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Fate/黄金の従者#14special#3. アインツベルン氷雪結界攻防戦

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 ドイツの夏は涼しく、冬は寒く厳しい。
 国土の中央は平野に森が北へと広がる。南北に向かって古くから街道が伸び、各地に街が点在する。中世からの城塞などもあり観光地には事欠かない。
 南部はアルプス山脈に続く山岳地帯。水源豊かな地方でドナウ川も流れている。
 風光明媚な名所が多く、東に宮廷文化とビールで名高いミュンヘン。西のフランス国境沿いに「黒い森」と知られるシュバルツバルト地方がある。他にも古代ローマから続く歴史の長い温泉保養地があったりする。
 東部は北をバルト海、東をポーランドと接している。多くの川が流れ込み、池や湖が多くある。バルト海には海水浴場、内地にはサナトリウム(保養施設)が有名だ。
 首都ベルリンはこの地方だ。ハンザ同盟に参加した都市群も点在しており、今なお中世の雰囲気を感じることが出来るだろう。
 東部の中央寄りには文豪ゲーテの「ファウスト」でも有名なブロッケン山があり、周囲には魔女伝説が伝わる幻想的な地帯でもある。絶壁に囲まれた谷底の街ターレなどは魔女たちが集まって儀式をしたとの伝説も残っている。東部から中央にかけては森が濃く、街は森の中に浮かぶように点在している。
 ドイツ西部にはライン川が流れ、重工業の中心地ルール工業地帯をようしている。とはいえコンビナート群の向こう側に目をやれば、そこには森林が地平線まで広がっていく。
 このライン川をさかのぼる。
 デュッセルドルフ、ケルン、ボンを過ぎてザンクト・ゴアルスハウゼンの近くには、美麗な黄金の髪の乙女が船乗りを惑わすローレライ伝説の岩がある。
 ワーグナーのオペラにも歌われる、ローレライの乙女が持つのはラインの黄金。それを手にする者が現れるなら、この世の全てを支配するという。
 神話の時代。ラインの黄金で作られたニーベルングの指輪を巡り、天上の神と地上の巨人が熾烈な戦いを繰り広げた。そんな伝説が眠る地だ。
 地平線の向こうまで続く果てしない森の海。森に開いた穴に浮かぶ古い街。魔女や悪魔が集まるという幻影の山と谷。冬ともなれば、森には霧が広がり絨毯のように大地を隠す。
 古来より、欧州では森は死の国、魔の領域。緑は死の色、妖精の色。ピーターパンが緑の服を着てるのは、彼が成長しない死者であるからだ。
 そんな緑の魔境、森の奥。二つの尾根が作り出す深い深い谷の奥に、観光客も市民も知らない白亜の城が建っていた。
 上空からは決して発見できない不思議の城は、しかし千年を超える年月を得てここにあった。
 森と氷雪の結界に守られて、時間の流れまでもが滞っているかのような城に生きる者達。
 彼らは名をアインツベルンといった。

「うおー、でぇーい。すーみーまーせーん! あーいーんーつーべーるーんーっ!!!」
 突風吹きすさぶ吹雪の中に、少女の叫びが消えていく。
 ここはとある森の中、雪にまみれながらも前へと進む影ふたつ。
「だぁぁああ! 訪問するって手紙送ったのに!! くそぅ、ロケットランチャーも買ってくれば良かった!!!」
 顔に付いた雪を叩きつつ、凶暴な表情で吐き捨てたのは女の子、言峰薫。
「駄目だ薫ちゃん! もうすぐ日が暮れる。今日はもう戻った方が良い!! それとロケランは撃っても無駄だよ!!!」
 びゅうびゅうとうるさい風に負けじと声を張り上げたのは大人の男、衛宮切嗣。
 昼なお暗い森の中、雪が積もって何処が道かも判らない。踏みしめながら進んでいくが、出来た道にもすぐに雪が積もり出す。
「あぁあ、もぉお! 火炎放射器かナパーム弾で森を焼いちゃ駄目ですかね?!」
 ハァハァと、薫の息が荒くなっている。
 朝に出て、森に入ると雪が降り出し荒れ狂う。方位磁針がクルクル回り、どっちが北かも判らない。
 一応道はあるのだが、気付くと外れた場所を歩かされている。吹雪には氷雪の魔力が宿り、透視も霊視も解析魔術も通じない。
「と言っても、私はそーゆーの苦手ですけどね! くそーっ!!!」
 アインツベルンの居城を守る氷雪結界。森の木々のみならず、雪と氷と風までもが来訪者を拒絶する。
 森の入り口、麓にある集落からアインツベルンの居城までは歩いて半日ほどであるという。事前に連絡はしてあるから、自分が来ていることは知っているはずだ。
 ……もっとも、来ても良いとの返信はなかったが。
「冬木の森への不法投棄の粗大ゴミ、誰が片付けていると思っているんですかっ?! あの件の委託書類には返事が来たのに、おのれアインツベルンっ!!!」
 くそっ。と、悪態をついて森の奥を睨み付ける女の子に、切嗣は呼びかける。
「引き返そう! 夜になっても森にいるのは危険すぎる!! せめて結界の基点を見つけるまでは夜間のアタックは避けるべきだ!!!」
 言ってる間にも風がひゅごーと音を立て、切嗣と薫に吹き付ける。断熱と保温呪法を掛けたモコモコのダウンジャケットを着込んでいるのだが、それでも冷気が染みてきた。
「判りました。今日は引き返しましょう。あぃる・びぃー・ばーっく! 私は帰ってくるぞぉぉおお!!!」
「早く戻ろう!」
 頭に血が上っている薫の手を引き、大人の切嗣はそそくさと森を下り始めた。
 二人が魔の森に挑戦を初めてから、二日目のことだった。

Fate/黄金の従者#14
Special#3.アインツベルン氷雪結界攻防戦


 森林に隣接するとある村落。一軒しかないパブのテーブルに、切嗣と薫は陣取った。
 黒ビールを注文し、オードブル(前菜)にはソーセージ。付け合わせはザワークラフト(キャベツの酢漬け)をお願いする。メインディッシュは鹿肉のステーキをオーダーし、ジャガイモのオーブン焼きもあわせて頼む。
 ウェイターが離れると、薫は大きく息を吐いた。
「お米が食べたいですね」
 ビーフステーキ、チキンステーキ、サーモンステーキ(バター焼き)のメインディッシュには早くも飽きた。
 ここは鹿肉があって良かった。鹿肉は牛肉と似ているが、臭みが少なく脂控えめ。肉質もホロホロしていて美味いのだ。
 とはいえ「メインディッシュ(タンパク質)+その他」という食事は辛い。
 やはり「お米+おかず。味噌汁つけて」これがいい。それが日本の心です。

 衛宮切嗣に連れられて、薫は欧州に年が明けてすぐに来た。
 まずフランスに行き武器商人と会わせてもらった。選んでおいた銃器を購入し、二日であるが集中的に実弾訓練を体験した。
 購入したのはピストル、ライフル、マシンガン。
 フランス、マニューリン社の高級リボルバー(回転式拳銃)MR73。
 米国、トンプソンセンター社の競技用中折れ式拳銃、G2コンテンダー。
 南アフリカ、ダネル社輸出の対物小銃(アンチ・マテリアル・ライフル)NTW。
 ベルギー、FN社の軽機関銃、M249(ミニ・ミトライユーズ)
 ラインナップに切嗣が頭を抱えていたが、知りません。拳銃以外は秘密のルートで日本に送る。受け取りが楽しみです。
 対人地雷や爆薬、ロケットランチャーやミサイルなどは予算の都合で自粛となったが、いずれは欲しい。
「あはははは。薫ちゃん。君は戦争する気じゃないよね? ないよね?」
 笑う切嗣。しかし目の奥が怖かった。

