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Fate/黄金の従者#11嘘と契約
空を見上げれば星が瞬き、風にはまだ冷たさが残る春の夜。冬木市深山町の武家屋敷こと衛宮邸の縁側に、衛宮切嗣の姿があった。
よっこらしょと腰を下ろして、踏み石に常備してあるサンダルを突っかける。
しかし彼は立ち上がることはなく、そこに座って背中を丸めた。
顔は少々やつれており、髪は何処かだらしなくぼさぼさだ。藍染めの着流しの上に半纏などを羽織ったその風体は、彼に枯れた感じを纏わせる。口元には苦笑を浮かべ、その瞳の焦点はおぼろげではなかろうか?
ーー 衛宮切嗣はその時を待っている ーー
あの惨劇から四年の時が経ち、全てをなくした自分であったが多くのものを手に入れた。だがそれも長くは保たないだろうと彼は既に感じている。
「この世、全ての悪」という極大の呪いに身を浸した体である。体力は蝕まれ五感は衰え、魔術回路も低調でしか回らない。気を抜くと聞こえてくる怨嗟の声も、この心と体から、気力と活力を削り取る。
こんな自分を愛してくれた妻がいた。彼女を犠牲にしてまで求めた奇跡はしかし成就せず、かけがいのない仲間も失い、娘にも会えなくなった。
それでもこうして命を繋ぎ、あの日あの時、たった一つ救えた子供を息子にして暮らしている。
士郎という名の少年も大きくなった。自分と違って士郎は呪いの声に塗りつぶされることはなく、今も後ろの和室で寝息を立てている。そんな当たり前の平和な時が、今の切嗣には救いであった。
願わくば、士郎には多くの幸せがあらんことを。父親として家族として、衛宮切嗣はありきたりの願いを思う。
だがしかし。
風が吹いた。そして闇色の人影が衛宮邸の庭に舞い降りる。影は音もなく切嗣の座る縁側へと近づいて、……。
(こぉーん・ばぁーん・わぁー)
教会の尼僧服を着た女の子が、小さな声で囁きながら手にした箱を突き出した。
(今晩も、夜分遅くすみませぇーん。あ、これお土産ですので、どーぞ)
しょうがなく受け取った箱を見てみると「王様もビックリ! 豪華金粉、金ピカ・カステラ」などと書いてある。
……なんだか力が抜けていく。
勘弁してくれ。などと思う切嗣の目の前で、少女は地べたに跪き、今日も無茶な願いを口にする。
(衛宮切嗣様、どうか「魔術師殺し」の技を教えてくださいっ!!!)
なにとぞっ! と庭に土下座する少女は言峰薫。衛宮切嗣は今夜も深いため息を付かずにいられない。正直、頭が痛かった。
Fate/黄金の従者#11嘘と契約
話は数日前にさかのぼる。
都市伝説「人面犬」を処分した薫であったが、呪詛と疲労に力尽き、新都中央公園で倒れてしまった。
それでもなんとか動き出そうとした薫を、衛宮切嗣は手を差し伸べて立ち上がらせた。驚愕に目を丸くする薫をベンチに座らせて、切嗣は自販機で暖かい紅茶缶を買って手渡した。
「ありがとうございます」
薫は手渡された缶のプルを引き、甘くてステキなミルクティーを口にした。冷えた体と疲れた頭にミルクティーがありがたい。
しかしである。心臓の鼓動がうるさく早い。さっきは背中に冷や汗もかきました。
なぜならば。隣に腰掛け、缶コーヒーをすすっているこの男は衛宮切嗣。言峰を名乗る薫とは、本来は接点を持ってはいけない人なのだ。
遠くから撮影した写真くらいは持っている。薫はこれでも社長さん。手駒に困ることはない。
魔術師を調べるのに魔術を知る者を当たらせれば警戒される。むしろ普通の興信所などにやらせた方が、一般的な情報などは入手しやすいと考えた。
切嗣の日常生活における行動範囲、衛宮邸の構造、衛宮士郎と藤村大河の行動調査、藤村組との関わり具合、切嗣の密出国と密入国の手法と経路、欧州での行動など。これらを綺礼やギルガメッシュに内緒で調べさせていたりした。何か調べているとは気が付かれているかも知れないが、聞かれてないから大丈夫。
今の所は大した情報などはなく、素行調査で終わっている。それ故に切嗣の方から言峰に、というか薫に近づく理由はないはずだ。
……とはいえ何度かちょっかいは出してるので、気にしていたりしたのだろうか? ごめんなさいと心の中で謝っておくことにする。
いいかな? 切嗣は薫に笑顔を向けた。
なんでしょうか? 薫も努めて笑顔を作る。
「薫ちゃん、君は僕のことを知っているんだね?」
「はい」
切嗣の問いに薫は頷く。
「君は僕と言峰神父、君のお父さんのことを知っているのかい?」
「はい」
衛宮切嗣こそは、言峰綺礼の胸を撃ち抜いた張本人。
「君は遠坂の家にも出入りしているよね? 遠坂のお嬢さんから、君は何か習っているのかな?」
「魔道の技を」
隠さず答えた薫の声に、切嗣は顔をしかめた。
「そうか。でも薫ちゃんは言峰神父からも、何か習っているんじゃないのかい?」
「祈りと剣と、外道と戦い倒すための心と技を」
そうなんだと呟き、彼は缶コーヒーをあおった。遠くを走る車の音と、時折強くなる風の音。それだけが、しばしその場を支配した。
「私からも聞いて良いですか?」
薫が問うと切嗣は、なんだい? と優しく微笑む。
「なぜ私に接触したのですか? 衛宮さんが私に近づくのはリスクが高いと思うのですが?」
そうだねと彼は頷き、空になった缶を手の中で転がした。
「でも薫ちゃん。君は僕のことを、いや僕と僕のまわりの人のことを調べていただろう?」
違うかいと切嗣は尋ね、薫はいいえ違いません。ごめんなさいと頭を下げる。
「でもどうしてかな? あの戦いは終わった。聖堂教会と魔術協会のことを知り、関わってしまったのなら、もう僕のことを調べる価値はないと思うのだけれど」
その通り、しかしそれは嘘である。聖杯戦争システムは生きている「この世、全ての悪」を宿して育みながら。
薫は知らない。切嗣が霊脈に細工をし、次の六十年周期の前に大聖杯が破壊されるようにしたことを。
切嗣は知らない。次の聖杯戦争が、あと六年で起きると薫が知っていることを。
「おじさま、じゃなくて父・綺礼を倒すほどの魔術師がこの冬木にいるのですから、調べておくのは当然かと思います。もっとも衛宮さんは工房(アトリエ)を作らず、魔術の実践もしていないようですが」
「うん。僕はね、もう魔術師であることはやめたんだ」
顔に影の差す切嗣だったが、薫は心の中で「うそつけ」などと悪態をついている。工房こそ設けていないが、衛宮士郎に魔術の手ほどきをしていることは、これだけは薫が調べて知っている。
へー。と三白眼で見上げる少女の視線に居心地が悪くなったのか、切嗣はごめんと頭を下げた。
「実は、養子に取った息子の士郎に、少しだけ魔術を教えているんだ。でもね、士郎は普通の家の子供で才能もないから、魔術師にはなれないよ。強化魔術をちょっと教えてるくらいで、あとは構造解析が上手だけど無駄な才能だしね」
まあ、本質や概念をイメージ喚起し、世界の魔術基盤から神秘を引き出す魔術師にとっては無駄な才能には違いない。
「そんなことを私に話しても良いのですか? 言っておきますが「言峰」は霊地冬木の管理者代行なのですよ?」
おまけに聖堂教会にも連なる「こうもりさん」だ。
「そうみたいだね。でも薫ちゃん、君は「知っている」んじゃないのかい?」
少々真顔になった切嗣に、薫は小さく頷いた。どうなるかは判らなかった。しかしそれでも待っていた。この邂逅を待っていた。
衛宮切嗣は背もたれに寄りかかり、息を吐いて星空を仰ぎ見る。
「君は凄い子だね。言峰綺礼の養女というだけでも驚いたのに、聖堂教会の祈りの力を身に付けている。しかも遠坂の宝石魔術も使えるみたいだしね」
「見てたんですか。ひょっとして結構前から調べてましたか? そういえば先々週、不審者が初等部校舎を覗いていたとかで騒ぎがあったような憶えもありますが」
知らないなぁ、と切嗣は目を逸らす。微妙に目線が泳いでいるが、気が付かない振りをしてあげよう。
「しかも会社の社長までやっている。僕もね、最近は情報誌を見るようにしているよ。毎号載ってる薫ちゃんのウェディングドレスは可愛いね」
「イエ、ソレハ見ナイデ下サイ」
くそぅ、おじさま言峰綺礼! お前のせいだぞ憶えてろ!!!
