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四章 小さな怒り
修道院の朝は早い。
夜が開ける頃には、すでに早朝儀礼が始まっているし、済めば清掃、または教会の各所で小さな儀礼が行われる。
それぞれに分担があり、忙しく人々が動き回るのだ。
いってみれば一日を通してひたすら祈りとお勤めをするのが教会内部の人間の正しい姿である。
神官騎士に推挙されたシーマであるが、今はまだ見習い修道士であって、様々な下準備をしなければならない。
礼拝堂をきれいにして、燭台に灯りを灯す。熱心な信者達や巡礼者達を誘導し、自分達も指定の場所に列になり、聖典の一節を読み上げたり賛美歌を歌い上げる。
毎日のことであるのでもう苦にはならないし、むしろお勤めをこなしていくのは楽しい日常の一コマだ。
神官長が読み上げる聖典の言葉が、礼拝堂に集った人々に響き渡る。
一節ごとに全員が唱和する「かくあれかし」
平和でありますように。安らかでありますように。日々の糧が与えられますように。
一つ一つの祈りの言葉が紡がれるのを聞いていて、シーマは昨日の出来事を思い出す。
音楽の天使の召喚と昏倒。神官騎士への誘い。自分に向けられた敵意。仲間達の笑顔。神官騎士達の勧誘。
そしてジュリアの微笑み。
「だから! 私は! 赤の神官騎士になります!」
叩き付けられたシーマの決意に、あの場所にいた神官騎士達は沈黙した。
呆気にとられた六人を残して、シーマとジュリアは部屋を出た。
「凄いわね。ちっちゃなシーマ。私が思っていた以上だわ」
ジュリアが笑ってシーマを見ると、彼女は涙目で手を摺り合わせていた。
「どうしたの?」
「思いきり叩いたから、手が痛いです……」
ぅぅぅ。シーマのうめく声を聞いてジュリアは笑い出した。
「笑うなんて酷いです、レディ・ジュリア!」
「ごめんさない、シーマ」
くすくすと笑いの収まらないままで、ジュリアはシーマの手を取った。
目をぱっちり開き、口を丸くする。
Hoooooooooooo.
ジュリアの囁くような言葉と共に、シーマの手に重ねられたジュリアの掌が振動した。
ほんの数秒で、シーマの手の痛みが引いていった。
「え? 今のは呪文ですか?!」
「そうよ、呪文詠唱の基礎中の基礎。呪文の振動で熱や痛みを取り除くの。どうかしら」
「痛くなくなりました。ありがとうございます。レディ・ジュリア」
笑顔になったシーマの頭を、ジュリアは撫でた。
「私のことはジュリアと呼んでちょうだい。私のルームメイトになったのだし、貴女はもう立派な神官騎士だわ」
まだ見習いだけれどね。ジュリアは付け加えた。
「頑張ります。レディ・ジュリア」
「ジュリア」
「ええと、……ジュリア」
「はい。シーマ」
くるりと回って向かい合ったジュリアの笑顔はとても素敵だった。
頑張ろう。
ちっちゃなシーマは気合いを入れて仕事をこなす。
立場は見習いでも、今日からはジュリアの従者。リンダ、アニタ、マリエッタと一緒に図書館に行って、まずは蔵書の整理と補修処理。
学士であるジュリアも、今日は講義に出ない。四人と一緒に作業を行い、手順の説明をすることになった。
「へぇ。本の修理なんてやるの、あたし始めてだ」
そう言いながら、リンダの筋は悪くない。
「マリエッタ、糊をちょうだい」
「はいアニタ。それにしても、書庫の奥にはこんなに本があったのですね」
「神官騎士になれば、どれを読んでも良いんですよね」
巨大な本棚を見上げるシーマ。手にした本も分厚くって大変だ。
「そうね。大概の本は閲覧できるわよ。禁書指定の稀覯本や重要書簡はまた別になるけれどね」
ジュリアは慣れた手つきで本に付いた埃を拭き取っている。
「そういうのもあるんですか」
「でも、本の形をしていないものが多いから、読んでも面白くなさそうだわ」
「そうですか、じゃあ本の形をした本を読んでからで良いですね、あれ?」
「そうねシーマ、ここにはたくさんあるから色々と教えてあげるわ」
ジュリアは楽しそうに笑った。
午後になると事務処理室へ。
信者からの相談事の記録と簡易訴訟の書類を作り、収支計算の帳簿記帳を行う。
「これは得意です」
「ちっちゃなシーマ、あたしにも計算尺の使い方教えてよ」
「わたくしが教えて差し上げますわ、アニタ」
「マリエッタ、いいから先にこっちをお願い」
