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一章 赤の神官騎士

「むぅ〜」
 窓から入る光の眩しさに、栗色の髪の少女は目を覚ます。少し意識がぼやけていた。
 目の前に天井は見えない、自分の寝床は見習い寮の二段ベッドの上であるからして、目を覚ませば太い樫の木の梁としっくい塗りの壁が拝めるはずなのだが、どうなっているのだろう。
 少女は手を付いて身体を起こした。どうやらベッドの下の段に寝かされていたようだ、毛布がずり落ち、自分の体を見おろせばシャツとかぼちゃパンツの下着姿である。
「むー」
 まだ頭が寝ぼけたままだった。西向きの窓を見ると、雲の合間から太陽が見え隠れ。昼過ぎのようだ。なぜ自分はこんな時間まで寝ているのだろう。
「ああああっ!?」
 目が覚めた。
「ええっ?!どうしてなんで何が一体?!」
 あたふたと手を動かすと、ベッドの縁に掛けられていた修道服に気が付いた。
 あわわ。と、言葉にならない声を出しながら修道服を頭から被る。
 自分では急いでいるつもりなのだが、服の袖に腕がなかなか通らない。頭が引っかかって出てくれない。じたばたやってなんとか着込み、立ち上がろうとしたのだが。
「きゃうっ」
 力が入らずにベッドから落ちて倒れそうになってしまった。
 おかしい。なぜかふらふらする。少女はやっと自分の体調があまり良くないの気が付いた。
「シーマ起きたの?」
 栗色の髪の少女、シーマがなんとか体勢を立ち直そうとしていると声がかかった。
「よいしょっと」
 少し色黒で少年のような少女が、シーマの体を引き上げてくれた。
「ありがとうアニタ」
「どういたしまして」
 アニタはすました笑顔でシーマに笑顔を向けた。アニタはシーマと同じ見習い修道士で、歳はシーマより三つ上の十五歳、そして同じ二段ベッドの上下で寝ている。教会での雑務を一緒に行う同じ班の先輩だ。
 自分がベッドの下に寝ているということは、彼女の寝床を借りていたらしい。どうしてだろうか?
「シーマは気が付いたのですね。アニタ?」
「大丈夫みたいよマリエッタ」
 近付いてきたのはやはり見習い修道士のマリエッタ。ゆるいウェーブのかかった黒髪で、いつもと変わらずにっこり微笑んでいる。彼女はシーマと同じく聖歌隊にも所属しているのだが、彼女もいつもの修道服姿だった。
「あれ? マリエッタ聖歌隊は? 儀礼式の途中だったよね? なんであたし寝てるの? あれぇ? あれれぇ?」
 シーマは、まるで泳ぐように両手を空中でかき回す。
 そんな彼女の様子を見て、アニタとマリエッタは顔を見合わせた。
 アニタはやれやれ、といった感じでため息を付き、マリエッタは笑顔のままで困った顔をした。
「あー。もうシーマ、あんたは自分がどうなったか判ってないのね。いいから落ち着いて、それからもう一度横になってなさい」
「ええっ。でもでも昼は過ぎてるし、午後のお勤めがあるし、当番の掃除とかだって間に合わなくなるし、あたしのベッドは上なのに何でアニタの場所で寝てるんだろうとか、あたし全然判らないってゆうか、」
「ああもう! いいから寝てろ!」
 アニタはシーマの肩を掴み、半ば強引に彼女を寝かし付けた。
「うふふ。しょうがないですよアニタ」
 マリエッタが小さく笑った。
「昨日の天使儀礼で、貴女は倒れたのですよ、覚えていませんか? シーマ」
 シーマはそれを聞いて口を大きく開けて固まった。しばし硬直して気が付いた。
「き、昨日?! ということは今は明日で、昨日が今日で、ええっとつまり一日寝てたんですかぁ?」
「言ってることは無茶苦茶ですけど、言いたいことは判るわ。ええ、もう明日になっちゃってますのよ。ちっちゃなシーマ」
「うぅぅぅー」