「おまけにサーヴァント・アーチャーとも一緒に暮らしているだろう? 正直、とても信じられなかったよ」
……待て。
薫はベンチから立ち上がり、一気に飛び退き距離を取る。そして両手に黒鍵を顕現させる。重心を下げて足で大地を踏み締めて、投擲に備えて背を弛める。
気付かれて当然とはいえギルガメッシュの存在を口にするのはNGだ。場合によっては予定を早めてここで死ね。
拳に挟んだ摂理の刃を静かにかざし、薫は切っ先を切嗣に向ける。しかし彼は苦笑し両手を挙げて「降参」と呟いた。
「失言だったみたいだね。そうか、薫ちゃんもあの男がサーヴァントだと知っているんだね?」
彼は両手を挙げたままで微笑みかけるが、薫は警戒を緩めない。戦う者としての練度が違う。正直、殺し合いになれば勝てると思えない。
疲れている。覚悟が甘い。経験が少ない。魔術もつたない。銃の弾丸など避けられない。
そうであっても引き下がれない時もある。
「色々とありますが、あの方は私の恩人です。サーヴァントだとかアーチャーなどという呼び方はやめて下さい」
嫌なら貴様はここで死ね。
冷たい想いを刃に込めて、握る拳に力を込めた。手首を返してトリガー・セット。腹と足に狙いを付ける。
「判った。あの儀式は終わった。全てのサーヴァントは英霊の座に還り、残ってなんかいやしない。そういうことだね? 僕の勘違いだ。謝る。全部忘れることにする。だから怖い顔は止めてくれないかな? 可愛い顔が台無しだよ」
困った顔の彼の言葉に、薫は黒鍵を紙片に戻した。そして頬を摘んでマッサージ。
言われたとおり過剰に殺気立っていたようだ。ごめんなさいと謝ろう。
「いや、謝ることはないよ。僕もちょっと軽率だったしね」
切嗣は両手を下げて、自分の隣を薫に勧めた。薫は改めて彼の隣に座り直した。
「薫ちゃん、君はあの男が好きなのかい?」
ふざけた感じの彼の問いに薫は微笑み、頷いた。
「好きですよ。王様も、おじさまも、遠坂凛も、間桐の人達も、藤村組のみなさんも、私はみんな好きですよ」
切嗣はそうかと頷き、背中を丸めて俯いた。拳を額に持ってきて、目を閉じて歯を食いしばっているようだ。
「……、ここで起きた火災は僕のせいだ」
それは心を殺した平坦な声だった。
「僕のせいでたくさんの人が死んだんだ」
切嗣は下を見たまま言葉を続ける。虚ろな瞳と表情の消えた顔からは、彼の心中を察することは薫には出来ない。
「僕がここに来なければ、薫ちゃんも「こっち側」を知らずに済んだんだと思う」
そして彼は目を閉じ小さく震える。
「みんな僕のせいだ、薫ちゃん、ごめ……」
「なんでそうなるんですか?」
震えながら言いつのる切嗣の独白を、しかし薫は遮った。
「今さらそれはないんじゃないですか? 私は報告書を読んだり父や王様から話を聞いたりしています。聖杯戦争システムを構築した御三家のことも知っていますし、前回の儀式に参加した全てのマスターとサーヴァントのことも知っています」
薫の言葉に切嗣は、そんなことまでと表情を曇らせる。
「確かに結果は悲劇でしたが、それでも全員が何かを求めてここに集まり、命を賭けて戦ったのですよね? たくさんの人が死にました。焼け死んだだけじゃなく、呪い殺されたことも知っています」
ギョッとなった切嗣は、震える声で薫に問いかける。
「まさか薫ちゃん、君は、あの呪いを……」
ーー アンリ・マユ、というのでしょう? ーー
切嗣は蒼白となって動きを止めた。五秒近くたってから、震える右手を持ち上げ彼は、何かを言わんとするのだが、上手く言葉にならないようだ。
あの呪いを薫も浴びている。悪気や瘴気に穢れれば、胸の奥から呪いの言葉が聞こえてくる。だがそれは切嗣に比べて弱いもののはずである。
神酒によって再構成され子供になったこの体。預かり宿した黄金の酒器宝具。祈りを力に変える洗礼詠唱。魔を制する神秘の魔術。
そして呪いに負けない言峰綺礼とギルガメッシュが家族なのだ。言峰薫は呪いなんかに負けはしない。だから薫は強い想いを口にする。
「負けません。呪いだろうと「この世、全ての悪」であろうと負けません。慰霊碑を建てて浄化もしてます。犠牲者の家族にはそれとなくケアもしてます。街の再開発には会社グループから手を回してますし、この公園だって五分の一は文化会館と劇場ホールになるのです。工事だってもう少ししたら始まります。私は本当ならここにはいないはずとも思いますが、それでも私はここにいます。だから呪いになんか負けません。運命だって変えて見せます」
言い切る薫に切嗣は唖然とし、ベンチの上でひっくり返るように仰け反った。背もたれの後ろに頭を反らせ、天を仰いで大きく息を吐いていく。
少しして彼は右手を顔にやる。自らの顔を掴むようにして、それから小さく震え出す。
「くっくっく。くくくくく。ははは、あはははは。ハハハハハハハハハ」
ここにいた。あの地獄のような災厄を生き延びて、今を生きる子供が士郎の他にも生きていた。
呪いにこの子は負けてない。泥に汚れてそれでも強く、ただ強く、負けてたまるかと運命に挑んでいる。
「あはははは、あっはははははは」
衛宮切嗣は笑う。仰け反り空を見上げたままで、顔を掴んだそのままで、掴んだ手を涙でぬらしながら、彼は笑うのを止められなかった。
1分少々経過しました。
「ははははは、ハァハァ。うん、どうもありがとう」
薫の差し出したハンカチで、切嗣は顔の涙を拭き取った。こんなに笑ったことはあっただろうか? 腹筋が痛かった。
「なんかこう、釈然としないのですが……」
むぅ、と薫がむくれているが、切嗣は顔が緩むのを止められない。
「くっくっく、いやぁごめんごめん。ぷぷぷっ」
「だからどーして笑うのですかっ?」
ぷぅと薫はむくれている。彼女の表情一つ一つに切嗣は心が軽くなる。
彼は調べた。
言峰綺礼が生きていると知り、綺礼が少女を養子に迎え入れていると知る。教会を見張っていると元気な少女が出入りしている。その子が薫だと判明した。
だがその少女は遠坂邸にも出入りする。改めて観察すると彼女は魔力を持っていた。遠坂時臣の娘、凛と多く行動を共にして、遠坂とは不干渉であるはずの間桐の兄妹とも言葉を交わす。学校に行かず何処に行くかと思えば会社に向かい、近くのビルからスコープで覗くと会議を仕切って大人達に指示をしていた。
凄いな。などと思っていたら、金髪紅眼の青年に付き従って、一緒に食事をしていたりした。切嗣はその男に見覚えがあった。
遠坂時臣のサーヴァント。真名不明の弓兵(アーチャー)だ。
どうやったのかは知らないが、アーチャーは肉体を得たようだ。詰まるところ、前回の聖杯戦争の勝者は言峰綺礼とアーチャーだったということだろうか?
