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黄金の従者・月姫編#1.月下乱入

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 そこは暗い場所だった。
 冬木市新都の冬木教会。通称『言峰教会』の地下聖堂。一戸建てが庭付きで屋根まで入る広さの暗がりを、燭台の仄かな光が照らし出す。
 蓋をされ、外界から隔離された地の底に、少女が一人で立ちすくむ。
 少女の名前は遠坂凛。中等部の三年生だ。
 白い半袖ブラウスは夏服で、膝丈のスカートからはニーソックスを履いた脚がスラリと伸びる。赤いリボンタイを結んだ胸の前では、組んだ腕が二つの膨らみを隠している。
 ……隠す必要があるかどうかは(自主規制)
 暗がりを睨む瞳は青く、伸ばした黒髪は輝くような色艶だ。ナチュラルに波打つ長い髪を後ろに流し、サイドを少し結んでボリューム感を出しているロング&ツーテール。正確に言えばサイドアップテールになるのだろうか。日本人らしからぬ小顔と華奢な胴、そして長い手足は妖精のような可憐さだ。
 暗がりの地の底で、凛は歯を食いしばる。
 この教会は龍脈の上にある。
 柳洞寺の霊脈は、強力すぎて魔術師の育成に適さない。遠坂邸の龍脈は、今や凛が管理している。新都中央公園の龍脈は、言峰薫が支配した。
 そして、かつては間桐が管理し、しかし間桐の魔術とは相性が悪かったために放棄されて聖堂教会に譲渡された龍脈がこの場所だ。
 だが普通、教会は地下に聖堂などは作らない。祈る信徒と天の主、その間を床で遮るなど言語道断。故に聖堂には屋根裏なども作らないのがカトリックの伝統だ。

 つまり、この生け簀のような空間は、間桐の工房の跡地なのだろう。

 壁は漆喰で塗り替えられ、床は石材で綺麗に均され、奥には祭壇とパイプオルガンが設置されてはいるが、信者が祈るベンチも膝載せ台も置かれていない祈りの場。
 静謐さに包まれ、安らぎ微睡むこの場所は、まるで子宮のようだった。
 間桐の魔術は水属性。聖杯戦争システムにおける令呪を編んだその魔術特性は『吸収』を得意とするという。
 日本の水とは馴染めずに、魔術回路が衰退して今や没落と言える状態だが、弟子たる薫の評価は高い。
(桜ちゃんの髪の色を変え、眼の色を変え、肌の色を変えるほどの肉体改造が可能なのは忘れないほうがいいですよ)
 うるさいバカ弟子、そんなことは判ってる。遠坂凛はうつむいた。
 間桐の魔術に適合するよう、桜の体はいじられた。それにより桜の素質は殺された。
 奇跡の資質といえる『虚数元素』は失われ、今の桜は水属性。ありえない書き換えにより魔術師としての桜の格は最低レベルに落とされた。
 腹が立つ。しかし同時にホッとする。
 魔術師として普通以下となった桜は、しかし楽しそうに暮らしている。間桐の家は石の城。殺風景で寂しげだったあの家は、今や花畑に囲まれた花の城だ。
 慎二と桜で花を植え、蝶が舞い、蜂の羽音が聞こえるメルヘンな場所となり、観光名所と時々間違えられている。
 そこで桜はというと、玄関横に植えられた古い桜の木を咲かせてやろうと奮闘中。
 土を掘り返して柔らかく。砂を混ぜて水はけを良く。水と肥料は適切に。
 少しずつ、少しずつ、手間をかけて心をかけて、咲かずの桜を咲かせてあげたい。それが桜の今の夢。
 だから桜は大丈夫。魔術の修行は苦しいだろうが、魔術師ならば当たり前。学習し、修養し、より深く。より高く。いつか誰かが到達するまで魔道の道を歩き続ける。
 その上で、桜が笑顔でいられるのなら文句などは何も無い。
 私は私で頑張ろう。
 寂しい気持ちを抱きしめて、凛は祭壇へと歩みを進める。
 祭壇横には、ずらりと並ぶ魔術礼装。
 剣があり槍がある。鎌があり斧がある。鎧があり盾がある。
 杖があり笏があり書があり外套があり王冠があり短剣があり鎖があり宝石があり金銀プラチナのインゴット(延べ棒)があり金貨があり金糸がありホウキがあり藁人形があり魔法薬があり人魚とか猿の手のミイラとかあるのは聞いてないわよ薫そして沙条綾香あんたとは魔女術と基督教カバラについて一度徹底的に話をするから逃さないわよウフフフフ。ピストルとかライフルとかマシンガンとか、ロケットランチャーと携帯ミサイルの違いとか判らないわよ悪かったわね。
 間桐桜は良いとして、問題児の言峰薫をなんとかせねば。凛は気合を入れ直した。

