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三章 小さな決意
「どうぞ」
目の前に置かれたカップから湯気が上がり、リーフティーの優雅な香りが届けられた。
食堂にある飲み放題のお茶とは比べ物にならない。上品さとゆとりのようなものを感じる。
「お飲みなさい。ちっちゃなシーマ」
「いただきます」
両手で持って一口飲むと、まろやかな口当たりと豊かな香りが口いっぱいに広がった。
「どうかしら」
「美味しいです!」
「それは良かったわ」
カーメラは微笑み、彼女自身もカップを手に取った。
お茶を用意してくれたガブリエラに礼を言って、シーマはもう一口お茶を飲む。
何とか気持ちを落ち着かせ、周囲をもう一度ゆっくりと観察してみる。
向かって左手にいるのは白の神官騎士であるビアンカとガブリエラ。
聖歌隊にも所属しているシーマは、彼女達とは面識があった。
ビアンカは十七歳で実家は商家、明るくて気さくな性格から、聖歌隊のメンバーから好かれている。ほぼ自由に天使を呼ぶことが出来るらしい天使召喚士だ。
ガブリエラは十五歳で騎士の子女。あまり表情を顔に出さない冷静な人という印象がある。
彼女も聖歌詠唱中に天使を降臨させていたことがあるから、白の学士騎士は二人とも天使を呼べることになる。
正面にいるのは黒騎士カーメラ。じっとこちらを見つめている。
その横に立っているのはこの地方には珍しい銀髪の少女で名前はテレサ、黒の騎士で学士騎士では最年少の十四歳。
この娘は見事に無表情。まるで人形のようだ。
右手の方からの笑い声にそちらを向くと、背が高い茶色の髪の麗人と、緩やかに波打つ髪のかわいらしい貴婦人がお喋りしている。
背の高い少女がトレーシー、かわいらしい顔立ちの少女がクラウディオで、彼女達は従姉妹同士と聞いたことがある。顔立ちが良く似ていた。
二人とも街の議員の子女であり、外部との交渉事をやる青の騎士だった。
「お話しさせてもらって良いかしら」
カーメラが尋ねた。どうやら落ち着くための時間を作ってくれたらしかった。
「は、はい! 何でしょうか?!」
「そんなに緊張しなくても良いわよ。別に何かしようというのではないのだから」
「す、すみません!」
「謝るようなことじゃないわ」
「黒騎士カーメラが相手じゃあ、ちっちゃなシーマが怯えるのもしょうがないって」
ビアンカが笑いを押し殺している。
「失礼ね。これでも精いっぱい友好的にお話ししているつもりなのよ」
「努力は認めよう。でもねぇ。ちっちゃな女の子に過ぎた礼節はキツイんじゃないの?
もっとくだけた感じでやってよ。シーマはまだ十二なんだから」
助言というよりからかう口調である。
カーメラは眉を寄せる。
「私って、そんなに怖い顔をしているのかしら? ねえテレサ」
彼女は自分の横のテレサを向いて首を傾げるが、無表情のままで返事は無い。小さくため息をつくカーメラ。
シーマは、何か悪いことをしているような気分になった。
「あのあの、わたしそんなに怖くないですから大丈夫です、けど」
頑張ってそれだけ言ってみたのだが、部屋が静かになってしまった。
言い方がまずかっただろうか。シーマは左右を見渡していると、
「くくく」
「ぷっ」
「あはははは」
笑われた。
「貴女なかなか面白いわよ、ちっちゃなシーマ」
「トレーシー失礼ですよ」
トレーシーとクラウディオ、青の騎士二人が声を立てて笑っている。
部屋の反対ではビアンカがお腹を抱え、ガブリエラがカーメラから顔を背けて震えていた。あれはきっと笑いを堪えている。
「それって少しは怖いってことなのかしら」
カーメラが苦笑している。
