トップ 管理人プロフィール オリジナル小説 二次創作 ご意見感想掲示板 ときどき日記 メール リンク

前の話へ   次の話へ

08公園の勇者・後編

「返してっ!」
 桜は叫んで掴みかかり、スケッチブックにしがみつく。帽子と一緒に抱きつくように抱え込む。
 そんな自分に桜自身が驚いた。
 こんな私が叫んでいる。こんな自分がしがみつく。私にも大切なものだと思えるものがあったのだと、間桐桜は気が付いた。
 しかし桜は突き飛ばされる。勢いよく両手で押され、桜は地面に転がった。帽子とスケッチブックを抱きしめていた彼女は受け身など取ることも出来ずにひっくり返る。だけどこの手は放さない。絶対に離さない。
 蹴っ飛ばされた。
 男の子達が何か言っている。でもそんなことはどうでもいい。知らない。聞かない。関係ない。今の桜は戦い方が判らない。だからせめて抱きしめよう。
 歯向かうこととか立ち向かうことは、間桐の家で忘れさせられてしまったけれど、代わりに我慢することを教わった。耐えることと不感になることは教わった。
 だから桜は何も言わない。さっきの一声がおかしいのだ。でも桜は後悔してない。あれはきっと正しかった。やらなければいけないことだった。蹴られたり、ぶたれたり、ボールをぶつけられたりしてるけど、こんなの大したことじゃない。
 はやし立てる子供の声が、耳障りで腹が立つけど、間桐の修行に比べれば軽い軽い。ふふん、間桐を舐めるなよ。

 ……あれ? 私ちょっとおかしくないですか? 

 私って怒ってる? 宝物は取り返した。だけど周りで騒ぐこの子達が気に入らない。
 私って笑ってる? 宝物を取り返した。大事なものを抱えて守る自分自身が誇らしい。
 あれ? あれ? あれ?
 私って怒って良いんだっけ? 私って笑っても良いんだっけ?
 蟲になった私の中に、心なんて残って、い、いる、いて、いるんじゃないかと、いても、残っていて欲しいと、いれば、でも、だけど、私なん、か、ああ、でも、薫さんが、だけど、蟲で、遠坂のお姉、きっと、私は、慎二兄さんが、私は、私は、本当は、私は、、、、、。

 蹴られた。
「……嫌」桜は小さすぎる声で呟いた。

 ぶたれた。
「……ヤダ」桜は聞こえない声で囁いた。

 サッカーボールをぶつけられた。
「……こんなの……」桜は声をかみ殺した。

 おかしい。変だ。こんなの知らない。こんな感情、自分の中にあるはずない。だってもう五年も殺してきたのだ。いまさら心があるなんて思い出したら泣いてしまう。あれ? おかしいな。泣き方なんて五年も前に忘れたんだから、今さら泣けるはずが無い。大体、もっともっと辛くて酷いことをたくさんやってきたんだから、こんな事で泣きそうになるなんておかしいことで、ありえない。
 なのにどうして悲しいのか。なのにどうして嫌なのか。だからそこの男の子、汚い手で私の宝物(こころ)に触ろうとしないでよ!!!

 桜は体を振るわせて、大事なものに手を伸ばす不埒な奴らを振り払う。だがその時、スケッチブックの表紙一部がベリリと音を立て、背の部分であるバネから剥がれてしまう。
 間桐桜は息を飲む。力が抜けて、ぺたんと地面に座り込む。
 破られた。
 これは大事なものなのに。少ししかない本当に大事なものなのに。はやし立てる声がする。下品なガキ共の声が聞こえる。

 ーー うるさい ーー

 こんな感情は知らない。こんな心は知らない。でも桜の精神(たましい)が知っている。書き換えられても、この肉体(からだ)が知っている。

 ーー よくも ーー

 体が小刻みに震え出す。でもそれは恐怖のせいじゃない。涙が五年ぶりに浮かび出す。でもそれは怖いからじゃない。

 ーー よくも・よくも・よくも・よくも・よくも・よくも・よくも ーー

 何がそんなに嬉しいのだ? 犬のように嗤うあなたち、私にはあなたたちがわかりません。嫌な事ってそんなに楽しいことですか? ああそうですかそうですか。良かったですね、でも私はあなたたちが嫌いです。ええ、そうでした。嫌いなんですそういうの。間桐の家は名門だから、下賤な人とはお付き合いしちゃいけないって兄さんが言ってました。きっとこういうことなんですね。兄さんよく判りました。桜もこんな人達と仲良くしたいと思いません。
 だってこのスケッチブックには兄さんが書いてくれた地図があって、私が兄さんと調べた蝶の道が書いてあって、二人で頑張って組み立てた昆虫使役の術式があるんだから、それを破るなんてダメなのだ。
 ぷちっと何処かで音がした。頭の何処かで何かがキレた。
 もういいや。我慢強くなった間桐の家の桜ちゃん。でもね、お馬鹿なあなたたち。人(心ある者)には絶対に触れてはいけない急所があって、そこに手を出されたらもう、……殺すよ。
 桜は自身の中に想いを向けて、己の魔力を把握する。それはやってはいけない禁断の反撃方法。やってしまえば取り返しのつかない暴走を引き起こすはずだった間桐桜を。

「何してんだお前らっ!!!」と言って飛び込んできた正義の味方が救ってくれた。

Fate/黄金の従者#08 公園の勇者・後編

 衛宮士郎はバットを強く握りしめた。
 あいつら絶対に許さない。女の子を殴るなんてありえない。女の子を蹴るなんてふざけるな。笑いながら人にボールを蹴り付けるなんて、絶対におかしいだろ!!!
 でもバットで殴るわけにはいかないので、両端を持って盾にする。しゃがみ込んで動かなくなった女の子を守るように割り込んで、睨み付けて嫌な奴らを威嚇する。
 にやけた顔ではやし立てていた連中が、士郎の乱入に顔を歪めた。ウザそうに、嫌そうに。
 そう、彼らは気持ち良かったのを邪魔されたのだ。なんだよこの馬鹿。俺たちは気持ちいいことしてたんだ、遊びの邪魔したのはあっちが先だ。だから俺たちは悪くない。あっちは一人、こっちは沢山、ほら、俺たちの方が多いんだから正しいに決まってる。だからお前はどっか行けよ。あれ? お前ってこの前泣かしてやった奴じゃない? なんだよ一人のクセに粋がるじゃねーよバカ。

 ニヤニヤ笑う連中が、衛宮士郎は気に入らない。だからお前らどっか行け。
 ニヤニヤ笑う連中は、衛宮士郎が気に入らない。だからお前も〇〇してやるよ。

 桜を守る、たった一人の衛宮士郎と笑顔を歪めた十数人の乱闘が始まった。

「……ちょっと拙いわね」
 藤村大河はつぶやいて、竹刀袋に手を掛けた。取り出された竹刀には、何故か虎のストラップが付いている。
 解説しよう! これぞ「妖刀・虎竹刀」虎を憎み、そして愛した一人の少女が握りしめ、幾多の伝説を築き上げた現代の妖刀みたいなものである。抜けば血を見ずにはいられないアブナイ竹刀なのでした。
 その持ち主は藤村大河。そこのあなた「タイガー」などと呼んではいけません。振り向くと竹刀を構えた女の子がいるかも知れませんからね。
 おっといけない。大河の思考が虎のようにグルグル回り、バターを生産している間に弟分がピンチになっている。
 士郎は女の子を庇って動けない。よしよし偉いぞ士郎。お姉ちゃんは感動している。でもいけない。女の子は呆けた表情で、士郎を見上げて動かない。だから士郎も動けない。相手の連中は、そんな二人を取り囲んではやし立て、ヒット&アウェイで突き回している様子。あれでは士郎がまいってしまう。
 ならばここは私の出番。虎竹刀を封印から解き放ち、みごと士郎と女の子を助けてしんぜよう。
 私は士郎の保護者である。ならば私は士郎の親で、切嗣さんのお嫁さん? きゃっ(はぁと)
 竹刀を持った女子高生(多分)藤村大河がちょっとのんきにイヤンイヤンとクネクネしていたその横を、一人の少女が駆け抜けた。
「え? あれ? えーと?」
 我に返った藤村大河を置き去りにして、その少女、長い髪を頭の左右でリボンで結び、ツーテールにした赤い服の女の子が声も上げずに突っ込んだ。腰に添えられていた拳が次の瞬間、唸りを上げてガキの背中にめり込んだ。
 何ごとかと驚き振り返るバカ餓鬼共を、強く輝く青い目で貫くように睨み付け、少女は口を開いて怒りの言葉をぶちまけた。
「あんた達、殴血 K I L L !!!」
 言ってることはよく判らないが、言いたいことはよく判る。少女の名前は遠坂凛。公園に、第二の勇者が現れた。

