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ちょっと便秘な夢見る少女
by七音(ななおと)

 遅咲きだった桜の花が、はらはらと舞い落ちる四月の中旬。
 気だるげな午後の日差しを浴びる高校校舎の一角に、新入生の教室はあった。
 制服のブレザーに身を包んだ男女が席に着き、授業終了のチャイムの後も教師の話を聞いている。
 ホームルームが行われているのだ。
 そして、その中に人生最大のピンチに襲われている女生徒が一人。

「ああっ。神様、どうか助けてください……」

 それは他の生徒には聞こえないような小さな声だった。
 他の生徒はきっと、早く終われよ、とか思って担任の話を聞いているに違いない。
 心臓の鼓動が大音量で頭に響く。
(神様、美智子がいけませんでした、懺悔します、今日から毎日お祈りします)
 ホームルームが終われば下校だ。
 けだるい空気が教室に流れているのに、女生徒、美智子の顔には汗が浮かび、無表情に近い緊張した顔は俯いていた。
 普段は伸びている背筋が今は曲げられ、肩で切りそろえた髪が震えているのは悪寒との戦いの表れだった。机に肘を付き、組まれた手がその顔を隠している。

(……はうっ!)

 寄せては返す波の様に、強烈な不快感の一撃が下腹部を直撃した。限界が近付いている。背中に汗が一気に吹き出たのがはっきり分かる。
(安易に薬に頼った罰なの? それにしても厳しすぎます)

 薬、悪魔の薬、ピンクの小粒、便秘薬。

 それは昨日のことだった。最近どうも調子が悪かったので、薬局で買ったそれを寝る前に飲んでみたのだ。テレビコマーシャルのアイドルが、にっこり笑って言っていたのを思い出す。
「痛くなりにくいんだよぉ〜」
(嘘つき嘘つき、嘘つきぃぃぃぃ!)
 美智子は心の中で、アイドルを本気で罵倒した。飲んだのは二錠。効き目は八〜十二時間後と書いてあったったはず。寝る前に飲めば、朝には自然なお通じが……。
(あうっ!)
 わずかに成功した現実逃避は、再び襲ってきた痛みに吹き飛ばされた。また背中が汗をかいたのが感じられる。
 これは危険だ。我慢している場合じゃない。挙手して担任にトイレに行きたいと言えばいい。
 しかしその勇気がない。入学して半月も経ってないのだ。まだ名前も覚えきれてない他の生徒達に注目され、そこでトイレに行きたいなんて言ったら、トイレ女と言われるようになるかもしれない。
 もちろん被害妄想である。だが冷静に考えるだけの余裕が美智子にはもうないのだ。
「起立。礼」
 気が付けばホームルームは終わったようで、クラス全員が動き出す。
 ある者は掃除。ある者は部活。そして下校。おしゃべりする級友達を素早いステップワークで通り抜ける。幸い掃除当番ではないし、入学してまだ間もなく、部活動は思案中なので今は帰宅部だ。
「みっちー、一緒に帰ろうよ」
 クラスメートが声をかけてきた。
 平均的に身長のある美智子に比べ、頭一つ低い。しかし伸ばした髪は腰まで伸びている。可愛いというよりは愛嬌がある顔の眼鏡少女だ。
「ごめん加奈ちゃん。急いで帰るから」
 小学校から付き合いがあり、同じ中学から同じ高校を受験して同じクラスになった唯一の友人の誘いだったが、振り向きもせず目線もあわせず、一気に横をすり抜けてトイレに向かって早歩きで加速していく。
「ちょっと、みっちー?」
「ごめぇぇぇん」
 加奈の声は不満そうだったが、立ち止まってはいられない。しかし走ることも出来ない。
 それは廊下を走ってはいけないという校則のためではなく、背筋を伸ばしてお尻に力を入れていないと危険な状況に追い込まれていたからだ。
 迂闊に脱力するわけにはいかない。もしも不意に、雷が落ちるような衝撃に下腹部が襲われたら耐えられないかもしれない。
「ううっ!」
 しかし無情にも。トイレはすでに生徒による掃除が始まり、水浸しになっていた。数人の生徒(女子トイレだから女生徒達だ)が、お喋りしながらモップをかけていた。
 無表情を装っている美智子の顔が引きつった。
(掃除中のトイレを平気で使うなんてできない。どうしよう! そうだ! 職員用のトイレを使えば! でも先生に何か言われるかもしれないし、それに誰かに見られたら)
 余計なことを考えている場合じゃないと自分でも思ったが、どうしても人の目が気になる年頃だ。
 痛みの波はピークを過ぎて、少し緩んできた。これなら五分くらいなら持つかもしれない。
 学校を出て自宅までは自転車で二十分。途中にあるスーパーとかコンビニとか公園とかを、一瞬で頭の中でリストアップして考えた。
(イケル!)
 そう判断した美智子はその場で踵を支点にして素早くターン。教室に戻って鞄を手にし、生徒を何人も追い抜く早足で自転車置き場に移動した。
 そしてキックを入れるようにして自転車を反転させて走り出す。
「公園で勝負!」
 学校から駅に続く道の脇にある小さな公園。そこに公衆トイレがあったはずだ。
 知ってるスーパーは家に近い方だから一駅分の距離がある。コンビニはいくつもあるが、店員さんにトイレを貸せと言わないといけないのだ。そうだ! 公園のトイレが絶対のポイントに間違いなかった。美智子は急いだ! 美智子は走った! しかし。

