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#6そして運命は変わり始める

 冬木市、深山(みやま)町の住宅地を一人の少女が歩いている。
 気だるい午後の昼下がり。季節は梅雨が終わる頃。咲き盛りを過ぎたアジサイの花があちこちで見れる坂道を、言峰薫は踏み締めるように登っていく。
 少女こと言峰薫は、初等部五年生になりました。
 手足が伸びて、背が伸びて、だけどもっと大きくなりたい。そんな感じの今日この頃。
 髪も伸びて後ろは背中の中程を超えている。それを髪留めで止めることなく、ストレートに流しているのは魔術師らしくないのだが、それには事情もあるのです。
 切りそろえた前髪の下、瞳には強い意志が輝きを作り出している。口元に浮かぶほのかな笑みは柔らかく、しかし決意に満ちている。
 深山町の中央交差点、そこから山側に登る坂道を進んだ横手に洋館が見えてきた。
 その洋館はいっそ城とも言える程の大きさで、西洋から持ち込んだという石造りの堅牢な建物だ。どことなく冷たさと人を拒絶する感じを与える威容の館。その館は「間桐」の家だった。

 霊地冬木には魔術師が住んでいる。

 世界の裏側で今も続いている神秘の探求、科学とは違う路線で世界の真理に挑み続ける研究と研鑽の徒。それが魔術師。
 地形が作り出す霊脈が集う冬木市、そこに居を設ける魔術師は、まず管理者(セカンド・オーナー)として魔術協会よりこの地の管理を任された「遠坂」の家があり、そしてその遠坂に協力して「聖杯戦争システム」の構築に助力した「間桐(まとう)」の家がある。
 他にも魔術師がいないこともないのだが、魔術師にとって「居住する」とは、魔術の実践と研究を行うための場である「工房」をしつらえること意味するので、ただそこに住むだけの人間に魔術協会は関与はしない。
 薫の前にある間桐の家は、魔術師の家系としてこの地に根を張る証たる「工房」を持つれっきとした「魔術師」の家なのだ。
 さらに、魔術師にとって工房とは研究と実践の場であると同時に敵を迎撃するための陣地でもある危険な場所だ。だがその家に、薫はずかずか進入する。
 思い返すはこの三年。
 初めの一年は自分を鍛えるのに夢中だった。正直に言えば楽しかった。
 魔術、体術、信仰、神秘、その全てが新しく、素敵な刺激に満ちていた。月に一度は死に損なっていた気もするが、生きているから大丈夫。
 だが二年前、あることに気が付いた。それから二年、薫はそれを我慢した。
 我慢しながら、小さな体が大きくなるのを祈り続ける日々だった。それもいい加減、限界だ。
 手を伸ばす。そして深く、息を吸う。
 さあ、命をかけて、運命に喧嘩を売ろう。

 ーー ピンポン・ぴんぽん・ピンポン・ぴんぽん・ピンポン・ぴんぽん・ピンポン・ぴんぽん ーー

「さーくーらーちゃーん。あーそーぼー」

 言峰薫、運命(Fate)に攻撃開始。


Fate/黄金の従者#6そして運命は変わり始める


 間桐の屋敷の空気は重い。分厚い石の壁に包まれた館の内部、そこには初夏の陽気を感じることはない。
 落ち着きがあって上品な作りでありながら、どこか陰鬱な雰囲気を醸し出す玄関の小ホール。
 その脇に痩せた女の子が壁に隠れるように立っていた。
 彼女の名は間桐桜。初等部四年の女の子。
 うつむき、髪が隠した目で玄関を見つめているが、その顔にはどこか諦めの表情が伺える。
 痩せた体を壁により掛け、まるで腕で柱を抱くようにしながら小さなその手を口元に寄せていた。
 さっきまでいたお手伝いさんは帰ってしまった。でもその言葉を思い出す。
 ええ、きっと来てくれます。また来てくれますよ。桜ちゃん。
 間桐桜はそんな言葉にすがりつく。そして玄関ドアを見つめ続ける昼下がり。
「何をしておる」
 不意にかけられたその言葉に、桜は体を硬くする。振り向くと、廊下に老人が立っていた。
 老人は禿頭で、高齢でありながら衰えどころか異様にギラつく目でこちらを見やる。
 痩身矮躯、150センチもないその身に和服を纏い、家の中にも拘わらず、その手に杖をついている。
「おじいさま」
 老人、つまりこの館の主にして関係上は桜の祖父である間桐臓覗(まとう・ぞうけん)に、桜はどこかおびえたように、しかし訴えかけるように顔を向けた。
 ふん。と鼻を鳴らして、老人、間桐臓覗は桜の横を通り過ぎ、玄関ホールへ進んでいく。
 そこにチャイムの音が鳴り響く、おじいちゃんが、チッと小さく舌を打つ。