黄金の従者・月姫編#1.月下乱入

「気は済んだか、凛。本来お前にはここに来る権限はないのだぞ」
 肩越しに視線を後ろにやると、そこにいるのは言峰綺礼。190センチを超える長身を僧衣で包み、夏だというのに闇色の外套を着込んでいる。不敵な笑みだが少々やつれ、伸ばした髪はモジャモジャだ。あまり神父らしくない。
「悪かったわね。で、何よこれは」
 尖った凛の物言いを、綺礼は鼻で笑って受け流す。
「何だと言われても困るのだがな。魔術礼装セカンドステージ・シリーズ。凛、お前も話は聞いているはずだぞ」
「ええ、話は聞いているし実際一部は私も相談に乗っているわ。でもね綺礼。これじゃまるで武器庫じゃない。薫は何をする気なのよ」
 見上げる凛を綺礼は見下ろす。そして凛を導き棚に置かれた武具を指す。
 騎士長剣(ロングソード)騎兵刀(セイバー)処刑鎌(デスサイズ)投擲槍(ジャベリン)呪歌の杖(ガルドルガンド)アゾット剣。
「これらは単一機能の試験品だ。波動収束、魔力放出、術式刻印、宝石の爆散、宣言成就、そして魔力の充電と開放だな」
 それは魔術回路が二本で強力な歪曲・逆行が起こせない言峰薫が作ってきた限定礼装。道具を使って魔術を紡ぎ、使う魔術を体に覚えさせる補助輪みたいな道具たち。
「ひと通りの基本は練れた。よって薫はこれらをまとめ、より高いレベルを目指したのだ。何か不服かね」
 薄ら笑いの言峰綺礼に、凛はキッと視線を刺した。
「そういう話じゃないでしょう。綺礼、誤魔化さないで」
 彼はフムとつまらなそうに息を飲む。
「まあいい。では説明しよう。凛、お前も知っているように魔術刻印を持たない薫が魔術を紡ぐには、長文呪文詠唱(テンカウント)儀式魔術(フォーマルクラフト)そして魔術礼装(ミスティックコード)の使用といった手法があるわけだが」
 言って綺礼は騎士長剣を手に取った。
「特に薫は緊急時や戦闘時の魔術使用を想定し、魔術礼装に力をいれている」
 ミスティックは秘法の、神秘の、秘教の、を意味する形容詞。あるいは神秘主義者を意味する名詞。
 コード:codeとは『法典』であり『規定(set of rules)』を意味する。モールス信号は英語でモールス・コード。コードは動詞で『法典化すること』であり『暗号化すること』だ。
 故にミスティックコードとは神秘の法典、秘密のルール。暗号化された秘術の書だ。
 ちなみに暗号解析はデコードである。
「そこであれは魔術礼装を呪文書(スペルブック)にすることを考えた。硬度と粘りの異なる鋼板を重ねて一枚に鍛えるダマスカス鋼の製法を参考に、金属板に呪文を記述し、それを魔術で積層鋼板へと加工する。それがこれだ」
 綺礼の指差す壁面に、剣の刀身がずらりと並ぶ。その数は百を軽く越えている。一枚一枚は極薄で、表面にラテン語らしき文章がびっしりと刻み込まれていた。
「新型・騎士長剣『テスタメント』7×7、四十九枚の刀身に新約聖書を刻み込む。それを各福音書、小手記群、黙示録の別に七本の刀身に重ねる。最後にその七本を一本の剣にまとめた剣のカタチの新約聖書(ニュー・テスタメント)だ」
 綺礼は立てかけてあった完成品を手に取り抜いた。それはかなり肉厚で、刃紋に光が波打つ両刃長剣。多少の宝飾が施され、柘榴石が飾られている。
「一本仕上げるのに4ヶ月は掛かるが薫は消耗品のつもりらしい。もったいない話だ」
 凛の膝から力が抜ける。だったら何とかしなさいよ。
 そんな凛の前を横切り綺礼は進む。次に大鎌(サイズ)を手に取った。
「これは詩人ダンテの神曲、地獄編・煉獄篇・天国篇のうち地獄編(インフェルノ)の三十三詩を刻んで呪文書化した処刑鎌『インフェルノ』だ。地獄の炎を召喚し、罪人を火刑に断罪する火炎の大鎌だな。
 もっとも火属性の薫では、地獄の最下層コキュートスやジュデッカの凍結地獄を召喚することは叶わない。どうだ凛。五大元素(アベレージ・ワン)であるお前なら、魔王ルシフェルをも閉じ込める氷の棺を紡げるのではないかね」
「何が悲しくて死の呪文(デス・スペル)級の魔術を極めなくちゃならないのよ。あんたも薫に何か言いなさいよ。基督教は愛の宗教なんでしょうに」
 隣人を愛せよ。基本である。
「ふむ、私なりに薫を愛しているのだがな。凛、お前にも私の愛は向けられているぞ」
 ゲッと凛は気を吐いた。そんな凛に綺礼は微笑む。
「そして私の愛は病んだ者、弱き者へと向けられている。私は彼らを愛しているよ。弱き彼らは神父たる私を求めてくれる。私と彼らは相思相愛だ。ククククク。懺悔室で彼らの苦悩を聞き、私がそれを慰め、そして彼らは涙を流す。まさしく愛だな。素晴らしい。凛、君も懺悔室に来るといい。私の愛を与えよう」
「お断りよ! エセ神父!!」
 絶対に行かない。そう決意した凛だった。