「あれー?」
 大河が離れて見ている先で、乱闘は激しさを増していた。やって来た赤い子(仮)は、しゃがみ込んだ女の子を士郎に任せ、次々に男の子をなぎ倒す。半身の構えから伸びる腕は抉り込むように打ち込まれていく。
 うむ、歳の割に見事なクンフー。あれは多分、中国武術ね。などと考える藤村大河十八歳。
 これはお姉ちゃんの出番はなくなっちゃったかな? 肩に乗せた虎竹刀、ちょっと寂しい夏の午後。などとポエミーに見守る藤村大河。
 だがしかし、悲鳴が聞こえてさすがに大河も我に返った。見れば赤い女の子のスカートを、二人がかりで引っ張っているではないか?! おのれマセガキ、女の敵め! くっ! 士郎はしゃがんだ子を守っているから動けない。ふがいないかな弟分よ、君は切嗣さんの息子だぞ。女の子をピンチから助けられなきゃ切嗣さんに叱られちゃうぞ。いいでしょう! 今度こそ私の出番。唸れ私の虎竹刀!! 今宵の竹刀は血に飢えているのじゃー!!!
 しかし、一歩を踏み出そうとした大河の横を、長い髪を後ろに流した白い少女が駆け抜けた。
「こぉぉぉおおおらぁぁぁあああ! こぉの餓鬼共!! 何やっとんじゃぁぁぁあああ!!!」
 女の子とも思えない怒号と共に白い少女は空を飛び、フライング・クロス・チョップで男の子を吹き飛ばす。
 少女の名前は言峰薫。公園に、第三の勇者が現れた。

 大河は自分の目を疑った。走って飛んだ白いワンピの女の子、横方向に三メートルは飛びました。最近の子供は飛ぶのねー。などと常識の修正をする女子高生。うーん。現実ってあなどれない。
 大河が見つめるその先で、それなりに体格の良い男の子達を二人の少女がなぎ倒す。
 白い少女が伸び上がり、バレーボールのアタックみたいに人の頭をひっぱたく(少林金剛羅漢拳、基本八法、降龍)
 赤い少女が沈み込み、伸ばした腕を振り上げて、拳で腹を突き上げる(金剛八式、伏虎)
 白い子が相手の腕を払ってビンタをかまし、返す手背で顔を打つ(金剛八式、分身掌)
 赤い子が相手の腕をはたき落とし懐に飛び込んで、鳩尾を殴りつける。たたらを踏んで後ろに下がった相手を追い掛けて、裏拳を打ち込んだ(金剛八式、蓋捶)
 見ていると、ん? とでも言いたげに白い子が士郎を見やり、続いて大河を見てその顔を盛大に引き攣らせた。
 げぇっ!!! とでも言いたげだったがそれも束の間、ほっぺをピクピクと痙攣させつつも乱闘を続行する。
 今のリアクションは意味不明だが、なかなかやるわねこの子達。
 大河の見ているその時にも、白い子が胸を打ち、併せて脚をかけて大柄な男の子をひっくり返し(金剛八式、野馬掌)
 赤い子が両手で強く突き飛ばし、男の子をひっくり返した(金剛八式、棒肘捶山)
 戦いの趨勢は決した。やられていた女の子+士郎+赤い子+白い子の四人は、三倍もの戦力差をひっくり返した。嫌らしく歪んでいた連中の顔が、驚きと恐怖を浮かべて泣き顔になっていく。
 しゃがんだ子は相変わらずにぼおっと士郎を見上げ、士郎はヨシと気合を入れ直しているようだ。
 赤い子は歯を食いしばれと言わんばかりに周りを睨み、白い子は、……え?
 大河の背中に鳥肌が立つ。長い髪を背中に流した白いワンピースの女の子。あどけなさが残る可愛い顔、だがその目に大河は恐怖する。
「ストップ・ストップ・ストーップ!!! そこまで! この勝負! この藤村大河が預かります!! 双方そこまで、そこまでぇぇええ!!!」
 思わず大河は割ってはいって必死に止めた。白い女の子の鋭い目、それが祖父である藤村雷画が本気で怒り、笑顔が消える瞬間の超恐ろしい目と同じに見えたから。

 仲間を見捨てて逃げようとした奴の背中に、薫がヤクザキックをかましたりしたが、全員を捕まえて大河がお説教をしています。
 しかし、ふてくされた顔の子供達に反省の色はない。
 始めはやさしいお姉さん風に注意していた大河だが、そんな態度にエキサイト。虎竹刀を振りかざしたところを弟分の衛宮士郎に止められる。
「離しなさい士郎ー。根性の腐った子供には、早めの唐竹割りが特効薬なのよー。離ーしーてー」
「藤ねえ、待てよ。それなんか違うだろ?!」
 もみ合っている姉貴分と弟分、その向こうでは凛が桜を立ち上がらせてなだめている。そしてバカ餓鬼たちは逃げだそうとするのだが、さりげなく逃げ道をふさぐ薫に睨まれ、動けないでいる様子。
「あのー」
 白い少女が大河に声を掛け、お辞儀をしてから聞いてきた。
「士郎! いいから離し、あら? 何かしらー?」
「止めてくださってありがとうございました。ええと、藤村大河さんでよろしかったですか?」
 丁寧な言葉に大河は感心した。そして思わず士郎を見ると、なんだよ? と言いたげに士郎はプイと横を向く。苦笑しつつも大河は笑顔でお答えします。
「そうよー。お姉ちゃんは藤村大河っていうの、貴方は何ていうのかなー?」

 なるべくフレンドリーに言ったつもりであろうの大河の言葉に、しかし薫は顔を引き攣らせる。
 まずい。早すぎる。自分もまずいが凛がまずい桜がまずい。不幸中の幸いはギルガメッシュも言峰綺礼もいないことか。正直、あの二人が動けば止められない。とにかく今はダメなのだ。だから話を強引にでもねじ曲げろ!
「藤村さんというと、深山では有名な「藤村組」の方ですか?」
 そんな風に言ってみた。

 藤村組の方ですか? その問いに、餓鬼共が揃って泣きそうな顔になった。冬木市の深山町に住むなら知らないはずはない。
 深山町の海側、古くからある和風の街の一角に、藤村雷画というおじいさんが住んでいて、その人はとっても怖い人。頭にヤが付くお仕事で、そのお屋敷を覗いてみると怖い顔のお兄さんがいっぱいいると噂です。
「そうよー、でもね。おじいさまも兄サン達も、怖いのは顔だけでー、本当は気は優しくて力持ちだから、そこんとこよろしくね?」
「藤ねえ、俺は雷画じいさんはヤクザだと思う」
 姉貴分のささやかな努力をぶち壊す、空気の読めない正義の味方。しかし効果は抜群で、男の子達は青ざめる。
「すみません。そういうことを言いたかったんじゃないんです。ごめんなさい」
 薫はぺこりと頭を下げた。桜と凛を見やってから、薫は大河と士郎に向き直る。
「この二人は私の大事な友達なんです。喧嘩しているみたいでビックリしました。助けてもらったみたいでありがとうございます」
 薫は二人に微笑んで、士郎に向かって頭を下げた。ありがとう。
 にしし、と子供っぽい笑顔になって、士郎は鼻の下を手で擦る。彼はまだ初等部五年だ。
「こら。士郎ー、調子に乗らないのー」
 大河に頭を小突かれて、なんだよーとむくれる士郎君。
 まあ、なんとかごまかせたということで、さてこいつらどうしよう。
 大河が再び睨み付けると、あっさりとごめんなさいと言い出した。しかし大河は許さない。
「あんた達、全然悪いと思ってないでしょう?! 反省しなさい!」
 だが、ふてくされた少年達は、反省してる。謝ってるだろと口にして、不満で顔を歪ませる。そこに大河が虎竹刀を突きつけ言った。
「あんたら反省の意味が分かってない! なんで私に「ごめんなさい」なのよ?! 本当に反省してるなら、あの子に謝りなさい!」
 そう言って桜を指差した。
「あんた達のごめんなさいはあれよ、テレビで犯人が謝ってるけど裁判官やマスコミに謝って、被害者や犠牲者に謝らないあれなのよ! 判る? 判らない?! 判りなさい!!!」
 突然引き合いに出された桜はオドオドしてしまい、そんな桜に謝るなんて嫌だと子供達は態度で示す。
 そして薫はそんな餓鬼が気に入らない「雑種」と呼びたいくらい気に入らない。
「どうでしょう藤村さん、ここは藤村さんの家でお話をしてもらっては? ……なんなら親御さんも呼んで」
 いきなり外道なこという薫ちゃん。子供達は一斉に青ざめた。
「むっ! それはナイスアイデア。お爺様にお願いすれば、正座して一時間もすれば、立派な任侠にしてもらえるかしら?」
「ごめんさない」「ごめんなさい」「ごめんさない」「ごめんなさい」
 子供達は桜に向かって、一斉に頭を下げて謝った。