「リンダ、その書類は私がやるから、こっちをやってちょうだい」
「班長、こっち終わりました」
「シーマは計算が早いわね。これをお願いして良いかしら」
「はいジュリア、もっとまわしてもらって大丈夫です」
「張り切るのは良いけれど、頑張り過ぎない様にね」
「はい!」
事務屋だって、みんなが居れば楽しいじゃないか。シーマは言ってやりたかった。
その日の分の作業が終了すると、赤の神官騎士はそれぞれ別個の仕事に取り組み始める。
あるものは歴史の研究。あるものは修道学士の指導要綱の資料製作。
青の騎士から要請を受けて、過去の資料をまとめたり裁判記録を抜粋して解説を行うものもいた。
情報と知識に関する作業の全体指揮を行っているのが、ジュリアの属する赤の神官騎士なのだ。
ジュリアの後ろにくっついて歩いていると、騎士の長衣を着た大人の女性が時々手を振って挨拶してくれた。赤の騎士団では、ちっちゃなシーマについて少なくとも悪く思われていないらしい。
「頑張ってね」とか「無茶しないのよ」などと言われる度に「はい!」とシーマは返事をして、ジュリアと皆は微笑むのだ。
ジュリアに連れられて、シーマ以下の四人は書庫から離れて通路を進み、奥まった場所にある部屋へとやってきた。
「ここが私が使っているウィザードリィの研究室よ」
ジュリアに促されて部屋へと入る。
「うわ、凄い」
アニタが驚き、リンダとマリエッタは周りを見渡した。
その部屋は割と小さな部屋だったが、整理されて色々な物が置いてある。
正面には祭壇が設けられていて、小さいながらも燭台や敷物まできれいに整備されていた。
部屋の片側には本棚、戸棚で占められていて、書物や書類が詰め込まれ、魔術道具や祭器らしい工芸品なども納められている。
反対側の壁際には机が置かれていたが、これはペン立てと数冊の薄い本くらいしか置かれていない。
「研究や実務にもよるけれど、一人に一部屋の研究室はなかなか与えなれないの、だから私と貴女でここを使うことになるわ。シーマ?」
全員の視線の先には、本棚に擦り寄って題名を確認するちっちゃなシーマの姿があった。
「『救世主論』『奇跡の解釈』『失われた福音書』『旧世代聖典神学』『異教象徴辞典』『新旧緒論要約』『外典儀典選書』『ヘルメス叢書』『天国と地獄』『黒い女神の崇拝』『アリア神学要綱』『聖歌詠唱と聖句の研修』『天使召喚詳細』……」
「あー。ダメだこりゃ」
「しょうがないですねぇ」
アニタとマリエッタが苦笑し、リンダがシーマの腕を引く。
「ああっ! 『神話学講釈』と『金枝篇』それに『エッダ古代歌集』がぁ!」
「歌集がぁ。じゃないでしょう」
リンダに怒られてシーマは我に返った。
「す、すみません」
小さくなるシーマ。
「しっかりしなさいよ。レディ・シーマ?」
「班長、それはやめてください。でもでも」
と言って本棚を指差す。
「見て下さいよ『エレシウスとミトラの密議』『グノーシシス解釈』に……」
「いいからこっち来なさい」
笑い声がする。シーマが見ると、ジュリアが口に手をやって肩を震わせていた。
今度こそ我に返って、顔を赤くするシーマ。
「貴女は本当に本が好きなのね、そっちの本は時間のある時に好きに読んで構わないわ」
「本当ですか?!」
「ウィザードリィの本はこっちよ」
ジュリアが指し示したのは部屋の一番奥にある本棚。
「見ても良いですか?」
「どうぞ」
近くで見ると、皮張りの分厚い本が並んでいる。聞いたことのない題名のものが多い。
「ええと、『魔術の教理と儀礼式』『野蛮な名前の喚起手法』『精霊召喚』『異なる神々の祭祀書』『方陣作成の理論と実践』ええっ?! 『ルーン召喚』!」
「もちろん全部使える訳ではないわよ。
でも知識としては知っておくことが求められるの。それが赤の神官騎士の仕事よ」
ジュリアは腰に手をやって胸を張る。自慢げな表情を浮かべてシーマを見おろした。
「きっちり勉強してもらうわよ。まずは国家共通語と神聖語からかしら」
「頑張れよ〜。シーマ」
あんぐりと口を開けたシーマ。呼びかけたアニタに、ジュリアは意地悪げに言う。
「あら。貴女達にも当然こなしてもらうわよ。従者の助けが私達には要るのだから」
「げっ!」
「アニタってば、赤の騎士の従者になれば当然じゃないですか。動揺するのが遅いですよ」
「赤の騎士団は学者の集まりだから、従者になると大変だとは聞いていましたが、これほどとは」