「あ、いえ、決してそういう訳ではなくって、わたしやっぱり緊張しているみたいですので、気にしないで下さい!」
「まあいいわ。威厳があると思われていると解釈しておきましょう」
シーマはひたすら恥ずかしかったが、場の空気が多少は和んだような気がした。
もっとも、緊張していたのは自分だけだろうから他の人間には関係ないだろうけど。
「あなたのことはジュリアや他から色々と聞いてるわ。
さっき神官長の所へ行ったそうだから、間違いないと思うのだけれど、赤の神官騎士に推挙されたということで、間違いないのかしら」
カーメラは聞いてきた。カップを手にしているせいか、先ほどよりもずっとくだけた感じだ。
「はい」
シーマは答えた。どうしても声が小さくなってしまう。
「そんなに困ったような顔をしないで。少なくとも私達は反対したりしないから」
「そうなんですか?!」
「なぁに? そんな心配をしていたの? 私達も昨日、貴女が召喚した天使を近くで見ているのよ。
あんなに美しい天使は私は初めて見た。天使や大天使なら何度も見たことがあるけれど、昨日のあれは特にきれいだったわね。
ちっちゃなシーマ。良かったら教えてもらえない? 貴女が呼んだ天使は何だったのかしら」
そこまで言って彼女はお茶を口にした。
「ひょっとして権天使か能天使だったりして?」
ふざけた口調のビアンカの問いに、シーマは激しく首を振る。
「とんでもない。神官長は天使と大天使以外の召喚例はないっておっしゃっていました。
昨日の天使は音楽の天使でイスラフェルというそうです」
芸術家に霊感を与えるんだそうです。と、シーマはさっき聞いたままを付け加えた。
それにしても権天使とかはないだろう。
たまたま名のある天使がやって来たとはいっても、シーマにしてみれば別段特別なことをしたつもりも無い。
呼んだのは天使、一番良く出現する。人に最も近い御使い。
そのはずなのだが、神官騎士の面々はそれぞれ考え込んでいるようだ。
「あの、何か?」
左右交互に首を振る。みんなどうしたのだろうか。
「ちっちゃなシーマが呼んだのがイスラフェル」
ビアンカがこっちを見た。
「音楽の天使を召喚できる神官騎士か」
トレーシーもシーマを見ていた。
視線を感じて正面を向くと、カーメラが真剣な顔で見ていたので、シーマは後ろにのけ反った。皆の目付きが厳しく感じるのは気のせいじゃないと思う。
一体どうしたのか。
「それで貴女は赤の神官騎士の話、受ける気でいるのだったかしら」
カーメラの口調が微妙に硬い。
「えと、春分祭までレディ・ジュリアと一緒に仕事をして、それまでにお返事することになってます。
どうしようかと思ったんですけど、同じ班のみんなが助けてくれるみたいですし、レディ・ジュリアも薦めて下さっているので頑張ってみようかと思ってます」
「つまりまだ決まってはいないのね」
トレーシーが近付き、シーマの肩に手をやった。
「ちょっと貴女、下がっていてちょうだい」
カーメラに言われ、トレーシーは肩をすくめて元の位置へ戻る。
「あの、どうかしたんですか、皆さん」
「ええ、実は貴女の発言を聞いて、ちょっと困った状態になったみたい」
カーメラの目配せに、白と青の騎士それぞれが苦笑を浮かべた。
「つまり、ここにいる全員が貴女を欲しくなったと言うことなの。白、青、黒の騎士団が揃ってね」
「……はい?」
ちっちゃなシーマは固まった。今日何度目なのかはもう判らなくなっていた。
「どうぞ」
目の前に置かれたカップから湯気が上がり、フレーバーティーの優雅な香りが届けられた。
食堂にある飲み放題のお茶とは比べ物にならない。さっきの一杯も美味しかったが、今度のは香りが特に素晴しい。