「じゃぁねー。気を付けてねー」
 ぶんぶんと手を振る大河と、肩を怒らし得意そうに歩いていく士郎を見送って、薫はフゥとため息を付いた。
 危なかった。今「衛宮」と接点を持つのは拙い。接触するにも時間と策が欲しいのです。
 衛宮士郎の養父である衛宮切嗣。
 彼は前回の聖杯戦争で言峰綺礼と殺し合った魔術師であり、魔術師狩りを得意とする暗殺者だと聞いていた。
 薫はFate/zeroは知らないが、聖杯戦争の資料を読まされていたのでかなりの知識は持っている。およそ魔術師とは思えないその所行は、魔術にプライドを持たない魔術師狩りだ。
 ランサーのマスターが逗留していたホテルを爆薬で丸ごと潰した。とか、
 そのマスターの恋人を人質に取り、令呪を使わせランサーを自害させ、その後に恋人ごとマシンガンで撃ち殺した。とか、
 暴走したキャスターを無視し、マスターの頭をライフル射撃で吹き飛ばした。とか、
 そんな彼がセイバーのマスターだったというのだ。セイバーも切嗣も、やりづらかったことだろう。
 まぁ人の心の深奥など覗けるはずもないから実際の所は判らないし、過ぎてしまったことはどうにもならない。これからのために今どうするかが問題だ。
 綺礼には何度か衛宮切嗣について聞いてみたこともあったが、大して関心がないようであり、むしろ失望したみたいなことを言っていた。ひょっとしたら綺礼は切嗣氏が冬木市に住んでいるのも知らないのかもしれない。
 それにしてもと薫は想う。
 衛宮切嗣は衛宮士郎の親であり「正義の味方」のプロトタイプ。だが同時に言峰綺礼の心臓を打ち抜いた人物だ。教会で綺礼と共に暮らしている薫である。複雑な感情を持たざるをえない。
 ならばどうする? 自分の立場を考える。
 未来の大災害を防ぐなら、今、衛宮士郎と無理に接触する必要はないだろう。むしろ接触する方が危険な気がする。綺礼とギルガメッシュ、この二人に目を付けられて生きていられる奴はいない。
 衛宮士郎に死んでもらうわけにはいかない。将来的には呪いに満ちた大聖杯を破壊したいし、これはセイバーにしか実行できないと考える。彼とセイバーの力は必要だ。
 いや、破壊だけなら難しくはないのだが、問題は「この世、全ての悪」という極大の呪いである。
 魔力が満ちた状態で大聖杯を砕けば、呪いに染まった膨大な魔力がぶち撒かれてしまう。大聖杯を破壊し、同時に呪いを浄化して二次災害を防ごうと思うなら、どうしてもセイバーの聖剣による一撃が必要だろう。

 ーー ギルガメッシュを倒せるのも彼と彼女なのだろう。そして、大聖杯を砕けば呪いに生かされている綺礼も死ぬ ーー

 薫は頭を振って、その思考を放棄した。頭が痛い。それ以上考えてはいけない。自分の嫌らしさに泣きたくなるが、それが許されるような場所(セカイ)じゃない。歯を食いしばって進んでいくより他にない。今の自分は弱すぎて未来を大きく変えられない。だが時間はまだある。あると思いたい。きっと間に合う。道はある。無ければ作る。例えこの手を汚しても、心が悲鳴を上げたとしても。
 もう一度薫は首を振る。
 幸い綺礼もギルガメッシュも日本にいない。少しは考える時間があるのはラッキーだ。
 衛宮士郎は放置しよう。薫は自分のことに手一杯で主人公の面倒など見てられない。近づいたら嫉妬で苛めてしまいそうだし。
 くそぅ、いいよな固有結界と投影魔術。薫の属性は火属性、そして特性は融解なので、魔力を固める投影魔術に適さない。
 黒鍵刀身の投影は出来るけど、あれは黒鍵の柄に刀身を具現化する術式が組み込まれているからだ。霊力を込めれば自動的に刀身が半実体化してくれる。しかしあれは聖堂教会の正規品で「魔術師・言峰薫」では正式には所持することが出来ません。
 そういえば士郎ではなく切嗣氏は、固有結界ならぬ固有時制御という特異な魔術が使えるとか。
 実際に対峙した言峰綺礼の言葉によれば、それは自身を加速させる魔術だそうである。イメージ的にはサイボーグ009の加速装置?
 ……例えが古いな、我ながら。
 苦笑しながら悔しい気持ちを抱きしめて、薫は大河と士郎を見送った。考える。考える。綺礼とギルガメッシュがいない今なら、衛宮に対して何か一手を打てるかも?

 凛と桜と薫の三人は、連れだって坂道を登っていく。目指しているのは間桐邸、桜を送っている途中です。
「へぇぇー。たまたま近くを散歩していただけ、ねぇー」
 ニヤニヤする薫の言葉に、桜の手を引く凛が顔を赤くする。
「何よ、その顔は。あんたこそ良いタイミングで来たじゃない」
「私はお仕事帰りですよ。凛の家まで送ってもらう途中で貴女たちに気が付いたのです。車が止まっていたでしょう?」
「だったら車で送ってもらいたかったわ」
「凛、それは公私混同です。子供は元気に外で遊ぶのですよ。まあ、凛も頑張っているようですけどねー」
「何よそれ?」
「いえいえ。たまたま桜ちゃんがいる公園のほうに散歩するなんて、凄いたまたまですね。いやぁ、ナイスたまたまです」
「……薫、後でむしる」
 良い感じでやさぐれた凛の視線が怖いです。何をむしられるのか考えてはいけません。とりあえず頬をガードしろ。
「あはははははは。それはともかくとして、桜ちゃん偉いぞ。ちゃんと助けてって言ったんだね。うんうん。冷たい世の中ですが、善人であろうと努める人もいるのですよ。声を上げて助けを呼ぶ限り、きっと誰かが助けてくれるものなのです」
 薫は得意そうに何度も頷く。うむ。とても小さな一歩だが、桜にとっては偉大な一歩に違いない。
 だが、言われた桜は、え? と、とぼけた顔をする。

 ……待て。
 
 三歩先を歩いていた薫の足がピタリと止まり、凛と桜も立ち止まる。体ごと振り返った薫の顔から、笑みが完全に消えていた。それを見て凛は密かに冷や汗をかき、それを見るのは初めてだった桜は怖くなって凛の手を強く握った。
「……桜ちゃん。さっきの男の子、桜ちゃんを助けてくれたんだよね?」
 無表情というか、冷たいというか、感情が抜け落ちたような顔の薫が問いかけた。
「え? あ、はい。そうです」
「桜ちゃん。桜ちゃんが「助けて」って言って助けに来てくれたんじゃないの? いいえ、別に助けてって言わなくても良い。泣いてたのを助けてくれたんじゃないの?」
 薫の問いかけに桜は困ってしまった。そう言えば、自分は助けを呼んではいなかったし、泣いてもいなかった。あの時抱いていた感情はもっと別のものだった。……ような気がする。
 考えがまとまらず、桜がもじもじしていると、薫が冷たい声と問いかけた。
「……もしかして桜ちゃん。助けも呼ばず、泣きもしないで、ただ我慢してた、とか?」
 よく判らないが、桜は薫が怖かった。いつもニコニコしていた彼女が今、怖い顔をしている。どうしてなのか間桐桜には判らない。
 薫は桜に近づき、両手で肩を掴んで引き寄せた。
「このバカ娘!!! この間言ったでしょう?! 言葉にしないと通じないって! 黙っていちゃダメだって! そりゃあ助けてくれる人もいるけれど、それはさっきの男の子みたいに助けようとする意志がある人だけなんだ!! 言わなきゃダメなんだよ! 黙っていちゃダメなんだ! 辛かったら叫べ! 苦しかったら喚け! 悲しかったら泣け! 誰かに判ってもらうまで言い続けろ!!! ダメなんだよ黙ってちゃ!! 黙って良いのは諦めたときだけだ!!! 諦めてないなら今に見ていろと心に秘めた時以外、口を閉じちゃダメなんだ! 黙ってちゃ何も伝わらない!! 思ってるだけじゃ何にもならない。どうしてそれが判ってもらえないんだ!!! 泣き叫ぶほうがまだマシだ! 黙り込むのだけはするんじゃねぇええ!!!」
 桜は強い力で掴まれて痛かったのだが、自分を睨む薫の剣幕に目の回る想いがして、痛いどころの話じゃない。
「ちょっと薫?! どうしたのよ? そこまで言うことじゃないでしょう?」
 凛に腕を引かれて、薫は我に返った。
「あ、ごめんなさい桜ちゃん。ちょっと言い過ぎました」
 ぱっと手を放して薫は下がったが、桜はその目に涙を浮かべ、そして涙はこぼれ落ちた。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
「薫、なに桜を泣かしてんのよぉぉぉおおお!!!」
 ひゃぁぁああ。ごめんなひゃいー、と伸ばされて涙ぐむ薫を見ながら、桜は涙を流し続けた。
 あふれ出す涙。零れ出す涙。
 ああ、そういえば涙を流して泣くだなんて、一体何年ぶりだろう。この前泣いた気もするけれど、あれは自分でもどうなっっていたのか判らないし憶えていない。
 ずっと前から。間桐の家に来てから。地下の蟲倉に墜ちてから。悲しくて、苦しくて、辛かった。
 なのに涙の流し方を忘れてた。だって蟲は泣かないから。潰れてぐちゃっとネバネバしても、蟲は涙を流さない。だから桜な泣かなくなった。
 でも今は涙が止まらない。ああでもだけど、でもだけど、涙に濡れた目玉が温かい。流れる涙が温かい。記憶を辿るが、こんな風に泣くのは初めてだ。誰も教えてくれなかった。泣いても良いのだと言ってくれた人はいなかった。泣いてしまえと、泣き続けても良いのだと言ってくれた人などいなかった。
「もぉぉおお! 薫のバカバカバカーっ!!!」
「凛! 限界れふ! もう限界れふからストッぷれふーっ!」
 驚異的な伸びを見せる薫のアレはもはや人間の域を超えそうになっている。いけいけ目指すは1メートル。
「無理れふ! りん、これ以上は無理れふ!! やめひぇー!!!」
 ああ薫も泣いている。うん、でも大丈夫。薫のような強い人だって泣いているのだ。桜が泣いてもきっと誰も怒らない。
 くすくすと笑いながら桜は涙を流し続ける。真っ赤になった凛が薫の頬を伸ばし続けているけれど、エールを送ってGO GO GO! 温かい涙は止まってくれないけれど、くすくす笑いながらGO GO なのだ。
 女の子達はじゃれ合いながら坂道を登っていった。