「神様〜。どうしてぇぇぇ〜!!!」
 公園に滑り込み、自転車から飛び下り、トイレの正面に回り込んだ美智子は、声こそ小さいものの強烈なうめき声を上げた。
『清掃中です。ご迷惑おかけしております。市役所』
 公衆トイレの前はロープが張られ、メッセージボードがぷらぷら揺れていた。そこにはアニメチックな清掃員が頭を下げている様が描かれている。
 美智子は死刑宣告を受けた囚人が、死神に会ったとしてもこれほどは感じないだろうというほどに絶望した。
 目の前が暗くなる気がする。力を入れたお尻がぷるぷると震えた。
(次、次だ)
 晴れた空の下、小さいが良く整備された公園、始まったばかりの高校生活。
(次の稲妻で全てが終わる)
 町中に幸せが溢れているはずなのに、自分は破滅しそうになっている。
(世界が滅びればいいのに! 大地震が起きればいいのに! 隕石が落ちてくればいいのに!)
 思わず全人類の破滅を望んでしまう可愛そうな美智子。
 もう別の場所に移動する気力がない、自転車を跨ぐ動作も危なさすぎる。目の前のトイレは清掃中。整備された公園には、身を隠せる影もない。
 動揺してるのが自分でも分かる。しかしだからといってどうしようもない。美智子の精神が崩壊へと近付いていく。汗が生温い。顔が歪んでいくのが判る。かくかくと膝が笑ってしまいそうだ。
 その時、後ろから声がかかった。
 「土屋さんトイレ? ウチ近いんだけど良かったら来る?」
 その声に振り向くと、すぐ後ろに同じ高校の制服を着た男子生徒が、自転車に乗ったままで立ち止まっていた。パニック寸前になっていたので気が付けなかったようだ。
 自分のことを知っている男子生徒を、美智子も知っていた。同じクラスの水原和男。美智子の席の、三つ後ろの横の席の男子だ。
 ちょっと背が高いという印象しかなかったが、名前はなんとか覚えていた。
 「え〜と、大丈夫?」
 そう聞かれたのは美智子は覚えている。しかしどう返事をしたのかは良く覚えていない。確かなのは、自転車を公園に置いたままにして、彼の後を着いていったことだった。

「トイレそこだから」
そう言われた美智子は、ダイニングテーブルの横をすり抜け、黙ってトイレにダッシュ。素早くドアを半開きにし、できた隙間に半身になって滑り込んだ。ドアを閉めるのももどかしく、回れ右をしながら両手でスカートをバサッと舞い上げる。素早くショーツを引き下げて座り込むまでわずか数秒。

――むりむりっ――

「つ、疲れた」
 人生最大の危機を乗り越えて、美智子は便座に座ったままで脱力した。
 全身の冷たい汗が生温いものに変わっている。体がだるい。体力の全てが奪われたかのようだった。
 高い位置にある小さな窓からは、まるで教会のステンドグラスであるかのように神々しい光の筋が差し込んでいる。とすれば便座から立ち上がれず、体を丸めている自分は、神に跪き祈りを捧げる迷える子羊だろうか。
「はぁぁ。危なかった」
 教室の机と違って突っ伏す物がないので、自分の腿に体をのせている。
 トイレで丸くなってどうする。そう思ったが気力がまだ回復していなかった。
「はぁ」 
 ずっとこうしている訳にもいかないので、お尻を拭くと、何故か感じられた小さくも鋭い痛み。恐る恐る確認すると、トイレットペーパー(二枚重ね、すぅぱぁソフト)に赤い点が付いていた。
(オーマイガッ!)
叫びそうになるのを必死に押さえたが、美智子は大きくのけぞった。
(切れてしまった、切れてしまったのね。むりむりっとした時に、『ぴっ』ってなったような気はしましたよ。ええ、判りましたとも)
 心の中で滝のように涙を流しつつ、がっくりと頭を下げて座り込む美智子だった。
 切れ痔。最悪だ。日本人は成人の半数は痔持ちだって聞いたこともあったような気がするが……。
 ああ! 私も痔主の仲間入り?! 一生この痛みと付合わなければならないのだろうか。もちろんそんなことはないと分かっているが、愚痴の一つも言いたくなる。だって女の子だもの。
 美智子は項垂れて、トイレの水を流した。
「はぁ」
 色々とショックはあるが、回復してきた。少し回転してきた頭で考える。
(私は何をやってるのだろう)
 思い出してくる。トイレに座ったままだが背筋が伸びた。学校帰りにクラスメート、しかも男子の家に上がってトイレを借りているんじゃないか。
(ああああぁぁぁ! 私の馬鹿バカばか!)
 美智子は頭を抱えた。顔が熱い。きっと赤くなっているに違いない。
(公園のトイレの前で仁王立ちして、男の子の家でトイレを借りてるなんて、絶対に信じられない!)
 ここが自分の家なら、間違いなくじたばたと暴れたかったが、そうもいかない。何度も頭を降って自分を落ち着かせる。
 少々いじけながらも周りを見て、美智子は便器の横にある見慣れぬ物を見つけた。
 これは洋式トイレである。そしてその横に設置された物にいくつかのボタンがあり「温水」「バブルジェット」「洗浄」などというボタンが有った。
 このトイレはウォシュレットが付いていたのだ。
 美智子は自分の口元が引きつるのを感じた。切れてしまった自分のお尻、ばい菌が傷口に入って化膿してしまったら、それこそ痔主の仲間入りである。それは避けたい。そしてここには自分の傷口をきれいにできる装置が設置されている。

 ビッグチャンスだ!!!