 マリエッタの言葉を聞いて、シーマはベッドの上で顔を覆った。よりによって日曜礼拝で倒れることはないだろう。人だっていっぱい来ていたのに。大体、大事な儀礼式の途中で気を失ったなんてそれだけで居たたまれない、お腹は減っていなかったし、前の日だって夜更かしなんてしていなかったのにどうしたのだろう。自分でも訳が判らない。
「本当に何も覚えてないの? ちっちゃなシーマ」
 どういう意味だろうか? そういえば倒れたのは記憶に無い。気持ち良く歌っていて、礼拝堂に数体の天使が降臨して、それがきれいで嬉しくて、自分ももっと楽しく歌おうとしたのは憶えていて……。
「あ、あたしも天使を呼んで、それで倒れたんじゃぁ」
「そうよ」
 アニタが応えた。
「そうかぁ、凄く気持ち良く歌えたから気が付きませんでしたー。
 でもおかしいなぁ。ここに来る前の教会でだって、天使やを呼んだこともあって、その時は倒れたりしなかったんですよ。もう恥ずかしいな」
 そう言ってシーマは毛布を被って顔を隠した。
 天使そして大天使は、御使いと呼ばれる霊的存在である。
 一様に白い衣を身に纏い、美しい翼を広げた人間の姿で現れるとされている。
 祈りに応え、また聖歌詠唱によって天使召喚士の前に降臨し、時には小さな奇跡を与えるのだ。
 恥ずかしさから来る顔の火照りをなんとか抑え、シーマは毛布から顔を出した。
 こういう時、からかいに来るのが仲間達の性格というものなので、どうやって切り抜けようかと頭の中で考えたりしていたシーマだったが、何か今日はいつもと違う。
「アニタ?」
 彼女はいつになく真面目な顔でこちらを見ている。
「マリエッタ?」
 いつも通りの笑顔が、今日はどこか困惑しているのが見られた。なぜだろう?
「どうしたの二人とも、何?」
 顔を合わせてため息なんか付いちゃってる二人を、シーマは交互に見る。
「あーっ、何と言えばいいのか」
「そうですね、何と言えば良いんでしょう」
 どうも友人たちの返事がハッキリしない。こんなことは珍しいとシーマは思う。その時、別の人から声がかけられた。
「ちっちゃなシーマ、起きたのね」
「リンダ班長!」
 入ってきたのはアニタとマリエッタ、そしてシーマをまとめる班長で、癖のある赤毛をあごの線で切り揃え、少しそばかすのある十五歳の少女、リンダだった。
「どう? もう起きて平気なのかしら」
「はい! もうすっかり平気です」
 少し心配そうに聞いてきたので、シーマははっきりと応えた。
「班長、ちっちゃなシーマはさっき、ベッドから落ちそうになりました」
「少しふらふらしているようですね」
 アニタが横から報告し、マリエッタが付け加える。
「あああっ。平気、平気です。ほらもうこの通り!」
 シーマは毛布をはね除けて元気をアピールした。別に痛いとか、気持ち悪いとかは無いのだ、倒れたのだってきっとたまたま緊張していたとか、そういうものに決まってる。
 見習いには色々と雑用があるのだ。同じ班の仲間に迷惑かけたくはない。
「はいはい、判ったから無理しないで。ずっと寝てたんだからお腹が空いているでしょう。何か食べて、体力を回復させましょう」
 リンダがそう言ってシーマの手を取り、ベッドから立たせた。
「アニタ。神官長に、ちっちゃなシーマは大丈夫だってお伝えしてきて」
 はい。と返事をしてアニタは部屋を出ていき、マリエッタは先に食堂に行って何か頼むといって出ていった。
「あの班長、神官長が何かおっしゃられていたんですか?」
「そんな泣きそうな顔をしなくても平気よ」
 リンダは苦笑している。
「ほら、いいからまずは食べに行く!」
「あ、はい」
 元気に返事をしてみたシーマのお腹が、ぐーっと音を立てた。
「あー。なんだか本当に平気みたいね」
 リンダに横目で見られて、シーマは小さくなって恥ずかしがった。