マリエッタがため息をつき、リンダも唸る。
「貴女達なら大丈夫よ」
ジュリアは笑って言った。
「まずこっちの本だけは、優先的に目を通してもらえるかしら」
なんだろうと思ったのか、リンダ達もシーマと一緒に覗き込む。
「まずは基本と言った所かしらね」
それは机の上にあった三冊の薄い本。でもその三冊は読み込まれているようであちこちが擦り切れていた。
リンダが手に取って題名を読み上げる。
「『告白と懺悔の記録』『修道院の歴史と変遷』『会計経理入門』ですか?」
「そうよ、日々の生活とお勤めこそが、何より大切な修行なのよ」
赤の神官騎士は計り知れない。
シーマ、リンダ、アニタ、マリエッタの四人は顔を見合わせて頭を抱えた。
次の日から、ジュリアは学士として講義に出たので、午前と午後のお勤めはリンダを中心に四人でやることになった。
赤の騎士が指揮する事務仕事は、作業分担によって数人以上でやるものが多い。
また、騎士であっても学士であるジュリアには、まだ責任を持って一人で指揮する作業が割り当てられていなかった。
よって四人は大人の神官騎士やシスターに聞きながら、手の足りない作業を手伝った。
ジュリアがいないせいなのか、シスター達はちらちらとシーマを覗いている。ちっちゃなシーマが手を振ると、大抵手を振り返してくれるので、単に珍しがられているだけなのだろう。
既に従者扱いのため、以前の様に教会全体の作業に駆り出されることは少なくなった。
図書館と裏の書庫、事務処理室と資料室での仕事に没頭する。
そして午後のお勤めの途中、学士の講義が終わる頃にジュリアを出迎えに行く。
その日の作業が終了したら、全員で勉強したり、ジュリアがシーマにウィザードリィの講義をする。
数日後には、シーマ達は新しい環境に適応した。アニタだけはしきりに肩がこるとぼやいたものだが。
太陽が少しずつ西に傾き、事務処理室に強い日差しが入り込む。
リンダが帳簿記帳の手を止めた。
「シーマ、そろそろレディ・ジュリアを迎えに行ってちょうだい。アニタも一緒に行ってあげて」
アニタは計算尺をいじりながら帳簿を睨んでいた。
「もう、ちょっと、だから、少し、待って。ぐおっ」
ぷるぷると震える手で計算尺を扱う顔は、真剣そのものだ。
「わたくしが行きますわ」
「じゃあマリエッタ、お願いね」
「はい班長。さあ行きましょうシーマ。従者が騎士様をお待たせしてはいけないわ」
「マリーって何だか格好いいです」
「貴女が騎士になったら、しっかりお世話させていただきますわよ。レディ・シーマ」
「うぁぁぁ」
よろけるシーマ。マリエッタは笑顔で引っ張って行く。
神学講義の行われている講堂へ着くと、ちょうど講義が終わったのか、修道学士が出て来る所だった。
二人はジュリアが出て来るのを待つことにして、入り口が見える近くの植え込み前で、時間を潰す。
「今日も打ち合わせなのかしら?」
「そうですねぇ」
マリエッタとシーマは呟いた。
講義はシスターが行うが、資料作成を赤の神官騎士が手伝うことがあり、学士であるジュリアが連絡役をやることがある。
講師と話をしていることも少なくないので、出て来るのは遅いことがあるのだ。
「出てきませんね」
「そうね。今日の仕事は教材のまとめか、資料の準備かもしれないわね」
「そうですね」
「でもそれは私達がやるから、貴女はレディ・ジュリアに騎士儀礼を習いなさいな」
「わたしもみんなと一緒に仕事しますってば。マリエッタ最近そんなことばっかり言うの止めてよ〜」
「うふふ。ちっちゃなシーマ。貴女は頑張り屋さんで一生懸命だけれど、そればかりでは疲れるわ。
礼儀作法って堅苦しいと思うかもしれないいけれど、身に付いてしまえば楽が出来るものなのよ」
「そうなんですか?!」
「そうよ、要するに約束事ですもの。いちいち考えないで済むし、一応は立派に見える様になるでしょう?」
そういうものだろうか。シーマは首を傾げた。判るような判らないような。後でジュリアに聞いてみるとしよう。
「あら、赤の神官騎士様がこんな所で何をしているのかしら」
赤の神官騎士と聞いて講堂入り口に目をやると、ニータとノーマ、マーセラが出て来た所だった。
周りを見渡し、入り口を覗くがジュリアはいない。
「シーマはまだ騎士ではありません。レディ・ジュリアの従者ということになってはいますが、私達と同じ見習いですよ。ニータ」