 間桐邸に着く。盟約に基づき干渉を控えるという凛を門の外に待たせて、薫が桜を玄関まで送っていくと、間桐慎二が出迎えた。夏風邪だというのに、窓から見えたので出てきたらしい。泣きべそかいてる桜に驚き、薫に詰め寄り公園でのことを説明させる。
「という訳で、桜ちゃんに手を出した連中にはお灸を据えておきましたから」
「くそっ! 僕が着いて行かなかった時に限ってなんでだよチクショウ。おい桜、大丈夫か?! ん? ……なに笑ってるんだよオマエ?」
「何でもないです兄さん。大丈夫です。大丈夫ですから」
 桜は笑顔で涙の跡を手で拭い、そんな桜を慎二が引き寄せハンカチを取り出して拭いてやる。
 そしてニヤニヤしている薫に気が付き、プイと横向くお兄ちゃん。
 ナイスツンデレと心の中で突っ込んでおく薫です。
 さて帰りますねと身をひるがえした薫の背中に、制止の声が掛けられる。振り向くと、開いた玄関のドアの向こうに間桐臓覗が立っていた。
「こんにちわ臓覗さん」
 薫はワンピースの裾を摘んで身をかがめ、ちょっとおませにご挨拶。
「教会の小娘、今日も調子がよさそうじゃの」
 フッと笑う間桐臓覗、その顔には先日まであった邪気がない。彼はドアに歩み寄る。
「ほぅ、遠坂の小娘もいるのじゃな」
 そう言って、臓覗は外に足を踏み出した。
「ちょ、臓覗さん! 今、昼ですよ! 曇りですが昼ですよ?! 大丈夫ですか?!」
 あわてる薫を余所に臓覗はニヤリと嗤う。
「ほぅ、ワシが日の光を苦手とするのを知っているのだな」
 しまった、と薫は顔を引き攣らせて一歩引く。そんな薫から臓覗は目線を外し、口元に笑みを浮かべて歩を進める。
「いらぬ心配じゃ。今日はなぜか体は痛まぬ」
 慎二と桜の横まで出てきた臓覗は凛に向かって手招きし、間桐の敷地に呼び込んだ。
 魔術師にとって己の陣地とは防御のためのものじゃない。敵を捕らえて逃がさず抹殺するために設けられる必殺の領域である。しかし凛はそんな場所でもあるはずの間桐の敷地に入り込む。その顔はかすかに緊張しているものの、決して怯えてはいなかった。
 薫は内心でうめき声を上げていた。待ってくれ。こんなの知らない。一体何が起きている?!
 胃が痛い想いをしている薫を余所に、凛は近づき堂々と臓覗に挨拶をして見せた。そんな凛に臓覗は、つるりと顎を撫でて感心した素振りを見せる。
「ほお、これは大したものじゃな。時臣の娘。いやはやこれは姉の方が良かったかの。名は何という? 遠坂の当主よ」
「凛と申します間桐臓覗。お褒めいただいたようで恐縮と言っておきます」
 少々硬い表情なのだが、凛は背筋を伸ばし胸を張り堂々と臓覗と向かい合う。凄ぇ流石は遠坂凛だ。平静を装いつつも薫は呻き、向こうでは慎二と桜が目を丸くして凛と臓覗を見やっている。
 挨拶の他には用がなかったようで、臓覗は再び薫に向き直る。
「教会の小娘、確かカオルといったな?」
 薫を見やる臓覗の顔、そこに狂気は感じられない。威圧感や威厳はあるが、この前までの恐ろしいほどの妖気は感じない。
 そんな臓覗に薫は根性を入れて返事を返す。
「はい。言峰綺礼の養女。言峰薫と申します。間桐臓覗殿」
 見上げる薫の視線を真っ正面から受け止めて、真顔の臓覗は言葉を紡ぐ。
「では言峰薫よ、貴様はワシに、なぜ聖杯を求めるかと、さんざん聞いたな?」
「はい、私は知りたい。マキリが名を変え、貴方がその身を蟲に変えてまで聖杯を欲するその訳を」
 臓覗は小さく頷いた。
「ならばもう一度問うがよい。マキリの理想、今日こそは聞かせてやろう」
 臓覗の背筋が伸びた。痩身矮躯の体が大きく見える。その顔には確かな想いが見受けられ、くぼんだ眼下の奥の瞳に意志の光が見て取れた。
 その姿に薫が、凛が、慎二と桜が息を飲む。
 体が震える。薫は渇いた喉をゴクリと鳴らして唾を飲む。声までは震えないように必死に抑えて問いかけた。
「問おう魔術師、間桐臓覗。聖杯を求めしその訳を」

 それは奇妙な光景だった。まだまだ小さな女の子と、体が小さくなるほど歳をとった老人が向かい合って見つめ合う。
 少女の瞳は貫けとばかりの強い想いを秘めている。老人の落ちくぼんだ目は逆に、ならば我が内を照らせとでも言いたげに、少女の視線を受け止める。

 ーー ああ、思い出した ーー

 答えてやろう、その問いに。間桐臓覗はその口元に笑みを浮かべる。
 追い求めた、狂うほどに。追い掛けた、血を吐くほどに、追い続けた、己を化け物と変えてまで。
「我ら、間桐が聖杯を求めしその理由。それは……」
 ただ求め続けたのだ。その理想(ゆめ)を忘れても。その理想(ゆめ)を見失っても。ならばせめて胸を張ろう。高らかに歌い上げよう。
「この世、全ての悪の廃絶。それがすなわち、ワシが聖杯を求める理由の全てよ!!!」
 聖杯を求めて二百年。時の果てにかすれて消えた己の理想を取り戻し、間桐臓覗はここに吠えた。

 子供達は目を丸くした。特に桜は唖然としている。一体何を言っているのかと言いたげだ。
「この宿願故に、この間桐臓覗は聖杯を求め未だ生にしがみついておる。教会の小娘よ、笑うがいい」
 そう言った老人の瞳はまるで少年のようであり、希望と理想に輝きながら、しかし悲しみに濡れていた。
「……叶わぬ理想に命を賭けた。その気高さを笑うことなど出来ませぬ。間桐の家に祝福のあらんことを」
 一礼して身をかがめた薫の物言いに臓覗は苦笑し、言葉を続けようとしたのだが、薫はそれを遮るように慎二と桜に言い放つ。
「その理想は受け継がれていくのでしょうね。慎二君、桜ちゃん、責任重大だぞ? ん? どうしたの慎二君? 桜ちゃん?」
 慎二と桜は目を見開いて口をパクパクさせていた。まるで金魚のようである。
「カカカカカカカカ」
 臓覗は笑い出し、慎二と桜、二人の孫の頭をグリグリ撫でた。孫達は更に体を硬直させておかしな顔でなすがまま。倒れそうなボーリングピンがクルクル回っているかのようだ。なんだ? 今の会話はストライク?
 桜は目眩に襲われる。今日は色々ありすぎる。殴られるわ蹴られるわ、それはともかく撫でてもらうとは思わなかった。第一、桜は実の父、遠坂時臣にすら頭を撫でてもらったことはない。そう言えば、薫には何度か撫でてもらったような気もするが、今は良く思い出せない。
 節くれ立って枝のような細い指、たくさん歳をとって小さくなった掌で、臓覗は桜の頭を撫でている。桜は祖父が怖かった。臓覗こそは間桐の支配者。間桐の家の者ならば、彼に逆らって生きてはいけない。それは絶対の約束で規律なのだから。
 そんな臓覗が泣いている。笑っているけど泣いている。涙は流れていないけど、祖父は声を上げて泣いている。蟲になった桜だから、蟲に墜ちてなお生き続けた祖父の涙に気が付いた。
「私は外道に墜ちた魔術師を狩ることを誓いにしてますので、将来は手伝ってもらいましょうかね」
 薫がそんなことを言い、慎二があきれた顔になる。
「言峰オマエ、教会側だろ?」
「聖堂教会と魔術協会、どっちもキョーカイだからいいじゃないですか。言峰の仕事は「こうもりさん」ですよ」
 ええー、と慎二があきれていると、臓覗が薫に視線を向けた。
「カカカカカ。小娘、キサマ世界を変える気か?」
「ええ、そのつもりです」
 何気ない臓覗の問いに、薫は間髪入れずに言い切った。その口調は叩き付けるかのように強く、周りのものは唖然とするばかりだ。
「ククククククク、カカカカカカカカ」
 臓覗は笑い出す。彼には判ったのかも知れない。つまり薫は聖杯など必要ないと言ったのだ。そんなものがなくても自分は世界を変えてみせると啖呵を切って見せたのだ。
 臓覗の笑いが止まらない。
 彼は思う。この小娘も自分と同じ化け物だ。ああそうだ。この身は本物の化け物だけれど、それでも此奴は化け物だ。そう言えば、問われる度に薫のあの目が告げていた。この世界を破壊する。あの目はそれを告げていた。
 ククククク。臓覗は笑いを止められない。
 たかが美味そうな小娘の分際で、世界を変えると言い切るか。
 カカカカカ。ああ笑いが止まらない。そして涙が滲み出す。いやそれは錯覚だ。だが視界がかすかに滲む。ああ、涙を流すなど、一体何百年ぶりだろう。いや、蟲になりはてたこの体で涙を流すことなど出来ないはずだ。
 臓覗はきびすを返し、一人で間桐邸の中に戻っていった。呆然とする子供達は置き去りだ。
 カカカカカ。挑むがいい。そして地獄を見るが良い。小娘よ、貴様の願いは叶うまい、それでも挑んでみるがいい。

