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六章 封霊の洞窟

 夜空には星が輝いていた。今夜は空に雲はなく、数えきれない星たちがまたたいている。
 シーマとロザリンドは寮を抜け、修道院の裏手に向かう。教会は街の中心から少し離れた場所にあり、丘を背にして建てられていた。
 二人が街を見おろすと、真っ暗な中にいくつかの灯りが見て取れた。空よりずっと数は少ないが、それは星のようだった。
「着いたわね」
 ロザリンドがシーマに声をかけた。
 二人がカンテラで照らした先に、丘の斜面に作られた大きな門が現れる。
 封霊の洞窟と言っても、これは人が作ったもので、厳密に言うと洞窟ではない。岩山の亀裂を掘って拡げて整備した物なので、所々で空が見えてしまうのだ。
 入り口が広ければ通路も広い。四人が手を繋いで通れるくらいはある。
 出口のないトンネルのようになっており、入り口から突き当たりまで、ほぼ真直ぐに通路が整備されている。途中に二つの十字路があり、左右に道が枝分かれした構造だ。
 地面も壁も塗り固められているのだが、壁には多くの石板がはめ込まれていた。
 十字架や聖句が彫り込まれた石板の壁の裏には、悪意に取り付かれて悪霊となった者や、自身の死に気が付かず、生きている者の命を奪う死霊となってしまった者達が封印されているのだ。
 二人とも修道服を着て外套を羽織り、手にはカンテラを持って足下を照らしている。
 ロザリンドは腰に儀礼用の長剣を吊るしていたが、シーマは何も装備をしていない。
 まあ、きちんと剣を振り回せる腕力などないのだが。
「行きましょうかシーマ」
「はい」
 二人は中に歩いて行った。
 二人が入ってしばらくすると、わきの茂みの奥の方から、二人の少女が現れた。
「止めようよニータ、あたし怖いよ」
「何よ、怖いなら逃げれば良いでしょう? マーセラみたいにね」
 ニータとノーマが洞窟の前、門の前に立った。
「見てなさいよシーマ。あんたなんか何も出来ないってことを証明してやるわ」
 ニータの右手には何か袋が握られている。
 あとを付いて行くノーマは、その袋を気味が悪そうに見詰めていた。

 シーマとロザリンドは進んで行く。一つ目の十字路までやって来たが、全くおかしなことは起こらない。
 石板が損傷していることもないし、特に目立ったゴミもない。毎日のお勤めで掃除をしているだから当たり前である。
「手前から順番に見ていけば良いかしら?」
 ロザリンドがシーマに聞いた。
「そうしましょう」
 シーマは答え、二人で右へ進んで行った。
「あっちに行ったわね」
「ねぇ、本当にやる気なのニータ」
 二人が十字路を右に折れて行って少しして、ニータとノーマが追い付いた。
「当たり前でしょう。さあ行くわよノーマ」
 ニータはノーマの手を引いて十字路を直進して行き、二つ目の十字路も通り越して洞窟の一番奥にたどり着いた。
「これね」
 ニータはほくそ笑んだ。
 封霊の洞窟の一番奥はちょっとした広間になっており、祭壇が設けられていた。
 そこには黒い石に彫刻された女神像が、白い衣装を着せられて安置されている。
 身に付けた衣装が白いせいもあって、女神アリアの黒い顔と黒い手は、夜の闇に溶け込んでいるような錯覚を感じさせていた。
 ノーマがニータの後ろで身を縮める。
「あの生意気な子を驚かしてやるんだから」
 ニータは女神像に近付いて、袋の中身をぶちまけた。
 錆のような、鉄のような、肉の脂のような匂いが辺りに満ちた。
 血の匂いだった。
 彼女は、黒い女神アリアを血で穢したのだ。
「さあ、帰るわよノーマ。これを見たらあの子、きっと泣き出すのに決まっているわ」
 袋を叩いてニータはノーマに振り返る。やることは終わった。後はロザリンドとシーマをやり過ごして、外でシーマが泣いて出て来るのを待っていれば良い。
 そんなことを思っていたニータを指差し、ノーマが叫んだ。
「ニータ後ろ!」
 振り向いたニータの目に映ったのは、壁から滲み出した白い影、いくつもの影は彼女に向かって手を伸ばした。
 死霊の冷気を感じた次の瞬間、悲鳴を上げることすら出来ずに、ニータは意識を失った。