 それは残念だ。澄ました顔の綺礼は処刑鎌を壁に掛け置く。凛はそれにホッとする。
 処刑鎌(デスサイズ)
 武器としては色物だが、飛行魔術の達者な薫が使うと話が違う。
 向かい合っていた場合。パチリと瞬きした次の瞬間、薫は横を通り過ぎ、こちらの首が飛びかねない。
 柄から横に伸びた鎌刃もやっかいだ。剣や槍で受けても切っ先が刺さりそうだし、手足を引っ掛けられたら最悪である。
 あの子の飛行魔術は強力だ。鎧を着て武器を持ってなお、人間一人くらいは軽々と持ち上げる。
 鎌を防いで受け止めても、引っ掛けられて雲の上まで連れて行かれたら助かるとは思えない。
 落下制御に気を使えば防御魔術が甘くなる。防御に気を取られれば、真っ逆さまに落下する。何とか二つの魔術を維持しても、空中(ソラ)を疾(カケ)るあの子になぶり殺しにされるだろう。
 以前、丸太を鎌で引っ掛け浮かせ、空中でガリガリ削りながらお手玉するのを見せてもらった。悪夢としか言いようがない。
 処刑鎌などギャグかと思っていたのだが、天翔ける言峰薫が使えばまさに地獄の処刑鎌(デスサイズ)お外では決して敵対したくありません。
「とはいえ処刑鎌はこれで終いだ。以後はランサーを使うことになっている」
「そうなの?!」
 驚く凛に、綺礼は書類を突き出した。ランサー(ドイツ式十字槍)の設計書類であるらしい。
「ランサーとは槍先にロングソードの刀身を使うのが特徴で、横刃は細い短剣であるのが相場だが、薫は横刃にもロングソードの刀身を使うつもりでいるらしい。そして使う刀身は騎士長剣テスタメントの刀身だ。つまり同じ部品を使った規格化だよ。かさ張る武器になってしまうが構わないというのがあれの判断だ。大鎌(サイズ)や突撃槍(ランス)の替わりにもなる。行く行くは薫の主兵装になるだろう。騎士長剣の生産が間に合わないので、組み上がるのは年末の予定だがな。トライ・ランサーの名前が付けられる予定になっている」
 説明を聞き流し、凛は書類に目を通す。
 騎士長剣(ロングソード)と刀身を統一。新約聖書の全文を書き込んだ刀身を使用し摂理の鍵として機能させる魔術師殺し(メイジ・マッシャー)
 基督教カバラを基盤としない魔術を打ち消す十字架の槍。
 基本骨子は『十字架』『磔刑』『断罪』『魔女狩り』『異端狩り』『神への生贄』
 突き刺した相手の魂を強制的に聖別・浄化する祝福の槍であり、魂を神へと捧げる魂食らい(ソウル・イーター)を目指すと書いてある。
「……何これ」
 遠坂凛は絶句した。
 呆然としていると、綺礼の含み笑いに我に帰った。綺礼が斜に構えてニヤニヤ笑う。
「凛、薫は聖堂教会所属の異端調査員であることを忘れるな。もちろん薫の本分は外交屋(こうもり)であり、魔術師であるお前の弟子だ。だがな凛、薫の誓いを忘れるな」
 言峰綺礼は真顔になり、手を差し伸べて朗々と言葉を紡ぐ。
「聖堂教会に名を連ねる際、薫が立てた誓いは「外道に堕ちた魔術師の抹殺」だ。凛、お前はそれを忘れるな。薫の仮想敵はお前と私であると、お前は知っているはずだ」
 くっと凛は口端を噛んだ。叫びたいのを我慢した。
 知っている。薫はきっと許さない。堕ちた魔術師を許さない。その感情は薫の深い場所から湧き上がる根源衝動と言ってよく、キレると殺意が吹き出す境界線だ。
「気をつけるのだな。凛、お前が外道に堕ちれば薫は絶対に許さない。どんな手段を使ってもアレはお前を殺すだろう」
「フン。アンタは自分の心配をしなさいよ。言っておくけど薫に私は殺せないわよ。あの子が何をしてきても、私は一撃であの子を即死させられる。蒸発させることだって可能なんだからね」
「それは上々だな。修行の成果が上がっているようで結構なことだ。だがな凛、それは思い上がりというものだ。私が鍛え、お前が鍛え、薫自身も力を求めた。故に、」
「そして衛宮切嗣『魔術師殺し』にも教えを乞うた。が抜けてるわよ」
 割り込んだ凛の言葉に、綺礼は暗がりの中で口の左右を釣り上げた。楽しくてたまらないというように、嬉しくてたまらないというように。
「そうか、お前もあの男のことを調べたか」
「違うわ。あんたを介さず、私に直接届いた手紙が教えてくれたのよ。アインツベルンの傭兵、魔術師殺しの衛宮切嗣ってね」
 怒りすら発する凛を前に、しかし綺礼は声を上げてハハハと笑う。
「ハハハハハ。そうかそれは困ったな。代行とはいえ今は私が冬木の管理者(セカンドオーナー)であるのにな」
「信用されてないのよエセ神父」
 それは困った。そう言い綺礼はクククと笑う。
「ねえ綺礼、一つ聞いていいかしら」
 何かね。綺礼は凛を見下ろし言葉を待った。
「切嗣さんが、お父様と戦ったの?」
 とまどいがちの問いに綺礼は目を細める。しかし顔色を変えずフッと小さく息を吐く。
「いや、時臣師とあの男が対峙したという事実はない。あの男と戦ったのは私だよ」
「あんたが?!」
「そうだ。そして私は奴に敗れた。結果として私は奴に心臓を撃ち抜かれた。だがあの男も無事ではなかったようだな。私としてはもう少し薫に魔術師の殺し方を仕込んで欲しかったのだが」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! え? 何それ?! どういう事?!」