 この際ここがクラスメートの家のトイレだとか言っていられない。
 それに使ったとしても、まさか自分が切れてしまったなどとは思うまい。というか思わないで欲しい。
 そうだ。ドアを閉めればここは密室。全てが終わって何喰わぬ顔でドアを開ければ、全ての証拠は水の泡と消えるのだ。とまどっている場合ではない。
 決意を込めた顔でうなずき、お尻のポジションを決める。そして「洗浄」ボタンを押した。
「あうっ」
 思ったより勢いのあるジェット水流に直撃されて、美智子は小さく声を上げた。
 むず痒さに耐えることしばし、ボタンから手を離す。もう一度お尻を拭いてみる。まだちょっと紙に赤いものが付いていた。まあ、しかたないだろう。 
 その時、ドアの向こうから声がした。

「ちょっとカズ! いつまで入ってるのよ! 姉ちゃん今日は夜勤なんだから、さっさと出なさい!」
 ちょっと怒った女性の声がして、トイレのドアノブがカチャカチャと鳴った。そして美智子は自分のミスに気が付いた。
 ……鍵を掛けていなかった。
 とっさにドアノブに手を伸ばす美智子。五十センチも無いその距離が、今回はとても遠かった。伸ばした手が届くことは無く、ドアは引き開けられていく。
 美智子は心の中で悲鳴を上げながら固まった。
 伸ばした手の先で、開いたドアの隙間から女の人がこちらを見下ろしている。ワイシャツにスリムジーンズを着た年上の女性だ。ヘアマニキュアなのか、明るい色の髪の美人だった。
 美智子と視線が合い、その表情が困惑から驚愕、驚愕からなぜか満面の笑みに変わっていった。ごめんなさい。といってドアを閉める。
「ちょっとカズ! 誰だれ? 彼女? かのじょ? カノジョォォォ?!」
「何やってんだよバカ姉貴!」
  怒鳴り声が聞こえてきた。
「うるさいわね、あの子連れてきたのね! あんたの彼女? 彼女なのねそうなのね? やるじゃないひゅーひゅー」
「違う! クラスメートだ! 公園の便所の前で死にそうな顔してたんだよ。便秘薬飲み過ぎた時の姉ちゃんと同じ顔だったから、連れてきたんだよ」
 あの人は水原君のお姉さんか。なんとか硬直の解けた美智子は鍵をかけ、便座にどっかりと座り直した。
 姉弟の言合いが聞こえるが、心に檻を作って聞かないようにする。聞きたくない、何も聞きたくない……。
 しばらく外が静かになったと思っていると、ドアをノックされた。
「悪いんだけど彼女、ちょっと空けてくれないかなぁ?」
「ああ! スミマセン」
 神様、美智子はもうダメです。
 自分でもよく分からない独白を心の中で唱えつつ、あわてて立ち上がった。
 色々と落ち込むことの連続だが、人様の家のトイレをいつまでも占拠している訳にもいかない。
「ごめんねぇ。せかしちゃって。ゆっくりしていってね。おほほほほ」
 何が楽しいのか、お姉さんは上機嫌だ。ダイニングテーブルの向こうにいた水原が「バカ姉貴」と呟いている。彼の口癖なのだろうか。
「ごめんな土屋さん、ちょっと変わっててさ、ウチの姉貴」
 申し訳なさそうに彼は答えた。美智子は自分の顔が赤くなるのを感じた。しかし別に彼が悪い訳ではない。
「うん、大丈夫、どうもありがとう」
 よく分からない返事をしてしまった。しかし危ない所を助けてもらった訳なのだから、お礼を言って間違いないだろう。だがその時、トイレから声がした。
「おやぁ〜」
 美智子は思わず身を硬くした。自分の後にトイレに入った人が、なぜそんな声を上げるのだ? ちょっと考えてみる……。
「あああああっ!」
「え? どうかした?」
 美智子の大声に和男は驚き聞いてくるが、美智子はトイレのドアに視線を向け、泣き出しそうな顔をした。
(最後の紙一枚を、流してなかった!)
 全てを水に流すつもりだったのに、よりにもよって最後の一枚、あのウォシュレットの後で拭いた後の、ちょびっとだけ赤い色が着いてしまったあの一枚を最後に流すのを忘れていたのか!
(だってしょうがないのよ! 急にドアが開くし。鍵忘れたせいだけど。お姉さん入ってくるし。私が悪いんだけど。出てくれって言われて思わず忘れたのよぉぉぉ)
 美智子は心の中でまたも涙した。
「何? 土屋さん平気?」
 そんな美智子の心中は解らない和男が尋ねてきたが、美智子に説明できるはずがない。
 引きつった顔で、口をぱくぱくと動かしていると、水の流れる音がしてから和男の姉がドアを叩くようにして飛び出てきた。
 美智子と視線を合わせるとにっこりと微笑んで、しかし足音も荒々しく近付いて美智子の腕を取った。
「彼女、ちょっとお姉さんのお部屋にいらっしゃい」
 笑顔が怖い。美智子はそう思った。しかし思いのほか強い力で手を引かれていく。
「おい、なんだよ姉貴」
 和男が呼び止めてきたが、お姉さんは引っ張って美智子の頭を抱え込み、ぎゅっと抱きしめてこう言った。
「カズ。あんたしばらく姉ちゃんの部屋入ってくるんじゃないよ。判ったわねもし入ったらコロスわよ」
「なんだよそ、」
 和男に最後まで言わせずにドアは閉められる。美智子は背中を押されて部屋の中央へと移動した。
 六畳くらいの洋間、ベッドとクローゼット、化粧台などが置いてある。整理されてシンプルな部屋だ。
「あたしスズネ。水原鈴音っていうの。和男の姉よ。貴女名前は?」
 化粧台の引き出しを見ながら鈴音は言った。何かを探しているようだ。
「あ、土屋美智子です。水原君と同じクラスです」
「ふ〜ん、クラスメイトってやつね」
 何かを手に握り、鈴音は美智子を振り返った。笑っていた。微笑んでいるのとは違う。何かこう、面白いおもちゃを手に入れたと言うか、すごく楽しいことがこれから起こりそうというか、なんだか凄く嬉しそうだ。
「あのぅ。水原君のお姉さん?」
「あら。鈴音でいいわよ」
「じゃあ鈴音さん、鈴音さんは何をしているんですか」
「何に見えるかしら」
 見ればそこには、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、ゴミ箱、そして何やら小さなスポイトのようなものが並べられていた。
「……何ですかそれ?」
「ん〜。これ?」
 楽しげにスポイトをつまみ上げる鈴音。
「美智子ちゃんには特別に教えてあげましょう。これはですね〜。ぷすっと挿せば奥にも塗れて、ちょろっと出せば表面に塗れるという優れ物の傷薬よ」