「しかし参りましたね」
 ベイクドポテトを突きつつ、薫は眉を寄せてみる。
 アインツベルンの領地を守る氷雪結界、思った以上に厄介だ。まず結界の基点が判らない。精霊が舞っているのか、異界が形成されているのか知らないが、向こう側を見通せない。森という物理的な遮断も邪魔だ。
 あるいは錬金術で生み出した何かがいるかもしれない。狼の群などが、凍る息吹を吐きながら走っているとかアリなのだろうか? フェンリル狼とかいたら非常に拙いことになる。
 遠吠えは聞いてないから大丈夫だとは思うが、バーサーカーとイリヤの訓練で狼の群と戦っていたような覚えもある。それにこの辺りの狼は絶滅していない。
 ……雪だるまが置いてあって「ヒーホー」とか言っているなら見てみたいが。それは多分ないだろう。
 切嗣に聞いてみる。
「スノー・ドラゴンという線はどうでしょう?」
「それはさすがに無いと思うよ」
「雪女」
「薫ちゃん、それ日本昔話」
「雪の女王」
「あれはデンマークだね。アインツベルンは「ラインの黄金」にまつわる伝承を継いでいる一族だから、何かあるならその近辺じゃないかな」
 ならサーヴァントはジークフリートだろう。アーサー王もヘラクレスも関係ない。そう言いたかったが自重する。
 それにしても森の結界は本当にやっかいだ。
 切嗣から伝授された結界破りの知識と技術。それを駆使して幻惑効果は見破った。城への道から外れる人除けと誘導の呪性も読み取った。
 しかしである。魔力を帯びた雪と氷が感覚を狂わせる。
 突然変異で魔力に目覚めた薫では、自身の属性以外では感度があまりよろしくない。切嗣も「この世、全ての悪」の呪いを浴びて、魔術師としての資質が落ちている。
 それを見越して探査用の魔術礼装も用意してはきたのだが、そういったものは繊細なものであり、吹雪の中では使えなかった。
 いっそ薫が飛行魔術で突っ込めば話は違うのかもしれないのだが、それでは切嗣を連れて行けない。
「くそっ。すみませーん。ハウスワインをグラスで」
「薫ちゃん。お酒はハタチになってから」
「大丈夫です。ワインは飲み物であってお酒ではないのです」
「いや、お酒だから」
 明日に備えて、まずは英気を養おう。ソーセージが美味しいです。

 パブの二階は宿泊可能。切嗣と薫は部屋を取り、ここを基地とし森へと挑む。
 しかし今日は疲れた。八時間を吹雪の中で過ごしたのだから当然だ。シャワーで体を温めて、明日に備えて早く寝る。
 その前に少々考える。宝石を並べて思考を巡らしていると、ドアを叩く者がいる。
「Well? どちら様ですか?」
 応えた声に返事がない。そして感じるかすかな魔力。薫はベッドに置いた聖典の書に手を伸ばし、聖典紙片を確認する。
 カチリと小さな音がして、鍵が外され扉が開くと、白い服に身を包んだ女の人形が立っていた。
 髪を隠す頭巾をかぶり、首もと・胸元・手の甲から足先までを、すっぽり隠す白い服。それは使用人のもの。下女(メイド)用の服であるはずだ。
 そして唯一素肌を晒す彼女の顔は、服よりも色白で無表情。瞳は血液が透けているような赤い色。
 薫はこれを、知っている。

 —— ホムンクルス ——

 錬金術で鋳造された人形だ。
 中でもアインツベルンのそれは、人の手によって造られた自然の触覚とも呼べるものであり、地球に自然の命が溢れる限り、生きていくことも可能なのだとか。
 ホムンクルスは硬い表情のまま、無言で部屋に侵入してきた。そして薫に一礼する。
「お館様より伝言を持って参りました。明日は結界を弛める故、用があるなら来訪を許すとのことです」
「判りました。アインツベルンの当主殿に、言峰薫からよろしくとお伝え下さい」
 承りました。
 そう言い彼女は帰っていった。
 ホムンクルスは初めて見たが、本当に人形のようだった。もう少し人間らしいものかと思っていたが、色々タイプがあるのだろう。そうであると思いたい。
 切嗣は起きてこなかった。もう寝ているのか、疲れているのか、あるいは限界が近いのか。
 薫は静かにドアを閉め、改めて鍵を掛けてベッドに戻った。宝石を片付け毛布をかぶる。
 そして意識を闇に沈めた。

 次の日の朝、曇天の下で薄暗い森の中を、切嗣と薫は奥へ向かって歩いていった。
 昨夜ホムンクルスが言ったとおりに、今日は天気が吹雪かない。
 使者の来訪に気付かなかった切嗣は恐縮し、先陣を切ってくれている。薫の腰ほどにまで積もった雪を、彼が足で踏みしめ進む。
 本当ならば、ドイツ内陸部ではそれほど雪が積もらない。その代わり冬は曇りの天気が続き、最低温度と最高温度が近く一日中が寒いのだ。身を切るような日本の冬とは違って湿気はあるが、まとわりつく冷気は人から温度をジワジワ奪う。甘く見るのは危険である。
 休憩をはさみながらひたすら進む。昼を過ぎて数時間後に二人はとうとう森を抜け、白亜の城にたどり着く。
 二つの尾根に挟まれるように建てられた、堂々とした城である。規模は大きく堅牢な佇まいを見せている。
 城壁には塔が建つ。堀こそないが見上げるほどの城門が、切嗣と薫を出迎えた。
 薫は左右を見渡した。城の周囲には少々の開けた土地があるものの、深い森が続いている。
 これは城門を開けてもらわないと中に入れないのだろうか?
 たのもー。とでも言ってみるかと近づくと、切嗣が呼び止める。なんだろうと振り向くと、彼は城壁沿いに顔を向けていた。
 薫もそちらを見てみると、奥からメイド姿の女性が歩いてきていた。
 やって来たメイドは薫に向かって一礼し、こちらにと促す。正門から入れてくれる気はないらしい。
 仕方がないかと諦めて、二人はメイドを追い掛ける。
 髪まで隠す白装束のメイドさん。彼女もホムンクルスだ。昨夜の人と同じかどうか、薫には判らない。
 そんな彼女を追うことしばし。
 塔を二つ回り込むと城壁がアーチを描き、橋架下がトンネルのようになっていた。そこをくぐると庭園と屋敷が姿を見せる。
 屋敷と言ってもまた城だ。幾棟も塔が連なる豪華な造りに、アインツベルンが持つ歴史と財力が感じられる。
 浅く雪の残る庭園を横断し、案内されたのは礼拝堂。
 外からもステンドグラスが見て取れる。先の尖った直線的なアーチと、屋根の尖塔が特徴的なゴシック様式の建物だ。雨樋にはガーゴイル像が設置され、天使や杯、ローレライの乙女らしき彫刻なども目に入る。
 礼拝堂の入り口前で、ホムンクルスは立ち止まった。振り向いてピタリと止まり、動くことを忘れたように静止する。
 ふと見ると、切嗣が表情を険しくしていた。強く緊張しているのが傍から見てもよく判る。

 そして扉が開かれた。
 軋む音を響かせて、扉が内に開かれる。礼拝堂に広がる闇の中から、老人が姿を見せた。
 その肌は青白く、髪なお白く、同じく白い髭が凍った滝のように長く下に伸びている。くぼんだ眼下の奥の瞳が、老いを感じさせない強烈な光を放つ。
 切嗣が、ゴクリと小さく息を飲む。薫もその身を固くした。
 この感じ。距離があるのに総毛立つこの感覚は、以前にも味わったことがある。間桐臓覗と向かい合っているときと同様だ。
 千年の妄執を独力で積み上げて、更に二百年をマキリと遠坂と共に積み上げたアインツベルン。
 その当主。ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルン。
 八代目当主の座を継いでからは「アハト」の通り名で知られる当代当主。聖杯探究が聖杯戦争に成り変わって二百年。その年月を生きてきたアインツベルンそのものだ。
 薫は一歩前に踏み出し、外套を脱いでそれを切嗣に手渡した。薫が着ていたのは尼僧服。その上に首元から膝まで続くエプロンのようなプレートアーマーを付けていた。
 横長の鋼板をキャタピラ状に縦に繋いだブレスト&スカートは、闇色に塗られていながら金属光沢を放ち、仄かな光を反射する。
 そして腰には騎兵刀(セイバー)をぶら下げて、更にアゾット剣を差していた。指には宝石が飾られた指輪が複数。首にも宝石がはめ込まれた金のネックレスを付けている。
 薫は数歩、前に出て、騎士のように片膝を付きこうべを垂れた。
「アインツベルンの当主殿にご挨拶申し上げます。わたくしは、霊地冬木にて遠坂の管理者(セカンドオーナー)代行を務める父、言峰綺礼の娘で言峰薫と申します。本日は訪問をお許しいただき、結界を解いてくださったことを感謝いたします」
 薫の物言いに、アハトは髭の下でホウと小さく呟いた。
 しかし彼は返事をしない。視線は薫の上を通り過ぎ、その後ろにいる切嗣に突き刺さる。
「痴れ者が、よくもおめおめと顔を見せたな。切嗣よ」
 圧力さえ生み出すほどの眼差しに、しかし切嗣はその場で耐えた。
 眼下の奥のアハトのまなこが釣り上がる。その形は怒りであり、反して歓喜も含まれた。
 アインツベルンを裏切り、聖杯を破壊した大罪人。衛宮切嗣。
 放逐し、野垂れ死ぬのが似合いだと、今まで誅さずにいてやった。その慈悲もわきまえずに目の前に現れたなら容赦はしない。主に噛み付く駄犬など、生かしておく理由はありはしない。その首をねじ切る程度では、アインツベルンの怒りは収まらないと知るがいい!!!
「お待ち下さい、アインツベルンの当主殿。アハト翁(オールド・アハト)とお呼びしても宜しいか?」
 アハトの妄念が沸騰しようとした寸前に、薫がアハトに声を掛けた。
 アハトにすれば、薫などに用はない。遠坂とつるむ聖堂教会の飼い犬など、気にするほどの価値もない。
 しかし薫はアハトの前に立ち、切嗣への視線をさえぎった。
「実はこのように無理を言ってお訪ねしたのは、ご当主たるアハト翁にどうしてもお聞きしたいことがあったからなのです。どうか幾つかの質問をすることをお許しいただきたいのですがどうでしょう?」
 薫の問いかけにアハトは髭の下でグフグフと含み笑いをして見せた。
 いいだろう。裏切り者を連れてきてくれたのだ。質問ぐらいはさせてやる。
 そう思って頷いた。薫が「では」と何かを言おうとしたその時に、礼拝堂の奥から一人の少女が飛び出した。