「今思えば、薫が生き急いでいるのも私がいつ死ぬかと恐れているのかもしれないな。私としては薫の結婚式に参列するまで何としてでも生きていようと思っているのだが」
「はぁ? それは、でも」
「何、心配することはない。霊媒治療は未開地の外法ともされる技だ。その気になれば人の体に獣の首をつなぐことすら可能だよ。生きているだけなら何とでもなる。薫がフレッシュ(生肉)ゴーレムを扱うようになったのも死体ではなく『死ぬ手前』の素材を扱えるようにするためだ。心臓が潰れたくらいで死ねるほど、魔術師は普通の生き物ではないだろう? 私はまだ生きている。薫が私を導き、私が真理を悟るまで死に損なったままで生き続けよう。ん? どうした凛」
 綺礼を指さし、遠坂凛はパクパクと口を動かしている。大きく目を見開いて、口が動くも言葉が出ない。
 色々と考えていたことが吹き飛ばされた。しかし今日、無理に来たのはこんなことを聞くためじゃない。
 だがしかし、一つだけ聞いておく。
「じゃあ綺礼、切嗣さんの養子の士郎くんっていうのは」
「あれは唯の子供だよ。薫と同じく火災で拾われた十数人の災害遺児の一人だ。聖杯の奪取に失敗したあの男はアインツベルンに捨てられた。行く場所を無くし拾い子と共に暮らしている衛宮切嗣を薫が見出し、教えを乞うた。それだけだ」
「それだけって、あんたそれで良かったの?」
「何がだね? 薫も言っていたが戦いはもう終わったのだ。私も奴も目的のない殺し合いをするほど殺人狂ではないのだよ。プロフェッショナルとはそういうものだ。そして凛、薫もそれを目指していると理解しろ。薫は理由や目的なしに戦うことはないだろう。しかし理由ができたのならば、あらゆる手段で殺しにかかるぞ。魔術も銃も、剣も槍も、薫の前では等しく武器だ。己の命すら道具とみなし、あれはきっとお前を殺す。いいか凛、お前は薫と戦うな。お前は常に正しくあって薫を導き薫を照らせ。それは薫が師と仰ぐお前の役目だ」
「ええと、何か話が豪快に反らされている気がするけれど、まぁいいわ。何となく聞きたかったことの答えはもらえた気がするし」
「ほぅ。そういえば凛、お前は何が聞きたくてここまで押し入ったのかね」
 遠坂凛は腕を組み、ハァと大きくため息を付きました。入れた気合が土砂崩れに巻き込まれて行方不明になった気分です。
「薫が取った仕事が代行者のフォローだって聞いて心配になったのよ! ねぇ綺礼。大丈夫なの?」
「何だ、そんなことか。ならば何も心配することはない」
 呆れた感じの言峰綺礼に、遠坂凛はだからどーしてとツッコミを入れてみる。
「代行者っていうのは高純度の信徒で、たった一人で異端審問の権限を与えられた教会の人間兵器(ワンマン・アーミー)教会の殺し屋っていえば代行者のことでしょう? 仮にも魔術師の薫が接触しても平気なのかって聞いてるの。それにターゲットは何? 魔術師? それとも吸血鬼?」
 言われて綺礼はフムと頷いた。
「この私も元とはいえ代行者であり、薫は私の娘で聖堂教会の構成員だ。洗礼詠唱も使える薫だ。穏健派をつなぐ外交屋(こうもりさん)でも、異端認定されて殺されることはなかろう。それに薫がフォローを申し出た代行者は話の通じる人格者だと聞いている。日本人の血を引くクォーターで日本語も堪能、さらに数少ない黒鍵の名手だそうだ」
 凛はぽかんとした顔になる。
「教会にそんな人いるんだ。なるほどね。それなら薫が動いたのも判らなくはないわね。で、標的は?」
「死徒(ヴァンパイア)だ。死体を動かすウジ虫、腐肉にたかる糞虫だな。とはいえ薫の仕事はあくまで後方支援。まぁ、魔術師あがりの死徒ごときに薫が負けるとも思えんがね」
 言峰綺礼は嘘を付く。真実の一部を伝え、しかし全容は教えない。あとは勝手に想像させる。
「いいわ。今日のところはこれで帰ることにする。どうせこれ以上は教える気も無いんでしょう?」
「当然だ。凛、お前は唯の学生にすぎん。代行とはいえ霊地の管理者は私であってお前ではない。キンググループのプレジデントも薫であってお前ではない。凛、お前は私が管理者権限を返上し、薫にグループの利権を移譲されるまでは一人前未満の田舎魔術師に過ぎない。聖堂教会の内情を教えるなどありえんよ。弟子たる薫の動向について知れるだけで満足しろ」
「判ってるわよ」
 凛はツンと横を向く。大きなお世話だ。今に見ていろこの親子。絶対にギャフンと言わせてやるのだ。
「しかしだ、せっかく来たのだ。他の資材も見ていくかね?」
「いいの?」
 意外な提案に凛は眉を寄せた。代行者(エクスキューター)の支援という危険任務を引き受け、学校休んで出かけて行った不良娘の言峰薫。
 言っても聞かないあの子の代わりに綺礼に文句を言いに来た。うんざりとした顔になっても怒鳴り続けていたところ、安心材料をくれてやると立ち入り禁止の地下聖堂に案内されたのだ。
 薫から話は聞いていたが、直に来るのは始めてだった。思っていたよりまともな礼拝堂だが、壁際の武具類のせいで雰囲気ぶち壊しである。これでいいのか言峰教会。信者の皆様は入れないけど、もっと敬意とかあるでしょう?
「それを言われると辛いところだ。ぜひ薫に言い聞かせてやってくれ」
「ごめん、無理」
 即答すると、綺礼がクククと喉を鳴らした。