 ーー さーくーらーちゃーん。あーそーぼー ーー

 ありえません。そう思いながらも間桐桜は笑みを浮かべ、間桐臓覗はまさに苦虫をかみつぶしたように顔になる。
「こんにちわー。お邪魔しまーす」
 満面の笑みを浮かべ、勝手にドアを開けて突入してくる侵入者(インベーダー)それは桜より、一つ年上の女の子。
「帰れ」
「臓覗おじいちゃん、こんにちわー。いやー暑くなってきましたねー。あ、桜ちゃーん。こんにちわー」
 言って彼女はぶんぶんと腕を振ってます。まずまず歪むご老人の顔のシワ。
「ワシは帰れと言っておる」
「これ水ようかんです。お小遣いを奮発して買っちゃいました。この前もってきた玉露のお茶に、きっと合いますから食べましょう」
「聞こえぬのか? 教会の小娘、ワシは帰れと言っておる」
「……。間桐の家は名門ですから、手みやげを持ってきた客をすげなく追い払うような礼儀知らずな下賤な振る舞いをしたりしませんよねー? いやいやまさか名門の間桐の家で、そんな矜持を失ったかのような野蛮で教養もない庶民のような、いえいえ、庶民以下であるかのような対応はいたしませんよね?」
 にこにこと笑顔のお客様は手みやげ(中身は水ようかん)の箱を突きだし、臓覗は顔のシワを深くする。あれは凄く怒っているに違いない。しかし、
「お茶でも出してやりなさいっ!」
 おじいちゃん、身をひるがえして屋敷の奥に行ってしまう。
 それを見送るお客様の女の子、言峰薫は背中に回した手でVサイン。桜は、ぷっと小さく笑ってしまった。

 話は春に、さかのぼる。

 学校の教室で、言峰薫はぷるぷると手にしたテストの数字に震えていた。その点数95点。一個ミスをしたようです。
 がばっと薫が振り向けば、そこの少女はふふんと笑ってテストをひらひら。その数字はズバリ100点。
 言うまでもないですが、あら、こんなテスト100点であたりまえでしょう? と優雅に微笑む初等部五年生の女子生徒、彼女の名前は遠坂凛。
 相手より上を行くには相手のミスを待つより他にない。というテスト勝負で、凜と薫は相も変わらずデッドヒートを続けていた。二人とも一学期は気合いを入れている。
 一学期の授業は重要だ。勉強は積み重なっていくものだ。一学期に100点を取っておけば二学期90、三学期80でも平均は90点だ。しかし一学期に80点なら二学期、三学期で点数を上げていくのは大変だ。
 良い成績を取りたかったら一学期に気合いを入れる。これぞ学校のお勉強における必勝法である。
 くっと薫は悔しそう。おのれ天才遠坂凛め、元は大人のアドバンテージが通用しないとは主人公補正にも程がある!
 天才はこれだからいかん。努力する姿こそ人の心を打つのだよ。負け惜しみですごめんなさい。
 くそぅ、と歯がみの薫だが、凛とて余裕しゃくしゃくではありません。
 何せ薫の養父は言峰綺礼だ。そして綺礼は自分こと遠坂凛の後見人。それがどういう意味か判るだろうか?
 そうです。凛も薫も通信簿、成績一覧を彼に見せねばなりません。これが嫌でたまらない。
 凛は自他共に認める優等生だが、薫もなかなか優秀だ。学校レベルでは二人ともトップレベルでそう違いなどありはしない。
 しかしである。それでも少しは評価で差がつくこともある。
 凜と薫の小テストや、成績表を見比べながら、笑顔でネチネチ嫌味と褒め言葉と、やはり嫌味を言い続ける言峰綺礼。凜と薫、どちらが勝ってどちらが負けても彼にとっては楽しいのだ。
 幸せそうに自分たちをたしなめるあの男が、凛はむかついてしょうがない。同じ家に住んでいる薫、私は貴女を尊敬する。
 今回は勝った。これで嫌味の電話が掛かってくることはない。
 お父さん、凛は勝負に勝ちました。薫、勝負とは非情なものなのよ。私を恨むのはダメ。貴女は悪くないのだけれど、お父上が悪かったのだよ。
 ちなみに二人が同点の時は「つまらない」などとほざく綺礼に、凜と薫のツープラトン・キックが炸裂する。

