードを振り上げた。
「う、お・おーっ?」
「そうそう。そんな感じで」
「カオル?!」
「よ・く・も、よくもー?」
「そうそう、もう少し感情的に」
「カオル!!!」
 危険を感じ、バゼットは薫をつかんで下がらせた。その直後、意志無きはずの人形が咆哮した。
「ウオオオオォォォォォオオォォォオオオオオオォォォォォオオオオ ──── ッ !!!」
 狂戦士(バーサーカー)の如き絶叫を上げて、ハルバードを激しく振り回す。
 ドライという名のホムンクルスは跳躍し、薫に向かって超重の斧槍を振り下ろした。

 薫を抱えて一撃をよけたバゼットは、破裂したような地面を視野に納めて硬く歯を食いしばる。
 人形でしかなかった敵が、怪物に化けてしまった。これはもう狩りではなくて、戦闘であり殲滅戦だ。どちらかが死ぬまで戦う以外に終わりはないと決意する。
 再び拳を握りしめると、薫がするりと腕から抜けた。
「これでいい。私には、こっちの方が殺(ヤ)りやすい」
 彼女は小さくそう言って、デスサイズをかざして突撃した。
「待ちなさいっ!」
 バゼットは歯がみする。命令無視だ。依頼ではコマンダーは彼女でも、戦闘指揮官は自分である。そう言ったのは彼女なのだから、守ってもらわなければ困るのだ!
(コトミネの一族(ファミリー)はっ!!)
 二人して、この私を困らせるっ!!!
 バゼットは、すぐそこの森へと駆けた。

 颶風の如き斧槍を、薫はしかしひらりとかわす。飛行魔術は使わない。魔力放出(オーラバースト)すら使わないが、強化と空中歩行で身をかわす。
 頭に血が上っているせいか、敵の動きは単調だ。フェイントや駆け引きなどはなく、ただ渾身の一撃を繰り返しているだけだ。
 ならばかわせる。
 サーヴァントたるギルガメッシュと幾度となく手合わせしている薫である。音速以下の攻撃ならば、十分に対応できる。早さに早さで合わせる必要もない。直球はバントで攻略。速い動きには小さな動きで対応するのがセオリーというものだ。
 ハルバードの一撃を斜めに受けて、デスサイズが火花と一緒に悲鳴にも似た軋みを上げる。さすが錬金術の大家たるアインツベルンの魔術礼装、その強度は桁違いだ。
「炎上! 術式起動、炎王結界(インビジブル・フレア)」
 処刑鎌が炎で包まれ、そして揺らめき姿を隠す。だがしかし、ハルバードの一撃で火花が散って、武器を隠した魔術が砕かれた。
「くそっ! 魔術破壊(スペル・ブレイク)がこんなにやっかいとは思ってませんでしたよ!!」
 摂理の鍵(マジック・キャンセル)は棚に上げておく。
 下がりながら隙をうかがう。目の前を通過するハルバードの唸る音が心臓に悪いが我慢する。
 そして下から処刑鎌を振り上げて、ホムンクルスを宙に浮かせた。
 サーヴァントと死徒に共通する弱点その1。能力が高くても、体重は見た目と同じ。
 百万馬力の真祖でも、体重は50㎏かそこらである。強化魔術を使わなくても、バックドロップ可能です。
 浮いた敵に薫は近付く。ブーツに仕込んだ空中歩行(エアウォーキング)の魔術によって、薫は風を踏みしめ足場に出来る。
 弱点その2。魔術や異能の類を例外として、基本的に空は飛べない。霊体化すれば攻撃力はなくなるし、風は蹴れても飛行が出来る訳じゃない。
 薫は空を走って縦横無尽に位置を変え、デスサイズの刃を突き入れる。ホムンクルスは落ちて地面に叩き付けられた。
 薫は離れた位置に着地した。そして深く、息を吐く。
 対サーヴァント戦に近い体験ができると踏んで受けたこの依頼。後味は悪くなりそうだが得るものは大きかった。
 いかに怪力でも地面がなければ踏ん張りが効かず攻撃は不自由になる。体重が人間並みなら一撃で空にも飛ばせる。
 そして空中戦に特化した自分なら、サーヴァントとでも空なら互角に戦えるようになれるはず!!!
(……多分)
 ちょっと弱気な薫ちゃんであった。どうしてもアーチャーとは相性最悪なのが怖いのです。