それも変だと思いつつも監視を続けた。そして彼は気が付いた。
あの言峰綺礼が笑っていた。アーチャーも笑っていた。そして少女は泣いていた。いや、泣いて怒ってむくれていたが、あの二人と一緒に笑っていたのだ。綺礼が笑い、アーチャーが笑い、その中間で少女が笑う。
信じられないと今でも思う。
切嗣が綺礼と向かい合い、言葉を交わしたのは最後の戦いにおける僅かな時間のみである。しかしそれでも切嗣と綺礼はお互いを理解し、その上で殺し合った。絶対に相容れない思考の持ち主として、互いの存在を許さないと全力で否定し合ったと言って良い。
心が壊れた正義の味方と絶望を抱えた求道者の戦いは、しかし完全に決着を付けることを許されず、聖杯は最後に切嗣が手中にしたのだ。
だが切嗣は聖杯を否定し、聖杯に呪われた。綺礼を後ろから撃ち抜き、令呪(コマンド・スペル)を使ってセイバーに聖杯を破壊させ、夢を叶える儀式はそこで終わった。
勝者を生み出すことはなく、多くの犠牲者を生み出して。
あの戦いで切嗣が知った言峰綺礼は、絶望を肯定した男であるはずだった。師である遠坂時臣を裏切り、殺し、遠坂を見捨てたアーチャーと契約した危険なマスター。聖杯を求めず切嗣との戦いを求めた言峰綺礼。
そんな男が笑っている。傲岸不遜を絵に描いたようなアーチャーも笑っている。二人の間で子犬のようにくるくる回る、薫という少女が判らない。だから切嗣は薫を調べた。調べて判らず、やっと判った。理解した。
なんで笑うのですかとむくれている女の子、この子がきっと変えたのだ。
「ぷぷぷっ」
「いや、だからどうして笑うのですか?」
この男は。とでも言いたげに薫の頬は引きつり、口元は釣り上がる。目尻がちょっとピクピクしているあたりがラブリー。などと思える辺り、切嗣も余裕があると言うべきか?
ごめんごめんと謝るが、知りませんと向こうを向いて、缶の紅茶をグビグビ飲む干すその仕草。いやはなんとも男らしいと感心する。
可愛らしさが台無しなのだが、それと同時に微笑ましくある。
ニヤニヤすれば薫がジト目でこちらを見やる。つつっと目線を逸らしてみれば、むぅとむくれる女の子。
教会の殺し屋たらんとする少女と、かつて魔術師殺しといわれた男が一つのベンチに座って穏やかな時を過ごしている。
なんとなく黙り込み、切嗣と薫は静かになった。さてこれからどうしよう。話したいこと、聞きたいことなど沢山あるが、いざその時が来ると頭は回ってくれません。衛宮士郎のことを聞くべきか? 聖杯のことを聞くべきか? 綺礼との戦いについて聞くべきか?
などと薫が悩んでいると、遠くからエンジン音が聞こえてきた。
ーー てってけ、てってけ、てってけ、てってけ、てけ・てけ・てけ・てけ・てけ ーー
ストロークの長いエンジン音が新都中央公園の入り口付近で途絶えて消える。そして男が現れた。日本人らしからぬ長身で髪はちょっとモジャモジャ。その体躯を教会の僧衣で包み、言峰綺礼が現れた。
綺礼はゆっくりとこちらに歩み寄り、途中でニヤリと笑って頬を弛めた。暗い瞳に愉悦を浮かべ、その歩みに力が宿る。
対して切嗣は座ったままで、立とうとする素振りも見せずに綺礼を睨み付けている。その顔は険しく、瞳は冷たい光りを湛えている。
ーー 待ってくれ! ーー
薫は声を出したかったが動けない。拙い! 非常に拙い!! しまった。綺礼が迎えに来ることを失念していた。空気を読んで遅れてきて欲しかったのだが、彼の場合は空気を読んだら早く来そうで怖いです。
綺礼は近づき、だが数メートル手前で立ち止まる。未だベンチに座る切嗣と、青い顔の薫を交互に見やりククッと嗤う。
そして綺礼は、かつて殺し合った仇敵、衛宮切嗣に言い放つ。
「……ペド野郎」
ひゅぅぅぅぅうううう。後に薫は語る。ええ、あの時、公園に冷たい風が吹いたのです。
「ちょっと何を言ってんですか?! おじさま!!! 切嗣さん? なぜ手を懐に入れてるんです? なんですかその脇の膨らみは? おじさま! ポケットに手を突っ込んで何のつもりですか? 切嗣さん! ここは日本です!! 銃はダメです!!! おじさま! ここは戦場じゃないのですよ!! しまって! 黒鍵しまって!!!」
薫は何とか飛び出した。
共に笑顔で青筋を浮かべる大人の態度の綺礼と切嗣。薫は必死に二人を抑え、綺礼を押して遠ざける。
「おじさま! もう戦争は終わってます!! ダメです! とにかくダメなのです! 切嗣さんは倒れた私を介抱してくださっただけです。ここはお礼をすべき所であって、剣を向けるなんて失礼ですよね?! 隣人を愛せよと偉い人も言ってるじゃないですか! ですから抑えて! ここは抑えて!! 終わったことを思い出して殺し合うなんて馬鹿のすることです!!! やめて下さい! お願いだからやめて下さい!! やめてぇぇぇえええ!!!」
泣き叫ぶような薫の声に、綺礼は下がって剣を収めた。半べそをかいた薫の頭を一撫でし、綺礼はフンと鼻を鳴らした。
「なるほどな。薫、何か調べているとは知っていたが、それはこの男のことだったのだな?」
綺礼の問いに薫は体を振るわせて、はい。と小さく頷いた。
「衛宮切嗣、まだこの街にいたとはな。なぜアインツベルンに戻らない? いや、聖杯を否定したお前だ。戻れないと言うことか?」
薫が綺礼を見上げると、彼は口の端をつり上げ嗤っている。切嗣は向こうで顔をしかめているようだ。
「僕が何処にいようとお前には関係のない話だ、言峰綺礼。……それに僕はもう魔術は捨てた」
切嗣の言葉に綺礼は、ほぅと笑顔で相づちを打つ。
何か言おうと口を開きかけた綺礼を、薫は全力で押して下がらせた。
「わーっ! わーっ!! わーっ!!! おじさま! 帰りましょう帰りましょう帰りましょう!!! 遅くなると王様に叱られてしまいます! 早く寝ますから! 帰ってシャワー浴びてワイン飲んで寝ましょう!! ハリー・ハリー!!!」
腰に抱きつき、さりげなく手で膝の裏を取ってバランスを崩したりして、薫は綺礼を下がらせる。綺礼も切嗣に大して執着がないのか、特に抵抗することもなく、薫に押されて引き下がる。
「あはははは。切嗣さん、今夜はどうもありがとうございました。このお礼は後日、改めていたしますので今夜はこれで失礼します」
言いつつ薫は綺礼の体を反転し、背中を押しつつ尻に膝蹴りを入れて遠ざける。そんな扱いにも綺礼は怒ることはなく、喉を鳴らして笑いながらも押されるままに遠ざかる。
「明日にでもお邪魔しますのでーっ!!!」
そう言って、綺礼と薫は二人でバイクで去っていき、公園には切嗣だけが残された。
切嗣は思い出す。あれが四日前の夜だった。
そして次の日から夜になるとお土産を持って尋ねてくるようになった。来るとおもむろに土下座して無茶を言う。
即ち、自分の「魔術師殺し」としての知識と技術を教えてくれと頼んでくるのだ。
切嗣の異名「魔術師殺し」とはその名の通り、多くの魔術師を殺害してきたことに由来する。命など軽く見るのが魔術師ではあるのだが、魔術師同士の戦いなど遊びのようなものだと切嗣は考える。
魔術師達は魔術で戦う。
くだらないと切嗣は思う。戦いとは殺し合いだ。要は効率よく確実に殺せばいいのだ。
そんな切嗣が好む戦闘術は「暗殺」であり、魔術を使えて理解したその上で、最新の科学技術や銃器を好んで使用する。
それにより、魔術師に悟られずに後ろから撃ち殺す。あるいは罠を使ってハメ殺す。それが切嗣の戦い方だった。
むろん切嗣とて神秘を操る魔術師の端くれだ。本当の強敵とは魔術の秘奥を尽くして戦うのだが、呪いを受けたこの身は既に、全力の魔術使用が不可能になっている。