 こんな時に鳴らなくたって良いのにって思いながら。

 昼時を過ぎて食堂は割と空いていた。この教会の者だけでなく、巡礼者用の宿泊房の利用者なども利用できるようになっているので、まばらには人がいる。
 長いテーブルと長い椅子が列を作るその合間を抜けて、厨房に面したカウンターに向かう。先に来ていたマリエッタが手を振る。
「ちっちゃなシーマ」
「あ、はぁい」
 返事をすると、視線がシーマに集中した。
 巡礼者風の見覚えの無い人達、同じ見習い修道士たち、それに厨房のおばさん達まで、こちらを見たように感じた。
 おもわず身を引くシーマだった。
「ほら、行くわよ」
 そんな彼女の手を引いて、リンダは堂々と食堂に踏み込んで行った。
「あの班長。なにかあたし変ですか」
 手を引かれながらシーマは尋ねた。
「何言ってんのよ、変なこと言ってると変だと思われるわよ」
「あう」
 やはり視線が集まる中、リンダはそれを無視するように堂々とカウンターへシーマを連れて行った。厨房から食事の載ったトレイが出てくる。
「おはよう、ちっちゃなシーマ。具合はいいのかい」
 いつものおばちゃんが声をかけてくれた。
「大丈夫です。何か知らない間に倒れちゃったみたいですけど、平気です」
「お腹がグーグー鳴ってたから、喰えばばっちりですよ」
「あああっ! 班長! なんで言っちゃうんですかそーいうこと!」
「ははは。じゃあこれを食べて元気だしな。ゆっくり食べるんだよ」
「……ありがとうございます」
 目が覚めてから恥ずかしいことの連続だ、シーマは顔が熱かった。きっと今の自分は林檎の様に顔が赤いのではないだろうか。
 窓に近いテーブルの隅に腰掛けて、リンダとマリエッタの二人は、シーマに食事を促した。
 野菜を煮込んだスープ、小さなパンとチーズ一欠片という定番メニューを、彼女はゆっくり味わうことが出来た。
「どう?」
「美味しいです、班長」
 シーマの返事にリンダは苦笑する。
「そうじゃなくって、体調はどうかってことよ。もうシーマってば」
「大丈夫のようですね。さっきより顔色も良くなりましたもの」
 マリエッタが小さく笑い、リンダもやれやれといった風にこめかみに指をやった。
 食事が済んで、トレイを片付けようとした時に、修道学士たちが何人も厨房に入ってきた。どうやら午後の神学講義が終わったようだ。
 教会にはシーマ達のような見習い修道士以外にも、正式な修道士ではない者達がいる。
 修道学士と呼ばれているのがそれで、彼女たちは見習いとは違って修道士を目指しているのではない。
 貴族や議員や騎士、あるいは街の裕福な商人の子女が、教会で神学や数学、歴史、外国語、弁論法、魔法などを学んでいるのだ。
 実家から通って講義を受けるものが多いが、裕福な家の子は寮生活を送る。同じ寮でも見習い寮と比べて格段に優雅な場所だそうだが、シーマは知らない。
 もう席を立とうとした時に、四人の修道学士が近寄って話しかけてきた。
「ごきげんよう皆さん」
 四人の先頭に立っているのは、背筋を伸ばして堂々とした、髪にカールをかけた少女だ。笑みを浮かべた顔はしかし凛々しく、こちらを見ていた。
 挨拶を返してから改めて四人を見ると中にシーマの知った顔があった。
「あ、マーセラだ」
 彼女は修道学士で聖歌隊に籍を置いていた。シーマと一緒のパートを歌うことが多いこともあり、おしゃべり仲間だ。
 彼女は後ろの方で困った顔をしていた。気弱な所がある少女だが、いつもはもう少し明るい表情をしていることが多い。
「こんにちわシーマ、もう起きて良いの?」
「うん、もう大丈夫。ありがとうマーセラ」
 シーマとマーセラが話していると、先頭にいた少女が声をかけた。
「そちらにいるのは、ちっちゃなシーマ。で、良かったのかしら」
「あ、はい。それ多分、私のことです」