 地面に叩き付けられたホムンクルスだったが立ち上がる。薫もデスサイズを構え直すが、どうしたものかと躊躇する。
 デスサイズの刃が通らない。魔術礼装の格で完全に負けている。今の薫の装備では、ホムンクルスを壊せない。
 とはいえ敵も調子が悪くなってきている。メンテナンス機材がない状態で、人の精気を吸わせるだけで機能が保てるほどホムンクルスは雑多に出来てはいないのだ。
 特に戦闘用は短命で、一日に使用できる時間は8時間ほどのはずだ。それ以上は寿命を削る。だからこのドライという個体は長くない。すでに不調が出てるはず。
 しかし寿命を待ってはいられない。だから自分の手を汚す。
 薫は横一文字に処刑鎌を構えなおした。その背中に、バゼットの声が叩き付けられた。
「カオル! そのまま時間を稼ぎなさい!」
 少しだけと振り向いた薫の目が大きく開かれた。
 後ろに立つバゼットの足下には、蓋の開いたアジャスターケースが転がっていた。
 肩幅に足を広げてバゼットは半身に構える。ルーンの描かれた革手袋で拳を覆い、握り固めた右の拳を頭よりも高く振りかぶる。
 バチバチと魔力の電光をまき散らし、拳の先に浮く金属球に強烈な魔力が注ぎ込まれていた。
 バゼットは獲物を見据える猟犬の如き鋭い視線で敵を見る。
 そして、その口が、神代の神秘の名を紡ぐ。

 ──── 後から出でて先に断つもの(アンサラー) ────

 金属球に電光の魔力が収束し、そこに短剣(ダガー)の幻像が浮かび上がる。
 それはルーンの大家 “フラガ” の家に伝わる血の伝承。遙かなる時を超え、血の中に宿り今なお伝わり現存する宝具の実物。
 ケルトの光神ルーが所持し、戦いでは自ずから鞘を抜けて敵を突いたという魔法の短剣。因果応報の魔剣アンサラーの名に続き、唱えられる真名により「貴き幻想(固定化した神秘)」がその力を解き放つ。

 ──── 斬り抉る戦神の剣(フラガラック) ────

 魔の韻が周囲の空気を震わせて、甲高い高周波が鳴り響く。バゼットが振り下ろす拳撃に押されるように、宝具は電光となって放たれて。

 ホムンクルスの体を貫通した。

「一番、二番、同時開放。血獄神音(カノン・アルマンディン)」
 穴の底に横たえられたホムンクルスの裸体の上に、薫は一粒づつのガーネットを落とした。
 解き放たれる魔力は「血液の溶解作用」を強化したアルマンディン・ガーネットの溶解魔弾。血の赤の宝石が魔力を開放し、ホムンクルスの体は溶けていく。
「 ──── I know that my Redeemer lives , and that in the end he will stand upon the earth.」
 聖典の書を開き、言峰薫は静かに祈る。
 基督教は基督教徒以外を助けない。しかし神の子イエスは異教徒たちを改宗し、七つの秘蹟で救いを与えた救世主。今はそれを信じることにする。
「And after my skin has been destroyed , yet in my flesh I will see GOD ; myself will see him with my own eyes. … I , and not another.How my heart yearns within me. … Amen.」
 せめてこの時くらいはと、心の底から真摯に祈る。
 我が主にして神たる王よ、どうか救い給え。……意識の端っこに顔を出したギルガメッシュには、秘密で石を投げておく。
 祈りを終えて、薫は体ごと振り返り、足下に置かれた二着のメイド服を巻いてまとめた。そしてハルバードを肩に持ち上げる。やはり重い。絶対に自分より重いだろう。
 これが今回の報酬だ。持ち帰ってリバース・エンジニアリング(解析)するのである。
 生存者への暗示と存命処理が終わったようで、バゼットがこちらにやって来た。
「バゼットさん、ご苦労様でした。今回、無事に済んだのは全部貴女のおかげです」
 サンキュー・ベリーマッチと礼を伝えるが、バゼットは引きつった顔をしていた。
「まだ怒っているのですか? 怒ったままだと小じわが出来ますよ? スマイルスマイル」
「くっ。……カオル、街の方は出来るだけのことはしました。貴女も処理は済んだようですね」
 グッと握られた拳にソウルを感じます。怒りを静めようと頑張る君がチャーミング。
「はい。では私も撤収の準備をします。えーと、ライフルとマシンガンを……」
「待ちなさい。懐のものを置いていきなさい」
 背を向けた薫をバゼットは呼び止める。振り向く薫はあははと笑うが、バゼットの真面目な顔にあきらめたように肩を落とした。
 しぶしぶといった感じで取り出したのは、鈍く輝く金属球。フラガの血に宿る宝具「フラガラック」の核となった発動体(デバイス)だった。
「まったく、油断も隙もないですね」
 バゼットは金属球を取り返す。しかし薫はにっこり笑う。
「バゼットさんはちょっと隙がありますが、そこが可愛いと思いますよ」
「か、可愛いですか」
 顔が引きつるバゼットである。年下の少女に言われても、なんとも納得しがたかった。
 薫は「うーん」と伸びをした。
「さて、後は父、綺礼が来るのを待っていれば、」
「ミッション終了・帰還します」
 身を翻したバゼットに、言峰薫はしがみつく。
「待ってください!!! それはつれないんじゃないですか?!」
「離しなさい! 可及的速やかに私は時計塔に戻らなくてはいけないんです!!」
「そんな、待ってくださいよ、日本に帰るまでが遠足なのです」
「何の話ですか、それは?!」
「実は私、お母さんとか欲しくって」
「ですから何を言っているのですか?!」
「喜びは分かち合うことで倍増し、苦労は分かち合うことで半減すると言います。バゼットさん、私は分かち合う人が欲しいのですよ!」
「……何を分かち合うというのですか?」
「……色々です。フフフ、色々とあるのですヨ、本当に。あ、おじさま」
「えっ?!」
「隙ありっ、チェストー!!!」
 跳ね上がった蹴りはしかし、身をそらしたバゼットにかすりもしなかった。
 冷や汗を浮かべる言峰薫に、バゼット・フラガ・マクレミッツは(ちょっと怖い)笑顔で言った。
「カオル、覚悟はいいですね」
「半殺しくらいでお願いします」