 しばし沈黙が訪れた。

 鈴音は満面に笑みを浮かべている。しかし目が笑っていない。あれは本気だ。と美智子は思った。
 嫌な予感がする。いやもう予感などという不確定なものじゃない。ここは危険だ。美智子が思わず後退りしたその時、鈴音が呟いた。
「切れてるんでしょう?」
 美智子は顔が熱くなった。
「女の子なんだから、ちゃんとケアしないとダメよ」
 妖しい笑顔のままで近付いてくる鈴音。その手には「ぷすっと挿せば奥にも塗れる」スポイトが握られている。
 ベッドの横のウェットティッシュ、鈴音の部屋に連行された自分、弟に入ってくるなという姉。
「いえっ。あのっ。そのぉ」
「大丈夫、優しくしてあげるから。お姉さんに任せなさぁぁぁい」
「どうかお構い無くぅぅぅぅ」
 しかし鈴音はまさにお構いなしに泣きそうな美智子を捕まえる。そして胴を抱くようにしてベッドに引き寄せる。自分は座り、美智子を腿の上に腹這いにして捕まえた。
「何するんですかぁ。ひゃうっ」
 驚いている間もなく、スカートの上からお尻をなでられて変な声を上げる美智子。
 逃げようとするのだが、鈴音はがっちりと押さえ込んで離してくれそうにない。
「私ねー。可愛い妹が欲しかったんだぁ。和男ってばデカイし愛想ないし、可愛くないんだもの」
「お尻を撫でながら言うの止めて下さい」
「でも和男ったら、こんな可愛い彼女を連れてくるなんて、とっても嬉しいわ」
「いえあの、別に私は水原君の彼女って訳じゃないんですけど」
「だから困っている美智子ちゃんを放っておくなんて出来ないの。お姉さんが何でもしてあげるわ」
 会話が成立していないことに美智子は気が付いた。なんとかしようと体を捻り、鈴音を見上げようとした時、美智子のスカートが、ぶはっ、と音を立ててまくし上げられた。
「きゃぁぁぁ」
「可愛いわ。とっても可愛いわよ美智子ちゃん」
 鈴音はショーツの縁に手を入れてずり下げ始めている。
「待って下さい。ちょっと待ってぇぇぇぇ」
「怪我の治療は素早くやるのが大切なのよ」
「違います! それ何か違ってます!」
「いいの! いいのよ! 今だけはきっとオッケーなのよ!」
 何とか抵抗を試みる美智子だが、鈴音はソフトにしかし確実に下ろしていく。
「だめよ暴れないで美智子ちゃん」
「止めて下さい! 恥ずかしいんです!」
 二人でじたばたしているとドアが開いた。
「何やってんだよバカ、姉、貴、ぃ?」
 入ってきたのは和男だった。まあ他にはいないだろうが。和男はドアを開けた所で固まっていた。それはそうだろう、騒がしいから姉の部屋に来てみれば、クラスメートが姉にスカートをめくられて下着を下ろされ情けない格好をしているのだから。
「あ、あれ? え〜とこれはその……」
 弟の乱入で、鈴音が正気に戻ったらしい。美智子のお尻をスカートで隠しながら何か言っている。そして美智子は。
「う、うぇぇぇぇん」
 泣いた。