「きゃあああああああー」
 ただならぬ悲鳴を耳にして、シーマとロザリンドは振り返った。
 二人が悲鳴を聞いたのは、一つ目の十字路を左に折れたそのすぐ途中。奥に行こうとしていた時だった。
「奥から聞こえたみたいです」
「待ってシーマ!」
 シーマは駆け出し、それをロザリンドが追いかける。
 二つ目の十字路にたどり着くと、ノーマがへたり込んでいた。洞窟の奥から四つん這いで逃げようとしている。
「ノーマ? 貴女どうしてこんな所に? 一体どうしたの?」
「あああ、班長! ニータが、ニータが!」
 顔を涙でぐしゃぐしゃにして、それでもノーマは洞窟の奥を指差した。
「ニータも来ているの? 貴女達どうしてこんな」
 ノーマを立たせようとしたロザリンドの横を通り過ぎ、シーマは奥へと駆け出した。
「シーマ?! 待ってシーマ!」
 ロザリンドは持っていたカンテラをノーマに渡して、シーマの後を追いかけた。
 所々、洞窟の天井に空いた隙間から、星灯りが入り込んでいるので、決して見えないことはない。
 あっと言う間にシーマに追い付き、そのまま進んで奥の広間へと辿り着く。
 そしてそこにあったのは、倒れたニータと彼女に群がる白い影と、壁から染み出そうともがいている死霊達の姿だった。
「このぉ!」
 言ってシーマはカンテラを指差す。
 光のルーン文字、太陽のルーン、力のルーン、風のルーン、最後に星のルーンを重ねて神秘の力を解放した。
 カンテラは、瞬時にその輝きを強くする。
 燃える炎の中からは、星屑のような光の粒子が飛び出した。
 カンテラを振り回して、光の粒子を死霊に振りかける。
 ぼおおおおおっ。と吠えるような音がして、死霊はニータから一斉に離れた。

「讃えよう! 偉大なる! 力強き! そして勇壮なる風の支配者よ!
 かの者の吐息を以て、精霊は風に身を委ねて、世界に広がらん!!!」

 ロザリンドが『支配者の呪文』を唱えて長剣を突き付ける。
 死霊達は少なからず後ろに下がった。
 倒れたニータの腕を取り、肩に回して立ち上がらせる。奥を見たロザリンドの表情が険しくなった。
 シーマが彼女の視線の先を見ると、女神アリアが血に染まっていた。
「女神像が! なんてことを!」
「逃げるわよシーマ! ノーマ聞こえる?! 聞こえたなら逃げなさい! 早く!」
 それだけ言って、ロザリンドは再び呪文を唱え直す。
 奥のホールの壁面からは、かなりの数の死霊が湧き出していた。
 ニータを運ぶロザリンド。彼女の後ろにシーマは付いて、カンテラを振って死霊を追い払った。
 しかし封印が効力を失っていっているようで、通路の壁の石板からも死霊の影が滲み出ようとしている。
 死霊を振払いながら、なんとか進んで来た二人だったが、十字路に着くと前後左右を囲まれていた。
 ロザリンドが呪文を唱え、剣を突き付け、威嚇する。
 シーマがカンテラを振って、ルーン魔法の光の粒子をまき散らす。
 しかし二人は十字路の中央で、動きが取れなくなってしまった。