 間桐臓覗。四百年を超える年月を生きる蟲の化け物は人の心を取り戻し、間桐邸の通路の奥へ消えていく。高らかな笑い声を上げ、影の奥へ、闇の奥へとその姿を消していった。

 凛と薫が帰った後の間桐邸、その玄関で間桐慎二がはしゃいでいた。聞いたか桜? 間桐の家は凄いだろ?! ご機嫌の慎二に対し、桜は憑き物が落ちたかのように力が抜けていた。いっそ倒れてしまいたいくらいであった。
 信じられない。
 この世、全ての悪の廃絶? なんですかそれ? 凄いとは思います。でもそれがどうして蟲につながるのかが判りません。ごめんなさい嘘つきました。
 手に入らないから追い掛けて、追いつかないから人ではなくなった。人間やめても追い掛けた。そういうことだ。
 桜は理解してしまう。臓覗の苦悩、それは桜が受けた苦しみよりも上なのだ。
 桜は蟲であることを受け入れた。でもそれは諦めだった。諦めるしか方法がなかったとは思うのだけれど、それでも桜は諦めた。諦めただけだった。
 力が抜ける。
 養父に剣で刺されても教会の戦士を目指す言峰薫。魔術刻印の痛みにのたうち回っても魔術師を目指す遠坂凛。体を蟲に変えても理想を追い掛けた間桐臓覗。みんな凄い人達だ。
 自分だけが弱かった。きっと薫は判っていたのだ。だから教えてくれたのだ。強くなれと。
 力が抜けた。桜はその場にしゃがみ込み、両手をついて項垂れた。
「おい桜、どうしたんだよ?! やっぱりどこか痛いのか?」
 間桐の兄が心配そうに覗き込む。そういえば、この人はずっとそうしてくれていた。
 間桐の家で桜は蟲になったけど、それでもこの人だけはずっと自分を妹として扱ってくれていた。
 ……この人ならば、自分を助けてくれるだろうか?
 間桐桜は思い出す。公園で、自分は助けてとは言わなかった。それでも知らない男の子が助けに入ってきてくれた。嬉しいよりも驚いた。信じられなくて、何も出来なくなってしまった。そういえばあの子にお礼も言ってない。
 薫が何か言っていた。言わなきゃ何も伝わらない。思ってるだけじゃ何もしないのと変わらない。そうなのか? ならば自分は何もしてこなかったことになる。
 悲しかった。辛かった。苦しかった。だけど何もしなかった。努力して諦めているだけだった。閉められた窓の奥から、時々見える遠坂の姉さんを見ているだけだった。遠坂凛と一緒に歩く、女の子を見ているだけだった。見ているだけでも悲しくて、でも見たい気持ちだけは我慢が出来なくて、削ることも出来ないガラスに爪を立てていた。
 何もしてこなかった。助けてと思っているだけであり、つまり何もしなかった。
「う、うううううう」
「お、おい桜?! どうしたんだよ?! 痛いのか? なんだ黙ってちゃ判らないぞ?!」
 黙っていたら判らない。そうだ薫がそう言っていた。ならば話せば判ってもらえるだろうか。公園で助けてくれた男の子、あの子のようにこの人も、自分を助けてくれるだろうか?
 這い蹲った桜が慎二を見ると、兄は心配そうにこちらを見つめていて、その手が桜の背中を撫でている。
「た、す、け、て、」
「なんだ? 痛いのか? どこだ? おい桜、本当に大丈夫かよオマエ?」
「た、すけ、て、」
「桜?! おい桜?! ひっ!」
 慎二の腕に妹の桜がしがみつく、訳が判らずなだめようと頑張る慎二の目の前で、桜の体が脈打った。
 妹の肌の下で何か蠢くものがある。
「……助けて」
 妹の白い肌に赤黒い線が浮かび、ムカデのように節足を伸ばしていく。
「たすけ、て、兄、さん」
 手に蟲が、腕に蟲が、首に蟲が、足に蟲が、顔に蟲が浮かび上がる。太すぎる静脈瘤のように浮かび上がったそれはしかし静脈のように青くはなくて、赤くそして黒かった。
 自分にしがみついている妹が震えている。閉じた目から流れるほどに涙を溢れさせている。そんな妹の体は痩せていて、腕を回せば折れてしまいそうなのに、ムカデのような赤黒い蟲達が、妹の体の中で元気そうに蠢きうねる。
「助けて、助けて兄さん、助けて、助けて! 助けてぇぇぇえええ!!!!」
「な、なんだよこれ?! 桜? 大丈夫なのかよ桜?! おい! どうなってるんだよ?! 桜?! なんだよ?! なにがどうなってんだよぉぉぉおおお!!!」
 この夜、間桐慎二は始めて間桐邸の地下に降り、妹が地獄に堕ちていたことを知る。