 どうやら自分に用があるらしい。
「私のことはご存じかしら、ちっちゃなシーマ。事務室での雑用の時に何度かお話ししたことがあるのだけれど」
「貴女を知らない人間は少ないと思いますよ、ミス・ロザリンド」
 リンダの言葉を聞いて、彼女は笑みを浮かべた。
 そう、彼女のことはシーマも知っていた。
 教会のあるこの街有数の商人の娘で、確か姉と二人で修道学士の寮に入っていたはずだ。
 二人とも成績優秀で美人、お姉さんは面倒見も良くて、見習いにも憧れている者は多かったのだが、先日、学士を辞めて実家に戻ったと聞いている。
 妹のロザリンドは姉ほど人に関わる性格ではないようだが、凛々しい表情と優雅な物腰で目立つ人物だった。
 見習い修道士も修道学士も、教会の清掃や書庫の整理、宿泊房の準備などの雑務をこなすのが勤めであるので、数回一緒に作業をした憶えがあった。
「はい。こんにちわ、ミス・ロザリンド」
 シーマは笑顔で挨拶した。
 しかしロザリンドの後ろから、やや皮肉な口調が割り込んでくる。
「あら、レディのことをミスですって? 見習いになって一年にもならないくせに」
 そう言ってきたのはロザリンドの後ろにいた、肩までの髪に強いカールをかけた少女。カールが強すぎて、ちょっともじゃもじゃに見えなくもない。
 口元に笑みを浮かべているが、見下すようにこちらを見ているので、シーマはちょっと怖かった。
「知らないのかしら? レディ・ロザリンドの姉様は、貴族と結婚されたのよ。
 だから妹である彼女は貴族のご親戚になられたの。成人されればサーの尊称を使われるようになるかもしれない。
 見習いなんかにミス、なんて言われて良い訳が無いのよ」
「ニータ」
 ロザリンドは後ろの少女、ニータに呼びかけ、彼女は沈黙する。
 シーマは、何を言われているのかよく分からなかったが、お姉さんが結婚したらしいのは理解できた。
「お姉さんが結婚されたんですか、おめでとうございます」
 彼女は祝福の言葉を発したのだが、なぜかその場の空気は白けていた。
 後ろでリンダが顔に手をやってため息をついた。向こうではニータと、マーセラではないもう一人、色白で腰まである長い髪の少女が口を開けてこっちを見ている。
「あのぅ、わたし何かおかしなこと言ったでしょうか」
「何もおかしくなくてよ、ちっちゃなシーマ。昨日貴女が呼んだ天使はとてもきれいだった。それが言いたかっただけなの。お邪魔したわね」
 ロザリンドはそう言ってきびすを返し、歩き出した。
「ふん、行くわよノーマ、マーセラ」
 ニータと他の二人も後を追って行った。
「なんだったのかしら」
「さあ」
 リンダは呟き、マリエッタは首を傾げた。
「それにしてもねえ」
「そうですねぇ」
 二人してシーマを見おろしている。微妙に視線が冷たい気がする。
「え? え? 何ですか? やっぱり何か変でした? あたし変ですか?」
 やっぱりシーマはよく分からなかった。

 食堂から出て行き歩くことしばし、三人は大きなドアの前でアニタと合流した。ここはこの教会の神官長の部屋の前。
「あのー。どうしてここへ?」
 シーマの顔は引きつっている。
「それは貴女が呼ばれたからですよ」
 マリエッタが笑顔で言う。
「それは一体どちら様に」
「神官長に決まってるでしょうが、ここをどこだと思ってるのよ」
 アニタはあきれ顔で言った。
 リンダがドアに近付き、ノックする。
「失礼します。シーマを連れて参りました」
 ドアの向こうから、お入りなさいと声がかかり、リンダ、アニタ、マリエッタはドアを開けて部屋に入って行く。
 シーマはその場で少しおろおろしていたが、一人通路に残るわけにはいかないので、思いきって中に入った。
 分厚いドアの向こうには、南に面した大きな窓があり、左右には壁一面の書棚が配置されている。窓を背にして机があり、部屋の中央に応接用のテーブルとソファーが置いてあった。