 ロザリンドの動きが徐々に鈍くなっていく。
 気を失った人間に肩を貸して運ぶのは、かなり苦しい。
 呪文の詠唱に必要な集中力も、何時まで持つか判らない。
 死霊の白い影に気を取られ、剣の動きが大振りになった。
 その時、白い影の合間から、黒い影が死霊達よりもずっと速い動きで擦り寄って来た。
「悪霊!」
 ロザリンドはとっさに剣を振り向けたが、悪霊はそれをすり抜け、影を延ばしてロザリンドに触れた。
 触れられたその瞬間、突き飛ばされたような衝撃を受けて、ロザリンドは倒れ込んだ。
「ロザリー!」
 シーマは倒れたロザリンドのそばに立って、無茶苦茶にカンテラを振り回した。
 四方八方に光の粒子が飛んで、悪霊と死霊が後ろに下がる。
「ロザリー! ロザリー?!」
「ぐっ。大丈夫よシーマ。ちょっとだけ頑張って」
 必死に呼びかけたシーマ。ロザリンドは頭を振って立ち上がった。
 
 ガリガリガリガリッ。

 シーマがカンテラで霊を抑えている隙に、ロザリンドは床面に剣を突き立て、自分達を囲む様に円を描いた。
 円を閉じると剣を強く突き立て、呪文を唱える。

「大いなる封印式を以て、我はここに世界を閉じる。三界にあまねく住まう精霊は、天より光と風をもたらす伝道者なり、その舞い降りし道筋は、星に照らされ輝きを以て死者をさえぎる!」

 円がほのかな光を放ち、霊達が退いた。
 息切れしていたシーマは、ロザリンドの側に下がって呼吸を整える。
 動けない。シーマはカンテラを持つ手にぎゅっと力を込めた。
 ニータは気を失っている。自分ではニータを運べない。ロザリンドの体力も限界に近い。
 彼女の集中力が切れたら、自分はともかくニータとロザリンドが死霊や悪霊の餌食になってしまうのは確実だった。
 光がこぼれるカンテラを見る。シーマのルーン魔法ではこれが限界だった。
 服のような物には光のルーンが働かない。剣ならば、力のルーンや太陽のルーンが使えるのだが、ロザリンドの剣に描けば彼女のウィザードリィを阻害する可能性がある。
(わたしも剣を持ってくれば良かった)
 何も持たずに来た自分を悔やんでいると、ロザリンドがこっちを見ている。
 シーマを指差し、出口の方を指差した。彼女の呪文詠唱は小さくも続いている。
 何度か繰り返された動作を見て、気が付いた。
「一人で逃げろって言うんですか?!」
 ロザリンドは頷いて、外に通じる通路をもう一度だけ、指差した。
「駄目です! 絶対に駄目です!」
 シーマは叫んだ。出来るはずがない。
 ロザリンドはまた、シーマと出口を交互に指差す。呪文を続ける疲労のためか、表情が硬い。
「駄目です! 駄目です!」
 シーマは激しく首を振った。
 時間がゆっくりと過ぎていく。
 ロザリンドの呪文を唱える声が、少しずつ弱くなってきた。
 周りを取巻く死霊は増えて、悪霊の黒い影もその数を増やしていた。
 これではもう逃げることは出来ない。
 太陽が昇りさえすれば、死霊も悪霊も姿を消してしまうのだが、夜明けが来るまで耐えられるはずもない。
 それどころか、自分達の帰りが遅いことに気が付いて仲間達が来たりしたら、犠牲者が増えてしまうかもしれない。
 自分がなんとかしなければいけない。しかし……。
(ロザリーがこんなに頑張っているに!)
 シーマの心の中で、焦りばかりが強くなっていったその時。
 歌が聞こえた。