 凛の前には整理棚。色々と箱が置かれてきちんと整理されている。あの子は整理に気を使う。有機的に配置したほうがカオス理論でヒラメキが発生するのだが。ゴメン私うそつきました。よく怒られる凛である。
 綺礼が素材を説明していく。
 リキッドアーマー。
 グリコール(2価アルコール)とガラスの材料シリカの混合物で、ゆっくりとは刺さるが衝撃を受けると瞬時に硬化・結合する。透明ゼリーガラス。アイスピックもボウガンの矢も通さない。どこかの魔術師が発明したとか言って欲しいが工業製品なのだとか。
 アルコールを神酒、シリカをガラスつまり宝石と捉え、魔法生物スライムを作る気らしい。金属製ではないがメタルスライムが発明されるとは思わなかった。現実って世知辛い。
 スペクトラ繊維。
 高強度ポリエチレン高分子繊維。非常に軽く、防弾・防刃素材として有名なケブラー以上の強度を持つ。摩擦だけでなく熱にも強い。
 ケブラーは光で劣化し水で強度が落ちるがこれは弱点が克服されているという。
 布地だが、リキッドアーマーを塗り込むとアイスピックも通さない。
 これを樹脂で固めると、とても軽い防弾装甲になるらしい。
 RPGロケットランチャー。
 ゲリラ戦で大活躍の携帯ロケット発射装置。単価は現地価格で十万円を切ることもあるベストセラー。
 ちなみに真っ直ぐ飛んで当たると爆発するのがロケット弾。ロケット弾にセンサーと誘導装置をつけたのがミサイルなのだとか。知らないわよそんなこと!!!
 機関散弾銃。
 ロールケーキを輪切りにしたようなドラムマガジンに30発を装弾できるフルオート散弾銃。近距離では絶対的な対人殺傷力を発揮する。だから綺礼! 薫にこんなの買わせるな!!
「すまないと思っている。正直、私も何とかならないだろうかと頭を抱えているのだ」
 凛と綺礼は二人揃ってため息なんかをついてみる。そして奥の箱が並ぶ棚を見る。
「この辺りはチタン合金だ。強度は鉄の二倍、重さは鉄の半分。防具はチタンで作り替える予定だ。武器は『刃金』であるので鋼のままだ。チタンとはティタヌス、つまりギリシャ神話の『ティターン神族』が語源となる。
 基督教はラテン語で完成したが、原始基督教の文献は当時文化の中心地だったギリシャの古典ギリシャ語だ。古典ギリシャの成文法、作詩法、弁証法などはヨーロッパ全ての古典・原典として重要だ。薫も原始基督教を消化するにあたり、周辺環境としてギリシャ神学を学ぶつもりでいるらしい」
「判ったわ。座学は私もフォローしとく」
「頼む」
 そう言い綺礼は盾を手に取る。上半身が隠せるほどの丸い盾だった。
「これは青銅の盾に皮を七枚貼り付けたアイアスの盾のレプリカだ。伝説の記述と歴史の資料から再現したものだな。もっとも『7』の数字はギリシャ神話の時代から無限数を意味する慣用句だったらしい。何枚も何枚も、という意味であり、実際に七枚重ねであったかは疑問だな。
 そして『7』は基督教においては世界の完成を象徴する聖数でもある。一般的に無限数・完全数として扱うな。しかしこの『7』は古代メソポタミア、ギルガメッシュ叙事詩で既に『いっぱい・たくさん』を意味する慣用句として使われている。おそらくはメソポタミアに起源をもつ天文学、地球を中心とした天動説宇宙における七惑星、月・太陽・水星・金星・火星・木星・土星にルーツがあると薫は考えているようだ」