「お飲みなさい。ちっちゃなシーマ」
「いただきます」
両手でもって一口飲むと、まろやかな口当たりと豊かな香りが口いっぱいに広がった。
「どうかしら」
「美味しいです……」
本当は味なんかよく判らなくなっていた。
自分が呼んだ天使がイスラフェルだと、各騎士団が自分を必要になるらしい。
なぜだろう。
聖歌隊のある白の騎士団。
天使召喚士が少なくない。今さら自分が加わった所でどうだというのだ。
第一、見習いでも学士でも、赤の騎士になったとしても、聖歌隊には所属していられるのだ。
対外交渉と組織管理が仕事の青の騎士団。
何を手伝えというのだろう。無理だ。
街の警邏とエクソシスト活動を行う黒の騎士団。
リンダが指摘した通り、鎧兜を着けたりしたら動けない。ちっちゃなシーマは伊達じゃないのだ。早く大きくなりたい。
カップを持ったままで考え込んだシーマにカーメラが話しかけた。
「さっきの話の続きだけれど、貴女は赤の騎士団に入っても構わないと考えている。そうね?」
「はあ」
「もったいないわ」
横からトレーシーが割り込んだ。クラウディオがたしなめるが彼女は言葉を続ける。
「赤の騎士なんて、本の整理ばかりしてるような事務屋じゃない。音楽の天使を呼べる天使召喚士には役不足よ。そんな所では貴女の才能が勿体ないと私は思うの」
何を言っているのだこの人は。
「才能というのは人に認められてこそ価値のあるものよ。そうだと思わない?」
「はあ」
「芸術家に霊感を与える音楽の天使を召喚する神官騎士。その存在は交渉において素晴しい切り札になり得るわ」
トレーシーは立ち上がり、拳を振って訴える。
「交渉において重要なのは、相手よりも優位な立場で取引を行うこと。
相手に対してこちらの優位性、正当性を見せ付けることによって、効果的に譲歩を引き出し、より有利な条件で取引を成立させることが出来るの」
彼女は窓の外、礼拝堂を指し示す。
「私達は教会という権威を背に、多くの場合相手よりも有利な立場にあるわ。けれどもそれは、必ずしも機能しない時もある。
でも、例え組織としての教会の権威が通用しない相手だとしても、天の御使い、しかも名のある天使を召喚できる人間がいるとなれば、効果的に圧力を与えることが出来るわ」
「はあ」
「ちっちゃなシーマ、赤の神官騎士の叙勲については見送る気はないかしら?
それで私達の従者になって欲しいの。何も心配することは無いわよ。貴女はただ私達の後ろに立っているだけで役に立ってくれるわ」
「はい、そこまでだよトレーシー。シーマが目を回しているじゃないのさ」
ビアンカがいう通り、シーマは頭がくらくらしていた。訳判らない。
「天使召喚士を交渉の道具にしようだなんて、あきれるわ。
そんなだから貴女達は天使が呼べないのよ。もっと人々の幸福を願うような大らかな気持ちが大事なのよ。そうよね、ちっちゃなシーマ」
「ええと、そうですよね」
「あら、私達を悪人呼ばわりするつもりなのかしら。教会のためにそれこそ毎日、気難しい議会の連中やら貴族連中と綱引きをしているっていうのに。
失礼しちゃうわね。ねえクラウ」
同意を求められたクラウディアはしかし、頷きはせずに苦笑している。
腹黒い外交屋。確か青の騎士をそう評していた人がいたような。シーマの頬が引きつる。
「そんな所より、ちっちゃなシーマには聖歌隊で頑張って欲しいな。天使が呼べる人材は一人でも多く抑えておきたいし、それが特別な天使なら尚更よ。
昨日のことだって、あの天使は何だって聞かれる聞かれる。大変だったんだから」
「あ、そうでしたか。すみませんでした」
「いいのよ。それでね、白の騎士団は教会内の儀式と祭典の執行が主な仕事でしょう?