ーー讃えあれ、女神アリアよ、聖なるかな、聖なるかな、 天空からの祝福よーー

 女神への賛歌。女神アリアを讃える歌が。
 複数の人間が歌っているらしい。少女達の美しい歌声が、通路に反響して届けられた。

ーー雲の隙間を抜ける光よ、山の狭間を抜ける風よ、精霊達の祝福を、我らの元へ届かせ賜えーー

 外に通じる通路から、誰かが走ってくる音がした。
 その足音と共に、一人の力強い歌声が近付いて来る。

ーー女神アリアよ、世界の母よ、尊き聖母よ、優しき笑みを与え賜えーー
ーー祈りを捧げる我らの声を、どうか女神よ、聞き届け賜えーー

 天使の翼、女神の横顔、光と風の十字架と剣の刺繍。
 神官騎士の長衣を羽織り、長剣をかざしたジュリアが、聖歌詠唱の神霊力の輝きを纏って飛び込んで来た。

ーーAmen. (かくあれかし)ーー

 悪霊死霊を、虹色に輝く神霊力に包まれた剣で薙ぎ払い、ジュリアは叫んだ。
「歌ってシーマ! 私一人では神霊力の維持は出来ないの! ロザリーはその子をなんとかして!」
 その手があった! 聖歌詠唱によって発生する天使に近い虹色の光、神霊力。
 黒騎士カーメラが言っていた。強力な神霊力は、悪霊や死霊に対抗する強力な武器なると。

ーー讃えあれ、女神アリアよ、聖なるかな、聖なるかな、 天空からの祝福よーー

 シーマが歌い出すと、瞬時に光が漏れ出した。虹色の神霊力は、歌うシーマとジュリアをつなげて包み込む。

ーー雲の隙間を抜ける光よ、山の狭間を抜ける風よ、精霊達の祝福を、我らの元へ届かせ賜えーー
 アヴェ・アリア(女神の賛歌)
 女神アリアを讃えるこの歌が、魔法の歌であることはあまり知られていない。
 Ave Aria のAveとはエバの逆綴りであり、人類が罪を背負う原因となった、彼女の名前を逆にすることで罪が消えることを願うものだ。
 これを無原罪にしてすべての母たる女神アリアの名前と合わせることで、一切の罪を消し去ろうという意味が込められているのだ。
 二人は歌を繰り返す。
 ニータを運ぶロザリンドを前後で挟むようにして、シーマとジュリアは出口に向かって、ゆっくりと引き下がる。
 ジュリアが輝く剣で死霊を切り裂き、道を開く。シーマが後ろで、ロザリンドとニータを守った。
 死霊と悪霊は四人を遠巻きにして付いて来るが、手を出してこないようだ。
 なんとか出口に近い十字路に差し掛かった時、集まった死霊達が渦を巻いた。
 冷気の密度が上がって鳥肌が立つ。黒い影の悪霊達が、こちらとの距離を少しだけ詰めて来た。
(圧されている? いけない!)
 このままではやられる。そう判断したシーマは歌を変えた。

ーー福音の鐘の音が聞こえますか?ーー
ーー天の光が差し込むのが、貴方には見えますか?ーー
ーー照らされし世界の大樹に、翼ある白い御使いが腰掛けているのですーー

 ジュリアは驚き、シーマを振り向いたが、すぐに同じ歌を歌い出した。
 天使儀礼で歌われる歌の一つ。光翼の讃歌。

ーーどうして気が付かないのですか?ーー
ーー呼びかけの声が聞こえないのですか?ーー
ーー祝福の鐘を携えた御使いが、光る翼を広げているのが判らないのですか?ーー

 外から聞こえる歌声も、ほどなくしてシーマと同じ歌になった。
 シーマは片手でカンテラを掲げ、片手では手を握りしめて自分の胸に押し当てる。
 天高く、祈りが届きますように。
 歌声に乗って、この想いが天にまで昇っていきますように。
 この意識をどこまでも高く、果てしなく高く延ばしていくあの感覚。

ーー福音の鐘の音が聞こえますか?ーー
ーー天の光が差し込むのが、貴方には見えますか?ーー
ーー照らされし世界の大樹に、翼ある白い御使いが腰掛けているのですーー

 虹色の神霊力が輝きを増した。シーマとジュリアを包む光が、シーマを中心に柱となって天へと伸びる。
 ジュリアとロザリンドは、光の中で微笑むシーマを見た。
(ーー来てくれたーー)
 果てしない感謝の気持ちを込めて、シーマはちっちゃな拳をぎゅっと握った。
 天へと伸びた光の中に、天使が現れる。
 白く輝く翼を持つ者、剣と盾を持った御使い、天の軍勢を指揮して悪魔と戦うとされる天使。
 大天使が出現した。