「泣かないで美智子ちゃん。ね? もう終わったから」
 美智子に泣き出された鈴音だったが、しかし彼女を押さえた手は離さなかった。
 乱入してきた和男に枕を投げ付け、怒鳴りつけ、追い出してから『傷の治療』を行い、今はもうなだめている。
「ちゃんと消毒したからもう大丈夫よ」
 なでなで。
「でも美智子ちゃん、もし食事制限とかやってるなら良くないわよ」
 すりすり。
「美智子ちゃんみたいな可愛い女の子がダイエットとかしちゃダメよ。成長期なんだから、食事はきっちり食べなきゃ。スタイル良くしたいんなら筋肉つけないとダメ。ボディラインが崩れて不格好になるわよ」
 優しく話しかける鈴音に美智子は言った。
「人のお尻を撫でながら言わないで下さい」
「うっ」
 美智子に下から睨まれ鈴音は目を逸らした。
 やっと鈴音の足の上から解放されて、美智子は自分の足で立ち上がることが出来た。
 ベッドに腰掛けた鈴音を見下ろすと、笑顔の端が微妙に引きつっているようだ。恥ずかしいことをしてくれた女だが、治療してくれたことには変わりない。お礼を言うべきだろう。
「あの……。手当はどうもありがとうございました」
 言って小さく頭を下げると、鈴音は安心したように息を吐いた。
「どういたしまして、私で良ければいつでもどうぞ」
「いえ、結構です」
「そう? じゃぁ忘れないように美智子ちゃんのお尻をよ〜く覚えておかないと」
 幸せそうな顔で目を閉じる鈴音。
「忘れて下さい! ええ! 可及的すみやかに!」
 美智子は思わず大声で突っ込んだ。
 その後、鈴音は時計を見て自分の遅刻に気が付き、急いで服装を整え、バッグを掴み、しかし美智子の手を握って「またね」と言ってから出勤して行った。
 美智子はダイニングキッチンに取り残され、一人になってよろめいた。嵐が過ぎたような気がした。頭がくらくらする。疲れた。お尻も少しひりひりするが、これは考えないことにする。
 もう帰ろう。そうだ、それがいい。
 美智子が部屋を見渡すと、鈴音の部屋の隣のドアの向こうに人の気配を感じた。和男には帰る前に一言声をかけないといけないだろう。
 ドアをノックしたが、返事は無い。しかし中から小さな音は聞こえる。
「お邪魔します」
 美智子はドアを開けて中を覗いてみた。
 いた。シンプルな鈴音の部屋と違い、こちらは物が散らばっていた。CDが机やベッドの上にたくさん置かれ、床にも落ちている。ポスターが何枚も壁や天井に貼付けられてもいた。そして2本のエレキギター、アンプ、スピーカー、コンポがあり、こちらに背を向けた水原がヘッドフォンをしてエレキギターをかき鳴らしていた。
 目を閉じ、頭を振ってリズムを取りながら、指はコードを抑え曲を奏でているようだ。スピーカー出力を切ってあるから音は聞こえないが、手の動きを見ると早いし激しい。結構上手なんだと美智子は思った。
 しばらく見ていると、水原も美智子に気が付き、無音の演奏を停止した。
「ああ、土屋さん……」
 水原がばつの悪そうな顔をして美智子を見る。ヘッドフォンを外してギターを下ろした。
 美智子は思い出した。訊いておかないといけないことがあった。
「見た?」
 その一言に鈴原は顔を赤らめた。ように美智子には見えた。一気に顔が熱くなり、恥ずかしくて恥ずかしくて涙が込み上げてきた。視界が滲む。思わずぐっと拳を握った。
「見てない! 見えてない! ほら、さっき土屋さんはこっちに頭を向けてただろ。見てません! 見えてません!」
 水原は両手を振って、必死に否定した。
「本当にごめん。あのバカ姉貴、悪気は無いんだけど可愛い妹が欲しいっていつもいつも言ってて、それであの、その、だから」
 徐々に何が言いたいのか判らなくなってきた。あわてる水原を見て、美智子は落ち着いてきた、こぼれそうになった涙を自分で拭いてちょっとだけ笑うことが出来た。
 水原も美智子につられて少し笑った。
 水原が胸を撫で下ろす。顔に手をやってよろけ、机に寄りかかって大きく息を吐き出した。
「平気?」
「うん、平気だよ。ありがとう」
「あ〜。本当にごめん。何か俺、疲れた」
「あはは、私もちょっと疲れたかも」
 美智子はちょびっと顔を引きつらせて顔を右下に向けた。CDがある。知ってるギタリストだ。
「あれ? 水原君ギブスンなんて聴くんだ」
「土屋さん、これ判るの?」
「うん、うちの父さん、ギター好きでジミーヘンドリックスとか、ペイジとかギブスンのCDもたくさんあるよ。ジャズやロックのセッションとかも仲間で時々やってるし」
「おおっ凄いね。土屋さんもギター弾く?」
「ううん。私はピアノ。クラシックが好きだけど父さんの友達と一緒にジャズセッションとかはしたことあるよ」
「へぇぇー。いいなぁ本格的じゃん。俺なんか一人で弾いてるだけでさぁ、金もないからスタジオなんて取れないし、CD聴いてコピーすんのが精一杯でさ。一緒にやる奴いなかったから、高校で探そうと思ってたんだよ」
 水原はギターを手にし、音量抑え気味で一曲弾いてくれた。丁寧だけどリズムは力強い。メロディーもはっきりと想いをのせて弾いているように感じる。父の演奏の方が旨い。でも水原のギターは好ましく思えた。
「上手いね」
「サンキュー」
 一礼してギターをちゅーん。と水原は鳴らし、アンプのスイッチを切った。
「お茶でも飲む?」
「ううん。もう帰る。どうもありがとう」
「分かった。そこまで送るよ」
 水原は公園の、美智子が自転車を置いた所まで送ってくれた。
「じゃあね。また明日」
「ああ、気を付けてな」
 水原はそう言って背を向けた。美智子も自転車をこぎ出し、ゆっくりと公園を去った。
 夕焼け色に染まったゆるい坂道を下りて行き、駅前の商店街を通り過ぎる。
 太陽を背にして線路沿いの道を走り、最寄りの駅前に着く。
 大きな影を作るスーパーの横の道を通り抜けて住宅街へ、そしてやっと自分の家に到着した。
 自転車を置いて玄関を開けて中に入り、美智子は自宅のトイレのドアを開けてみた。
「あーあ」
 思わずため息が出る。
 そこにあるのは和式トイレ、築三十年のこの家のトイレはタイル張りで、冬などは寒くていけない。コンセントなどもないし、もし木のサンダルを履けばカランコロン音がしそうである。
 水原の家のトイレは良かった。カーペットが敷いてあって、明るくて、便座がヒーターで暖かくなっていた。
 あの温もりは素晴らしい。ウォシュレットも羨ましいが、洋式と言うのが良い。冷え性の美智子には冬の和式トイレは辛かった。
 しかし父親に真顔で相談するには微妙な話題とお年頃。ため息の一つも出てしまう。
 いつまでもトイレを眺めてもいられない。美智子は着替え、台所に言って冷蔵庫の中身をチェックする。
 ふんふんと頷き、食材をテーブルに並べ出す。その手が少し止まる。美智子の視線の先、テーブルの上に写真が飾ってあった。
 写真には、まだ小学校に入ったばかりの美智子が、幼稚園にも入っていない弟を抱いた母と並び、その二人を父親が肩を抱いた姿が写っていた。
「ただいまお母さん。今日は大変な一日でした。神様仏様お母さん、平和な高校生活を送るという、ささやかな夢がどうか叶いますように」
 美智子はそっと手を合わせた。