マリエッタの言葉を聞いて、自分のことを皮肉られたとシーマは気が付いた。
好かれているとは思わないが、嫌われているのかと思うと気が滅入る。
「こんちにはニータ、ノーマ、マーセラ」
シーマの挨拶にマーセラが返事をするが、ニータはつんとした顔で横を向き、ノーマはニータの後ろに下がってしまった。
「ところでレディ・ジュリアはまだ中でしょうか」
マリエッタが三人に尋ねる。
「あ、レディ・ジュリアなら……」
「知らないわ」
マーセラの言葉をニータが遮る。
「……」
「……」
マリエッタとニータ、二人の少女が一歩ずつ前に進んだ。マリエッタはにこやかに笑いながら。ニータはあからさまに不機嫌そうに。
(ううう、アニタと一緒に来れば良かった)
マリエッタの後ろに立ちすくみ、ちっちゃなシーマは心の中で涙を流した。
勘弁して欲しかった。
「もう一度お聞きしますが、レディ・ジュリアをご存じありませんでしょうか」
マリエッタがにこやかに問いかけた。
「ふん、修道学士だったら知らない者はいないですわよ。何と言っても赤の騎士様ですもの」
腕組みしたままでニータが答える。
「それはどうも……」
「いいえ、どういたしまして……」
(駄目だあああぁぁぁ!)
シーマは頭を抱えた。
「私達、レディ・ジュリアをお迎えに上がりましたの。何処にいるのか教えていただけませんでしょうか」
「知らないわ」
「講堂では、ご一緒ではなかったのですか?」
「私達はあの方の従者ではありませんもの。自分達で探せば良いじゃない」
「貴女はレディ・ジュリアと同じ学士ではありませんの?」
「そうよ。私達学士は勉学に忙しくって、他人のことまで気が回らないの、悪いわね」
「共に研鑽に励んでいる学友まで知らないとおっしゃるのですか」
「五月蝿いわね、従者のあんた達が知らないとこを、私達が知っているはずがないでしょう」
「それは残念ですわ。まあ知らない人に聞いても仕方ありませんわよね。ではごきげんよう。ところでマーセラ、レディ・ジュリアを、」
「知らないって言ったでしょう!」
ニータが怒鳴り、マリエッタとマーセラの間に割り込んだ。
「何なのよ! あんたは!」
「私はマリエッタ。見習い修道士で、従者としてレディ・ジュリアとちっちゃなシーマのお世話をさせていただいて、」
「五月蝿い!」
ニータの表情には憎らしさが、はっきりと出ている。
「なにさ! 見習いなんかが騎士の従者になったからって偉そうに!」
「偉そうになどしていません」
「生意気なのよ! 澄ました顔して何様のつもり?」
「この顔は生まれつきだと思います」
「ふん。そんな顔した奴が生まれつきな訳ないでしょう」
「言っている意味が分かりませんが」
「あら? 従者様でも判らないことがあるのかしら? 赤の騎士団は聡明な方々ばかりだと思っていたわ」
「その通りです。赤の騎士は勉強熱心で、私達も足手まといにならない様に色々と教えていただいている所ですわ」
「どうせ事務や帳簿なんかをやってるんでしょう」
「日々のお勤めこそが大事だと教わりました」
「みなさい! 赤の騎士なんて言っても、結局は散らかった部屋で書き物ばかりしている事務屋じゃないのさ!」
「そのようなこと、あまり大声で話さない方がよろしいですよ。みんな聞いているじゃありませんの?」
この頃には、次々出てくる修道学士だけでなく、作業に行き交う見習い修道士も集まりかけていた。
遠巻きに二人の様子を見ている。
マリエッタは平然として聞き流しているようだが、ニータはかなり興奮している。
「みんなですって?! 誰よ? みんなって誰のことなのかしら、言ってみなさいよ!」
噛み付かんばかりに言い寄り始めた。
「止めて下さい!」
シーマはニータを押し止めた。
「私達はジュリアを迎えに来ただけなんです。喧嘩しないで下さい」
「退きなさいよ! あんたも生意気なのよ。邪魔なのよ! ちっちゃいくせに」
「ちっちゃくていいですから、落ち着いて下さい!」
「何よ。こんなのが神官騎士ですって? 赤の騎士団はおかしいんじゃないの?」
少しだけ後ろに下がったニータは、マリエッタではなく、シーマを相手に怒鳴り始める。
「あんたみたいな子供が入れるなんて、赤の騎士団は大したことないってワケね!」
見下す様に言う。
「それにレディ・ジュリア? は! 聞いたわよ、父親が権力争いに負けて婚約者に逃げられたような女じゃないのさ」
べちっ!