「キリツグッ!!!」
 飛び出してきたのは薫と歳が同じくらいの少女であった。
 彼女の髪は輝くような銀髪で、瞳は透き通った紅玉を思わせた。妖精のような可憐な容姿は、少女がホムンクルスであることを如実に示す。
 だがしかし、この少女は顔にキラキラとした笑みを浮かべて、全身には躍動感が満ちている。扉の横で静止しているメイドのホムンクルスとは違い、少女は生気で光り輝くかのようだ。
「イリヤ」
 切嗣は一歩踏み出す。しかしそこで足を踏み留めた。彼はすがるような目をすると同時に、苦しげに歯を食いしばる。
 上がりきらずに、それでも伸ばされた腕と手が、切嗣の苦悩を告げていた。
 己の父の姿を確認し、イリヤ、すなわちイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは胸の前で両手を組む。小さくわぁっと声を上げ、紅玉の瞳を輝かせる。
 しかしそれも束の間。
 彼女の顔はみるみるうちに不機嫌となり、その目尻を釣り上げる。そして少女は叫き散らした。
「キリツグのバカッ! 今まで何をしてたの?! どうして帰ってこなかったの?! お母様はどうしたの?! なんでそんな子と一緒にいるの?! バカバカ、キリツグのバカ!! わたしずっと待っていたのに、キリツグは何をしていたのよっ?!」
 ハァハァと息切れを起こしたイリヤスフィール。切嗣は腕を持ち上げ手を伸ばす。言葉は出ずに口が震える。そして一歩を踏み出そうとした足下に、

 ———— 薫が黒鍵を投げ刺した。

「「え?」」
 切嗣とイリヤスフィールが動きを止めた。そんな二人に言峰薫が静かに告げる。
「下がりなさい、衛宮切嗣。アハト翁に失礼があってはいけません。……すみません切嗣さん。これが限界です」
 感情を殺し、しかし唇を噛んで薫は告げた。
 それを見て、切嗣はその場に膝を着いた。片手を付いた。雪の上に突き立った剣(ツルギ)の向こうに娘がいる。しかしこの手は届かない。
「ぁ、ああ、ぁあぁあぁ……」
 剣の向こうのイリヤスフィールは、きょとんとした顔でこちらを見ている。そんな彼女を見つめる視界が涙でにじむ。
 届かない。約束は守られた。言峰薫は衛宮切嗣をアインツベルンの城へと連れてきた。だから約束は果たされた。
 でも届かない。氷雪の結界を抜けて城へとたどり着いて、しかしそれでも届かない。
 この手があそこに届かない。薫が刺した剣を超えて、娘にこの手は伸ばせない。
「イリヤ、……ぁあ、ィ、リ、ヤァ、ぁぁぁ」
 切嗣は泣き崩れた。

 ぐふぐふと、アハトの嗤いがヒゲの下から聞こえてくる。そんな彼に薫は頭を下げて許しを乞うた。
「申し訳ありません、アハト翁。この衛宮切嗣は、御身にとっては許し難き反逆の徒であるとは存じておりました。そんな彼を同行させたのは、ひとえに私が未熟であるが故。案内人になるだろうと思った次第です。
 しかしアインツベルンは彼を放逐し、慈悲を与えている様子。この者を処断するというのも今さらの話かと。私も連れを殺されてはメンツが立ちません。いかがでしょうアハト翁。ここはこのコトミネ・カオルに免じて、この者を見逃してやってくださいますよう懇願いたします。……第三魔法の担い手よ」
 蔑みの視線で見下ろしていたアハトだったが、薫の言葉に目を剝いた。
「なんと?! 貴様、我らを第三魔法の担い手と呼ぶか?!」
 薫は深々と一礼し、厳かに頷いた。
「聖杯戦争において、英霊が降臨する器となる七つの座(クラス)それはアインツベルンの秘法たる第三魔法の応用だと、父より聞かされております。違うのですか?」
「いいや違わぬ! ホホホ、そうか。我らアインツベルンのを魔法の担い手と認めるか?! そうか! そうか!! ホホホホホホホ」
 首を傾げた薫に、アハトは何度も頷く。興奮した声を上げ、滝のような髭を何度もしごいた。
「いかがでしょうかアハト翁。私はまだ小娘ではありますが、外交屋の真似事などをしております。魔術協会と聖堂教会の連絡窓口などをやっておりまして、」
「そうかそうか、いやいや、それは大変なものだな。褒めてやろうぞ。ホホホホホホホ」
 聞いているのかいないのか、アハトはグフグフと嗤い続けている。
「若干非才の身では睨みを効かせることも出来ませぬ。ここでもまた連れを殺されたと噂されては面目が丸つぶれです。アハト翁、どうか私を助けると思ってこの者の命は見逃してくださいませ」
「ホホホホホ。良かろう、教会の小娘よ。カトミネコオルとか言ったな。貴様に免じ、その犬の命はくれてやる」
「アインツベルンの慈悲に感謝いたします。あ、すみませんが、コトミネ・カオル。言峰薫ですので、どーかひとつ」
「ホホホ、そうか。すまぬな、コトミネカオル。これでよいのだな?」
「はい、どうかお見知りおきを」
 ハハハハハ。雪化粧された礼拝堂の入り口に、老人と少女の笑いが木霊した。