つまるところ、切嗣はもう満足に戦えないのだ。
しかし薫は魔術に頼らない暗殺技法と、魔術師の陣地を攻略するための結界破りを教えてくれと切嗣に迫った。
そして毎晩こうして庭に土下座するのだ。この子は狡いと切嗣は思う。今夜もため息が止まらない。
こんな女の子を寒空の下、土の上で土下座させていると思うとやりきれない。だが少女が知りたがっているのは戦うための技であり、殺すための技なのだ。一体どういう教育をしているのか? 言峰綺礼に問い質してやりたいとも思う。
しばらくすればすんなりと引き上げるのだが、まさか自分だけ部屋に戻るわけにもいかない。どうにも出来ない切嗣は、薫が土下座しているのを見ていることしかできなくて、心苦しくならざるを得ない。
そしてこの子はそれが判っている。判っているからやっているのだ。だから頭も痛くなる。切嗣はもう何度目か判らないため息を付いた。
「親父?」
障子が開いて、士郎が部屋から縁側に出てきた。腕で乱暴に目を擦り、彼はちょっと眠そうだ。
「士郎、起きてたのかい?」
士郎は「寝てたけどなんか起きた」と言って切嗣の隣に座り込んだ。そして置かれたカステラに気が付いた。
「うわ、またお菓子じゃん。どうしたんだよこれ? お客さんとか来てたのか?」
「あー、うん。ちょっとね」
言いよどむ切嗣の視線の先で、庭に正座している言峰薫がニコニコ笑って右手を振っている。彼女に士郎は気付かない。
薫の左手は首飾りの石を摘んでいる。趣味が良いとはけして言えないそれは、まるで目玉のようであり、実際に目玉石(アイアゲート)と呼ばれるものだ。
おそらくあれは遠坂の魔術工芸品。投げかけられる視線を逸らし、装着者を意識させない「視線除け」の魔術礼装に違いない。
曲がりなりにも魔術が使える切嗣には効果がないが、士郎は至近距離であるにもかかわらず、言峰薫に気付かない。
眠そうな士郎の話に適当に相づちを打っていると薫は立ち上がり、頭を下げて手を振った。どうやら今夜は帰るらしい。口だけ動かし「さようなら」そして薫はつま先立ちで、そーっと大股で去っていく。そんなコントのような動きを見せられ、切嗣は目眩に襲われた。
「なんだよ親父、調子が悪いのか?」
「いや、そうじゃない。大丈夫だよ士郎。あはは。アハハハハ」
笑い声が渇いていた。
次の日の夕方、サイドカー付きのハーレーが冬木大橋を新都から深山町方面へと走り抜けた。
乗っているのは教会の神父こと言峰綺礼とコスプレシスター言峰薫の二人である。
脇道に入り込み、速度を落とした大型バイクとその乗り手を、ご町内の人達が珍しそうに見ています。投げかけられる奇異の視線に綺礼は微笑み、薫は小さく手を振ってみたりする。
「でー、結局何処に行くのですかーっ?」
排気音に負けない声で、薫は綺礼に尋ねます。授業が終わって帰ってみると、出るぞと言われてサイドカーに押し込められた。小さなバッグを抱きかかえ、何処に行くかと黙っていたが、新都を抜けて深山町に突入だ。
中華の泰山へ行くかと思えばどうやら違う。遠坂邸と間桐邸のある山側でもなく、和風建築の多い海側へと進んでいくということは?
「おじさま?! まさか衛宮さん家に行くんじゃないでしょうね?! それはダメですよ?! おじさま?!」
焦る薫に綺礼は違うと短く答えた。
は? じゃあ何処に行くのですかと薫は問うが、綺礼はすぐに着くとだけ答え、住宅街を抜けていく。
今の所、衛宮邸と藤村組しか思い当たる場所はない。ひょっとして藤村組か? でも大通りを抜けた方が早いはず。
むむむ、と薫が悩んでいると、バイクはゆっくり停車した。
「ここだ」
「は?」
薫が見上げた先には背の高い和風建築、のれんが掛けられた入り口は二つあり、雰囲気は何処かノスタルジック。屋根には煙突などが立っている。
「銭湯?」
「うむ、実はボイラーが故障してな、シャワーのお湯がでないのだ」
「だったらキンググループ傘下のビジネスホテルで良いんじゃないですか? 経費で落としますよ」
薫の物言いに綺礼はやれやれと首を振る。
「薫、以前からお前は日本の風呂に入りたいと言っていたではないか。教会にあるバスルームで物足りないとな。ちょうど良い機会だと思って連れてきてやったのだ」
「おお、そうでしたか。って、そんな手に乗ると思っているのですか? おじさま?」
何のことだとニヤニヤ笑う言峰綺礼を、薫は下から睨め上げる。
銭湯。それは庶民が愛するお湯の楽園、日本人の癒しの場。シャワーで洗う教会のバスルームには大いに不満のあった薫であったが、素直に喜べるほど言峰薫は坊やではないのである。なぜならば!
ーー そう、銭湯は「男湯」と「女湯」で別れているのだ! ーー
おのれ言峰綺礼! 私に究極の選択をさせようというのかこの野郎!! いいだろう! 言峰薫、男湯に入ってやろうじゃねぇか!!!
なめんじゃねぇぜとサイドカーから飛び降りた薫をしかし、綺礼は制して止まらせる。
「待て、そろそろ待ち合わせた相手が来る頃だ」
待ち合わせ? ギルガメッシュか? いや、王様は銭湯などには来ないと思うがどうだろう。
あるいは広い湯船にご満悦になったりするのだろうか? ならば時々お願いして連れてきてもらうのも良いかもしれない。背中を流すくらいならやらせてもらうつもりです。
うーんと薫が唸っていると、綺礼が来たぞと手を挙げた。
「こんにちは薫ちゃん」
「親父、待ち合わせって教会の人なのか? いいのかよ?!」
「あー、薫ちゃんだ。お姉ちゃんのこと憶えてる? 判るかなー?」
衛宮切嗣&士郎&藤村大河が現れた。
「ちょっと待てぇぇぇえええ!!! これはどういうことですか?!」
薫は綺礼の胸元をねじり上げるが、彼は涼しい顔を崩さない。
「なに、この国では昔から「裸の付き合い」などいう言葉があるからな。私も故事に習ってセッティングをしてみた訳だ」
「そ、それは故事とは違うと思います。あはは、あはははは」
つーか、切嗣さん、あなた綺礼に呼び出されて良く来ましたね。その度胸に脱帽です。
「さて、これから銭湯に入ろうと思うのだが、薫、お前はどちらに行くのかな?」
「何っ?!」
薫が綺礼に噛み付くよりもなお早く、切嗣が真顔で声を上げた。呆然とする切嗣を、薫が、そして士郎と大河が訝しむ。
「言峰綺礼、実はお前、いいヤツだったのか?!」
「「ちょっと待てぇぇぇえええ!!!」」
士郎と薫が併せて声を張り上げた。そして大河は「やだー切嗣さんてば」などと言いつつ後頭部を殴っている。
「親父、落ち着け。いきなり何言ってんだよ。訳分かんないぞ」
「切嗣さん、落ち着いてください。貴方は本来、そんな人ではなかったはずだ」
二人の子供に言い聞かされて、切嗣は我に返った。そして綺礼を睨み付ける。
「くっ、やってくれたな言峰綺礼。話がある、上手くまとまれば今後一切手を出さないというから来てやったんだ。その全てが罠だったと言うことか?!」
何てヤツだと歯ぎしりする切嗣氏。そして何のことだと綺礼はそっぽを向いている。
「いや、切嗣さん。言ってること変ですから」
「薫ちゃん、今からでも遅くはない。こんなヤツとは縁を切って僕の家に来ないかい?」
「あー、実に魅力的な提案なのですが、私にものっぴきならない事情というものがありまして。お互いの平和のために、距離を取るのが正解だろうと思うのですがどうでしょう?」
君は騙されているんだ! 等とのたまう父親を、士郎君が後ろから何度も引っ張っているのですが、気づいてますか切嗣さん?