マリエッタは驚いて口元を抑え、遠巻きにしていた学士達、見習い達も息を飲む。
ニータも呆けたような表情で凍り付いた。
顔を真っ赤にして怒ったシーマに引っ叩かれて。
「な、何を、」
べちっ!
もう一発、シーマはニータの頬を叩いた。
「……!」
目にいっぱいの涙を貯めて、シーマは手を振りかぶる。ニータも今度は後ろに下がり、それをシーマが追いかける。
「お止めなさいシーマ!」
「ニータやめて!」
「二人とも離れて、離れなさい」
取っ組み合いになるシーマとニータ。
マリエッタもノーマもマーセラも、周囲の者達もさすがに止めに入った。
シーマは涙をこぼしながら唸り続け、進もうとするのを止めない。
ニータも暴れ、喚き散らしている。
「やめなさい! 貴女達! 何をやっているの!」
鋭い叱責が集団を吹き抜け、そこにいた全員が静かになり、声の主に目をやった。
黒騎士カーメラ。
背筋を伸ばし、騒ぎの中心を射抜く様に見つめていた。
後ろには白の学士騎士の二人とジュリア、ロザリンドも一緒にいる。
「修道院の中で何を騒いでいるのかしら? 一体どうつもりなの?!」
カーメラの強い視線に、ほとんどの者が下を向く。
ロザリンドがニータとノーマを捕まえ、何か聞いている。
ジュリアがカーメラと言葉を交わし、シーマの元へとやって来た。
「シーマ、どうしたの?」
真っ赤な顔で泣いているシーマの前に、しゃがみ込んでジュリアは尋ねた。
シーマがぎゅっと目を瞑ると、溜まった涙がぼろぼろこぼれた。
「レディ・ジュリア、申し訳ありません。私がニータと言い争いをして怒らせてしまい、怒った彼女が、その」
マリエッタが言い淀む。
「酷いことを言われたのね。でもシーマ、貴女も騎士になるのだから、少しくらい嫌なことを言われても怒ったりしてはいけないわ」
シーマは激しく首を振った。
「申し訳ありませんレディ・ジュリア。ごめんなさい。ちっちゃなシーマ」
シーマが目を開けると、ロザリンドが立っていた。向こうの方でニータが下を向いている。何か言われたらしい。
「ニータが何か言ったらしいわね。あの娘には後で言っておくから、許してくれないかしら。あら?」
ロザリンドもシーマの前にしゃがみ込む。
「血が出ているわ」
ニータに引っ掻かれたらしく、シーマの左頬に血が滲んでいた。
ロザリンドはハンカチを取り出して、シーマの顔を拭こうとしたが、シーマはそれを叩き落とした。
驚いたロザリンドがシーマを見ると、シーマは再びぼろぼろと泣きながら、彼女のことを睨み付けていた。
「うぅぅぅぅぅー」
歯を食いしばっていた。拳を震わせていた。
「ううぅぅぅぅぅぅー」
唸りながらニータを、ジュリアを、ロザリンドを見た。
「マリエッタ?」
ジュリアは尋ねた。
「あの、ニータがレディ・ジュリアのことを悪く言いまして、そうしたらシーマが彼女を叩いてしまって」
マリエッタは言い難そうに答える。
「そう」
ジュリアはシーマを抱きしめた。
「私のために怒ってくれたのね。ちっちゃなシーマ」
ゆっくりと髪を撫でる。
「ありがとう。でも、もういいのよ。ね?」
ジュリアに優しく言われ、シーマの体から力が抜ける。
握りしめた拳が開かれて、ジュリアの長衣をつかみ取る。
「うええええぇぇぇん。ひっく」
ちっちゃなシーマは泣き出した。
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