 しかし、そこに怒りの声が割り込んだ。

「何よそれっ?! キリツグを悪く言わないでっ!!!」
 一本の剣を挟んだ向こう側、イリヤスフィールが白い顔を赤くする。口元を固く結んで目尻に涙を浮かべていた。
「何よあなた! 何でキリツグと一緒にいるのよ?! あなたなんかにキリツグの何が判るの!! キリツグは、キリツグは、……私ずっと待ってて、一人で待ってて、寂しかったけど、切嗣が帰ってくるって信じてて、私、一人で寝ながら、約束通りに帰ってくるって待ってたのに、やっと帰ってきたのに!」
 何が言いたいのかが良く判らない。判らなくても泣きたくなった。だけどそれは許されない。
「なのに何であなたが一緒なのよ?! きっとあなたが邪魔したんだ。キリツグは約束守るもん。そうよ! あなたが邪魔したから今まで帰ってこなかったんだ。きっとそう!!」
 少女の視線が身に痛い。切嗣が何かを言おうと顔を上げるが、彼は未だに涙を拭けず、その頬は濡れたままだ。
 ふぅふぅと、息を荒げたイリヤスフィールに、薫はなんとか笑みを作って語りかけた。
「始めましてフロイライン(お嬢さん)、貴女は切嗣さんの、いえ、アインツベルンの姫君、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンで宜しいか?」
 イリヤは睨んだままだった。
「私は冬木から来た言峰薫。薫と呼んでくださいね」
 イリヤはフンとそっぽを向いた。
「前回の聖杯戦争において最後まで勝ち抜きながら、令呪を使いサーヴァントに聖杯を破壊させた。よって切嗣さんはアインツベルンに放逐され、何回来ても結界を超えられず、引き返さざるを得なかった訳ですが」
 え? とイリヤは呆けた顔になり、切嗣とアハトの顔を交互に見やる。
「ま、そこにつけ込み案内を頼んだ私も、正直どうかと思います」
 可愛い顔をムムムと膨らませるイリヤスフィール。
「しかしどうしても確認したいことがありまして、だからフロイライン。切嗣さんを許してあげてください」
「ああ、もう判んないっ! あなたが何を言っているのか判らないわ。もういいから全部話して!!!」
 小さなイリヤが睨み付けてくる。しかし怒った様子も可愛らしく、思わず頬が緩みます。
「何が可笑しいのよっ?! キリツグ、そんな子の近くにいちゃダメだよ!」
 うぇ、などと切嗣がよく判らない声を出す。
「切嗣さんはさておいて。アハト翁、ここからが本題なのですが宜しいですか?」
 硬くなった薫の声を聞き、しかしアハトは髭の下でニヤリと笑ったようだった。
「お訪ねしますがアハト翁、先の聖杯戦争の終盤において、出現した聖杯の中から、世界を呪う「呪いの泥」が溢れたのですが、これはご存じか?」
「何よソレッ?!」
 イリヤがいきり立つがアハトはそれを制した。
「知らぬな。アインベルンの役割は聖杯を用意することの一点だ。その聖杯はラインの黄金。つまり世界を支配する指輪の力を持っている。サーヴァントの器と奇跡を起こすための祭器の準備、我らはそれ以外には想いは掛けぬ。
 呪いの泥だと? そんなもの、大方はマキリか遠坂の仕業であろうよ。そうよな、呪による支配はマキリの業よ。ならばその呪いとやらは、マキリの仕業に相違あるまい」
 フンとバカにしたアハトだが、薫は眉を寄せて呟いた。
「……本気で言っているのですか?」
「なんだと?」
 ギロリと睨むアハトの視線は、邪眼の域に届くかという程だ。妄念に憑かれギラギラした視線はしかし、言峰薫が跳ね返す。
「ではもう一つ。この世、全ての悪(アンリ・マユ)という名に聞き覚えはありますか? まぁ、無いとは言わせないのですが」
 アハトはその眼を細めて見せた。
「知らぬとは言わぬ。だがそれがどうした」
 アンリ・マユ。それは65年も前に召喚し、敗北を喫したモノの名だ。そんな名前がなぜ出てくるのか、アハトには判らない。
「前々回、第三次ですか。イレギュラークラス・アベンジャー(復讐者)として召喚されたアンリ・マユはゾロアスター教の大悪神ではなく、彼の名を与えられた生け贄の男だったと聞いています」
「……それがどうした?」
「彼は特別だった。人々に「悪であれ」と祀られて悪神となったその男は「願いを叶える悪魔」でもあったのだとか。それは弱いものでサーヴァントとしては最弱、すぐに敗北したと聞きます」
「その通りだ。見当違いと認めよう」
 頷くアハト。そんな彼を薫は見上げる。
「ですが「願いを叶える」べく生け贄となり崇拝された彼の在り方に聖杯(願望器)が同調、聖杯戦争システムの中核たる「大聖杯」にアンリ・マユが同化した」
「なんだと?」
「故に、聖杯は破滅の方向でしか願いを叶えぬ物となり、前回で聖杯を手にした切嗣さんは世界が破滅する幻影を見せられ「これでいいか?」と問われた後に、ふざけるなとブッ壊したのです。そうですよね切嗣さん?」
 急に振られた切嗣は、四つん這いの姿勢のままで「ああ、そうだ」と返事を返した。
「ですからねイリヤスフィール。アインツベルンが切嗣さんを追放したのも当然ではあるのですが、切嗣さんが聖杯を破壊しなければ、世界が呪いで滅んでいたかもしれないのです。貴女のお父さんは凄い人ですよ」
 え、そうなんだ。とイリヤは笑顔を見せる。
 切嗣は這いつくばったままで眼をパチパチさせた。
「と、その様なことを御存知かどうかをお聞きしたかったので、こうして無理してお邪魔したのです。不完全な状態でも街のかなりが焼けました。完全に動作したなら、呪いは世界を焼き尽くすかと思われます。よって、」
「それがどうした?」
 拳を握って身を乗り出した薫の言葉を、アハトは睨んで止めさせた。
「アンリ・マユが大聖杯に宿り、その願いは世界を呪う。それは判った。しかしだからどうした?」
 平然とアハトは言った。
「貴様は御三家のみが知るはずの、聖杯戦争の真実を知っているようだな。
 ならば判ろう。
 聖杯に英霊の魂が満ち満ちて、七つの魂を束ねて「英霊の座」に還すその時。ラインの黄金の指輪が「根源」に通じる穴を固定する!
 根源からの魔力でラインの黄金は願いを叶え、この世界を支配する。その力には神ですら刃向かえぬ。
 根源からの無限の力、そしてアインツベルンが伝えしラインの黄金。この二つを以て、あらゆる奇跡が可能となる。
 それが全てだ! 呪われた? それがどうした?! 世界が滅ぶ? それがどうした?! そんな些末を気にしてどうする?! 小娘! 貴様も魔道を識るなら判るであろうが?! 根源にいたり奇跡と魔法を手にするためなら、世界などどうなろうと知ったことではなかろうが!!!」
 老人は、熱病にかかったように青白い顔を紅潮させて歌い上げた。魔法さえ叶うなら、奇跡へと到るなら、世界などは呪われたところで構わぬと。

 —— ひゅぅぅぅううう ——

 冷たい風が吹き抜けた。
 興奮したのかアハトは一人、肩を上下させている。反して周囲の者達は、呆然と立ちすくむ。
 イリヤと薫は呆けた顔となり、切嗣は泣くのを止めて顔を拭った。
「え、えーと、」
 薫は声を出すが、その先が続かない。世界などどうでもいい。そう言いきった妖怪爺に何を言えばいいのか判らない。
 風が冷たい。吐く息が白くなる。冷たい。冷たすぎる。待て、これは異常だ!!! 何か来る?!

 薫が振り向いたのは、自分たちが通ってきた方角だ。冷たい風がやってくる、その方向に何かいる。
 ひょろりとした大男だ。
 青白い肌をして、だらしなく口を開けている。目は虚ろで灰色の瞳に輝きはない。頭には、ぺったりと肌に張り付いた金の髪が伸びている。
 冬だというのに服は着ず、腰回りにボロ布を巻いている。腕が異様に長く、膝下あたりに拳がある。
 そして全身から冷気を発し、吐き出す息が冬の空気を白く凍らせ、ダイヤモンド・ダストを起こしているようだ。
 男はゆっくり近づいてきた。近づいてきてやっと判った。
 身長が三メートルを超えている。どう見ても人間とは思えない。これも恐らくホムンクルス。しかも北欧神話に語られる「霜の巨人」を模している?!

 霜の巨人(フロスト・ジャイアント)は北欧神話に登場するの「ジャイアント(大いなる者)」の一種、大自然の精霊だ。
 巨人と言っても体つきは様々で、自然の恵みを象徴する巨人は美しい女性の姿。人に知恵と恩恵を与える役目を持ち、時には人との間に子を残す。
 自然の破壊的な力を擬人化した巨人は人食いで、神を喰らったヨルムンガンド蛇やフェンリル狼も巨人に分類されている。
 霜の巨人は主に人食いに属する存在であり、神々や人間とは敵対する。オペラ「ラインの黄金」にも彼らは登場し、黄金の指輪に支配されて殺し合う。
 そんな彼らは混沌より生まれた創世の巨人ユミルの直系であり、霧と寒気と氷の世界ニヴルヘイムを統べる氷雪の支配者だ。彼らの子孫の女から、北欧神話の大神オーディンが生まれることになる。
 自然の触覚、精霊であり自然の猛威、人食いでありながら、同時に知恵と力を授ける存在。
 北欧神話で定義するなら「真祖(オリジナル・ヴァンパイア)」も文句なしに巨人(大いなる化け物)となる。