どーすんですかこれ? 薫が途方に暮れていると、髪を後ろに束ねた高校生少女(?)の藤村大河が薫に近づく。
「ねぇねぇ、あなた薫ちゃんでしょ? 私は大河、藤村大河よ。去年の夏に後ろの士郎と一緒に一度会ってるんだけど憶えてるかな?」
「あ、はい。その節は助けていただきまして、ありがとうございました。藤村組にお邪魔したときにも何度か目にしたかと思います。仕事の話でお邪魔したので、大河さんにはご挨拶しませんでしたが憶えてますよ」
「やった! 憶えててくれてお姉さん嬉しいな。ねぇねぇ、あのモジャモジャの神父さん、薫ちゃんのお父さんでいいのよね?」
「はいそうです。不本意ながらあのモジャモジャが私の父で、言峰綺礼と申します」
お見知りおきをと言っておく。向こうの方では綺礼と切嗣が、静かに言葉を交わしつつも険悪な空気を醸し出している。もはや薫じゃ手が出ない。勝手にしてと投げてます。
こめかみを揉んでいると、大河が薫を覗き込む。
「ねえ薫ちゃん。貴女ひょっとして男湯にはいるつもりなのかしら? でも「ああ、そのことがだが」
大河の言葉に綺礼が割り込み遮った。
「薫、冬木市の条例では女の子が男湯に入れるのは10才までだった。いやスマンスマン」
(薫ちゃんは11才になりました)
「「謀ったな言峰綺礼?!」」
薫が叫び、なぜか一緒に叫ぶ衛宮さんちのお父さん。
薫が怒りに震えていると、士郎がこっちを見ていることに気が付いた。視線を合わせて見てみると、彼は近づきこう言った。
「お前、女なんだから女湯にいけばいいだろ」
ーー オーケー。衛宮士郎、キサマは今日から私(オレ)の敵だっ!!! ーー
ふふふふふ。不気味に笑う薫から、士郎が距離を取っている。もう遅い。このガキャあ、人の苦労も知らんと女湯に行けとはよくもほざいてくれやがったなへっぽこめが!
我慢して我慢して我慢して、擦り切れていく男のプライドを大事に護って四年間生きてきた。
だがまさか、衛宮士郎から「女湯に逝け」と言われるとは思ってなかったぜこの野郎!!
ふふふふ腐。コロス。衛宮士郎コロス。などと危険なことを呟く薫も実はかなりギリギリなのである。
「じゃあ薫ちゃんは私と一緒に行きましょう? 神父さん、良いですよね?」
そう言い大河が薫の腕を引っ張った。薫は嫌がり逃げようとするのだが、大河は薫を逃がさない。
「放してー、お願いですから放してーっ」
「何言ってるのよ。女の子なんだから、毎日お風呂に入らなきゃ」
「いいんです! 教会に戻って水でもかぶって修行します!! だから放してーっ!!!」
大河は薫を抱きすくめ、抱えて持ち上げ放さない。高等部と初等部では体の大きさが違うので、じたばたしても逃げられない。
「すまないが娘を頼みたい。出来れば君のような女性になれるよう、色々と教えてやって欲しい」
嘘臭い笑みを浮かべた綺礼の言葉に、大河は喜び「きゃ、女性だなんて(はぁと)神父さんもモジャモジャがステキです」などと言っている。
騙されるな藤村大河! あのモジャモジャは悪魔のモジャだ!! 夜になると風が無くてもモジャモジャと動くのだ(大嘘)!!!
逃げられないと諦めて、それでも薫は綺礼に小声で言った。
「……さすがに悪趣味ですよ、おじさま?」
「何、お前を手伝ってやろうと思っただけだ」
教会親子の不思議な会話に、衛宮さんズは首を傾げた。
「かぽーん」
「なぁに薫ちゃん?」
「いえ、お約束かなと思いまして」
神は死んだ、私は貴方を信じない。とうとう女湯に来てしまった。手ぬぐいで大事なところを隠しているが、断じて胸など隠さない。
それが漢(おとこ)!
それに隠すほどの膨らみなんか存在しないと断言する。
見よ! 俺はナイチチ、女になんかなってない、そうだとも! 胸を張っても小さいぜ! やったぜ秋葉。俺とお前はソウルメイトだ!!!
某・妹に殺されそうなことを思いつつ、薫は風呂場で胸を張る。
時は夕方、でもまだ早い。おばあちゃんが数人いるだけで、あとは薫と大河だけである。とりあえずは運が良いと思うことにする。
隣に大河さんがいるのだが、なるべく見ない方向で。
「あれー、薫ちゃん。髪はまとめておかないの?」
そういう大河は髪をほどいて降ろしていたが、肩よりちょっと長いくらいで邪魔にはならない。それに対して薫の髪は、腰まで伸びて長かった。頭の上でまとめておくのが普通であろう。しかし薫はほどいたままで、後ろに流したままなのだ。
「あはははは。髪留めも予備の手ぬぐいもないですし、このまま洗っちゃいます。湯船に浸かるときは、まぁ適当にやるということで」
「ふーん。じゃあお姉ちゃんがやってあげるわ。おいでおいで」
薫が泣きそうな顔をしていることに、藤村大河は気が付いた。しかし大河は明るく元気な少女である。きれいに洗ってお風呂に入って暖まれば、誰でも元気になると信じている。
だから薫を洗い場に座らせて、髪を洗って背中を流してやることにした。
薫は大河のなすがまま、髪を洗って流してもらい、それから背中を流してもらう。背中に感じる感触は、弱く優しく丁寧だ。
我ながら狡いよなと苦笑して、ごめんなさいと心の中で呟いた。
一方、男湯では切嗣と綺礼が並んで湯船に浸かっていた。切嗣の横には士郎が浸かり、二人の大人を盗み見る。
凄ぇと士郎は舌を巻く。
切嗣の体は鍛えられ、そしてあちこち傷がある。そんな逞しい父の体は士郎にとってあこがれだった。
だが過ぎたるは及ばざるがごとし。
コトミネ神父とかいう男の体は傷だらけであり、切嗣より逞しかったが禍々しさを感じさせるモノだった。
絶対に話しかけるな。何か言われても無視をしろ。らしからぬ言いつけを思い出し、士郎は切嗣の横で少しだけ小さくなった。
「でねー、こうやってこうやって、こうするの」
「やめてください、ひゃぁぁあああ。大河さん、やめてくださいーっ」
女湯では薫が大河に後ろから、ぐにぐに胸を揉まれていた。
大河は何をトチ狂ったか「よし! おっぱいが大きくなる方法を教えてあげる」などと言いだした。ビッグなお世話だ止めてくれ。やんわりと断ろうとしたがダメでした。
YエローキャブのK池A子がやってる方法だと言い、大河は薫の乳を揉む。
「まずねー、こうやって強めに撫でさすってお腹や脇から胸に向かって脂肪を集めるようにしてー、」
むにむにっ。むにむにっ。
ひゃぁぁぁあああーっ。
「それから指の腹で、胸を下から持ち上げるように、軽く叩いて刺激するのよ」
ぺちぺちぺちぺち、ぺちぺちぺちぺち、ぺちぺちぺちぺち、ぺちぺちぺちぺち。
いやぁぁぁあああーっ。
1秒に四回から六回ほどの速いペースでもって、大河は薫の平らな胸を撫で上げるように刺激する。
始めはむずがっていた薫だが、今は口から魂がはみ出ている。
むにむにむにっ、ぺちぺちぺちぺち、むにむにむにっ、ぺちぺちぺちぺち。
「こうやって何度も繰り返すのよ。この方法は効果あるわよ。お姉ちゃんもね、この方法で胸が大きくなったんだから」
そう言えば、藤村大河の胸は桜以上ライダー以下だと聞いたような憶えもある。桜が巨大化いや巨乳化したのはこのテクニックを伝授されたせいだったりするのだろうか?