 その夜、冬木市の深山町、その海側にある一軒の武家屋敷では父と子が向かい合って談笑していた。
 衛宮士郎は昼の公園での出来事を、身振り手振りを交えて熱弁している。
 そんな士郎に向かい合い、笑みを浮かべているのは衛宮切嗣。
 男の顔と体は痩せていて、まだ30過ぎのはずだが力強さに欠けていた。彼は優しげな目で士郎の顔を見る。三年前の聖杯戦争、その終焉に起きた大火災、只一人救えた子供が養子にとった衛宮士郎。
 妻を失い、理想を失い、実の娘と会えなくなった抜け殻のような自分。そんな自分が、親を失い家を失い記憶をなくした子供を引き取り親子のような暮らしをしている。
 戦い続けても何一つ掴めなかった衛宮切嗣。だがなぜか、深山町に義理の息子と暮らしてからは無くなってしまったモノがない。
 養子の士郎は腕白で、正義の味方を目指している。どうやら士郎は自分のことを凄い奴だと思っているらしい。
 切嗣は苦笑する。
 自分はそんな素敵なモノじゃない。戦って、殺して、夢も希望も失ったボロボロの敗者に過ぎない。だがしかし、切嗣は士郎の笑顔に癒される。心の傷は消えないし、弱った体は癒えることはない。それでも彼がこうして笑うことが出来るのは衛宮士郎のおかげなのだ。
「切嗣さん、こんばんわー」
 縁側から女の子の声がした。見るとそこには藤村大河が手荷物を持って立っている。
 この家を入手する際に縁の出来た藤村組の、お嬢さんがこの大河だ。
 お嬢さんと言うには元気すぎる感もあるのだが、その明るさが切嗣と士郎には有り難い。
「なんだよ藤ねえ。夕飯はもう食べちゃったぞ」
「大丈夫よー。ちゃんと家で食べてきたから。切嗣さん、これお土産ですっ」
 ずいっと突き出された包みをほどくと、大きなバームクーヘンとワインが顔を出す。
「へえ、日本酒じゃなくてワインなんて珍しいね。雷画さんからのお裾分けかな?」
「いえ、違うんですよ。あ、士郎から聞きましたか昼の公園のこと?」
 聞いたと言うと、大河は大げさな身振り手振りを交えて語り出した。
 なんでも公園で暴れた女の子の一人が、土産を持って藤村組に挨拶に来たのだという。雷画氏にシャンパンを渡し、男の子の親御さんにもどうぞとワインとバームクーヘンを持ってきたらしい。
「それでお爺様ったら、その女の子を気に入っちゃって、もー大変だったんですよ。その子も全然怖がっているようすもなくって、ど、どんぺるにょんのピンク? をお爺様と一緒に飲んでました」
「ドンペリのロゼか。シャンパンの王様だね。でもその子は士郎と同じくらいじゃなかったんじゃないのかい? 雷画さんにも困ったもんだ」
「そうですよね! もうお爺様ったらあんな女の子に平杯を取らせて飲みまくりですよ! でもその子も平気で飲んでたんです。顔を赤くしてましたけど、さっきタクシーでちゃんと帰りました」
「なんだか凄い子だね。それは」
「ええ、それでお爺様が気に入っちゃって酷いんですよ! 大河の代わりにウチの組を継いでくれないかとか言うんです!!! あ、ウチは別に強面の人が多いだけでー、全然ヤクザじゃないですけどね」
「藤ねえ、嘘付くなよ。雷画じいさんはどうみてもヤクザだろ」
「ちょっと士郎ー!!! あんた人ン家をおかしな風に言わないでよね!」
「俺は本当のことを言ってるだけだろ」
「生意気な! 切嗣さん! 士郎がとっても生意気です!!!」
「なんだよ藤ねえ! 親父は関係ないだろ!」
「あははははは。でも本当に凄い子だね。どこかの道場の子だったりするのかな」
 それを聞いて、大河は本を取り出し切嗣に手渡した。
「……雑誌、だよね?」
「もー、切嗣さん違いますよ。それはフリーペーパーです」
「フリー、なに?」
 衛宮切嗣。こういうものには詳しい人ではないのです。
「爺さん、これはただでもらえる雑誌だよ。街の情報とか店の紹介とか割引券が載ってるんだ。俺はもらってきて買い物に使ってるぞ」
「そうなのかい? それは知らなかった」
「うわ! 俺は何冊ももらってきて時々ここにも置いてたぞ」
「ははは、ごめんごめん。それでこの本が女の子と関係あるのかい? 大河ちゃん」
「はい。それがですね。この情報誌「ゴールド・ラッシュ」を作ってる会社の社長さんが、その女の子なんだそうです」
「「は?」」
 親子で大口開けて固まる衛宮さんズ。その気持ち、藤村大河もよく判る。
「キング・グループっていう会社の集まりらしいんですけど、創設者の会長さんに可愛がられてて会社を作ってもらったって言ってました」
「藤ねえ、何だよそれ?! 会社って作ってもらうようなものなのか?!」
「うーん、どうなんだろ。でもあの子随分しっかりしてたし、お爺様と仕事の話もしてた気が……」
「凄い子だね。本当に士郎と同じくらいの子なのかい?」
「はい、士郎と同じ初等部五年だって言ってました」
 それを聞いて、うっと士郎はたじろいだ。なんかスゲェなその女。士郎と切嗣が関心の声を上げていると、大河がフリーペーパーを指差して、裏表紙に女の子が載っていると教えてくれた。
 ペラリとページをめくってみると、そこにいたのは女の子。真っ白なウェディングドレスに身を包み、花束を手にしてブーケを被った可愛い笑顔が見て取れた。
「へぇー、可愛い子じゃないか。こんな可愛い子を助けるなんて凄いじゃないか士郎」
「なんだよ爺さん、助けるのに可愛いとか関係ないだろ?」
「それは違うぞ士郎! 男というものは可愛い子のためなら戦えるものなんだ!」
 力説する切嗣に向けられる士郎と大河の冷たい視線。しかし彼の美学はそんなものには負けません。拳を握って男の心の何たるかを息子に語るダメ親父。
 一段落して一休み。ワインの栓を抜き放ち、面倒だからと湯飲みで頂く切嗣だったが、一口飲んで顔をしかめた。
「あれ? 美味しくないですか切嗣さん」
「ん? いや美味しいワインだよ。高級品だなこれは」
 へーと感心する士郎と大河に届かぬように、ワインをこっちに引き寄せる。未成年には飲ませない。
 しかしこのワイン、本当に高級品だ。好きなわけではないけれど切嗣はワインの味を知っている。これはおそらくドイツのワイン。見ればラベルはドイツ語だ。どうでもいいと思って見てなかっただけなのだが、飲んでみたら一発で判別できた。
 ドイツの森のその奥にあるアインツベルンの城。氷雪の結界に守られたその城の食卓で振る舞われたワインの味に、このワインは少し似ていた。悲しい記憶は甘口のドイツワインを苦く感じさせてくれる。
 もったいない。上等のワインの味が、切嗣には悲しかった。
「なあ藤ねえ、こいつの名前、何ていうんだ?」
 ウェディングドレスの少女を見ながら士郎が大河に尋ねると、それを大河が冷やかして、とたんに荒れる士郎君。
 ふざけんなー、やるかー、タイガー、言うなー、このー、どりゃぁぁああー。
 姉弟のようにじゃれあう大河と士郎。それを見守る切嗣の心が温まる。
「ハァハァ、で、こいつの名前、藤ねえは知ってるのかよ? 知らないのかよ?!」
「ハァハァ、おのれ生意気な。ちゃんと聞いたし名刺もあるわよ」
 そう言って大河はポケットをまさぐり名刺を取り出し、その名前を読み上げた。

 ーー 言峰 薫 ーー

「ぶぅぅぅぅぅぅぅううううううううーーーーーーーっ!!!」
 吹いた。
「ゲホッごほっゲホゲホぐふぅガハァッぐごぉぉぉおおおっ!!!」
 湯飲みを握りしめて縁側をゴロゴロと転がる切嗣に、大河と士郎はビックリです。
「キャーッ!!! 切嗣さん大丈夫ですか?!」
「うわっ! どうしたんだよ爺さん?!」
 柱に激突して何とか止まった切嗣に駆け寄る大河と士郎、彼は湯飲みを持った手で心臓を押さえつけ、開いた片手は天に向かって伸ばしている。なんでしょう? 神よーっ!!! って感じでしょうか。
「こ、こ、こ、」
「「こ?」」
「こしょみにぇかにょるぅぅぅううう???」
「……切嗣さん、カニョニュじゃなくて、ことみね・かおる、です」
「……親父、落ち着け」
 二人からの冷たい視線もなんのその、切嗣は素早くほふく前進で居間に移動し、フリーペーパーを手に取った。もう一度見る女の子、よく見れば、その背後の教会は冬木市新都郊外にあるあの教会に違いない。
 どういうことだ? 切嗣は頬の痙攣を止められない。
 言峰、ことみね、コトミネ。言峰と言ったらあの「言峰」だよな? 嘘か? 罠か? 天変地異か?
 倒したよな? 殺したよな? 後ろから心臓を打ち抜いたよな言峰綺礼。いや、そういえば立ってたような気もするが、あの男に子供がいたのか?! いや士郎と同い年なら計算が合わないし、奴の妻は死亡していたはずで外国人で、写真の子は日本人で子供がいたとは聞いてない。
 まさか養女? あの絶望した男がか?!
「……嘘だろ」
 端から見ると花嫁姿の少女の写真に、見とれて固まる中年男、彼の名前は衛宮切嗣。
「爺さん、まさかそういう趣味なのか?」
「何言ってんのよーっ! 違いますよね切嗣さん?! 切嗣さーん!!!」
 誤解を生んでいることに彼が気が付くには少々の時間が必要だった。

 夏の短い夜が明けて、昼が過ぎても桜が公園に来なかった。魔女の集いの欠席者を気に病んで、凛と薫は間桐邸を訪れる。
「もう、どうしたっていうのよ」
「まぁまぁ、慎二君の調子が悪いのかもしれないですよ」
 ぷんすかと不機嫌なのを隠さず進む凛の後を、ふんふんと鼻歌交じりの薫が続く。
「なんかご機嫌なのね、薫?」
「はい、間桐の目指すものが聞けましたからね。あれならもう監視をしなくても良さそうです。良かった良かった。最悪の場合は間桐を殲滅、臓覗さんだけじゃなく、慎二君と桜ちゃんも「浄化」しないといけなかったかもしれないのです」
「ちょっと、それは聞いてないわよ?!」
「凛、別に聖堂教会が動かなくても似たようなモノです、魔術協会の場合は浄化の代わりに対象が標本になるだけです」
「なんですってぇぇえ?!」
 胸ぐらを掴まれて、それでも薫は黙らない。
「私に当たらないでくださいよ凛。ばれなきゃ良いのが魔術協会のルールかもしれませんが、ウチのおじさまは聖堂教会の人間でもあるのです。人喰いを放置するわけ無いでしょう? 証拠を掴めば殺しにかかる。当然のことです。とはいえ間桐は大丈夫でしょう。私が上げる報告書にはそう書きますから問題ないですよ」
「はぁ、もういいわ。これからは綺礼に管理者の仕事を任せたままにしないことにする。少なくとも間桐の様子は自分で見ることにするわ」
「そうですね。それがいいです。桜ちゃんも喜びますよ」
「桜のことは関係ないの! 遠坂は霊地冬木の管理者(セカンド・オーナー)なんだから、その責務を果たすだけなの!」
「はいはい。そーですねー」
 棒読みの薫の返事に凛は顔を赤くして、ツンと顔を背けてしまう。そして凛は早足で歩き出し、薫を置いて進んでしまう。
「薫ーっ! 置いてっちゃうわよー」
 はぁい。と返事を返し、薫は凛の後を追う。
 間桐邸に着くとすぐに桜は見つかった。というか庭にいた。
 間桐邸は大きくて、その敷地もかなり大きい。広さだけなら遠坂邸より広いです。
 だがその庭はどこか寂しく、ただ開けているだけの空間になったいた。
 そこに桜と慎二の姿があって、二人は並んでしゃがみ込み、手にしたスコップで地面を掘っている。かなりの広さがほじくり返され、花壇になりつつあるようだ。
 しかし一体この二人、どれだけ花壇にするつもりなのだろうか?
 ポット植えの花が大箱にずらりと敷き詰められていて、その箱がこれまたずらりと置かれている。ざっと数えても十箱以上、一箱百ポットとしても千を超える花の数になる。ガーデニングに目覚めて間桐の庭を花畑にでもする気だろうか。
 凜と薫が門の外から覗いていると、桜がこちらに気が付いた。