結婚式とか葬式とかもある訳よ」
「はあ、そうですね」
シーマも婚礼の席や葬列の後ろで歌ったことがある。もちろん聖歌隊の一員でだが。
「そういう席では出現する天使が多い方が喜ばれるの。
だからね、赤の騎士になって図書館に籠るよりも、白の騎士団の従者になって貰えれば嬉しいんだけどな」
「でも、赤の騎士でも聖歌隊活動は出来るんじゃないんですか?
それに天使召喚が出来る人だって別にわたしじゃなくてもいいんじゃ」
シーマの言葉にビアンカは首を振る。
「ダメダメ、やっぱり仕事を持つと融通効きにくくなるのよ。
ちっちゃなシーマは今まで見習いだったから、聖歌隊の時はこっちを優先できた。
でもシスターならともかく赤の騎士ともなれば、自分の仕事を優先させない訳にはいかないわ」
「はあ、そういうものですか」
「それにね、あれだけの天使を呼べる人材を赤の騎士団に持っていかれるのは、やっぱり悔しいのよ」
歌っているだけでは勤まらない。なんとなくシーマには言葉の意味が判った。
「何か違うんじゃないの? ビアンカ」
今度はカーメラが口を開く。
「まったく、聞けば二人とも彼女のことを飾り物扱いじゃないの。もっと言い方に気を付けなさい」
「そんなつもりはないわ。聖歌隊に天使召喚士は必要よ。少なくともシーマは今でも聖歌隊に所属しているのよ」
「私も飾りなんて思ってないわよ。居るだけで場の空気を支配することは可能なのよ。貴女の様にね、カーメラ」
カーメラは二人を無視してシーマと向き合った。
「黒の騎士団においでなさい。シーマ」
それだけ言って見つめてきた。挑みかかるような強い意志が込められた視線を受けて、シーマは息の飲む。
圧倒的な存在感。
これが黒騎士カーメラ。
視線に押し潰されそうな感覚を味わいながら、彼女への賛美が正当なものであることをシーマは思い知った。
「でも、わたしはまだ、」
「名のある天使を召喚することの出来た貴女には、人並みはずれた神霊力が備わっているの」
シーマの反論を遮る形で説明する。
「黒の騎士団は街の警邏もやるけれど、エクソシストとしての仕事こそが求められていると私は思ってる。
ちっちゃなシーマ。貴女はまだ剣術で戦うことは出来ないかもしれない。
でも貴女が聖歌詠唱によって作り出す神霊力はとても強い。
それは死霊や悪霊に対しての有効性において、ウィザードリィの魔力を上回る」
聖歌詠唱による心霊力。それを聞いたシーマは思い出す。
聖句を散りばめた聖歌は、それ自体が強力な呪文であり、魔法使いのウィザードリィの一分野、スペルキャストの応用発展系の術形式だ。
聖歌によって術者の生体場を天使に近い波長で振動させる。
この力をウィザードリィの魔力と区別して神霊力と呼んでいるのだ。
「私はね。今の貴女のままでさえ、死霊を抑える力だけなら黒の騎士団の誰よりも強いんじゃないかと考えているの」
聖なる存在である天使を呼ぶためには、多くの力とより純粋な神霊力が求められる。
教会儀礼においては、大勢の人間が同時に詠唱を行うことで、一人では簡単に達し得ない高い密度のエネルギー場を生み出し、天使を降臨させやすい状態を作り出す。
しかし上位の天使や、名のある天使を召喚するにはそれだけでは足りない。
強力な天使の降臨に耐えられるだけの純粋な神霊力。それは個人の心が大きく左右するのだ。
そして純粋な神霊力は、聖なる物と相対する悪意に満ちた悪霊や死霊を祓う力となる。
「その貴女が今から訓練すれば、聖歌詠唱の神霊力とウィザードリィの魔力を使いこなす、最強のエクソシストになれるかもしれないわ」
「うはぁ。さすが黒騎士カーメラだわ。私達とは話の大きさが違うわ」