ああ、そんな恐ろしい方法を、なぜに私が桜ちゃんより早く教わらなければならぬのだ?
ぺちぺちと叩かれて、乳房全体がジンジンします。なんだか効果がありそうで非常に怖い。兄貴、俺は今度こそダメかも知れない。背中に当たる大河の脂肪の塊が悩ましい。でも己の股間に勃ち上がるモノがない。
……ダメだっ! 泣いちゃダメだ!! ここで泣いたら負けてしまうっ!!!
しかし薫の視界は濡れていき、シクシクとむせびながら乳を揉まれた。
薫は小銭を手渡して、おばちゃんからガラスの瓶を受け取った。
そう、それは「フルーツ牛乳」銭湯に来たのなら、これを飲むのが男である。
ちなみにコーヒー牛乳でも構わない。
左手を腰に当て、右手でグビッと一気飲み。フルーツ牛乳を男らしく飲む言峰薫。当然ブラは付けてはいない。それが漢(おとこ)の戦う姿であると、薫は信じて疑わない。
なに? 牛乳を飲むと大きくなる? ふっ。愚民めが! それはデマだ。そもそも牛乳に期待されるのはカロリーなのだ。
カルシウムなんかは吸収率が意外と低く、チーズやヨーグルト喰ってる欧州のお年寄りより、小魚と味噌汁飲んでる日本のご老人の方が骨粗鬆症は格段に少ない。それが事実だ。秘密は大豆のイソフラボン。酵素によって栄養の吸収率は変わるのだ。大量摂取と吸収率は話が別だ。上手に摂りたきゃ工夫しろ。
ククククククク。微妙に擦り切れた薫であったが、フルーツ牛乳でなんとか気持ちを落ち着かせた。
大河は先に上がっている。既に服着て出たようだ。ずっとここにいたい訳でもない。薫も服を着るためまずは下着を手に取った。
薫が外に出て行くと、既に全員がそろっていた。長湯をした憶えはないが、悔しいことに身支度に時間を食った結果である。
薫ちゃーん。大河は何故か綺礼の側にいて、おいでおいでと手を振った。トコトコ薫が近づくと、綺礼はまるで歌い上げるかのように朗々と言葉を紡ぐ。
「薫、私はお前を祝福する。良いことを教わったな」
「なっ!!! 大河さん! 話したのですか?! よりにもよってこの男に話したのですか?!」
えーっ、だってお父さんじゃない? などと言ってニコッと笑う藤村大河。その笑顔が憎らしい。所詮この身は言峰なのか? やはり衛宮チームは敵なのか?
シクシクと涙する薫。いっそハンカチを食いちぎってやろうかなどと思っていると、では帰るぞと綺礼は向こうに行ってしまう。
置いていかれても困るので、薫は綺礼の後を追う。そこに切嗣から声がかかった。
「薫ちゃん、嫌なら教会なんかにいることはないよ。君さえよければ家の子にならないかい? 士郎もいるし、大河ちゃんもいる。僕なら大歓迎だよ。どうだろう?」
それは冗談じみた優しい提案。しかし薫は泣きそうな顔になり、ごめんなさいと頭を下げた。
「ありがとうございます。でもダメです。それはダメなんです。他に行く所なんて、きっとないんです。でも、ありがとうございます。ちょっと嬉しかったです」
そう言って薫は走り出し。
ーー 言峰綺礼の手を取った ーー
三人が見送る前で、綺礼と薫はバイクに乗って帰って行った。
すると大河が騒ぎ出し、お腹が減った。士郎、食材を調達するのだと、財布を士郎に押し付ける。
士郎はブツブツ何かを言うが、ちぇーと言いつつ商店街へと歩いていった。そして大河と切嗣のみが、その場には残された。
「大河ちゃん、今日は付き合わせちゃってごめんね。大河ちゃん?」
切嗣は、彼女が涙ぐんでいるのに気が付いた。
大河は笑顔を見せていた。でも目尻には涙を浮かべ、口元が上がったり下がったりを繰り返す。
「どうしたんだい大河ちゃん?」
切嗣の腕に大河はしがみつく。
「切嗣さん、薫ちゃんの背中に、大きな火傷の痕があったんです。あれは火傷です。昔、士郎にもあったヤツです。士郎のは全部無くなったのに。薫ちゃん、女の子なのに。背中一面、首の下からお尻の上まで、血の色で、血が焦げたような色の火傷のあとで、髪が長いのは隠すためなんじゃないかとか、私いろいろ考えちゃって。う、うぇぇぇええええーん」
切嗣は大河の肩を抱き寄せる。この子はとても強い子だ。士郎が戻る頃にはきっと笑顔に戻っているに違いない。
そう思う。そうとは思う。だが……。
「そうか」
それだけ言って切嗣は、大河を支えながら家路に着いた。
「やっぱり悪趣味ですよ」
薫はサイドカーの中で呟いた。今さら言ってもしょうがないとは判っている。判っていても切ない気持ちは無くならない。弱い自分が嫌になる。それでも進むと決めたのだ。
例えこの手を汚しても。そうは思うが汚れた程度で変わるほど、運命の力は弱く無いとも思うのだ。
バイクはスピードを上げ向かい風を強く感じる。髪が晒され気持ちいい。薫は思考を停止した。
次の日、薫が学校から帰ってくると、教会の大扉のその前に小さな王様ギルガメッシュが待っていた。
只今帰りましたと身をかがめると、お客だと言う小さな王様。その口元は笑っているが、赤い瞳が笑っていない。促されるまま礼拝堂に入ってみると、切嗣が椅子の背もたれに両腕を広げて寄りかかり、そんな彼の正面に、綺礼が背筋を伸ばして立っていた。
「切嗣さん?!」
驚く薫に彼はおかえりと笑いかけ、そして席から立ち上がる。
どういうことかと目線で綺礼に無言で問うと、綺礼はフンと鼻を鳴らして口を開いた。
「薫、その男はお前に教えることを条件付きで受け入れた。ならば話せと言ったのだがな。お前が戻るまでは話すことなど無いと言って居座ったのだ」
迷惑な話だ。と言って綺礼はフフンと嗤う。薫が切嗣を見てみると、彼は小さく頷いた。
「薫ちゃん。君が知りたがる狙撃兵の技能と魔術師の陣地攻略、そして対魔術師戦闘理論だけど、条件付きで教えてもいい」
切嗣は冷たい視線でそう言った。
「その条件とはなんでしょう?」
「君が知りたいことは、僕の知る限り教えよう。その代わり、士郎や大河ちゃん、藤村組には手を出すな」
「承知しました。聖堂教会と魔術協会に連なる者として、一般人とは一般以上の付き合いはいたしません」
「士郎には魔術師になって欲しくない。士郎に近づくのは止めて欲しい」
「承知しました。ですが無関心ではいられません。遠くから監視し、そうですね。十八才になり高等部を卒業するまでは魔術関連で関わらない。卒業後、遠坂に一度は挨拶に来させます。これでどうでしょうか?」