 放課後になりました。
「薫、今日はどうするの? 私の家に来るんでしょう?」
 歩きながら肩越しに尋ねる凛の言葉に、薫はしかし眉を寄せて渋い顔。
「そうですね。でも多分その前に、あ、やっぱり」
 そう言ってがっかりと肩を落とす薫。その視線の先の校門前に、黒塗りの国産高級車が停車していた。
 とぼとぼと薫はそれに向かって歩いていき、凛もあははと苦笑しながらついて行く。
 薫が近づくとドアが開き、スーツ姿をした壮年の男が背筋を伸ばす。
「社長、お勉強ご苦労様です。こんにちわ凛ちゃん」
 優しげな笑顔のおじさんに、凛はこんにちわと挨拶を返すのだが、薫はやはり渋い顔を崩さない。
「専務さん、私みたいな小娘に社長はやめてくださいよ」
 薫の言葉に、男は苦笑を浮かべて相好を崩す、人懐っこさを感じさせる男の笑顔だ。
「ごめんね薫ちゃん。こほん。いえ社長。会長がお待ちですのでどうかお越し下さい」
 うむうむ、と芝居がかった動作で開けたドアに薫を促す専務さん。
「専務さん、キングさんがまたへそ曲げちゃったんですか?」
 凛が男に尋ねると、彼はつつっと目を逸らす。苦笑してますが。
「……凛?」
「少しくらい聞いても良いじゃない。判ってるわよ」
 ヤブ睨みの薫の視線に、凛はツンと横を向く。
 薫はこの所忙しい。まず、綺礼の知り合いだという外国人が三年前に冬木に定住したと聞く。以来、教会の後援者として多額の寄付をすると同時に、幾つも企業を立ち上げているとか。
 そして薫はその外国人に気に入られ、恐ろしいことに数社の「社長」にされたのだ。
 恐らくは話題作りのためである。薫は三年前の大規模火災の生き残りだ。
 その彼女を担ぎ上げた企業体「キング・グループ」はまだ小規模ながらも冬木市内で活発に企業活動を展開している。
 初等部の少女を社長としたキング・グループは商売と同時に社会還元を謳い、あちこちに寄付金をおくることで有名になりつつあった。
 このキング・グループ、一応はこの少女、言峰薫の願いを受けて、ギルバート・キング。ギルフォード・キングなる兄弟の資産家が作ってやった企業体だと囁かれていたのだった。おかげで薫の学校でのあだ名の一つに「社長」があります。
 そして会長として、お飾り社長の薫に変わり企業を牛耳っているキング氏であるが、やはり外国人らしく日本人の気質を良しと出来ないことがある。
 そんなときに薫は呼び出されて色々とご機嫌を取るらしい。それでいいのか日本の会社。
 そのキング氏であるが、薫は彼を「王様」と呼んで懐いている。聞くところによれば、綺礼の知人であるキング氏は「裏」に関わりがあるという。
 聖杯戦争の折りに薫の命を助けたのも、実はキング氏なのだとか。そして凛の父、遠坂時臣の顔見知りでもあるらしい。
「聞くな、話すな、関わるな、死にたくなければ絶対に近づくな」
 凛が彼のことを聞く度に、薫は必死でそう話す。
 推測するに、きっとキング氏は聖堂教会に関係する人間で、重要な立場にあるのではなかろうか。
 無理を言って一度だけ食事に同席したのだが、薫は真っ青、綺礼は目を合わせてくれなかった。
 凛が邂逅を許されたのは兄のギルバート・キング。一言で言えばゴージャスな人だった。
 会っていきなり「時臣の娘か? あの男は遊興の価値を知らぬつまらぬ男であった、だが尊きを知る貴族でもあった男だ。凛と言ったな? 貴様も時臣の娘なら、尊きを知りまずは貴人と成るがいい」などと言われた。
 あっけに取られていると、顔面を引き攣らせた薫にレストランから追い出されそうになった。帰ってくれと。
 もみ合っているところを綺礼が取りなし、その時はなんとか同席を続け、キング氏から父、時臣の話を聞き出した。
 薫は始終、青い顔のままだったと記憶している。
 どうも聖杯戦争中に多少の協力をした程度だったらしく、それについては凛はちょっとがっかりだった。
 だが凛は考える。薫は神経質になり過ぎだ。別に戦う訳じゃない、話をするくらい大丈夫に決まってる。
 遠坂の家は代々教会にパイプを持つのだ。
 そのネットワークが遠坂の家が霊地冬木の管理者(セカンド・オーナー)である一因にもなっているのだから、聖堂教会の人と話をするくらい大したことじゃないはずだ。
 キング氏は別に聖堂教会内部の人間というわけでもなさそうだが、薫の怯えようを考えると、キング氏のほうが魔術師である自分と関わりを持つのが拙いのかもしれない。
 あの態度からしてそんなことを気にするような人にも思えなかったが、薫にしてみれば彼は恩人。心配するなと言うのが無理なのだろう。
 しかし少しくらいは良いではないか、何せお金持ちに違いないのだ。凛の胸中は複雑だ。宝石魔術は金食い虫です……。