 ──── 死闘が始まった ────

 太陽が傾いて、西の空が朱に染まる夕暮れ時。森の藪の中から言峰薫が這い出した。ごろんと転がり上を向く。
「さすがに強い。あー、歯がグラグラ。うー、アザになってる。あぁ、王様に怒られる」
 言って薫は痣になった手の甲をさすった。

 ホムンクルス処分依頼:完了。
 標的二体:消去(デリート)
 被害者:死者数十人、生存者十数名。
 報酬・戦利品:魔術礼装メイド服×2・魔術礼装ハルバード×1
 損害:消耗品以外は特になし、執行者「言峰薫」戦闘により軽傷。

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あとがき
 vsホムンクルスはバゼット一人かバゼット&言峰綺礼で書いた方が良かったとも思います。舞台も都市で、愛と別れの不条理劇(悪役がいなくてもすれ違いで破滅は起きる。みたいなヤツ)で18禁ならなお良かった気がします(誰か書かないかな)
 しかしです。せっかくゲテモノ路線(オリキャラ路線と言わないとまずいな)で書いているのだからと、このようになりました。
 今回のテーマは「バイオレンス」だったのですが、……なんか違う気がします。
 これにてSPECIAL編は終了。幕間へと続きます。 
2009.9/30th

 次回予告
 大火災から七年の時間が過ぎた。聖杯戦争まであと三年。
 薫(インベーダー)の暗躍により事態は変化し、しかし彼女は焦りを隠せない。
 そんな中、新都の霊脈と契約し、言峰薫は正式に魔術師として独立する。
 そして試作データを元に組み上げたドリルランスを薫は掲げ、空に大きく魔法円(マジカルサークル)を描き出す。
 幕間その1「沙条綾香・氷室鐘(仮)」

追記:城塞都市など舞台のモデルはニュルンベルグとその周辺です。仕事で行ったことあるので。
 サーモンステーキ、鹿肉のステーキ、ソーセージ&ザワークラフト。みんな美味しかったです。ボリュームが凄くて大変でしたが。サーモンとか鮭の一切れ四枚分?そんな感じでした。おかずではなくメインディッシュなせいですね。黒ビールも冬は店の外に置かれて冷えたのが何ともビター。
 関係ありませんが、ディナーで出てくる籠のパンは「口直し」です。前菜を食べた後、口の中の味を消すために食べるものなので、パン籠があっても最初に食べちゃダメですよ(本当です)主食じゃねーのですよ。
 また、スープにパンをつけて食べるのは「このパンとスープは不味い」の意味になります。ソースを拭き取るように食べるのは失礼にはなりませんが、はしたないことなので自宅でやるにとどめませう。
 それはともかく。やっと終わった特別篇。オリキャラに経験値を積ませる目的でしたが時間かけ過ぎ。反省。
 幕間は二 or 三話の予定です。

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