「そんなの占星術を勉強すれば珍しい説じゃないわ。あんたも占星術の歴史を勉強しなさいよ。基督教神学には天文も含まれているじゃない」
 これは耳が痛い。綺礼は盾を棚に戻した。
「薫は基督教カバラを魔術基盤としているが、古代メソポタミア神学も使用する。お前も知っているな」
 凛は頷く。
 ノアの箱舟伝説の原型、ギルガメッシュ叙事詩。
 天地開闢の原典、エヌマ・エリシュ。
 これら古代の原典から、言峰薫は力を引き出す。
「故に、薫はローマ・カトリックの基督教神学をさかのぼり、原始基督教の形成に深く関わるギリシャ神学を消化し、カナン・小アジア・メソポタミアの古代オリエント神話までを一つの流れにつなげる気だ。チタン合金はティターン神族。ギリシャ神話系の素材と捉えている。
 基督教は一神教だが天使学・悪魔学も含まれる。天使や悪魔を紐解けば、異教の神々が多く登場するからな」
「そうね。聖母マリアの原型は小アジアの地母神キュベレーとギリシャ神話に組み込まれる以前の古代神アルテミス。さらに原型はメソポタミアの女神イシュタル。地母神イシュタルから母性を剥奪して男としたのが悪魔アスタロト。カナンの大神バエルは稲妻の槍を投げる豊穣神、これを基督教が貶めたのがベルゼブブ(蠅のバエル)でもバエル信仰は強くてベルゼブブとバエルは別神格に分離した。バエルは王様の顔とカラスの頭、カエルの頭の悪魔とされた。バエルは旧約聖書に登場する半人半魚の海神ダゴンの息子。おたまじゃくしはカエルの子。薫がヒキガエルを使い魔にしてるのは槍投げの雷神バエルと海神ダゴンの神威を学ぶためでしょ。そしてダゴンの原型は、メソポタミアに文明をもたらした海神オネンアス。これは人間を魚が咥えているデザインだけど、進化論なんて考えの存在しない古代に、人は魚から進化した。生命は海から陸に上がったって霊感受けた人がいたんでしょうね」
「そうかもしないな。全ては繋がっている。いや、全てがつながるように薫は学習しているよ。凛、お前の仕込みは完璧だ」
「当然よ」
 遠坂凛は胸を張る。
 博物学的手法を取り入れて、神秘を整理し利用するのが魔術カバラ。万物照応論と生命の木のシンボルを結びつけ、縦横無尽に概念を操れる。画期的なシンボルの利用法。
 東西南北を守るのは、東洋では青龍、白虎に朱雀と玄武。西洋では天使ラファエル、ガブリエルにミカエル、ウリエル。
 これを同じ性質と捉え、同様に扱えるものとするのが魔術カバラの利便性だ。
 しかし宗教カバラにはこれがない。
 基礎となるのは信仰心。故に『同じようなものだから』で扱うなどはありえない。時間をかけて世界観を消化して、心のなかに精神世界を構築していく他はない。
 後々は薫にも魔術カバラを学ばせるつもりであるが、まだ早い。
 薫の宗教観と世界観を維持しつつ純度を高め、洗礼詠唱の力を保たせる。後は綺礼と同様に、大人になって信仰心が完成してから学問として魔術カバラを学べばいいのだ。
 言峰薫を魔術師にしよう計画。まさに完璧である。
 教会に盗られるかと心配することもあるけれど、弟子は絶対に渡さない。
 いざとなったら掻っ攫ってでも奪い返すつもりでいるが、まずは手綱を握りたい。パスを繋ぐとかどうだろう。
 手っ取り早い手段としては……。
(体液交換、かしらねぇ)
 遠坂凛はニヤリと笑い。可憐な唇をペロリとなめた。