「そうだ。社長、次号のあれが刷り上がったので、一部持って参りました」
 笑顔の専務が取り出したのは、キング・グループ発行の無料配布情報誌「ゴールド・ラッシュ」いわゆるフリーペーパー。
 薫曰く「頭悪そうな名前は何とかならないかな……」だそうだ、キング氏の命名らしい。
「なんか特別なのありましたっけ? って、まさか?!」
 専務さんがバッと広げた裏表紙。ひぃぃぃいいいいっ!!! と頬に手をやる社長さん。
 裏表紙いっぱいの言峰教会。本場欧州の教会に引けを取らない白亜の教会を背景に、パールピンクの清楚なウェディングドレスを身に纏った少女が、はにかんだ笑顔でその手に花束を持って写っていた。

 薫ちゃんです。

「あはははははははははは。あはは、あはははははははははは。薫、可愛いわよ。もうお嫁さんに欲しいくらい、あはははははははははは」
 優雅たれという家訓を忘れて、凛は大口開けて大笑い。
 あーくーまーめー。と顔を真っ赤にした薫に、かっくんかっくんと揺さぶられても凛の笑いは止まらない。
 ひぃひぃとなんとか凛は笑いを収めた。恨めしそうな薫の視線は無視して、専務さんに顔を向け「グッジョブ」親指立ててサムズアップ。
「サンキュー」親指立てる専務さん、割とお茶目です。
「……お給料、減らしますよ」
 ぷるぷると震える社長さん、しかし専務さんは割と涼しい顔をする。
「ああ社長、申し訳ありません。しかしこれは社長のお父様の企画でしたので、私のせいではございません」
 おのれおじさま言峰綺礼っ! などとよく判らない気炎を吐く薫。
「頑張ってね社長さん。じゃあまた後でね」
「ぅぅぅ。ちくしょー。大繁盛で忙殺させてやるからな、おじさまのバカ馬鹿ばか」

 冠婚葬祭は新都郊外、丘の上の言峰教会へどうぞ。

 凛と別れ、薫を乗せた車は走り出す。
 後部座席には専務さんと、社長さんこと言峰薫。渡された書類に目を通し、ふんふん言ってる少女を見据えながら専務は思う。
 なんとしっかりとした子供だろう。
 手にした経理書類は正規のもの。右下に猫のマークがついていたりはしないのだ。
 証券取引、経理代行、人材派遣、不動産取引、不動産管理、フリーペーパー事業。
 キング・グループを形成する全事業の活動報告書。それをこの少女は読みこなす。
 始めて会った一年半前こそ、すみませんすみません教えてくださいの連続であったがそれも束の間、数ヶ月で決算報告書を理解し意見を述べるようになっていた。
 まだまだ規模は小さいが、グループは成長を続けている。それだけではない。
 奨学金の支援、森林保護活動への援助金なども、この少女の思惑でゴー・サインが出されたのだ。
 この先の事業展開もこの少女が決めている節がある。
 ケーブルテレビ事業の買収、インターネット事業とサーバー管理事業の展開企画。
 ガーデニング事業店舗と屋上緑化事業の連結。
 現在建設計画中の冬木センタービル最上階エリアでの、レストラン多店舗経営ならびに屋上を利用した空中庭園計画。
 更には芸術振興を目的とした冬木総合芸術ホールの建設を市役所と共同で行うという計画があり、市民オーケストラ統率者に給料を出してセミプロ化する計画まである。
 三年前の大火災、この子は全てを失った。
 拾い上げた外国人資産家が道楽で始めたようなキング・グループ。
 しかし、この街に良くなって欲しいという少女の願いによって、社会貢献を第一義とする奇跡のような企業体に成長しつつある。
 金髪紅眼の会長は、どこか人間を超越しているような雰囲気を放って社員の叛意を封殺するが、実務の詳細は丸投げしてくる。
 顧問の肩書きを持つ少女の養父、言峰神父は基本的に仕事はしない。
 名前だけの社長であるはずのこの少女、言峰薫が重要な決断を行うことが多くなってきているのだ。
 書類を手にし、考え込んだ薫を見守る専務さんは、うちの娘も社長のようにしっかりした子に育って欲しいなどと思うのです。