 部屋の中には二人、一人は書棚を整理している若い女性、そしてもう一人。
 この部屋の主であり、この教会の代表である神官長、優しい目をした少々ふくよかな女性が席について待っていた。
「こうして話をするのは久しぶり、貴女がこの女子修道院に来た時以来ですね。ちっちゃなシーマ」 
 神官長は微笑を浮かべてシーマを手招きした。
「はい、お久しぶりですグラン・シーマ」
 シーマは大きな声で返事をして大きくおじぎをする。
 女性しかいないこの修道院の頂点、神官長の名前はシーマと同じシーマであった。
 初老の域にあるこの女性は、親しみと尊敬からグラン・シーマを呼ばれている。
 そのため同じシーマはまだ十二歳であることもあって「ちっちゃな」シーマとあちこちで呼ばれているのだ。
「具合はもう良いようですね。四人ともそこにお座りなさい」
 失礼します。と、四人はソファーに座った。班長のリンダは落ち着いたものだが、アニタやマリエッタはシーマと同じく落ち着かない。互いに目配せして首を傾げた。何か自分達に言い付けでもあるのだろうかという所だ。
「シーマ、申し訳ないけれど、明かりをくれないかしら」
 神官長はそういってランプを指差した。太陽が雲に隠れてしまい、部屋は少し暗かった。
 ランプには既に火が入っていたが、シーマは平然とランプに近付いて行く。そして。
 ランプを指差し、宙に文字を刻み始める。
 光のルーン文字、太陽のルーン、力のルーン、風のルーン、最後に星のルーンを重ねて神秘の力を解放すると、ランプはその輝きを強くし、燃える炎の中からは星屑のような光の粒子が飛び出した。そして光はゆっくりと拡散しながら上に向かって流れ消えて行く。
 幻想的な明かりが部屋を照らした。
「北の大神が、己自身を生け贄に己自身に祈り、見出したというルーン魔法、見事なものですね。ありがとうシーマ」
 神官長はシーマに微笑む。
 ルーン魔法、それは伝説の北の英雄神オルディンスが作り出したという魔法。世界を構成する秘密を記すという神秘の文字ルーン文字を刻み込み、不思議な効果を現すものだ。
 だがこの魔法は術者に素質が求められ、学べば身に付くという類いのものではないとされている。
 この魔法をシーマは母から教わった。薬草と妖精の魔法に長けた母は、辺境の街で流れの戦士から騎士となった父と出会い、結婚し、シーマが生まれた。
 だが三年前に両親は死に、彼女は教会の孤児院に引き取られた。シーマは聖歌による天使召喚を成功させ、それにより去年、この女子修道院に呼び寄せられたのだった。
「どうでしょうか神官長。私には十分な資格があると思われるのですが」
 書棚の前に立っていた女性が神官長に問いかけた。神官長も深く頷く。
「確かに貴女の言う通り、彼女なら大丈夫であると私も思います」
「神官長。私たちには話がまるで見えません。どうか説明して下さい」
 しびれを切らしたアニタが立ち上がって発言した。マリエッタがそんなアニタを引っ張るが、神官長は手を掲げてそれを制した。
「そうですね、すみませんでした。まずこれは貴女達全員に関係する話です」
 その言葉にアニタの喉がごくりと音を立てた。
「ですが直接にはちっちゃなシーマ、貴女に関することなのです」
「あ、あたしですか?!」
 戻ってソファーに座っていたシーマだが、たまらず立ち上がった。
「ななな何でしょうか」
「実は彼女、ジュリアが貴女を赤の神官騎士に推薦したのですよ」
 そう言われてジュリア、さっきまで書棚を整理していた少女が神官長の横に立った。
 背が高く癖の無い髪を肩で切り揃えた少女、目のぱっちしたあごの尖った美人が、ちっちゃなシーマに微笑みかけた。