 現れた化け物に、薫は内心、舌を巻く。
 全身から放たれるこの冷気は氷雪結界と同じもの、つまりこいつが結界の基点であろうか?!
 結界保持用。氷の巨人。霜の巨人(フロスト・ジャイアント)
 いや、本物ではありえない。巨人の因子を組み込んだホムンクルスに違いない。
 ラインの黄金の伝承を継ぐとは聞いたが、こんな化け物を飼っているとは思わなかった。
 薫が睨むその先で、巨人は首を傾けたまま停止した。ぽっかりと空いた口から吐く息で、水蒸気が凍ってキラキラ光る。濁った眼がこちらを見ている。まともな理性を感じない眼差しに、鳥肌が立つのが止まらない。
 グフグフとアハトは嗤う。
「待ってくれ! アハト翁、この子の父親は聖堂教会の代行者だ。手を出すのは拙い!!」
 切嗣は立ち上がって訴えた。
「黙れ切嗣! 誰が口を開いて良いと許した?! 裏切り者めが。その小娘に免じて殺すことだけは許してやろう。だがな切嗣、裏切り者を無事に帰すなどアインツベルンの誇りが許さぬ。顔の半分程度は覚悟せよ!」
 アハトの言葉に、しかし切嗣は安心したように、ああ。と頷く。
 そして切嗣は前に出た。そんな彼にイリヤは驚き、引き留めようとするのだが、アハトに止められ立ち止まる。
 イリヤは震え、小さい手をぎゅっと握りしめている。切嗣は諦めた表情を浮かべて棒立ちだ。そんな二人を見下ろして、アハトは髭の下で嗤い続けた。

 だがしかし、それが気に入らないインベーダーがここにいる。

 薫は切嗣の前に出た。そんな薫に切嗣はギョッとなる。ちょっと待てという前に、言峰薫は振り向いた。
「アハト翁、一つ提案があるのですが」
 ホゥとアハトは眼を細めるが、切嗣の顔は引きつった。
「ゲームをしませんか? 私があの巨人と戦い、倒すことが出来たなら。イリヤスフィールに城の周りを案内してもらえる。というのはどうでしょうか? ギブアップはありでお願いします」
「言ったな小娘。良かろう。だがな教会の娘よ。アインツベルンのホムンクルス、侮るならば命はないぞ」
「承知しております。ではそーいうことで切嗣さん、アハト翁とイリヤスフィールをお守りしなさい」
 待ってくれと言うのだが、アハトと薫は聞いちゃいない。
「何をやっているんだ薫ちゃん! こんなことに何の意味がある?!」
「いいじゃないですか。霜の巨人と戦えるなんてチャンスは一生に何度もないですよ?」
「あってたまるか! もういい、僕はもう満足だ!! だからそんな無茶をしなくていい!!!」
「あっはっは。そうはいかないのです。それにほら、お姫様が寂しそうにしてますよ?」
 薫が指差すその先で、イリヤが不安そうに切嗣を見つめていた。
「アハト翁、ピンチになったら切嗣さんに助けてもらってもいいでしょうか?」
「よかろう。じゃが助けにはいるなら巨人は攻撃するぞ。構わぬな」
「結構です。では切嗣さん。いざというときはお願いします。それまではお二人のガードをお願いしますね」
「待ってくれ薫ちゃん! 僕の話を聞いてくれ!!」
 切嗣の必死の声に、薫は小さくため息一つ。だが振り向いた少女の声が、制止の意思を拒絶した。
「やかましいっ! さっさと二人を守りなさいっ!!!」
 さくさくと雪を踏みしめ、薫は巨人に向かって歩いていった。置いて行かれた切嗣は、呆然と立ち尽くす。
「ねぇ、キリツグ。あの子、何をやってるの?」
 イリヤの問いに、切嗣は何と言えばいいのか判らなかった。

 薫は巨人と向き合った。
 身長は、やはり3メートルを超えている。バーサーカーよりでかいよコイツ。とても頭に届かない。
 しかし体は貧相で、肉が少なくガリガリだ。見た限りでは動きも遅く、多分頭も良くないだろう。何とかなると思いたい。
「まったく。幻想の国ドイツとはいえ、我ながら何をやっているんでしょう。ねっ!」
 小手調べにと、黒鍵を投げつける。
 巨人は身動き一つしなかった。その体に黒鍵は突き立つが、切っ先が僅かに刺さって停止する。直ぐに霜に覆われ地面に落ちた。
 薫の顔が引き攣った。
 数ミリしか刺さらない? 摂理の鍵が効いてない? 炎上させる前に氷の魔力で塗りつぶされた?
(……ドラゴンの方がマシかもしれない)
 どうするかと躊躇した。すると巨人の胸が膨らんだ。息を吸い込み大きくなる。締まりのない緩んだ顔が、こちらに口を向けていた。

 —— ゴォォォォォォオオオ ——

 巨人が吹雪の吐息を吐いた。空気中の水分が凍り付き、雪の結晶となって吹き荒れる。
「七鍵・展開。”アイアス” 顕現!」
 魔術障壁を瞬時に展開。七本の黒鍵がバラ色の光を放ち、花弁となって薫を守る。しかし薫は飛び退いた。
「……げぇ」
 呻いた薫の視線の先に、巨大な雪の結晶が落ちている。違う、直径2メートルの結晶などありえない。それは薫が使った魔術障壁、アイアスの形をしていた。
 概念干渉、超常の冷気によって障壁が凍り付いたのだ。あの場所に居続けたのなら、自分も氷の彫像になっていただろう。
 薫の背中に怖気が走る。
 魔術のアイアス(投擲防御)とはいえ、三秒も耐えられないとは。
 あの吐息はデス・クラウド(死の雲)だと思った方が良いかもしれない。即死の危険性がある。
 いや「火の鳥」を展開すれば、即死にならない自信はある。しかし出来ればあれは隠したい。
 後ろから切嗣が呼ぶ声が聞こえるが、それは無視する。
「黒鍵・顕現。炎上!」
 炎が生まれ渦を巻くが、巨人の肌に届いていない。数センチの冷気の層が、熱と炎を遮断している。
 ダメだ。こいつは幻想に依存する精霊に近い存在であるようだ。ただの炎じゃ高温でも通じまい。物理攻撃も意味を成さないかもしれない。
 幻想を砕かなければ殺せないなら「摂理の鍵」が威力を発揮するはず。はずなのだが、完全に神秘の格で負けている。神意を語り、魔の存在を否定するには薫の信仰心では力が足りない。
 聖堂騎士がやるように、集団で敵を囲んで摂理の鍵をかざせば効くとは思うが、オトモダチが少ない薫にそれは出来ない。
 一人で頑張る以外に他はない。
 伝承を思い出す。巨人には、血を流し続けて死んだという話があったはず。なら失血死はするはずだ!
 薫は騎兵刀(セイバー)を引き抜いた。

 切嗣、イリヤ、アハト翁。三人が見守る先で、言峰薫が腰の剣を引き抜いた。
 黒鍵は通じず、魔術は肌に届かない。ならばと武器でいくらしい。
 その切り替えをヨシと思いつつ、しかし切嗣はどうすればいいのか判らない。
 薫は飛行魔術を使うつもりはないらしい。出し惜しみをするには危険すぎる相手だが、どうやら巨人はおつむが悪く、動きも鈍い。あれなら機動力に優れる薫が捕まることはないだろう。
 ……それは嘘だ。
 足下には雪が少し積もっている。巨人は長い腕を振り回す。丸太のような大振りを薫はかわすが、余裕はない。時折吐き出す白い息。それは空気も凍らす氷の吐息。一度でもそれを浴びればきっと薫は凍死する。
 辺りの気温が低下を始めてもいるようだ。
 薫は魔力放出(オーラバースト)で駆け回る。魔力を吹き出す騎兵刀で斬り付けて、ダメージの蓄積を狙うようだがあれではダメだ。
 傷口からは銀粉をまぶした白い血が流れるものの、傷は凍り付いて出血を止めてしまう。
 薫もそれに気付いている。目付きが危なくなっていた。
 あの子はあれで気が短い。保護者がいけないせいである。きっとそうに違いない!
「キリツグ、あのお姉ちゃん、死んじゃうよ?」
 イリヤに言われるまでもない。子供に巨人は倒せない。
 薫の鎧や尼僧服が霜で覆われ始めている。真っ白な雪と氷が、闇色の服と鎧と少女の髪を汚していく。
 雪に足を取られて薫は転ぶ。
 騎兵刀を持ったまま、薫は器用に受け身を取った。振り下ろされた腕をよけ、横薙ぎに斬り付ける。
 火属性の魔力を帯びた刃は巨人の肌を切り裂くが、流れる血など微々たるものだ。
 そして巨人は血液こそ流れてはいるものの、心臓などがあるかも怪しい。特化型はそういうものだ。
 最後の一滴まで血を流させねば死なないのなら、薫は絶対に力尽きる。そして薫はそれを読んでいる。焦りを浮かべる少女の顔が、切嗣には痛々しい。
「もういい!」
 切嗣は声を張り上げる。しかし薫は止まらない。
「もういいんだ!!」
 戦ってなど欲しくない。自分さえ冬木に行かなければ、平和に暮らしていたであろう女の子。その彼女は教会に引き取られ、代行者のような化け物や、伝説の中の魔人と暮らさなければならなくなった。
 それでも少女は教会で、幸せそうに暮らしている。自分には、この子を無事に帰す責任があるはずだ。
 言峰綺礼は大嫌いだし、薄々正体が判ったアーチャーなどは、知ったことではないのだが、あの二人が待つ場所に、この子を必ず連れ帰る。そうでなければ士郎が危ない。大河も危ない。他に選択の余地はない。
 だからもう諦める。いや、もう充分で満足だ。早く帰ろう。それがいい。