 こちらに来ようとする桜を制し、慎二がこちらに駆けてきた。
「言峰っ!!! オマエ知っていたのかっ!!!」
 怒鳴られた。慎二は怒り、その顔は赤いのを通り越して青くなっていた。
 言峰薫は動きを止めた。それを見た間桐慎二はしゃがみ込み、スコップで土を掘って薫に投げつける。
「ちょっと何するのよ!」
 前に出ようとした凛を薫は制止する。泣きそうな笑みの薫の顔を見て、凛は黙って引き下がる。
「くそう! なんだよオマエ! 言峰オマエ、教会の殺し屋の娘だろ?! ボクの投げた土くらい避ければいいじゃないか! なんでだよ! 畜生!!!」
 よく見ると、慎二の顔には殴られたような痕がある。
「慎二君、何かあったのですか?」
「うるさい! 何だよ畜生!! 女なんて生き物はな! お花畑で蝶でも追い掛けながら、バカみたいに笑っていればいいんだよ!!!」
「……いや、そー言われても困るんですが、特に私は」
「なんでだよ! ボクだけが知らなかったのかよ?! どうしてだよ?! くそっ!! 納得いくかよこんなこと!!!」
「慎二君、私は知らなかったよ」
「嘘付くな! オマエ絶対に知ってただろ?!」
 激昂する慎二に対し、薫は穏やかな、そして寂しそうな顔で答える。
「でもね、魔術師っていうのはそういうものだから、凛も私もそうだから、桜ちゃんもそうだろうなとは思ってた」
 薫の言葉に、慎二は歯を食いしばる。あまりにも惨めだ。今、口を開けば罵声の声しか上げられない。だから慎二は拳を握る。
「ねぇ慎二君。魔法って知ってるかな?」
 うつむく慎二に薫の優しい声が掛けられた。
「魔法にも色々あって、五種類しかないっていうけれど、誰かが挑戦している第六法っていうのがあるらしいんだ」
「……それがどうしたんだよ」
「でね、その第六法の更に向こうに、最後の魔法があるって聞いたことがあるのです」
「なんだよそれ?」
 魔法? 第六法? 最後の魔法? 知らないよそんなもの。知らないんだよ。知らないんだ間桐慎二は何も、何も知らなかったんだよこのボクは。
「うん。人を幸せにする。それが最後の魔法なのだそうですよ」
「「……は?」」
 慎二が呆けた顔になる。そして遠坂、お前まで目を丸くしてどうすんだ?
「でね、慎二君」
 薫はニコリと微笑んだ。そして言う。
「慎二君なら、桜ちゃんの魔法使いになれるよね?」
「ぐっ」
 慎二は歯を食いしばる。怒鳴りたいのを我慢する。
 ふざけるなバカ野郎。ナメてんのかこの野郎。怒りに身を任せて言峰を殴ってやりたいがそれは出来ない。後ろで桜がこっちを見てる。あの桜を助けようとしていた言峰薫を、兄である慎二が殴るわけにはいかないのだ。
 本当は判ってる。言峰薫は悪くない。判っていてもやるせない気持ちはなくならない。ならばせめて道化のように戯けてやろう。負けてたまるかこの野郎。ボクに才能はないけれど、それでも間桐の魔術師だ。間桐桜の兄なのだ。
「ハン。何言ってんの言峰? 魔法とか魔法使いとか、そんなの当てになるわけ無いじゃないか。そんなのボクは知らないね」
 精一杯の虚勢を張って、弱い心を補強する。
「そんなことより邪魔しないでくれないかな。ボクと桜で庭を花でいっぱいにするんだよ、言っておくけどサ。これは別に桜なんかのためじゃないぜ。ボクと桜は蟲を操る間桐の魔術を一緒に研究してるんだ。これは間桐の秘術だから、お前には教えてやらないぜ」
 花を植えてやるしかできない自分、だけど負けてなるものか。
「でもまあ、時々遊びに来るくらいは大目に見てやるよ。その時は栗ようかんを持ってこいよな。あれがあるとお爺様の機嫌が微妙にいいんだ」
「判った。栗ようかんだね」
「ああ、栗ようかんだ。言っとくけど安物なんか買ってきたら入れてやらないからな」
「判りました。一番高いのを買ってきますよ」
「ハッ、随分と物分かりが良いじゃないか。……今日は帰ってくれよ。これから桜と二人で庭を花畑にするから忙しいんだ」
 慎二は頑張り自分の顔で笑顔を作る。多少は面の皮が突っ張るが仕方ない。言峰なんかと違って慎二は良家のお坊ちゃま。ポーカーフェイスもままならない。それでも負けてなるものか。負けてたまるかこの野郎。
「判りました。今日の所は帰ります。凛、行きましょう。桜ちゃん、またねー」
「え? ちょっと薫なによそれ? 桜? 薫?」
 薫は右手で桜に手を振って、左手で凛の腕を取る。凛が少々暴れるが、薫はその手を放さない。強引に連れ帰る。
「薫さんっ!!! あのっ!」
 桜がこちらに駆けてきた。しかし彼女は門の向こうで立ち止まる。門の外には出てこない。
「あのっ! 薫さん。ありがとうございましたっ!!」
 桜はそう言い頭を下げた。訳が判らずパチパチまばたきする凛を置き去りにしたままで、薫は桜に優しく微笑む。
「桜ちゃん。辛いことがあったら私や凛に告げ口しちゃえ」
「はい」
 間桐桜は笑顔を見せる。
「嫌なことがあったら慎二君を後ろから刺してやれ」
「はい」
 間桐桜は涙を見せる。
「おい」
 そして華麗に無視される間桐慎二。
「いいかい。刺してひねって空気を入れれば音も無く死んでいくから」
「はいっ! 刺してひねればいいんですねっ!!」
「ちょっと待てよ、お前ら! 遠坂も何とか言えよ!!」
「は? えーと、刺すならお腹がいいわよ」
「はいっ!」
「だから待てよお前ら!! 変なこと教えるなよな!!! おい桜、続きやるぞ続き!」
 悪態をつきながら、慎二はその身をひるがえし、向こうの方へ行ってしまう。薫と凛から離れていく。
「またね。桜ちゃん」
 薫はひらひらと手を振った。桜は涙ぐみながら笑顔を見せて、その手を大きく振りまわす。
「ありがとうございました。薫さんっ! 遠坂のお姉ちゃんっ! さようならっ!」
 待ってーっ 兄さーん。桜は慎二を追い掛けて、作りかけの花壇の方に走り去る。
「……今日は帰りましょう。凛」
 おとなしくなった凛の手を引き、薫はそこから立ち去ることにした。

 坂道を、二人の少女がてくてくと、無言のままで昇っていく。
 言峰薫は寂しそうに、しかしそれでも微笑んでいる。その横で、遠坂凛は疲れたように下を向いていた。
 遠坂邸が見えた頃、凛はぐっと上を向く。
「もう、桜ってば今日は集まる日なのに花壇作りを優先なんてひどいじゃない」
「そうですね」
「それに何よ慎二だっけ? あいつ、薫に土なんかかけてさ。薫もあんな奴、やっつけちゃえばよかったのに」
「そうですね」
「まあいいわ。桜もあいつも花畑を作ればいいのよ。蝶の他にも蜂を使えば蜜が取れるし、蜂の巣からは蜜蝋が採れるわ。天然のロウソクは貴重品だから、魔術に使う価値もあるし」
「そうですね」
「もう、薫ってばさっきから、そればっかり」
「……凛、ごめん」
 凛はその場に立ち止まった。
「……なんで薫が謝るのよ」
「ごめん、凛、ごめん」
 今度は薫が下を向く。そんな薫の肩を凛が掴んで引き寄せる。
「謝るなっ! あやまらないでよ! 笑ってた! 桜は笑ってた! 桜を笑わせた薫が謝るなんて許さないんだから!!!」
 激しい口調を叩き付けられても、薫は下を向いたままで凛と目線を合わせない。
「……ガマンしてたんだ、ずっと。でも限界だったんだ。ゴメン凛。だけど私はずっと凛のそばにいて、だけど桜ちゃんも時々見えて、それを見ないふりするのももう嫌だったんだ」
「泣くなっ! 桜を笑わせたアンタが泣くなっ! 薫は桜を笑わせたんだから、薫は笑っていないといけないの!」
「だって凛、貴方も泣いているじゃないですか」
「うるさいっ! 私は泣いてないっ!! 桜が笑ってたもの。これでいいのよ、だから私は泣いてないっ!」
 わめき散らす凛の体を、薫はきつく抱きしめた。
「くっ、何よ薫、離してよ。狡いわよ薫。狡い狡い。苦しい、」
 少しの間じたばたするが、凛はおとなしくなり顔を薫の肩に押し付ける。
「ねぇ、薫」
 桜は笑っていた。泣いていたけど笑っていた。
「さっき桜は……」
 凛はそこで息を飲む。さっき桜は、さようならと言った。
「う、うっく、ひっく。と、取られちゃった。桜、間桐に取られちゃったよぉ、うぇぇぇえええーーーん。桜の馬鹿ぁーっ。うぇぇぇええーん。薫の馬鹿ぁーっ」
「凛、……ごめん」
「うぇぇえええーんっ。許さないんだからーっ。もう遠坂は私一人しかいないじゃない。薫のばかーっ」
「凛。私は貴方の弟子ですよ? 私は「トオサカ」の魔術師なのでしょう?」
「ひっく、そうよ。薫はトオサカの魔術師なんだからね。絶対にちゃんとした魔術師にならないと許さないんだから」
「ええ、私は強くならないといけないので、よろしく頼みますね。先生」
「くすん。……強くなる前に、きちんと宝石魔術を使えるようになってもらうからね」
「えーと、その件につきましては、自らの意志に嘘をついてはいけないかな? と自身に問いかけることもやぶさかではないと国民の皆様に是非を問うつもりで、日本は民主主義国家でありますから粛々とシタ態度でもって事に当たる所存であります」
「どこの国〇議員かっ! あんたはっ!!!」
「いや、そーではなくでですね。宝石魔術もいいですが、もう少し戦闘魔術の研鑽を積みたいのですがどうでしょう?」
「だからどうして戦闘魔術なのよ?! 宝石の方がキレイじゃない?!」
「いや、ほら私は「言峰」なので、こうもりさんとはいえフリーランスとして両方のキョーカイから仕事を受けるつもりで」
「ダメよ!」
「無理です」
「うーっ。もう薫は強情なんだから!!!」
「ふふん、貴方には言われたくないですよ凛」
 二人は坂道を歩いていく。手をつないで昇っていく。遠坂邸で紅茶を飲もう。香り高いお茶がいい。