ーー讃えよう! 翼を広げた天の使いよ! その光の翼の羽ばたきよ!ーー
ーー讃えよう! 翼を広げた天の使いよ! その強く優しい眼差しよ!ーー
ーー讃えよう! 翼を広げた天の使いよ! その手に持った風の剣よ!ーー

 シーマが指差す動きと共に、大天使はその剣を振った。
 悪霊、死霊がまとめて消し飛んでいく。
 シーマはジュリアとロザリンドに頷いた。
 ロザリンドがニータを担ぎ直し、ジュリアは剣を持ち直す。
 今度はシーマが前に立ち、ジュリアが四人の後ろを守った。
 大天使に守られながらシーマは進み、死霊達を退けていく。
 ジュリアはロザリンドとニータを庇いつつ、近付く死霊を薙ぎ払う。

ーー福音の鐘の音が聞こえますか?ーー
ーー天の光が差し込むのが、貴方には見えますか?ーー
ーー照らされし世界の大樹に、翼ある白い御使いが腰掛けているのですーー

 外からの歌声がはっきり聞こえる。
 出口が見えた。シーマは振り向いて腕を振る。
 光り輝く大天使が、シーマの動きを追って剣を振るい、追って来た死霊達を吹き飛ばす。

ーーどうして気が付かないのですか?ーー
ーー呼びかけの声が聞こえないのですか?ーー
ーー祝福の鐘の音を携えた御使いが、光る翼を広げているのが判らないのですか?ーー

 洞窟を出ると皆がいた。
 リンダが、アニタがマリエッタが祈りの姿勢で歌っていた。
 三人の後ろには、跪いて祈るノーマもいる。
 そして彼女達の前に立って、マーセラが一番洞窟に近い場所で歌っていた。
 彼女達の体からは、虹色に輝く神霊力が放射されている。
 その光はシーマに届き、彼女の力になっていたのだ。
 今はもう、歌から生まれる光の流れが、全員を優しく包み込み、一つとなって輝いた。