「おぉうっ?! 寒気が……」
 タクシーを降りた言峰薫はブルッと体を震わせた。
 陽が落ちて、くぅくぅお腹が空きました。チェックインして何か食べよう。
 闇色の尼僧服に、肩にかけたボストンバッグ。長い髪はしかし頭巾(ウィンプル)で隠していない。なんちゃってシスター装備の薫ちゃんです。
 やってきました三咲町。
 数年前から耳にするようになった聖堂教会、埋葬機関七位の代行者。通称『弓』
 これはまさかと思って動向を注視していたら、単独で日本に飛んだとリークを受けた。これはチャンスか死亡フラグか、深く関わるつもりはないのだけれど。出来ればお知り合いになっておきたい。
 よって支援をねじ込んだ。
 日本に入ってからの足取りを追うのは難しかったが、三咲町の場所は既知だったので最終的には行き着いた。他所様の管理地にまで出しゃばるのは業界的には良くないが、多少は無理する価値がある。

 埋葬機関、七位。黒鍵と飛び道具の名手。代行者(エクスキューター)シエル。
 真祖(オリジナル・ヴァンパイア)の処刑人。白の姫君アルクェイド・ブリュンスタッド。
 この両者と面識を作りたい。
 とはいえ、本人に連絡がつかないので探さないといけません。
 場合によってはこの周辺を裏で管理する遠野の家とも接触する必要があるだろう。日本独自の幻想種『鬼』の血を引く異能者の一族。盟主であった遠野愼久の死亡記事は確認したので、現当主は遠野秋葉であるはずだ。
 そして最大の危険人物がもう一人。
(なるべく近づかないようにしよう)
 薫は左右に頭を振って、嫌な予感を振り払う。
 他所の土地でのことまで責任を負う気はない。出来る範囲で手伝うだけでも、被害を少なくできるはず。薫は自分に言い聞かす。