「判った。でもそれまでは士郎に魔術で関わらないと約束してくれ。それが条件だ」
「約束します。ただし事故や事件に巻き込まれたならこの約束を破ります」
「いいだろう。士郎には教会には近づくなと言っておく」
「それがいいと思います」
「それから僕が契約するのは君という個人とだけだ。言峰神父や君の王様、それと遠坂のお嬢さんとは関係ない」
「えーと、判りました。あくまでこの話は私と切嗣さんの一対一での契約で、おじさまと王様、それに遠坂は無関係ということで」
綺礼とギルガメッシュからの視線が痛いが、今さらダメとも言えません。
「これで契約は成立した。時間があるときに僕の所に来るといい」
そう言って帰ろうとする切嗣を、しかし薫は呼び止めた。
「すみません切嗣さん、もう少し取引しませんか?」
薫の言葉に切嗣は訝しむ。だが薫はニコリと笑い、驚くべくことを口にした。
「私は年末、あるいは来年初めにヨーロッパに行く予定です。そこで出来ればアインツベルンの城を訪ねたいと思っています。可能なら、道案内を頼めませんか?」
「……なんだって?!」
ドイツの辺境、氷雪の結界に護られたアインツベルンの居城。力の落ちた切嗣ではもはや辿り着けない魔境である。そしてイリヤスフィール、実の娘が、もう二度と会えないと思っている娘がいる場所だ。
「薫ちゃん、君は一体、」
「出来るのですか? 出来ないのですか?」
薫の問いに、切嗣は我に返った。見れば目の前の女の子は背筋を伸ばし、じっと自分を見つめている。その瞳の奥にある輝きが、どうすると問いかけているかのようだ。
「判った、案内する。させてもらう」
「対価をもらいますよ?」
「……何が欲しいのかな」
切嗣には判らない。この子が欲しがるものなど想像できない。
「まず武器商人を紹介してください。私は正規の聖堂教会メンバーになれそうもありません。なので教会ルートでは銃とか買えないんです」
それは良いのかと思いつつ、切嗣が綺礼を見ると、綺礼が向こうで苦笑していた。
「判った。フランスの武器商人を紹介しよう」
「それからこれは取引ではなく「お願い」なのですが、切嗣さんの魔術「固有時制御」を教えていただく訳にはいきませんか?」
「なんだって?! 薫ちゃん、それは無理だよ。あれは危険だ。今の僕では使えないし、魔術刻印の補助なしで制御は無理だ。それに君と僕では属性が違う。あの魔術は衛宮の魔術の応用だ。だから薫ちゃんには使えないよ」
切嗣の返事に薫は、あーやっぱりと肩を落とした。しかし薫はなおも言う。
「それでも教えて欲しいのです。私はいずれ中央公園の霊脈と契約するので最大魔力が上がります。属性は確かに違いますから、そのままでは使えないとは思います。でも儀式魔術(フォーマルクラフト)化して時間制御の魔術としてなら研究できると思うのです。言峰家伝の魔術とかはありませんので、格好付けの意味もありますが。なんなら将来、士郎君に研究成果を返しても良いですよ」
なるほどと思いつつ、いやしかしとも切嗣は考える。
言峰薫。言峰綺礼の養女であり、遠坂凛の弟子である。キンググループの代表の一人でもあり、魔術協会と聖堂教会の両方にコネを持つ、穏健派の新派閥。コウモリなどとも呼ばれているが、次代を担う注目株とも目されている異端の少女。
士郎の将来を考えるのなら、恩を売っておくのも悪くはないか?
いや、この子にそんな危険な道を歩かせるのか?
だが既に言峰薫は己の意志で進んでいる。自分には止められない。この子の回りには綺礼がいてアーチャーがいて、遠坂がいる。なら危ないときには誰かが止めにはいるだろう。
時間操作魔術は儀式魔術なら使えないこともないかも知れない。だが大がかりだから戦闘魔術になりはしないはず。それなら平気かも知れない。魔術刻印がない限り、固有時制御は無理だろうから、教えた所で構わぬか?
「ではこの件については、ゆっくりと考えてもらうということでお願いします。で、まずはライフルが欲しいのですが」
「いや、始めはエアガンからにしよう」
えー、と言う薫に切嗣は苦笑する。この先どうなるのかは判らない。しかし年末、あるいは新年。娘に会える希望が出来た。そのためには目の前の少女に魔術師殺しを教えなければならないが、この子はきっと大丈夫だと切嗣は考える。この子なら、自分のように心を殺して戦うことなど無いだろうと信じたい。
言峰綺礼と、なぜか子供の姿のアーチャーに小言を言われて小さくなってる薫ちゃん。切嗣は、この子に賭けてみることにした。
前の話へ 次の話へ
あとがき
せめて前編・後編、あるいは三話構成くらいにするべきだった。反省。
でも書きたいことは書きました。隙間産業的色物作品(自覚はある)である「Fate/黄金の従者」これで第二部「従者奮闘編(仮)」は終了です。
オリキャラ使って真面目に書いてどーすんだ? と怖くなってしまったことも多々ありますが、続けます。
見に来てくださった方。御意見・ご感想・ご批判を書き込んでくださった方、拍手入れてくださった方。メールして下さった方、ありがとうございます。感謝です。
まだまだ弱い主人公。我ながら微妙なSSになっていると思います。アクション少なめがこれほど大変だとは思いませんでした。あはははは。バトルが書きたいです。
2008.7/31th
次回予告
冬木市の国道を市街地から郊外の森へと走り抜ける妖(あやかし)の大型バイク。
都市伝説「ゴーストライダー」は強力で、薫では倒すことが敵わない。
このゴーストライダー、前回の聖杯戦争におけるサーヴァント・セイバーを原型(モデル)としているかのようで……。
言峰綺礼、遠坂凛、ギルガメッシュが協力し、衛宮切嗣と薫がバイクに跨り、猟犬となって亡霊を追い掛ける!
・Special編パート1「ハイウェイ・スター」
追記:ギャグ&シリアス路線は固持します。
おまけのおまけ
カヲル:こんにちは。薫ちゃんのミニミニ王様講座。司会は私、実は精神的にギリギリな言峰薫と。
ギル:ふむ。このコーナーは自然消滅かと危惧していたが、続ける気はあるのだな。
カヲル:ときどき心配性なサーヴァント・アーチャー、ギルガメッシュが、ふぎゃっ!!!
ギル:どうしたカヲル? カヲル?! ぐはぁっ!!!