 薫は地を蹴り、距離を取り、騎兵刀の切っ先を地面に向かって突き刺した。
 切嗣が何か言ってるが、聞こえない。聞こえないったら聞こえない。
 もう少しだけ頑張ろう。
 戦いには意味がある。どんなに悲惨で悲劇でも、戦うことには意味があり、きっとそこには祈りがある。
 狂ってしまう者もいる。だまされて戦う者もいる。やらされている者もいる。
 それでもだ。戦わなくてどうするのだ? 死ね。よこせ。消えろと言われてさてどうする?
 相手の靴を舐めるのか、無理に笑って誤魔化すのか、金を払って許しを請うのか、あるいは体(女)を差し出すか。逃げて、忘れて、それでいいのか。
 剣を取るとはどういう事か、地獄のような戦場で、正しくあろう、誇り高くあろうとするのはいけないことか。
 切嗣には、英雄達の生き様を美しいと感じて欲しかった。
 自分では、きっとそこまで届かない。薫は小さく呟いた。

 —— なりふり構って、いられるか ——

「術式 ”火の鳥” 起動・展開」
 赤い炎の翼を広げ、薫は空に舞い上がる。巨人を見下ろし、己の翼に呼びかける。
「術式 ”火の鳥” 起動・展開!」
 声に応えて、右の手首に翼が生えた。
「術式 ”火の鳥” 起動・展開!!」
 右の足首から、続いて炎の翼が伸びる。
「術式 ”火の鳥” 起動・展開!!!」
 左の足首から、更に燃える翼が広がった。

「 —— Flame - falcon , triple axel. —— 」

 くるりと回ると薫から、三体の火の鳥が左右と上に分離する。鳥たちは弧を描き、霜の巨人に襲いかかった。
 鳥はクチバシと爪を突き立てようと飛び掛かる。しかし巨人の体は冷気の鎧に守られて、火炎の侵入を許さない。
 薫は着地し巨人を睨む。半年程度の練習期間じゃ火力が弱い。いいとこやっとランクD。まだまだ地獄が見たりない。だから薫は魔術を付け足す。
「黒鍵・顕現。 行軍・炎上!」
 衿から、袖から、スカートの中から聖典紙片が舞い上がる。それが三十を超える細身剣へと形を変えた。剣は主の命を受け、巨人へ飛んで炎上する。
 鳥を巻き込み火炎が巨人を包み込む。しかしこれでもまだ足りない。
「一番、二番、三番、四番。連鎖解放。炎獄神音(カノン・ルビー)」
 両手からルビーの魔弾が飛んだ。
 火・支配・王権の象意を持つ紅玉は、薫と等倍の魔力を秘めた火炎の魔弾。
 炸裂音が鳴り響き、火柱が巨人を覆い隠した。巻き上がった炎の渦に、薫は腕を突きつける。

 命を燃やす火炎魔術。属性を写した聖典紙片。魔力を封じた宝石魔弾。その全ての火力を掌握し、

「 Intesive Einascherung(我が敵の火葬は苛烈なるべし)!」

 遠坂の火葬呪文に収束した。

 爆音と熱風が庭園を吹き抜けて、粉雪を巻き上げた。しばし視界が塞がれる。
 煌めく氷の結晶が落ち着くと、薫が地面に伏せていた。
 肩を押さえて薫は呻く。限界を少し超えたようだ。右肩を中心に、背中と腕に火傷が出来た。魔術回路は閉じてしまって開かない。過剰に流れた魔力の残りが体に残っているものの、熱が神経を刺激して痛みが酷い。
 歯を食いしばって痛みに耐えた。そして薫は前を見る。
 巨人は跪いていた。
 白い肌は黒く焦げ、髪は縮れて溶けている。片目はただれて破裂していた。両手と両膝を地に付けて、しかしホムンクルスは死んではいない。
 焦げた肌がゆっくり霜で覆われる。呼吸が始まり白い息が吐き出される。再生している。
 やってられない。
 そんなことを思いつつ、薫は騎兵刀(セイバー)を地面から引き抜いた。
 魔術回路が閉じた今、ろくな魔術は使えない。そうだとしても、この身に魔力がある限り、使える魔術がここにある!
「オーラ・バーストォォオオ!!」
 高く高く舞い上がり、騎兵刀を振り上げる。魔力を通し吹き出すだけの試験品に、ありったけの魔力を込める。
「エクスキューション!」
 全体重をかけて首筋に切り込んだ。
 刃は肉に食い込むが、ゴリッと硬い何かにあたる。骨はチタンか超合金か、剣の一撃を跳ね返す。
 刃を滑らせ振り抜いた。
 騎兵刀は首を切り裂き、巨人は頭を傾けた。ぱっくり開いた傷口が、白い血液を拭きだした。
 下から薫は、今度は刃を天に掲げる。
「 —— ギロチンフラッグ —— 」
 それは聖堂教会の騎士剣技。あごの下、喉から突き上げ頭蓋骨を貫く必殺の絶技。
 だがそれは停止する。切っ先は食い込んだ。しかし頭蓋骨の中、脳味噌に届かない。なけなしの魔力を振り絞り、騎兵刀に流し込む。
「術式起動。九連斬擊!」
 下あごの骨が作る狭いアーチの内側で、騎兵刀が登録された斬擊パターンを再現しようと踊り狂った。
 そして、巨人の下あごがバラバラになって吹き飛んだ。

 薫は地面に膝を着く。手にした騎兵刀は折れていた。仕方がない。所詮は魔力を通すだけ、強度なら騎士長剣(ロングソード)の方が上なのだ。
 ホムンクルスのあごは吹き飛び、白い液体がしたたり落ちる。首の骨が折れたのか、頭部がぶらりと垂れて上下が逆だ。それでも巨人はまだ動く。長い腕を振りかざす。
「……ちくしょう」
 薫は殴り飛ばされて、観客達の後ろに落ちた。

 衛宮切嗣はそれを見ていた。
 薫はついに力尽き、殴り飛ばされ地に落ちた。助けに入る隙もない。
 後悔する、ことがある。
 切嗣は言峰薫を暗殺者にすることが出来なかった。
 依頼は「魔術師殺し」の手法の伝授。しかし薫は良い生徒ではなく、切嗣の言うことなんか聞かないのだ。
 後ろから殺(ヤ)れというのに正面から突っ込むし、罠にはめろというと上空から爆撃する。
 ライフル狙撃を教えてみれば、アンチ・マテリアル・ライフルを注文しやがる。そりゃあ威力も射程も上だけど、対物狙撃銃、口径20mm.はボルトアクションでも銃じゃなくて砲(カノン)だろ!
 保護者がいかんのだ! 保護者が!! くたばってしまえ言峰綺礼!!!
 ホムンクルスは暴れている。首が折れて見えなくなったか、その動きはメチャクチャだ。それがこちらにやってくる。
 どうやらあいつは魔力をあてに、つまりイリヤに反応しているらしい。アハトが何やら呼びかける。しかしあいつは止まらない。
 後ろでは娘が自分を引いている。逃げなければあれが来る。礼拝堂に入ってドアを閉めれば安全だ。それは判っているのだけれど。
 契約は果たされた。イリヤにも会えた。だからどうでもいいのだけれど。
 必死になって自分を引っ張る娘がいる。雪にまみれて動かない、戦ってくれた少女がいる。
 あの子はバカだ。
 戦争は地獄を生み出す悪魔の所行。戦場は常に地獄であり、そこいるなら全ての者が、地獄を作る化け物だ。
 そう思って生きてきた。
 だから自分は戦場で人を殺した。最低限の犠牲者を、殺す役目を自分に課した。少しでも戦場を小さくするために。少しでも戦争を早く終わらせるために。
 そんな自分に誇りなど感じることはなく、戦いに意義や意味など思うこともない。
 戦うことが悪なのだと、そんな風に思って生きてきた。