 タマネギ、ジャガイモ、桜えびをてんぷら粉の入ったボウルに放り込んで手早くかき混ぜ、お玉ですくって油の中にゆっくり入れる。
 じゅじゅじゅわ〜。
 かき揚げがキツネ色になったらつまみ上げ、油を切ってお皿の上に並べていく。
 テーブルには茹でたおソバと唐揚げと、ほうれんそうのお浸しが並んでいる。かき揚げが出来上がれば夕食の準備は一段落だ。
 会社から帰ってきた父親は缶ビールを既に開けている。中学二年の弟はテレビを見ながらみそ汁を並べ、椅子に座る。三人そろった所でお箸を取って食べ出した。
「美智子、高校はどうだ?」
「お父さん、最近そればっかりだよ」
 高校に入ってから父は毎日聞いてくる。美智子はうんざりしながらかき揚げをかじった。
「始まったばっかで疲れるかな。あ〜食器洗い機が欲しい」
「姉ちゃん、それは違うだろう」
「洋一。今日の食事の片づけ、あんたやってね」
「うわ。今日の当番、姉ちゃんだろ」
「これこれ、食事中は喧嘩をしないように」
 美智子が丸顔の父親と父親似の弟と適当に会話を弾ませていると電話が鳴った。弟の洋一が電話に出る。
「はい土屋です。はい、はい」
 この時間の電話は弟へのものが多い。来年は受験だから遊べるうちに遊ぶつもりなのかもしれない。いや、ひょっとして勉強の話なのだろうか。
 美智子がなんとなく考えていると、洋一は美智子に受話器を突き出して言った。
「姉ちゃんに。同じクラスの水原って男の人から」
「ええっ?!」
「何! 洋一、それは本当か?」
 驚く娘、その横で楽しそうに声を上げたのは父親だ。
「洋一、相手はどんな男だ?」
「俺の勘じゃあ、結構いい男じゃないかな、少なくとも軟派な感じはしかなった」
「そうか、美智子もボーイフレンドを作るようになったか。お父さんは複雑だな」
「姉ちゃんに声を掛けるくらいなんだから、真面目な人なんじゃないの」
 勝手なことを言っている家族に背を向けて電話をしていた美智子だが「ええっ!」と声を上げて、がっくりと座り込んだ。
「美智子、どうかしたのか」
 父親が聞いてきたが、美智子は返事をしなかった。
 水原の家のトイレに、通学鞄を忘れてきたらしい。

「お邪魔してごめんな。数学の課題、明日までだっただろ?」
 水原は美智子の家の玄関前で、鞄を手渡した。夜の7時半過ぎだったが、彼は制服姿のままだ、電話は近くからくれたらしかった。
「うん、どうもありがとう」
 恥ずかしくて顔を挙げられず、俯いたままで返事をする。それにしても鞄を忘れるとはなんということだ。いや、それだけ今日はイレギュラーな出来事が次から次へと襲ってきたのだ。自分を責めるのは止めよう。
「君、美智子と同じクラスの子なんだろ? 良かったら夕食食べていかないかい」
「へ?」
 一体、何を言い出すのだこの父親は。
「いや、こんな時間にお邪魔しちゃって悪いですよ、すぐに帰りますから」
「いやいや、いいじゃないか。丁度食べてる所だったからさあさあ」
 ちょっと待てと静止する前に、水原は家の中に連行されてしまった。鞄を持って固まっている姉に、弟が言った。
「結構、カッコ良いじゃん。姉ちゃんああいうのが好みなんだ」
 鞄で殴ってやろうとしたが、洋一は一瞬早く玄関に飛び込んだのだった。