(ごそごそ)
(ごそごそ)
剣兵S:お邪魔します。
騎士B:失礼いたします。
剣兵S:不慮の出来事により金ピカとその従者が不明となったため、不承サーヴァント・セイバー。アルトリアと、
騎士B:ベティヴィエールと申します。
剣兵S:私たちが宣伝させていただきます。ベティ、告知を。
騎士B:はい。当サイトには「セイバーのアーサー王伝説講義」というサイドメニューがございますが、現在(2008.8/末日)第1クール、伝説の概略を説明した段階で更新が停止しております。
剣兵S:しかしです! 管理人が「せめて十話は超えないとカッコ付かないだろ」と奮い立ち、第2クールの始動が決定しました。
騎士B:内容はアーサー王の親族、そして円卓の騎士を取り上げるものとなりそうです。
剣兵S:十話では済みそうにないですが、良きことです。これで我が栄光の騎士達を知らしめる足がかりが出来るというものです。うむうむ。
騎士B:サイトが直に1周年ですので、顧みて「もっと更新するつもりだったのに……orz」と反省したようです。
剣兵S:色々とある中、趣味にも力を注ごうというのは結構ですが、本当はリアルをもっとしっかりすべきですね。まぁ私が言うことでもないでしょうが。
騎士B:ともあれ「判りやすく・面白く」という形式で展開される予定ですので「アーサー王伝説」に興味を持つ方が増えていただけることを期待します。
剣兵S:ではまたお会いしましょう。む? 何ですかこのメモ帳は、ふむ。
「ハンムラビ法典:バビロニア帝国の真の帝王とも言うべきハンムラビ王の初心表明演説的な法律で、実際には施行されなかったと思われる。目には目を、歯には歯を。という文が有名だがこれは強者による過剰な逆襲を防ぎ、弱者による正統な報復を保証した極めて平等な規定であった。ただし身分の高いものは金銭で復讐を逃れることが出来た。昔から世の中、金なのか? 宝具「王の財宝」は本来はこの人物にこそ相応しい」
なるほど、しかしこの従者、これをアーチャーの前で読み上げるつもりだったのでしょうか? 意外と命知らずですね。さて、では我々はこの辺で。
騎士B:失礼いたします。
ギル&カヲル:……(きゅう)
ーー フェードアウト ーー
さらにおまけ:衛宮さん家の後日談
「どうかな?」
制服を着て、すちゃっと帽子を装着した切嗣に、士郎と大河は拍手した。
「きゃー、切嗣さん。格好いいです」
「凄ぇ、親父、警備員みたいだ」
「いや、本当に警備員だから」
苦笑を浮かべた切嗣が着込んでいるのは、まごう事なき警備員の制服だった。衛宮切嗣34才。真面目に働くことになりました。
「やった、これでもう「お父さんは旅に出ています」とか作文に書かないで済むぜ」
嬉しそうな息子の声に、切嗣パパはほんの少し涙した。ごめんよ士郎、悪かった。
「じゃあ行こうか」
「おう」
「はーい」
切嗣、士郎、大河の三人は、そろって居間から歩き出す。
「「いってらっしゃーい」」
士郎と大河に見送られ、切嗣はワンボックスカーを発進させた。むかうは新都中央公園。いよいよ工事が始まった文化会館と劇場ホールの現場である。
切嗣は詰め所であるプレハブ小屋に到着するが、そこには他に人などいない。
そこそこの調度品が設えられた空間は、キンググループ、つまり言峰薫が用意したものだった。
彼はここで薫を待つ。
彼女の提案で切嗣はキンググループの警備員として雇われた。その実体は中央公園の霊脈の監視員。そして薫のトレーナーなのである。
霊脈を魔術的な見地で監視し、怪異が起こればこれを報告。普段は薫の教育用にレポートを作成し、薫が来れば講義する。
近々ライフルやピストルも調達しないといけないだろう。はてさて何処で練習させればいいものか。
薫が遠坂の家に行く日はここには来ない。定時になると、切嗣はそそくさと帰宅する。衛宮邸の門をくぐれば、油を熱した香ばしい匂いが鼻をくすぐる。今日のおかずは揚げ物か。ビールを飲みつつ頂こう。
頬を緩ませ、憩いの我が家でくつろごうとするお父さんだが、居間に踏み込み硬直した。
「親父、おかえり」
「切嗣さん、おかえりなさい」
「ほぅ、随分と早い帰りだな」
「なんだ、貴様本当に働いているのだろうな?」
居間には何故か、浴衣姿の言峰綺礼とギルバート・キングこと大きなアーチャーが座り込み、唐揚げを肴にビールなどを飲んでいた。
「……なぜ?」
思わず零れた疑問の言葉。しかし綺礼とアーチャーは我が物顔で、ビールをあおり唐揚げを食っている。
「ハッハッハ。これがこの国の屋敷というものか。簡素に過ぎて我(オレ)の趣味には合わないが、この土地の匂いがするな。うむ、これが本物というものだ。それにこの料理、大きさもまばらで味付けにもバラツキがある。しかしもてなす心が判らぬほど我(オレ)も無粋ではない。シロウとかいったな? 貴様は良きメシ使いになるやもしれぬ。その有り様を忘れるな」
勝手なことをほざくサーヴァントに切嗣は目まいが止まらない。
ささ、会長さんどうぞ。などと大河が差し出すビールをあおり、士郎が作った唐揚げを食していく侵略者(インベーダー)
ああ、奴らはマスター&サーヴァント。戦争は終わったはずだが、溢れる殺意に困ります。
「……風呂に入ってくる」
異次元空間と化した居間から一時的に避難を試みた切嗣だったが、その背中に声が掛けられた。
「ああ、先ほどこの家の風呂に浸かってみたが、あれは良いものだな。湿気の高いこの国に相応しい。なるほど、薫が欲しがる気持ちも判らないでもない」
ニヤリと笑う言峰綺礼。
この野郎! 人の家に押しかけて、一番風呂を奪っていくとは何ごとだ!!!
戦いは終わった。今は貴重な平和な時だ。切嗣は自分に言い聞かす。頬は引きつり拳は握られ、魔術回路をスイッチ・オン。いや、ダメだ。とてもじゃないが勝ち目がない。
PPPPP.PPPPP.
携帯電話が鳴り出して、切嗣は縁側に引き下がる。少しして戻った切嗣は、その雰囲気を変えていた。
目付きは鋭く、口元は固く閉ざされ、俯き加減でその身に力が満ちていていた。
士郎と大河は身を固くした。逆に綺礼は笑みを深くし、アーチャー・ギルガメッシュも危険な笑みで頬を歪める。
「言峰顧問、キング会長」
切嗣の言葉にニヤリと笑う言峰綺礼、そしてアーチャー・ギルガメッシュ。
「ほぅ、自分の立場をわきまえたのか。何かね衛宮切嗣君」
「ハッハッハ。貴様がカヲルの臣下であるなら、それは即ち我(オレ)に従う我の民だ。過去を思えば斬首を以て処罰してやるところだが、カヲルに免じて許してやろう。よしよし、これからは働きによりボーナスを出してやる。忠節に励むが良いぞ。猟犬」
ふんぞり返る二人だが、切嗣もニヤリと笑う。
「社長からお電話でした。すぐに迎えに来るそうです」
「「何っ!!!」」
綺礼とギルガメッシュは気色ばむ。
「くっ、上司を売るとはやってくれるな衛宮切嗣」
「おのれ猟犬。王の休息を邪魔するとは、その不敬、断じて許せぬ」
「既にこちらに向かっているそうです。顧問と会長には会社にお戻り頂き、書類を仕上げていただいたいとか」
「「ちっ」」
立ち上がった綺礼とギルガメッシュの前に、切嗣は立ち塞がった。
「何の真似だ衛宮切嗣」
「その無礼、特別に許してやる。そこをどくのだ猟犬」
焦りを浮かべる綺礼とギルに立ち向かい、切嗣は笑みを浮かべた。
「残念ですが、わたくしは言峰薫社長に雇われた身でありまして、命令には逆らえないのです。という訳で顧問、会長。すぐに薫ちゃんが来ますので、二人で会社に戻って仕事しろ」
「馬鹿なっ!!!」
「おのれっ!!!」
じりじりと間合いを計る大人達。切嗣は視線を合わせず大河に話す。すなわち「士郎を連れて藤村組に退避しろ」
それを聞き、藤村大河は士郎を抱えて逃げ出した。大河はこれでも藤村組の娘である。鉄砲だって知っている。危険なオーラが読めるのだ。
「藤ねぇ、待てよ藤ねぇーっ」
「ダメよ士郎。士郎にもきっといつか判るわ。カタギには近づいちゃダメなところがあるの! 逃げるのよ!! きゃー、バターにされるぅぅぅううう」
ーー どかっ・めきぃっ・ばきばき・ばきゅーん ーー
「ひぃぃぃいいいい! あの音は! 聞いてはいけないあの音は?!」
士郎を抱える腕の力を入れ直し、大河は走る速さを上げた。逃げろ逃げろ。命がとても危険です。
走り去った大河と士郎と入れ違い、黒い車が滑り込む。そしてチビッコ社長が飛び出して、衛宮邸に駆け込んだ。
そして。
「なにやってんですかぁぁぁあああーーーっ!!!」
薫の叫びがこだました。
おまけのあとがき
我ながら異次元展開にも程がある。でもそれも二次創作の醍醐味でしょう。ま、これは「おまけ」ということで、馬鹿やってると思っていただければ幸いです。
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