 ———— だが。

 切嗣はイリヤの頭を撫でた。彼女は目をパチパチさせる。切嗣は笑みを浮かべてイリヤに語る。
「イリヤ、今まで秘密にしていたことを教えてあげる。内緒だよ」
 とまどうイリヤのキレイな髪を、切嗣はグリグリ撫でた。やめてやめてとイリヤはむくれる。切嗣は手を放す。
「僕はね、本当は凄く強いんだ。巨人にだって負けないんだ。本当だぜ」
 切嗣はイリヤスフィールに背を向けた。しかしそれは逃げではなくて、痩せた男は背筋を伸ばし、自分の娘に広い背中を見せ付けた。

「なぜって僕は「正義の味方」だからね」

 切嗣は雪を踏みしめ前へと進む。
 右手には、魔術礼装。魔銃コンテンダー・ピストルを持つ。
 左の拳に、相手の魔術回路を切り裂く「起源弾」を四つ刺す。
 中折れ式の単発銃コンテンダーは、さしずめ短剣のようであり、14インチの銃身が鈍く輝く。
 弾丸は.30-06スプリングフィールド弾。防弾チョッキを紙くずのように引きちぎるライフル弾。
 これこそ衛宮切嗣の真の切り札。彼の属性を叩き付け、概念を具現化させる擬似的な概念武装。
 切嗣は「火」と「土」の二重属性。詳細は「切断」と「接合」の複合属性。彼の属性が魔弾となって撃ち込まれれば、電気回路に一滴の水が落ちたかのように魔術回路をショートさせるのだ。

 霜の巨人が四つん這いで暴れている。だがそんなものは怖くない。
 ぶら下げた頭に残った窪んだ眼、それが切嗣を見たようだ。長い腕が持ち上がる。

「 ———— Time alter.(固有時制御)」

 世界を歪めろ、世界をだませ。嘘つきなこの僕の、嘘で世界を塗りつぶせ。

「 ———— Double accel.(2倍速)」

 自身の体内時間を加速させ、切嗣は疾走する。ホムンクルスの腕をかいくぐり懐へと入り込む。そして両手を首の付け根に突きつける。
 単発の魔銃コンテンダーが、五回の雷鳴を轟かせた。
 爆弾が破裂したかのように、巨人の首の付け根が大きく弾け、白い液が派手に飛び散り辺りを汚す。
「がはっ?!」
 切嗣は血を吐いた。手を付いて、ゲホゲホと咳をする。無理して使った魔術の反動、意識が飛ばなかっただけありがたい。
 巨人を見ると、首はまだ付いていた。しかし皮一枚でつながっているだけだ。起源弾によって内部も切り裂かれているはず。痙攣を起こし、再生も止まったようだ。
 首からしたたる体液も止まらない。終わった。こいつはもう助からない。
 だがそれでも、偽りの巨人は動いてみせた。
 皮一枚でつながる首をぶら下げて、カタカタ揺れる腕を振り上げた。
 切嗣は動けない。体力も魔力も尽きた。彼は死に損ないの巨人を睨む。
「キリツグッ!」
 イリヤスフィールの声がした。そしてアゾット剣が飛んできた。振り向くとイリヤが薫を抱え、腕を振り上げこちらを見ていた。
「キリツグ! それ使えって!! この子がそれ使えって!!!」
 目の前に刺さったのは黄金のアゾット剣。薫が使う魔術礼装「王の剣」それは「支配・王権・法の執行」という力を以て、敵の存在を塗りつぶす。
 剣は嫌いだ。
 しかしそれでも思い出す。戦場という地獄の中。光り輝く剣を掲げて、気高くあろうとした騎士の姿を思い出す。
 ああ、あれは……。
「確か」
 切嗣は、アゾット剣を両手で持った。
「こんな」
 そしてそれを肩に担いだ。それは全力での斬擊姿勢。
「感じだったよなァァァアアア!!!」

 切嗣は雄叫びを上げ、———— アゾット剣は光を放ち、巨人の首を切り落とした。

 ……夜になり、風があるのか窓がカタカタ鳴っている。
 アインツベルン城の客間に言峰薫は担ぎ込まれた。挫傷と火傷だけで命に別状はなく、今は天蓋付きのベッドで眠りについている。暖炉には火が燃えて、部屋を温かく照らしていた。
 暖炉の前の長椅子に、切嗣は横になっていた。
 なんとかアハトに許可を得て、薫の治療をさせたのだが、自分には部屋が用意されはしなかった。しかたがないので眠る薫の番をする。
 切嗣は少し毛布を引き上げた。するとそこにイリヤの顔が現れる。
 薫が落ち着き切嗣が一息ついていると、お姫様は毛布持参でやってきた。
 さんざんに罵られ、ポカポカと叩かれて、お尻と腿をつねられた。それでも許してもらえずに、こうして一緒に寝ているのだ。
 まぶたが重い。とても疲れた。勘弁してくれ薫ちゃん。言峰綺礼、ブッコロス。
「聞いてるの?! キリツグ?」
 はいはい。聞いているよお姫様。でもとても眠いんだ。そろそろ許して欲しいのだけど、無理かなぁ。
「嫌よ、絶対に許さないんだから。……ねぇキリツグ、またいなくなっちゃうの?」
 ごめんよイリヤ、でもね。日本には君の弟がいるんだよ。
「本当?! 弟って、私より子供よね?! じゃあ私がお姉ちゃん?」
 そうだよイリヤ。うーん、でも士郎は直ぐに大きくなって、お兄ちゃんになっちゃうかもしれないね。
「えーっ?! そんなのダメ。狡いよ!」
 ははは。イリヤ、今度は日本においで。そうすれば士郎や大河ちゃんが……。

「キリツグ?」
 どうやら眠ってしまったらしい。イリヤスフィールは父と自分の体に毛布を掛けた。
 話したいことが沢山あるが、彼はすぐにいなくなる。絶対に許さない。だから今夜は離さない。ニッポンにいるという、弟だって許さない。
 だからいつか、日本に行こう。パパが城に入れないなら今度は自分が会いに行くのだ。
 温かい暖炉の前の長椅子で、イリヤは切嗣に抱きつき丸くなる。椅子で眠るなんてレディー失格なのだけど、みんなキリツグが悪いのだ。だから今夜は離さない。
 少しして、イリヤスフィールも眠りに落ちた。

 二日後の朝。意識の戻った言峰薫は自分に治療魔術を掛け、体力だけは回復した。
 そして薫はイリヤスフィールを肩車。イリヤは切嗣と手をつなぐ。約束したイリヤによる城の周りの案内である。だがしかし、
「何で私が肩車? 切嗣さんにやってもらえばいいでしょうに」
 ぶーぶーと薫は文句を付ける。しかしイリヤは取り合わない。
「なによ。あなたは私を指名したの。アインツベルンの名を持つ私の案内よ。感謝しなさい」
「あー、なんか今、あなたの将来がとても心配になりました。どうですか切嗣さん?」
「あはは、悪いね薫ちゃん」
「ちっ、邪魔しないように二人で行けと言ったのに、なぜに私がこんな……」
「キリツグは疲れているの!」
「私だって疲れてますよ?! わぷ、雪深い?! 溺れる、溺れるー?!」
「助けてキリツグ! 私だけ助けて!」
「……倒れてみます」
 ばふっ。
「きゃー、雪嫌ーい! カオルのバカーっ!!」
「しまいにゃ私も怒りますよ。でりゃ!」
「冷たーい。もうバカバカバカ」
 この日、城を一周するのに1時間以上が必要だった。そして衛宮切嗣と言峰薫はアインツベルンの城から去った。