「かなわないわね」
ビアンカが口笛を吹き、トレーシーが頭をかいた。
「そんな、わたしにはとてもそんな」
シーマは恐ろしくなって俯いた。
聖歌詠唱について、これほど明確に力として扱われたことは無かった。
シーマにとって聖歌は歌だ。
召喚するのではなく、一緒に歌を歌いに来てくれる、それが天使だった。
何か違う。
ちっちゃなシーマは考える。
言われていることは判るのだけれど、自分に対して期待されているのも判るのだけれど、何かがおかしい。
自分とこの人達は、どこかが噛み合っていない。
言わなくてはいけないことがある。
でもそれが何か明確には判らない。
「どうかしら? すぐに返事をするのは無理と思うけど、考えてみて欲しいの」
周りから注がれる期待のこもった視線の中、シーマは小さくなって呟いた。
「わたし、わたしは、」
何とか言葉を紡ごうとしていると、ドアをノックする音がした。
入って来たのはジュリアだった。
「シーマ?」
「ああっ! レディ・ジュリア!」
シーマは椅子から立ち上がり、ジュリアのそばへと駆け寄った。そのまま片腕にしがみつく。
「どうしたのシーマ。大丈夫よ」
掴まれた腕はそのままで、シーマの頭を空いた手で撫でる。
彼女はシーマを抱き込み、強い口調で言った。
「どういうことか説明していただけますか」
「さっき下でね。ロザリーの班の娘達がリンダの班ともめてたのよ」
ビアンカにジュリアは聞き返す。
「ロザリーがですか?」
「ロザリーじゃなくて、彼女の班の娘。やっぱり面白くないみたいね。無理も無いかもしれないわ」
「そうですか。では何故シーマをここに連れて来たのですか」
「別にお仕置きしようってんじゃないわよ。ちっちゃなシーマにお茶を御馳走してお話をしていただけ」
「とてもそのようには思えないのですけれど」
ジュリアはビアンカを睨み付ける。
「落ち着きなさいジュリア、そうね。ついでに私達も騎士団への勧誘なんかしたかもしれないわね」
「なんですって!」
トレーシーのふざけた口調に、ジュリアはシーマを強く抱いた。
彼女は眉を釣り上げて、トレーシーに食って掛かる。
「シーマについては、私が赤の騎士団に推薦したことをご存じのはずです!」
「ええ、知っていてよ」
「先程グラン・シーマにも承認していただきました!」
「あら。私は春分祭までは、決定じゃないみたいに聞いたわよ。
そうだったわよね。ちっちゃなシーマ」
「はい、でも、」
「御覧なさい、私の言った通りじゃない。第一、彼女が召喚したのが音楽の天使だってこと、どうして貴女は黙っていたのかしら」
「それは昨日はまだ、そうだという確証が無くて、今日になって神官長からお聞きしたからです」
「あらそう。でも情報を得た時点で私達には報告して然るべきではないのかしら。
有力な人材は、どの騎士団も必要としているの。貴女だって判っているでしょう?」
「それはそうですが」
「貴女が空席になった赤の騎士の、末席を埋める人物を探していたのは知ってるわ。
今回の件に関しても、だからこそ優先的にこの娘に声を掛けられたのだものね。
でもねジュリア。この娘の才能は赤の騎士団の末席を埋めるには惜しいわ。
教会全体の利益を考えれば、彼女は青の騎士団に来てもらうのが一番良いと思ったの。どうかしら?」
「止めなさいトレーシー。
論戦を好む貴女だけれど、私達を相手に交渉術や会話誘導を使うのは遠慮していただきたいわ」
カーメラにたしなめられ、トレーシーは背もたれに寄りかかって口をつぐんだ。
「ジュリア。別に貴女がシーマを推挙したことに異議はないわ。優れた人材を見出すのも私達の役目なのだから。