「へぇ、水原君もギターをやるのか。ボクもギターは特に好きで、ペイジのコピーなんか良くやってるよ」
「ペイジやジミーも良いですけど、やっぱりギブスンが好きなんですよ」
「水原さん、曲のコピーとか一人でやってるんだすげー」
 自分と似ている趣味の男の子と話が出来て、父さん大喜びって感じだろうか。
 夕食の後片付けをしながら美智子は考えた。男三人で何を盛り上がっているのだ、一体。そりゃあ、今日は助けてもらったし、お姉さんの鈴音さんは夜勤でいないみたいだったから、夕食ぐらいご馳走するのは構わないのだが。
「ちょっと僕の部屋、見てみないかい?」
 そう言って父が水原を、半ばスタジオと化している一階の自分の部屋に連れていく。付いて行こうとする弟を、これは美智子が捕まえた。
「あんたは宿題とか勉強とかしてきなさい」
「いいじゃんか、後でやるからさ」
「いいから! さっさとやりなさい」
「ちぇーっ。ケチー」
 何故に弟からケチ呼ばわりされなければならないのだろうか。
「お父さん、もう遅いんだからうるさくしないでよね。水原君もあんまり付合わないでいいからね。課題まだやってないんでしょう?」
「大丈夫、大丈夫、判ってるさ」
「判ってるって、遅くならないうちに帰るから」
 男共の楽しげな顔を見て、美智子は嫌な予感がした。

 チクタクチクタク……。

 数学の課題をレポートにまとめ、ふと時計を見ると午後九時を過ぎている。首を回し、肩をごりごりと動かして、美智子は立ち上がった。そこにドアをノックする音がして、部屋に弟が入ってきた。複雑な顔をしている。
「姉ちゃん。あのさぁ」
「判ってる」
 みなまで言わさずに階段を下りる。ダイニングに降り、父親の部屋(というよりスタジオ兼遊び場)の戸をスパっと横に引き開けて怒鳴った。
「何時までやってるのよ、二人とも!」
 スピーカーがエレキギターの音を鳴り響かせている部屋の中、美智子の視線の先に父と水原がいたのだが格好がさっきと違う。
 さっきは父は会社帰りのワイシャツ姿。水原は制服だったのに、今は二人して黒の皮ジャンを着て頭に真っ赤なバンダナを巻いている。夜だというのにお揃いのサングラス、そしてエレキギターを手にして体を震わせている。
「俺のジミーを聞けぇぇぇぇぇぇ!」
「ギブスゥゥゥゥン! yes,yes,yes,yes!」
 二人して激しく痙攣していた。
 ここは住宅地で今はもう九時半過ぎだ、お隣は口うるさい小母さんがいて、ゴミ出しが遅れたり、父がちょっと遅くまでうるさくすると美智子を捕まえてグチグチ言ってくる。娘の気苦労も知らんと、この父親は幸せそうに激しく頭をシェイクしている。
 その父と背中合わせでギターを握り、やはり激しく空中に頭突きをかましているのは今日トイレを借りたクラスの男子。ぁぁぁ。頭痛が。
「ねぇ、ちょっと二人とも」
「ジミィィィ!」
「ちょっと、ねぇ水原君も」
「ギブスゥゥン!」
「人の話、聞けよ」
 二人は背中合わせで激しく何度も頷くが、美智子の言葉なんか聞いていないのは確実だった。
 美智子は顔を引きつらせて転進した。そして台所の椅子を引っ掴み玄関手前にどかっと置いて踏み台にする。そして壁に設置されたブレーカーをぶっ叩いて家の電気を全部オフにしてやった。

「悪かったってぇ。美智子、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「ごめん土屋さん、調子に乗っちゃって」
「……」
 父と級友を前に腕組みして睨み付ける美智子。横で洋一があきれたような顔をしているが黙殺する。
「すまないね水原君。美智子は母親似で怒ると手が付けられなくってね」
「ああ、ウチも姉が機嫌悪いと大変で、似たようなもんですから平気です」
 勝手なことを言う男達を、美智子はギロリと一睨みで静かにさせた。
「お父さん、夜は騒がしくしないでっていつも言ってるでしょう」
「ごめん」
「水原君も、数学の課題、明日までだよ。帰ってからちゃんとやれるの?」
「凄い良いギター触らせて貰ったからつい」
「つい、何?」
「いえ、ごめんなさい」
 水原は神妙な顔で謝った。美智子の顔が怖かったのかもしれない。
 帰ることにした水原を、美智子が玄関まで送っていた。
「これ良かったら貸してあげるけど?」
 そう言ってノートを差し出してみせた。
「なに?」
「数学の課題、さっき終わったの」
 水原は顔をしかめて頭を掻いた。彼は苦笑する。
「突然来たあげく、上がり込んで飯喰って騒いだのか俺は、ごめん」
「もういいよ、私も助けてもらったし、おあいこで良いよ」
「判った、ありがたく借りてくよ。サンキュー」
 水原は自転車に乗って帰って行った。

「ああ、今日はひどい一日だった」
 電気を消して布団にくるまり、美智子は呟いた。
 事件の発端となった便秘薬は、箱ごとゴミ箱に捨てた。できればもう二度と飲みたくなかった。
 もっと野菜を食べて、できれば運動するようにしよう。公園のトイレはいつ業者の掃除が入るか判らない。あてにするのはやめることにする。
 父には明日にでもきつく言って夜の騒音を禁止する。大体、娘のクラスメートを捕まえてギターを熱く演奏する父親と言うのは尋常ではない。勘弁して欲しい本当に。
(神様仏様おしゃもじ様お母さん、今日は大変な一日でした。どうかどうか平和な日常を送るという、ささやかな夢が明日は叶いますように)
 美智子は割と本気でお祈りしてから眠りについた。