 車に揺られながら言峰薫は考える。
 ギルガメッシュも自分の会社(国)があるこの街に「この世、全ての悪」をぶちまけようとは思うまい。
 広告モデルになったのは恥ずかしいが、教会の仕事をたくさん受注すれば言峰綺礼も悪巧みする暇はないだろう。
 冬木センタービルの屋上に空中庭園を築き陣地とすれば、聖杯戦争で凛と敵対した場合でもアーチャーの狙撃ポイントを潰せる。ライダーの天馬が駆ける場所を誘導できるかも知れないな。
 魔術協会と聖堂教会の穏健派をキング・グループに雇傭して、両者の仲介をさせて恩を売れないか。利権を用意すれば食いつくだろう。
 薫はそこで思考を中断した。頭が痛い。自分の考えに吐き気を憶えることもある。だがそれでも投げ出す気はさらさらない。
 ……とりあえず、今月の業績見込みには目を通そう。薫を乗せた車は新都の中央開発地区に進んでいった。

 数時間が過ぎた夕暮れの遠坂邸、石造りの地下工房に凜と薫の姿があった。
 テーブルを挟んで二人の少女が向かい合う。師匠である凛が頷き、弟子である薫はテーブルの上にあった小さな石に手を伸ばす。
 手に取ったのはザクロ石、ガーネットの一種であるロードライト・ガーネットの原石だ。
 遠坂家伝の魔術である宝石魔術。凛が特に力を入れて指導してきたのは、この魔術系統である。
 宝石は魔力を込めやすいとされている。
 更に宝石そのものが魔術的な属性を持つので、魔力を込めただけで属性に染まった魔力タンクのような物になる。
 遠坂家の魔術師は「流動、転換」を得意とする。これは魔力、精神、魂など無形のエナジーを扱うことに優れた特性だ。これをもって宝石に魔力を込めれば、十年分の魔力を込めた凄まじい魔力の弾丸を作ることも可能なのだ。
 ただし、多くの魔力を込めるに相応しい宝石は、純度が高く大粒で高価な物でないとダメなので、遠坂の魔術師はまず、資産を築かないと魔術の研究が十分に出来ない。という微妙な宿命にあるのです。
 そんな遠坂の弟子となった薫だが、彼女の魔術特性は「融解」である。
 融解は火属性による物理干渉に優れた特性だ。しかし薫は魔術師の家系ではない。
 強化魔術は武術や気功の経験を活かして習得だけは早かったものの、概念の捉え方に苦労した。
 そして宝石の扱いにも手こずった。だから凛は、扱う石を限定して訓練を集中させた。
 選んだ石が石榴石、ガーネットである。
 ガーネットは一般に真紅の宝石というイメージがあるが、実際には十四種類ある鉱物グループの総称だ。
 まず赤い宝石は基本的に火属性に魔力を染めるので、火属性・炎上である薫とは相性がよい。
 そしてガーネットは教会と関係が深い守護石で、十字軍の兵士がアルマンティン・ガーネットを血止め、怪我避けの護符として携帯していた歴史もある。教会で暮らす薫には良いだろう。
 赤い色は火属性、赤は血という命の色。
 火、生命、血、というイメージによって魔術的なパスを繋げさせた。
 赤い血の色のアルマンディン・ガーネットから始まって、紅バラ色のロードライト・ガーネットに対象を広げる。
 透明度の高いバラ色のロードライトは価値も高い美しい宝石。薔薇は象徴として友愛、神秘、聖別に通ずる。これも教会系の象徴体系と相性がよい。ノアの箱船の穂先で輝いたカンテラは、ガーネットの光を放ったとの伝説もあるくらいだし、薔薇はステンドグラスのモチーフとして広く教会に用いられるのだ。
 この三年、他の魔術はともかくとして、宝石魔術はこの二つと火属性の王道ルビー(紅玉)の三種類に絞って徹底的に修練した。
 今後の予定としては扱うガーネットの種類を増やしつつ、他の宝石に手を伸ばす。ということになっている。
 緑色のグロッシュラー・ガーネットは治療魔術や風呪魔弾の魔術礼装(ミスティック・コード)になりうる。
 行動力を高めるオレンジ・ガーネットも薫には良いだろう。地属性として使えるし。
 だが、水属性に対応する青いガーネットはないのが残念だ。今のところ薫に水属性の魔術は絶望的だ。アルマンディンの概念「血」からの共感では水属性には遠かった。