ただ立場上、私達全員が強力な天使召喚士である彼女に注目してしまうのは当然のことよね」
「あの、わたしは天使召喚士ではありません、歌を歌っているだけです」
シーマはやっと話をすることが出来た。
違和感の一つ。それは自分が天使召喚士として扱われていること。
「イスラフェルを呼べた貴女だもの、訓練さえすれば、天使や大天使なら自由に召喚できる様になれるわよ。
私達白の騎士団なら全部教えてあげられるから心配いらないわよ」
白の騎士が嫌だとは思わない。聖歌隊も好きだ。ビアンカもガブリエラも尊敬しているし、一緒に歌っている時は幸せだ。
でもシーマはジュリアの腕を掴む力を強くする。
「何が気に入らないのかな〜」
ビアンカが頭の後ろで腕を組んだ。
「そうではないわ。いきなり全ての騎士団から誘われたのですもの、驚いて混乱するのは当たり前よ。
ごめんなさいシーマ。貴女を困らせるつもりではないのよ。
お茶が冷めてしまったわね、もう一度用意をするから座ってちょうだい」
カーメラが言ってもシーマはジュリアを離さなかった。
「気に入られたようねジュリア」
カーメラは苦笑する。
「でもねジュリア、これは黒の騎士の一人として言わせてもらうのだけれど、彼女の神霊力の強さは、赤の騎士には過分じゃないのかしら」
「そんなことはありません。赤の騎士団は魔法の研鑽もしています」
「そうね、でも学問だけじゃ迷えるものは救えないわ。
死霊に怯える人がいるのに図書館の中で勉強しているだけなんて可笑しくないかしら」
「それは!」
「そうね。卑怯な言い方ね。謝るわ。
でもね、黒の騎士は死霊、悪霊に怯える人達を救うために彼女の神霊力が欲しいの。判ってくれるわよね」
黒の騎士は戦うのが仕事、その言葉は思っていた以上のものらしい。
「それにねジュリア、私達は次の赤の神官騎士はロザリーだと思っていたの」
「ロザリンドですか……」
ジュリアが言ったその名を聞いて、シーマは小さく震えた。
ジュリアと一緒にいた赤の神官騎士、その妹の彼女なら赤の神官騎士に推挙されても当然だ。考えていなかったが、彼女の方こそ騎士に推されて然るべきなのではないだろうか。
「赤の騎士団が文書の整理と研鑽をしていることは理解しているわ。
でもそれが仕事の中心なら、無理に魔法使いを集めなくてもいいでしょう?」
「でもシーマは赤の神官騎士になることを、前向きに考えてくれています」
「そうみたいね。でもロザリーはどうなのかしら。彼女だって神官騎士に恥じない人物だと私は思うわ。
班も良くまとめているし、学士としての成績も良い。彼女は騎士になりたくはないのかしら」
「それは」
「彼女ならすぐに神官騎士が勤まると思うの、ちっちゃなシーマは素質はあるけれど、やはりまだ早いわ。
この歳で責任ある立場を押し付けるよりは、従者になってもらって色々なことを学ぶべきだわ、時間をかけてね」
「それともシーマなら良くて、ロザリーでは駄目な理由でもあるかしら」
トレーシーが身を乗り出す。
「そういう訳ではありませんが」
「そうよね。ならロザリーを推挙し直せばいいんじゃないの?
彼女の父様も、姉に続いて妹が神官騎士になったと聞けば、喜ぶでしょう。
あ、でもそうするとお姉さんみたいに権力者とのツテを作るために結婚させられちゃうのかもね」
え? シーマが見上げる、ジュリアは身を硬くして青い顔をしていた。
「でも珍しいことじゃないしね。
まあ、貴女には時間があるのだからいいじゃないのよ。ジュリア」
「どういう意味でしょうか」
「私が知らないとでも思っているの?
