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 ここは何処とも知れぬ不思議空間。
 虎の竹刀を持つ女性とブルマの少女がいるという妖しげな道場の、恐らくは斜め下あたりにあるのはないかと思われる教室である。
 聴講席の側に集まった者達は何故か皆二頭身であった。紐で吊られた少年。煙草を咥えたやさぐれツーテール少女。青黒い髪のヘタレ少女。他にも時代を無視した装束に身を包んだ者がちらほらと集まっている。
 そんな教室の前にある教壇に、金髪を編み込んで後ろにまとめた翠(みどり)色の瞳の少女が、傍らにいる助手の青年に向かって講義内容の確認をやっている。

 知っていますかベディヴィエール。二回目というのはとても大事なのです。一回目でどーんとぶちかまし、しかるに二回目にぴりりと利かすのが攻めのコミュニケーションというものです。え? 攻めてどうするのか? 何を言うのですベディ! 講義とはすなわち戦い! 話す者と聞く者との真剣勝負なのです! ここで負けては我々の真実を知るものが減るではないですか。そんなことも貴方は判らな、え? 判ったから始めよう? ええ、判ればいいのです。聞く者達も貴方のように物分かりの良い者達ばかりだと良いのですが。え? 始める? ふっ判っていますよ準備万端ぬかりはありません。では……。

セイバーのアーサー王伝説講義
第二回:聖剣ではありません


 皆さんこんにちは、二回目である今回の講義では「エクスカリバー」についての解説の第一弾として、なぜか聖剣と日本人が認知しているこの剣が聖剣ではありえない。という(伝説的な)事実を知っていただこうと思います。

 そもそも「聖剣」とはなんでしょうか? おそらくはこの根本的な部分でのイメージのずれがエクスカリバーを聖剣と誤認させる原因ではないかと私は考えます。
 いいでしょうか?
 アーサー王伝説の舞台となった五世紀〜六世紀のブリタニアは見捨てられたとはいえローマの支配地であり、当然国教は基督教でした。
 アーサー王伝説はヨーロッパの伝説、より正確に言い換えると基督教文化圏の伝説であり、その宗教観や倫理観、価値観などに多くの基督教的価値観が織り込まれています。
 そしてこれは多神教文化圏の方には理解しがたいかも知れないのですが「聖なるもの」という価値観は基督教にあって教会が独占していたという事実があるのです。

 つまり教会の建物が「聖堂」であり、教会での歌が「聖歌」であり、教会の鐘の音が「聖なる音」であり、教会関係者の死骸や遺品を「聖遺物」、教会で祝福された剣を「聖剣」などと呼ぶのです。
 もう一度言いますが、基督教文化圏においては教会が「神聖なるもの」という価値観をあるいは概念を独占しています。
 日本人は自然を敬い。山が神であり、海が神であり、風が神であり、人の立ち入れない深い森が神であったと聞きます。
 すなわち大いなる自然の働きに神なる力を感じ取り、これを神なるもの、神聖なるものと感じる感性があるのではないでしょうか。

 しかし基督教的感性では「自然は邪悪なものである」という伝統があります。

 基督教においては、自然は人間と対立するものであり、害悪であり、災厄です。
 神に祝福されたはずの自分たち人間を苦しめる自然の力、それは邪悪な魔の力だと考えたのです。
 そして自然を擬人化した妖精や精霊あるいはドラゴン、そしてそれらと通じる魔法使いや古代宗教の神官達は邪悪なものとされました。そういった者達が住む深い森は死の国で、自然、特に森をイメージさせる緑色は死の色とする伝統があります。
 現代でもオペラなどでこの伝統の影響を見ることが出来ますね。死の国を舞台にするオペラでは死の国の住人や妖精達が緑色の装束を着て登場することが、え? 話がそれている? くっ、なぜもっと早く言わないのです、ベディ。

 ごほん。とにかく、基督教文化では自然は邪悪なものです。聖なるものとは見なしません。教会のみが「聖なる」ものを扱う権威を持つのです。

 よって魔法使いマーリンが用意したアーサー王の剣が聖剣と呼ばれることはありえないのです。
 また同様に妖精(湖の貴婦人)に与えられたエクスカリバーに聖剣というイメージは絶対にないのです。
 実際にアーサー王の剣に対するイメージはどういうものかといいますと、まずなによりも「マジック・ソード(魔法の剣)」です。それから強いて言うなら「ファンタスティック・ソード(不思議な剣)」「フェアリー・ソード(妖精の剣)」というところでしょうか。

 ただしこれらの説明と認識には二面性があります。

 まず、アーサー王の剣は聖剣ではありませんが、少なくとも邪悪な剣とは思われてはいません。
 なぜかというと、中世において基督教の権威は絶対的なものであり普遍的なものでもありました。
 それはつまり有益なものであったと同時に、ありふれた存在であって「堅苦しく」もっと極端に言えば「うざったい」と思われていたところもあるのです。
 つまり何が言いたいかといいますと、教会という中世における絶対的な権威の外側にある「ありふれた日常とは違う不思議な力を持つもの」として、その存在に騎士達はあこがれたのです。

 教会の坊主どもはうるさい、でもエクスカリバーを抜けば教会など無視して王になれる! 

 というようなノリでしょうか。まぁここまで露骨なものではないと信じます。

 こほん。以上のように「聖なる」という概念を教会に独占された基督教文化圏において、魔法使いや妖精によって授けられたアーサー王の剣が聖剣であることはありえないのです。
 しかし! だからこそ王の剣は妖しくさえある魅力に輝き、騎士達はマジック・ソード・エクスカリバーに恋焦がれ、アーサー王伝説を語り継ぎながら膨らましていったのです。

 以上を以て第二回「聖剣ではありません」の講義を終わります。多神教世界の住人である皆さんには刺激的な内容であったのではないかと思いますがどうでしょうか。では今回はこれで失礼します。

ふぅ、どうですかベディヴィエール。伝説の真の姿を知ってもらうという、我々の目的の第一歩が記されたのです。今夜はスキヤキにしましょう。え? イギリス料理? 何を勘違いしているのですかベディ! 貴方ともあろうものがあんな雑な、いえ、大人になるのですベディ。ここは場所に敬意を表して和食でいきましょう。反論は許しません。では後は頼みましたよ。

 セイバーが資料を片付け、出て行くのを見送り、ベディヴィエールは次の講義の予告を口にした。
「次回の講義テーマは「最初の剣はカラドボルグ?」です。そもそもアーサー王の剣には元来、名前はなくて時代と共に名前が変化していったという歴史があります。よって次の講義ではエクスカリバー解説第二弾として王の剣の変遷について解説がなされる予定です」

01「伝説の背景」へ

03「最初の剣はカラドボルグ?」

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