 その身を包んでいるのはシーマ達と同じ修道服。しかしその上に天使の翼、女神の横顔、光と風の十字架と剣の刺繍が入った神官騎士の長衣を羽織っていた。
「「えええええええ!」」
 四人は大声を上げて立ち上がった。
 いつものんびりとしたマリエッタまで、両手をほほに添えて動揺している。リンダとアニタそしてシーマは顔を見合わせて口をぱくぱく動かしていた。
 神官騎士、それは言ってみれば教会内の名誉職だ。
 世俗の権力とは無縁であるはずの教会ではあるが、内部には組織もあれば役職もある。
 信者との関わり合いから外部への影響力も小さくはない。
 また、権力者や有力な商人、軍属の騎士の子女を教育する修道学士の施設の併設もあり、外部との様々な関わり合いが生ずるのだ。
 神官騎士とは、教会のものが権力者と対等の立場で交渉するための肩書きであり、軍属の騎士達と街の治安維持のために巡回するために必要な立場であり、悪霊におびえる信者を助けるエクソシストが名乗る看板であり、修道学士の中の有力者の子女に、修道院にいる間に与えられる飾り名でもあった。
 正式な修道士であり、神官騎士となった者はサーの尊称が与えられ、騎士の待遇が教会外部ですら約束される。その人数は決して多くないが教会内部で騎士団があるのだ。
 ただし、修道学士が神官騎士に任命されても、学士を辞めてしまえば騎士ははく奪される。また教会内部での立場は騎士団の末席で、修道学士と見習い修道士の統括が主な仕事だ。
「なんでそんな? だってあたしは!」
 シーマは混乱していた。
 自分はこの都市の出身ではない。権力者の子供でもなければ貴族のお姫さまでもない。
 父は地方の騎士だったがもういない。第一、まだ小さすぎる。ありえない話ではないのだろうか。
「それは貴女がルーン魔法の使い手で、強力な天使を呼べたからよ」
 ジュリアはシーマの視線を正面から受け止めて応えた。
「そんな! あたしのルーンなんて大したものじゃありません。それに天使を降臨させる歌い手だって、他にもたくさんいるじゃないですか!」
「それがただの天使ではなかったのですよ、ちっちゃなシーマ」
 神官長がシーマにささやくように言った。机に肘をついて手を組み、顔の下半分が隠れている。その表情は伺い知れないが、口調から重さが感じられ、シーマは少し落ち着いた。
「どういうことでしょうか神官長」
「天使の位階に付いては神学で学びましたね?
 天空より舞い降りる翼ある者、迷えるものへのメッセンジャー。我々の母である女神の救いをこの世に示す天からの御使い。それが天使達です。
 その位階は九つあり、第一位熾天使、第二位智天使、第三位座天使、第四位主天使、第五位力天使、第六位能天使、第七位権天使、第八位大天使、そして第九位が天使です。
 天使召喚に応えて現れる御使いは、天使あるいは大天使がほとんどです。
 無論、例外はあるのでしょうが、それ以上の天使が降臨した例を私は知りません」
 神官長の言葉は続く。
「ちっちゃなシーマ、貴女が今までに呼び降ろした御使いも、天使あるいは大天使ですよね」
「はい。間違いありません」
「神官長、先日の天使も天使か大天使であるのなら別段、問題にはならないのではないかと思うのですが」
 シーマが応え、次にマリエッタが手を挙げて発言した。
「昨日の天使ミサの際にシーマ。貴女が呼んだ天使はただの天使ではありません。
 あれは聖典に記載がある天使、世界の終末にラッパを吹くとされる音楽の天使イスラフェルです」
 芸術家に霊感を与えるとも言われています。神官長はそう言って話を切った。
 しばらくしてシーマが沈黙を破った。
「で、でもわたしが何か特別なことをした訳じゃないです、けど……」
「判っていますよ、ちっちゃなシーマ。ただ我々としては名のある天使を召喚した貴女を特別扱いしない訳にもいかないのですよ。判って下さい」