ーー讃えよう! 翼を広げた天の使いよ! その光の翼の羽ばたきよ!ーー
ーーAmen.(かくあれかし)ーー

 そして天使の歌が終わった。
 神霊力の光が消えて、大天使は天空に帰っていった。
「マーセラ!」
「シーマ!」
 シーマがマーセラに抱きついて、背中をバンバン叩いた。
「痛いよシーマ」
「マーセラありがとうぅぅぅ」
 喜びながら泣き出したシーマは、さらにびしばし彼女を叩く。
「シーマ大丈夫?」
「大丈夫か?」
「頑張りましたわね。ちっちゃなシーマ」
「班長! アニタ! マリー!」
 シーマは皆にしがみつく。アニタがシーマの頭をぐりぐり撫でて喜んでいる。
 ロザリンドがニータをそっと横にして、ジュリアに礼を言った。
「助かりました。ありがとうございました。レディ・ジュリア」
 ジュリアは疲れてしまった様子で、下を向いて、彼女を見ないままで答える。
「礼ならマーセラに言って頂戴。彼女が私の所に教えに来てくれたのよ」
 マーセラがロザリンドの側に歩み寄って来た。
「班長、あの私、すみませんでした! でもその、ニータは大丈夫なんでしょうか? 大丈夫ですよね?!」
 マーセラはニータの前に屈み込んだ。心配そうに見ている。
「死霊の冷気に当てられただけよ、きっと大丈夫。貴女のおかげで私もニータも助かったわ。ありがとうマーセラ」
 マーセラも静かに泣き始めた。
 全員が一息ついた頃に、誰かが走ってやって来た。
「ジュリア、皆は平気なの? 状況は?」
 カーメラが手に長剣を握り駆け上がって来た。
「私は疲れているだけだわ。カーメラ、ニータが死霊に生気を抜かれたの。診てもらえるかしら。あとロザリーが少し死霊に触れられたようだけど、大丈夫だと思うわ」
 カーメラがニータの手を取り脈を診る。
 どうやら命に別状はないようで、彼女を運ぶように指示して立ち上がる。
「一体何がどうなったの? 教えてもらえるかしら」
 ロザリンドがカーメラに説明する。
「……、それでレディ・ジュリアが来て下さいまして、シーマが彼女と一緒になって天使召喚を行い、大天使を降臨させて死霊達を、」
 カーメラは大体のあらましを聞くと、シーマに近付いて顔を覗き込んで来た。
「やっぱり貴女は凄いわね。今からでも遅くはないわ。ちっちゃなシーマ、黒の騎士団に来てくれないかしら?」
「カーメラ!」
 ジュリアが非難の声を上げた。
「もうこりごりです」
 それを聞いて、カーメラが笑顔を浮かべた。しかし、その後ろにいたマリエッタが大声を上げた。
「レディ・ジュリア! 死霊が!」
 その場の皆が、洞窟の入り口に目をやると、白い影の死霊達が這い出して来るのが見て取れた。
 シーマがその時に見たカーメラの顔は、これまでに無く険しいものだった。
「カーメラ! ジュリア?!」
 白の騎士ビアンカとガブリエラ、続いて青の騎士トレーシーとクラウディオもやって来た。
「テレサは行ってくれた?」
 カーメラがビアンカに尋ねる。
「ええ。神官長の所と黒の騎士団長の所へ行ったはずよ。一応、黒の騎士が何人か来ると思うわ」
「死霊が外に出て来たわ。ここの封印はもう駄目よ。貴女達は避難して、黒の騎士を全員呼んで来て、早く!」
 厳しい表情のカーメラを見て、騎士達が反応する。
「ガブリエラ呼んで来なさい!」
「はい。しかしビアンカ貴女は」
「行きなさい!」
 ガブリエラはきびすを返して走って行った。
「クラウディオ! 貴女はロザリーと一緒に、そこの倒れている子を連れていってあげて」
「判りましたトレーシー」
「ジュリア、その子達を連れて下がるわ。それから赤の騎士団の魔法使いも呼んで来るわよ」
「判ったわ。皆行くわよ。シーマ?!」
 シーマはロザリーの剣を手に取って、刀身に指を当てていた。
「シーマ!」
 太陽のルーン文字、力のルーン、月のルーン、勝利のルーン、剣のルーン。
 シーマの持った儀礼用の剣が、輝き出した。
「出来た!」
「待ちなさい! シーマ!」
 ジュリアの静止を聞かずに、死霊達へと突撃しようとしたシーマだったが、アニタが彼女を捕まえた。
「シーマ待て!」
「だってアニタ!」
「そいつはあたしに任せろ」
 へ? とアニタを見上げた隙に、アニタはシーマの手から剣を奪ってシーマを庇った。
「だめですよ、シーマ」
 そう言ってアニタの横に並んだマリエッタは、シーマがルーン魔法を掛けたカンテラを手にしていた。