 だって、月姫って細かいところ知らないし。

 まずは一手、遠野邸を下見して長男を監視、真祖と接触するならそれで良し。吸血鬼との遭遇ポイントを誘導すれば被害は減らせる。
 彼が真祖と接点を作らなくても知ったことではありません。その場合は彼から離れ、代行者を探し出して合流する。この身は聖堂教会の調査員。教会の支援が出来ればそれで良いのだ。
 しかし吸血鬼は強力は怪物だ。油断をすれば喰われてしまう。死ぬだけなら構わないが、死者(デッド)となって使役されるのは勘弁願いたい。
 吸血鬼とは呪いで動く死にぞこないの死体生物。死体を動かす蛆虫で、腐肉にたかる糞虫だ。
 我が主にして神たる王の箱庭に湧き出た虫ケラ共め。王の視界を汚す前に自害でもすればいいのだ。
 薫には、死徒に対する好意的な感情などは欠片もない。血液が染み込み、しかし腐り切らずに動き続ける呪われた死体。動きつづけ人の生き血をすする不浄の亡者、滅ぶべし。
 とはいえ薫に強い自信はありません。よって狙うはお手伝い。人の形をした死者たちを、殺す経験を積みたいだけだ。
 部屋を取り、荷物を置いて、外へ出る。
 フロントに鍵を渡して外食すると告げておく。下調べは済んでいる。
 本格カレーショップ、メシアン。
 そば処、飯庵。
 この2店は調査済み。完璧だ!
 足取り軽く、鼻歌を奏でながらエントランスへ向かった薫は、しかしホールの中央付近で停止した。

 ──── 自動ドアの向こうに背の高い男が立っていた ────

 ガラスの壁の向こう側、初夏だというのに闇色のロングコートを男は纏う。開いた胸元は黒く深く、夜が固まったかのような色をしていた。

 ──── 自動扉は開かれる ────

 男は大きな獣を引き連れている。それは山犬か狼か、立派なたてがみを持つ四足獣。
 ホテルのボーイが男を諌める。言峰薫は動けない。
「お客様、ペットを連れてのご来場はご遠慮頂いておりますので……、あれ?」
 ボーイは獣を見失った。そして彼は、上半身を喰われて失った。
 音もなく、消えたボーイの上半身。静かに倒れ崩れる下半身。コートの男の影が伸び、血を流す下半身をずぶずぶと沈ませ喰っていく。
 男の影に、赤い獣の目が光る。その数、十、二十、三十、五十。
 男の開いたコート中で、赤い獣の目が光る。その数、二十、五十、八十。
 死体のような白い顔を、屍蝋のツヤあるその顔を、残忍な笑みで歪ませ。吸血鬼は呟いた。
「食事の時間だ」

 言峰薫(インベーダー)は、自分が間に合わなかったことを理解した。

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あとがき
 月姫のテーマは「日常」と想定。でもSSでのテーマはダーク&クレイジー。日常から外れた狂気っぽいのが書けたらいいなと思います。でも基本はコメディーでいくつもり。キャラも成長したので、お〇ぱいネタを解禁です。ホドホドにします(本当に)
 うんちく部の細部がおかしいのは仕様です(バエルは槍じゃなくて鉾だとか) これでもかなりマイルドに変更しました。
2010.12/9th

次回予告
 異形の吸血鬼による殺戮を言峰薫は止められない。人が喰われる地獄の中で、薫が邂逅を果たすのは、司祭ではなく吸血姫と殺人鬼。
次回「混沌の向こう側」

追記:こう言っちゃなんですが、もっと普通の吸血鬼が好きです(苦笑)

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