 ———— 一週間後。

 薫はやっと帰国した。
 切嗣には一足先に帰ってもらい、自分はイギリスに寄ってきた。
 色々と収穫のあった旅だった。チグリスとユーフラテスのお花畑が見えたような気もするが、それはきっと気のせいだ。
 冬木市新都、郊外の丘の上。冬木教会礼拝堂の扉を開ける。
「王様、おじさま。ただいま帰りました」
 おかえりなさいと出迎えたのは、今日は小さな王様ギルガメッシュだ。大人の貴男は何処ですか? 仕事は溜まってないですよね?
「やれやれです。カヲル、貴女はボクのことを何だと思っているのですか?」
「王様です」
「ならば宜しい」
 何が良いのか不明だが、ギルガメッシュはニパッと笑う。そして懐から封筒などを取り出して、はいと薫に手渡した。
「なんですかこれ?」
「キリツグからの退職願です。カヲルが戻るまで待てと言ったんですけどね。頭を下げてきたので受け取りました」
 そういえば、契約は終了したのだ。切嗣との関係もこれまでだ。
 仕方がないと思っていると、綺礼が切嗣から荷物を預かっていると言ってきた。
「おじさま、中身は何でしょう?」
「知らんな。奴にはお前に礼を言ってくれと頼まれた。それだけだ」
 綺礼は詰まらなそうにフンと鼻を鳴らした。かなりどうでも良さそうだ。
 地下礼拝堂に運んだと言っているので、多分、中身は危ないものだ。確認は後にして、薫は荷物を片付ける。
 ギルガメッシュにお土産を献上し、綺礼にも包みを渡す。そして凛にも電話する。
 報告などは後回し。晩餐の準備に取りかかる。台所に立つのも久しぶり、今夜はお米をいただきます。一通りの下ごしらえを終わらせる。
 空いた時間に地下へと降りた。闇の帳が光を隠す、そこは地の底・魔人の居城。
 謁見の間の入り口横に、大きな木箱が置いてある。どうやらこれが件のブツか。ナイフを使ってこじ開ける。
「うわ、これって……」
 出てきたのはライフル、狙撃銃だった。
 アインツベルンの城から帰る道筋で、薫は切嗣にさんざん文句を聞かされた。
 しかしですね切嗣さん。暗殺と狙撃の美学を説明されても困るのですよ。びば・ゴ〇ゴ13。ダイヤだって砕けるぜ!
 あははと苦笑しながらライフルを出してみる。
 ワルサーWA2000セミオートマチック狙撃銃。全長90センチと小ぶりだが、世界最高峰の狙撃銃だ。
 何か他にも入ってる。
 出てきたのはスコープ(照準器)だ。超高感度、電子増幅式の暗視スコープ。そして熱感知、パターン映像表示スコープだった。
 その組み合わせに言峰薫は青ざめる。
 使い方は教わった。あまりにも悪辣な、魔術に頼らぬ暗殺技法。
 闇の中、魔力を働かせずに遠距離から狙撃する。
 闇の中、熱パターンから魔術回路を起動している者を見分けて狙撃する。
 魔術師たる己と戦えるのは、魔術を修めた者しかいない。その油断を突くための「魔術師殺し」の装備がこれだ。
 反して薫は自分には暗殺は厳しいと判断し、更なる遠距離から撃てばいいやと対物狙撃銃を選んだのだが、切嗣的に気に入らなかったようで怒られた。
 狙撃と言っても普通は100メートルほどで行うものだ。有効射程が1㎞でもだ。それが狙撃の限界だ。
 だから薫は発想を裏返し、本当に1㎞先から撃てばいいやと考えた。
 よってアンチ・マテリアル・ライフル口径20㎜を買ったのだが、お説教されました。命中すればヘリでもジェット戦闘機でも打ち落とせる過剰な火力。君はバカかと叱られた。
 魔術殺しと呼ばれた貴男が何を言う? そう反論したのだが、20㎜というのが拙かったかもしれない。少しだけ反省しよう。
「あれ?」
 下の方に紫檀のケースが埋もれていた。持ってみるとずっしり重い。きっと中身は拳銃だ。開けてみる。
「 —— !!! 」
 息を飲む。
 入っていたのはコンテンダー。これは薫が買った最新型のG2コンテンダーじゃない。
 胡桃材削り出しのグリップとフォアエンド。14インチもの長い銃身。ライフリングと擊針に魔術的処理を施したそれは衛宮切嗣のコンテンダー。ケースには起源の魔弾が数発あった。
 コンテンダーを取り出すと、銃の下から折った紙切れが姿を見せた。それを読む。

 書かれていた短い文章が、別れの言葉を告げていた。

 薫の視界が涙でにじむ。冷たい銃を抱きしめる。
「わ、私がこれをもらって、どーすんだ、よぉ……」
 —— !
 ———— !!
 —————— !!!
 祈る神もなく、光も差さない地の底で、薫は一人、声にならない悲鳴を上げた。

 薫は泣きながら、 ———— 春になった。

 夜の冷え込みが和らぐようになった四月の上旬。冬木市深山町の衛宮邸の縁側に、切嗣と士郎が腰掛けている。
 月光が差し込む夜の庭は寒々しいが、空気が澄んで輝く星がよく見える。
 二人はパジャマ代わりの浴衣を着込み、並んで座り、星を見る。
 衛宮士郎は養父の顔を横からうかがう。
 最近の切嗣は、こうして大人しくしていることが多くなった。
 彼は今年の初めには、仕事でヨーロッパに行ったのだが、その時は「社長のボディガードで外国に行くなんて、映画みたいで凄いだろ」などと言って胸を張っていたのだが。
 凄いかどうかは士郎には判らなかったが、父が楽しそうにしていたのは覚えてる。
 帰ってきた切嗣は穏やかな顔をしていたが、一体何があったのかすぐに勤めを辞めてしまった。
 疲れた。
 そう言って頬をかく切嗣に、士郎も大河もなぜと理由を聞けずにいる。
 そしてそれから切嗣は、こうしてぼんやりゆったりと、静かに時間を過ごすことが多くなった。
 その様子は、例えるなら年老いた猫が日溜まりで丸くなり、寝こけている様子に似ていた。
 何とはなしに、士郎は彼の側に寄る。
 見れば父は空を見上げていたようだ。士郎も同じ空を見る。今日は空に雲もない。
 欠けた月と星達が、闇の中で光を放つ。
「士郎」
「なんだ爺さん」
 切嗣は星を見ている。
「僕はね士郎、正義の味方になりたかったんだ」
 何を言うかと士郎はむくれる。彼にとって切嗣は、会ったときから正義の味方だ。火災の中で、自分を助けてくれた人。剣も強くて魔術も出来る自慢の父だ。
「何だよそれ。あきらめたみたいじゃんか」
 拗ねた感じになった自分の言葉に、切嗣は小さく苦笑した。
「あはは、そうだね。正義の味方っていうのはなれる時間が限られているみたいなんだ。そんなこと、早く知っていれば良かったよ」
 切嗣の、寂しげな顔が士郎はくやしい。
「それじゃしょうがないな」
「ああ、しょうがない」
 切嗣は目を閉じ、俯いた。しかし彼は「だけどね」と言って士郎を見た。
「だけどね士郎。こんな僕でも一度だけ、正義の味方になれたんだ」
 そう言い微笑む父の顔は、ささやかな誇りに満ちていた。しかし士郎は小さく、ちぇっと舌を打つ。
「なんだよ、一回だけなのか?」
「ん? ああ、一回だけだな。今思えば、もっと昔からやっていれば良かったね。あはははは」
 笑ってごまかすお父さん。士郎は横目でジッと見る。
「しょうがないな。ならさ、俺が爺さんの代わりにもっとたくさんやってやるよ」
 士郎の言葉に切嗣は目を丸くする。
「爺さんにはもう無理でもさ、俺なら大丈夫だろ。まかせろって、爺さんの夢はこの俺が、何度でもかなえてやる」
 その言葉に切嗣は目を細め、口元を弛めて見せた。未来に向けた少年の誓いの言葉は、切嗣に確かに届いた。
 切嗣は目を閉じて、嬉しそうに頷いた。
「……ああ、安心した」
 星の光に照らされながら、衛宮切嗣は微笑みながら眠りについた。

 享年34才。運命(Fate)より2ヶ月ほど長く生きたことになる。


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あとがき
 衛宮切嗣、退場です。……詰め込み過ぎか。しかも長い(自分のせいである)
 当初は切嗣に登場予定はなかったのですが「ギャグをやる」「幸せそうなのを書く」「スタイリッシュに活躍させる」「一度だけ正義の味方やらせる」をやってみたかったわけで。
 可能なら「セイバーを肯定させる」これもやろうと考えた。我ながら、ちょー無謀。
 傲慢な挑戦でしたが、微妙に届かなかった気がします。ああ、どなたかそんなお話を……。
2009.2.21th

追記:北欧神話やラインの黄金、オペラのチェック(10時間以上)とアレンジは大変でした。細部が伝承などと異なるのはわざとです。

次回予告
 直帰をせずに、薫は英国を訪れる。足を向けたのは魔都倫敦、そして大英博物館。
 色々な人物が顔出しする寄り道編。
 黄金のおまけ「ロンドン」
注:書き換えの予定です。買い物パートはプチねたへ移動します。

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