 シーマには判らなかった。
「イスラフェルを召喚できる貴女が見習いのままでいると知れたら、多くの信者はどう思うかしら? それに教会内部の人間も気にしない訳にはいかないの。
 貴女が騎士を望むとは思わない。でも望む望まないに関わらず、貴女は好奇の目にさらされる。
 身を守るにはそれなりの立場が必要、といった所かしら」
 ジュリアは表情を崩さずにそう言った。
 それならシーマにも判らなくはなかった。
「神官騎士における成人前の席は、各騎士団に二人ずつ。
 青、白、黒の騎士団に空きはないわ。ちょうどという訳ではないけれど、私の所属する赤の騎士団は今一人空いているの。
 他の騎士団よりも貴女には合っていると思ったのよ」
 ジュリアの言葉にシーマは頷いた。
 騎士団には役割の分担がある。
 青の騎士団は組織運営と対外交渉をやる。貴族や議員の家柄のものが多いと聞いている。
 白の騎士団は聖歌隊を統括し、婚礼と教会内の儀礼式の執行を取り仕切る。
 黒の騎士団は白の騎士団と共に教会の警備、そして単独で街の警邏をやり、悪霊と戦うエクソシスト達が所属している。
 シーマに交渉ごとなど早過ぎるし、警備ともなれば鎧を着て剣を振り回す体力が必要だ。
 見習いではなく騎士になれば、後ろで手伝いだけやっているわけにはいかないのだ。
「赤の騎士団の仕事は図書館の管理と日常の記録が中心。あとは信者の相談役と裁判の補助よ。本と付き合うことになるから魔法使いも少なくないわ」
 だから貴女にぴったりだと思うの。そう言ってジュリアは微笑んだ。
「あのう、話は判ったのですが」
 今度はリンダが口を開いた。
「ちっちゃなシーマを神官騎士に推挙することには、ここにいる私達に異存はありません」
 それを聞いたシーマが両手を使ってあたふたするが、リンダはシーマを押さえつけて続ける。
「ですが我々に関係することと言うのは何なのでしょうか」
「それは今から説明しましょう」
 神官長は組んだ手を解き、多少は緊張の取れた表情で頷いた。
「ちっちゃなシーマが神官騎士になると、ジュリアと共に修道学士や見習い修道士を指揮して教会の雑務を処理することになります」
 見習いの三人は頷き、シーマは青ざめた。
「ですが、シーマでなくとも二人だけでは全体の把握は大変です。
 そこで神官騎士にはシスターと見習い、あるいは修道学士を数人、専属の従者として仕事の補助をしてもらうことになっています。知っているとは思いますが」
 そうだった。
「ですがジュリアと共に赤の神官騎士をやっていた娘は婚礼が決まり修道院を出てしまいました。
 間の悪いことに従者を勤めていた娘達も成人したり、同じく婚礼が決まったりでいなくなったしまったのですよ」
 シーマには神官長とジュリアが苦笑した様に見えた。
「ですから、貴女達にはジュリアとシーマの従者となってもらい、二人のサポートをお願いしたいのです。
 シーマはここに来てからずっとリンダの班でその二人と一緒だったのでしょう?
 同じ班の二人には大変だと思いますが、リンダは次の春分祭で正式にシスターになってもらう予定でしたし、シーマの騎士叙勲もその時に行おうと考えています」
「あたしが正式にシスターですか?!」
 リンダが立ち上がった。握りこぶしを作り、真っ赤な顔には喜びが溢れている。
「おめでとうございます。班長」
「ありがとうアニタ、マリエッタ……って、シーマ!」
 見ればリンダの腰にちっちゃなシーマがすがり付き、泣きそうな笑顔で見上げていた。
「班長ぅぅぅぅ」
「うわっ! シーマちょっと」
「助けて下さいぃぃ〜」
「判ったから泣かないの! あっこら、登るな!」


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