 朝が来て目が覚めて、今日も平和な一日が始まる。目覚めの良かった美智子は教室の自分の席に着き、鼻歌まじりに教科書やノートを出していた。
「みっちー。おはよう」
 加奈が登校してきた。今日は長い髪を左右に三つ編みにしていた。かなり長い、見た目ちょっと重そうだ。
「おはよう加奈ちゃん」
「今日はなんだか元気じゃん、昨日何かいいことでもあったのぉ」
「やだなぁ、そんなことないよ」
 美智子は笑って答えた。昨日は色々あった。正直に言って二度とごめんだ。
「本当? なんか楽しそうですこと」
「なによ。なんか絡むなぁ」
 美智子は首を傾げた。加奈は気分屋でお調子者だが、いつもは嫌味な娘ではない。
「昨日の帰りは置いて行かれるし、その後なにやらあったようですし、ついでに夜なんてまぁなんでしょうかねぇ」
「ぶっ!」
 美智子は勢い良く加奈を引き寄せ、耳打ちした。
「ちょっと加奈ちゃん、なんで知ってるの?!」
「あれぇ。私まだ何も言ってないけどな〜」
 加奈はにやにやしている。
「いやねぇ、昨日みっちーにフラれて一人寂しく帰っていたら、後ろから来たみっちーに、あっという間に抜き去られ」
 追い抜いていたか、気が付かなかった。
「後をつけてみたらクラスの男子と一緒に仲良く歩いているし」
 お願いだから尾行は止めて欲しい。それに仲良く歩いた覚えは無い、本当のことは言えないが。
 美智子は黙ったままでいる。
「おまけに夜、コンビニにおやつを買いに行ったら、みっちーの家からその男が出てくるし、男が」
 男って、そんな言い方しなくても良いと思う。彼女の家は近所だが、そんなタイミング良くおやつを買いに出ないでくれ。
「ねぇ美智子さん。親友よね私たち。友情の前には秘密なんて一つもありはしないわよね」
 いつの間にか加奈の方が美智子を捕まえていた。おほほほ。と、上目遣いの笑顔で迫ってくる。美智子はひいた。
「みっちー。友情よ、友情」
 加奈はそう言って、おさげの片方を何故かヌンチャクのようにくるくると回転させ、美智子をぺしぺしと叩き出す。
「ちょっと加奈ちゃーん」
 どう誤魔化そうと考えていると、美智子に声が掛かった。
「おはよう土屋さん、これありがとう。すげー助かった」
 そう言ってノートを手渡したのは水原だった。
「なんて間の悪い」
「え? 何?」
「いえ、何でも無いです」
 加奈を見ると、両手を上に上げて『私はびっくりしています』ポーズを取り、美智子に恨めしそうな視線を投げ掛けている。
「みっちぃぃぃー」
 あ、動き出した。
「私たち、お友達よね〜」
 両手でおさげをヌンチャクのように振り回すのは止めて欲しい。
「おほほほ。どうゆうことかしら、どうゆうことなのかしら」
 美智子は頭が痛くなってきた。

 昨日の朝までは平和だった。午後から色々あったけど、今日からはまた平和な日々を送るという夢が叶うと信じていた。

 友人のおさげで叩かれ続ける美智子を、後ろの席で水原が不思議そうに見ている。
 美智子は水原からは顔を逸らしているが、加奈は水原にも注意を向けているようだ。
(ああ神様、どうかお助け下さい)
 美智子は椅子にどっかりと座り込み、そのまま机に突っ伏した。

 夢見る少女のささやかな夢は叶うのでしょうか。いえ、きっとそれはもう叶わない遠い夢。

 終

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 あとがき
 こんな話です。ごめんなさい。 あくまでもコメディーとして書かれた作品なので、そこんとこどうぞよろしくです。
 当然ですが、実在の人物、団体、痔主サマとは一切の関わりはありません。ちなみに管理人は健康です。
 喧嘩売ってんのか?! という方いましたらごめんなさい。これは小説作品ですのでそんなつもりはございません。あしからず。

 さて、管理人はこの作品がまともに書いた始めての小説です。お気づきかもしれませんがこれは長編の予定でした。
 しかし! ここまで書いて七音は思ったのです。「始めて書く小説が便秘の話ってのは嫌だな……」と。
 ああっ! 石を投げないでください。プロット構成時にふと目が行った「便秘解消爆笑エッセイ」がいけなかったのです。ええそうですとも!
 つう訳で「美しい話が書きたい」というこの作品とは逆ベクトルのプロットによって生み出されたのがもう一つの作品「天使が聖歌に舞い降りる」となっております。よかったら読んでみてくださいませ。by七音(ななおと)

追記:ちなみにプロットとしてこの続きはどうなっていたかというと。
 水原の姉にお礼を言いに行く。半ば脅迫されてウォシュレットの実物展示場へ行くことになる。各メーカーのウォシュレットを体験する。(きゃぁぁぁ。ジェットが! ジェット水流モードがぁぁ。 などと馬鹿な描写をする気マンマンでした。反省)お父さんに和式トイレを最新の洋式トイレにリフォームしてもらうため、ホームパーティーの企画をする。水原と合奏の練習する。パーティーで騒ぐ。最終的にトイレは新しくなる。

 書けるかそんなもんっ。

 我ながらこれは電波系だと思います。ボーイ・ミーツ・ガールを試験的に書こうと思ったんだけどな。あははは。

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