 冬木市新都、郊外の丘の上には教会が建っている。その教会は言峰神父が切り盛りしているが今は留守。一人の少女がお留守番。
 独りぼっちの女の子、薫は裏手に回り込む。建物の隙間に開いた階段を、薫は一人で下りていく。
「来るな」「帰れ」「引き返せ」そんな意志が沸き立つ結界域を歩いて進み、地下礼拝堂にたどり着く。更に薫は進んでいって、奥の扉に手を掛ける。
 扉を開くと光が漏れた。そこは王のための玉座の間。主は留守だがここだけは、光が消えることはない。
 光り輝くシャンデリア、左右に置かれた調度品、豪華な意匠に囲まれながらも玉座に王の姿はなく、部屋はどこか寂しげだ。
 薫は玉座の横に行き、ジャンボクッションに座り込む。そこは薫の指定席、普段ならギルガメッシュが玉座に腰掛け、向こうのテーブルに綺礼が佇む。だがここしばらくは二人のいない日が続く。
 薫は思う。二人がいないこの半月、とても長く感じてしまう。
 薫は玉座に寄りかかった。なんだかとても疲れている。今日はここでお休みしよう。朝が来るまでここで寝る。
 クッションの上で丸くなり毛布をかぶり目を閉じた。
「王様、おじさま、早く帰ってきてください……」
 薫は自分の体を抱いて、そして、動かなくなった。

 薫の夜泣きが止まる頃、綺礼とギルガメッシュが帰ってきた。
「おかえりなさい」
 タクシーから降りた綺礼とギルガメッシュを、薫は元気に出迎える。
 荷物を降ろし、お金を払い、タクシーが去ったところで薫は身をかがめ、王様に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、我が王よ」
 大きい王様は小さい王様になっていたと聞いたのだが、ここにいるのは大人の王様。何があったか聞かねばならぬが、聞かない方がいいかしら?
「うむ、出迎えご苦労である。カヲルよ、我らが国(カイシャ)は安寧か?」
「はい。つつがなく業務をこなしております」
「ハハハハハ。よしよし、さすが我が従者よ。小娘でありながらよくやった。褒めてやるぞ」
「ありがとうございます。あ、おじさまもおかえりなさい」
 薫は綺礼に駆け寄って、荷物を押して運びます。薫を見ていた綺礼は、なぜか薫の顔を手でなでた。
「薫、留守中になにかあったか?」
 そんなことをいうお父さん。何かあったと聞かれれば、それは色々あるのだが、話せないことも多いのだ。
「えーと、間桐の件は一段落付けました。それと宝石魔術を進めることにして、聖典紙片の強化計画プランβを考案中。そう言えば深山町の藤村組とコンタクトを取りました。んー、あとは会長と顧問から報告聞いて仕事の割り振りです。……ねぇ?」
 薫の視線に目を逸らす、マスター&サーヴァント。お願い、仕事してください。
「でもまあ今日はおかえりなさいパーティーですから、泰山を予約してあるのですがどうでしょう?」
「おお! 気が利くではないか、うむ。我(オレ)も赤い料理と金色の茶と点心が恋しくなっていた所だ」
「ふむ、私もパンチのないフランス料理には物足りないものを感じていた。しまった、タクシーを帰らせなければ良かったな」
「……おじさま、フランス料理にパンチを求めるのは間違いだと思います。それから直行で泰山というのはやめてください」
「そうか?」
「そうです」
 真顔で向かいあう綺礼と薫を、ギルガメッシュはハハハと笑う。
 まあいいだろうと頷いて、三人は一緒に歩き、いつもの家に戻っていくのだ。


前の話へ  次の話へ


あとがき

 間桐慎二、地獄に堕ちろ。桜がいるから拾ってこい(我ながら外道、でも……)
 時間が掛かったのは今回、これを一話分にどうしてもしたかったからです。これは一気に読んで欲しいのでした。
 しかし視点を合わせるキャラが多すぎですね。くどい、重い、苦しい、詰め込みすぎた。
 しかし書きたいことは書き込みました。あはは、二次なんかもっと気楽に書けと何度言われたことでしょう。
 いやです(失礼)
 真面目に書いた方が面白いですって(書くことが、ですが)
 しかし今回は流石に感想など聞かせて欲しいです。よろしければお願いします。今後の参考にしますので。
 それにしても大変でした。正直ストレス溜まりました。
 そういう訳で、

次回予告「学校へGO! 」(仮)
 凜と薫の授業参観に、お父さん(綺礼)お兄さん(ギル)お母さん(ルビー)がやって来ます。
 え? 変なの混じってる? ハハハハハ。辛かったんですよ。管理人(私)も。
 夢オチではありません。あはー。やっちゃいますよー。
2008.1/28th

トップ 管理人プロフィール オリジナル小説 二次創作 ご意見感想掲示板 ときどき日記 メール リンク

おまけのおまけ・遠野志貴と衛宮士郎の取り扱い
 遠野志貴は日常を愛しているのだと思います。
 だからこそ、平和で退屈な日常の大切さを知らないアルクェイドにはそれを知って欲しいと思い、日常を失ったシエルを助けたいと行動する。
 そして鬼種としての目覚めによって日常を失いつつある秋葉を守りたいと思うのだろうと考えます。
 また、志貴は自分が日常から外れた存在だと何処か悟っているとします。
 そのため、怪異の気配を感じると、日常を守るためにあるいは大切な人の日常を守るために、自分は怪異に飛び込み、地獄を見るのをためらわない。
 たった一人で誰にも言わずに、日常を脅かす怪異を殺しに行く。
 志貴はそういう殺人鬼だとして扱うつもりです。

 衛宮士郎は壊れていると思います。
 うつ病やノイローゼになった人は実感できると思いますが、あの手の人間は自分が何かの役に立つことに喜びを感じます。
 自己満足の形が個人的な欲望の成就ではないのです。
 火災でたくさんの人が死に、しかし自分は生き残った。なのに自分には死んだ人達に釣り合うだけの価値がない。などと考えます。自分を呪っているようなものです。
 だから彼は、自分を助けてくれた男の跡を継ぎ、正義の味方を目指すのだろうと考えます。
 よって士郎は自分が平和を享受するのに耐えられない。言峰綺礼に指摘されたその通りに、彼には敵対する悪が必要で、苦しむ弱者が必要なのでしょう。
 救う(役立つ)という行為によってのみ、彼は苦しみを忘れられると解釈します。
 だから士郎は放っておくと、日常から外れていくのでしょう。正義の味方になりたいのではなく、ならなくてはいけないから。
 士郎と志貴とは水と油、似ているようで似ていない。気が合うはずもありません。
 しかし士郎が志貴と違うのは、Fateの三つのルートによって、この意固地な心が変化すると言うことでしょうか。
 遠野志貴がどのルートでも根本的に変わらないのに対し、衛宮士郎はルートによって、その在り方の大事な部分が変わるのだとして扱うつもりです。

 ……二人とも出てくる予定。どうしよう?
 ちなみに薫は根本が志貴タイプ、見た感じは士郎タイプ?
 恐らく志貴にとっては苦手なタイプ、士郎にとっては嫌いなタイプなのだろうと考えます。
 書きたいのはコメディーです。念のため。

トップ 管理人プロフィール オリジナル小説 二次創作 ご意見感想掲示板 ときどき日記 メール リンク
inserted by FC2 system