貴女のお父様、政治権力争いに負けて、いえ一歩後退と言った方が的確でしょうね。
そのおかげで貴女の婚約は破棄、しばらくは教会を去る予定はないのだから、ロザリーの面倒を見て、彼女の次を探すくらいの時間はあるでしょう」
「そんなことは関係ありません!」
耳元で怒鳴られて、シーマは縮こまった。
「言い過ぎよトレーシー」
「そのようねカーメラ。今のは失言だったわジュリア。許してちょうだい」
「私がシーマを推挙したのはロザリンドを庇っているからではありません!」
「怒らないでジュリア。トレーシーが言い過ぎたのは謝るわ」
「クラウディア、私は怒っていません。昂っているだけです!」
「とにかく落ち着きなさい」
「私は冷静です!」
カーメラの静止にもジュリアは激昂を止めない。
「私はシーマが赤の騎士に相応しいと考えたから推挙したのです!」
「判らないわね、どうしてそうなるのかしら?
むしろ最も相応しくないと言えるような気もするのだけれど」
カーメラの言葉にも一理ある。
天使の存在で交渉を有利に進めたい青の騎士団。
儀礼式で天使召喚が重要な役割をする白の騎士団。
死霊と戦うために強力なエクソシストを必要とする黒の騎士団。
特別な神霊力を発揮するシーマなら、どの騎士団にも必要とされるのだ。
しかし赤の神官騎士としてはどうだろう。
そこにいるのは研究者。あえてシーマのような神霊力は必要ないのではないか。
「そんなことはありません!」
「じゃあ彼女が赤の神官騎士に相応しい理由を教えて貰えるかしら」
「それはシーマが、」
全員がジュリアを見る。
「本が好きだからです!」
さっきまでの張りつめた空気は消えている。
カーメラはテーブルに肘をつき、手の上に額を当てて俯いている。
テレサは相変わらず無表情だが、若干視線が泳いでいる。
ビアンカとガブリエラは大口開けて固まっていたし、トレーシーは椅子からずり落ち、クラウディアに助け起こされた。
「つまり何? 彼女が本を好きだから、赤の神官騎士に推挙しました。こう言いたいのかしら」
下を向いたままのカーメラに、普通に戻ったジュリアが答える。
「もちろん他にも理由がありますけれど」
「当たり前よ!」
今度はカーメラが大声を上げる。
「そんな理由で神官騎士に推されてはたまらないわ!」
「何を言うかと思えば、本が好きだって?」
「ジュリア、それはいくらなんでも」
「そんなくだらない理由が通用するとでも思っているの」
テレサ以外の全員が、一斉に非難の声を上げる。
シーマがジュリアを見上げると、彼女は微笑み頷いた。
今のジュリアの言葉でやっと判った。
何か違うと感じていた。自分のことが言われているのに、それが自分ことだとは思えなかったその訳を。
ここに来て感じていた違和感。
一つは自分が天使召喚士として扱われたこと。
天使を召喚しているつもりはない。たまたま歌いに来てくれたのがイスラフェルだったのだ、それはシーマの意志じゃない。
そしてもう一つ。
要するに、求められているのはシーマではなく天使なのだ。あるいは天使召喚士だ。
別に変な話ではない。能力、資質が求められるのは当然だ。
だからこそ判る。
シーマは尋ねた。
「なれるでしょうか? 魔法使い」
ジュリアは答えた。
「ええきっと。歌と本が好きな貴女なら」
ジュリアだけがシーマ本人を見て声をかけていたのだ。
天使召喚が出来るから、ルーン魔法が使えるから、もちろんそれも理由になっているのだろう。
でもそれだけではなくて、好きだから。そう言ってくれたのはジュリアだったから。
シーマはジュリアの腕を離した。
彼女から離れて他の神官騎士達と向き合った。
「わたしは歌が好きです。本が好きです。魔法が好きです。魔法使いになりたいです」
だから。
「だから! 私は! 赤の神官騎士になります!」
ちっちゃなシーマは生まれて初めて、叫びながらテーブルに両手を叩き付けた。
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