「貴女達、何を考えているの?! ここには三百体近い死霊や悪霊が封じられているのよ! もうすぐ黒の騎士団が来るから、私達に任せて下がりなさい!」
 カーメラが叫ぶが、アニタもマリエッタも下がろうとしない。
「じゃあ黒の騎士団が来るまでは何とかしないとね」
「そうですわね」
 アニタとマリエッタは死霊を威嚇し始める。呆然としていたシーマの前に、リンダが剣とカンテラを突き出した。
「班長?」
「シーマお願い」
 リンダは真っ直ぐにシーマを見ていた。
「リンダ? シーマ止めて!」
 ジュリアが制止したのだが、シーマは何故か自然と剣とカンテラにルーン魔法を掛けてしまった。
「シーマはレディ・ジュリアをお護りして」
 それだけ言って、リンダはアニタとマリエッタより前に出て、死霊に斬り付けだした。
 向こうの方では、ビアンカが聖歌を詠唱して神霊力を放出し、死霊を抑えている。
「貴女達、絶対に懲罰室に入ってもらいますからね」
 カーメラが苦笑まじりに言ってきた。
「下がっていなさい。その子達を頼んだわよトレーシー」
「待って下さい。剣にルーンを、」
「必要ないわ」
 カーメラは長剣を抜いて進んでいく。
「まあ見ていなさい」
 トレーシーがシーマを引き寄せ、後ろに下がらせた。ニータをロザリンドとマーセラが庇い、ジュリアとシーマ、トレーシーがその前に立つ。
「エクソシスト、黒騎士カーメラは凄いわよ」
 カーメラは長剣の刀身に指先で文字を描いた。
「ルーン文字?」
「違うわ。神聖語魔術付与よ」
 シーマにトレーシーが説明する。
「カーメラは悪霊退治の達人。その剣術とウィザードリィの腕前は、大人の神官騎士にも負けないの」
「アレフ、ラメド、シン、ザイン」
 カーメラが呪文を唱えると、剣に銀光が奔った。
 鋭く踏み込み一突きすると、悪霊の黒い影が瞬時に消え去った。
「凄いです!」
 シーマが歓声を上げた。
 カーメラは悪霊を選んで切り掛かっているようで、黒い影は彼女の剣に貫かれ、切り裂かれて消滅していく。
「危ない!」
 悪霊が黒い手をカーメラに伸ばした。
 しかし彼女は身を屈め、後ろに飛んでそれを避ける。
 下唇に指を当て、ひゅっと口笛のように息を吐くと、悪霊が凍り付いたように動きを止めた。
「ザイン、へー、テト、タウ!」
 今度は両手で剣を水平に突き出した。
 剣先から銀色の電撃が飛んで、悪霊が消し飛ぶ。
「何ですか?! 今のは!」
「悪霊を術で縛って動きを止めて、エネルギーをぶつけたのよ」
 カーメラが悪霊、死霊を切り伏せて、他の者は入り口周囲を固めて、霊が外に出ないように抑え込む。
 そうしている内に、テレサが黒の神官騎士を連れてやってきた。
「後は任せて」
 カーメラは、今度こそ黒の神官騎士以外を下がらせた。
「だだだ、大丈夫ですか?!」
「あー。もうやだ。もーいやだ。絶対二度とやらない」
「さすがに疲れましたね」
 アニタとマリエッタはふらふらになっていた。何度か死霊に触れられてしまったようだが、自分の足で立っているので大丈夫だろう。
「あ〜ん〜た〜達ぃ〜」
 リンダがアニタとマリエッタの肩を掴んで睨んでいる。口調から疲労が滲み出ている。
「痛い、班長痛いです。すみませんでした」
「反省していますわ」
「本当に悪いと思っているのか〜」
 リンダがこんな風になるのは珍しい、つまり怒っているのだが。
「貴女は平気なのかしらリンダ? こんなに無理をする人だとは思わなかったわ」
「う。申し訳ありません!」
 ジュリアに言わて、リンダは恐縮して頭を下げた。そのままよろけて倒れそうになるのを、アニタとマリエッタが慌てて支える。
「いいわ。懲罰室には皆で入りましょう。ちっちゃなシーマ、貴女もよ」
「うわぁ」
 寒かった昨日の夜を思い出して、シーマは胸を抑えてうめき声を出した。
 それぞれが苦笑を浮かべたその時、テレサがカーメラに呼びかけた大声が聞こえた。
「天井の亀裂からも死霊が溢れ出しています! 我々だけでは抑えきれません!」
 封印は完全に、その効力を失ってしまったらしかった。
 ポッカリ空いた大きな入り口をシーマは見た。見通せない闇がそこにはあった。


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