 だが、なによりも、それよりも、だ。凛は薫の手元に視線を集中する。

「ーー 告げる(セット) ーー」

 薫が指に挟んだ二粒のロードライトは、数百円で買える傷物だ。それが薫の魔力を受けて赤く輝く。

「ーー 融解、干渉 ーー」

 火の魔力が概念的な「熱」として干渉し、ガーネットが軟化する。薫は指に挟んだそれを溶けたキャンディーのようにふにふにさせる。
 凛はぐぐっと視線に力を入れる。やりなさい! 薫!!
 凛の心の呟きを知ってか知らずか、薫は二粒のガーネットを一つにまとめて練り合わせる。更に魔力を集中する。

「ーー 錬成、昇華 ーー」

 一つとなったガーネットは魔力を受けて更に輝く、輝き続けること数十秒、ふぅと息をついた薫の手から、高純度で透明度の高い素晴らしいロードライト・ガーネットが転がり出た。
 これが宝石の魔術師としての修行の成果、魔術特性「融解」を活用し、傷物のクズ石を高純度の宝石に焼き直す「錬成昇華」だ。
 火属性による物理干渉を鍛え続け、そこに聖堂教会の洗礼詠唱に用いる聖別、浄化、昇華という概念を加えた宝石の錬金術。
「素晴らしいわ薫。貴女を弟子にして良かったって、心の底から思うこの頃よ」
 凛は手を組んで祈るかのように体を震わせる。ちょっと涙ぐんでます。だって宝石が美しいから、眩しい。ガーネットってこんなに輝く石だったとは知らなかった。ごめんなさい石榴石。
 数百円が十数万円に化けたロードライトを握りしめ、すかさずそれをポケットに入れようとした凛の右手を、薫は笑顔でつかみ取る。
「凛、その石は使いますから」
 にっこり笑うお弟子さん。しかし師匠は顔をこわばらせる。
「凛?」
 薫はさらににっこり、そして凛の拳を解きほぐそうと手を伸ばすのだが、お師匠様の拳は石になったみたいに硬いです。
 しばし攻防を続けるお師匠&お弟子さん。
「凛、私は貴女のように数年分の魔力を込めたり出来ないのです。数がいるのですよ、数が」
「ズルイ! 狡いわよ薫!! 少しくらい師匠に貢いでくれても良いじゃない?!」
「あはははは。何を言ってるんですか遠坂の当主? 資産はたくさんあるでしょう?」
「ぅぅぅ。だって私には収入ないんだもの。ね? 薫は社長さんなんだから、ちょっと位は奢ってくれてもいいでしょう?」
「いや、これは今夜にでも加工しますから。おじさまと訓練の予定ですし」
「そんな?! こんなキレイなガーネットを使い捨てにするなんて! あなたそれでも女の子?」
「くっくっく。凛、私は宝石に目がくらむほど女の子にはなっていないのですよ!!!」
「なんてことを言うの? あんなに可愛いウェディングドレスを着てたじゃない?!」
「それは言うなぁぁぁあああ!!! いいから返しなさい! それは材料だって私が用意した物です!」
「材料なら私が用意してあげるって言ってるでしょう?!」
「それだと七割持っていくでしょうがぁぁああ?! 欲しかったら自分で錬成昇華するのです!」
「出来ればやってるわよ! 「流動と転換」は魔力の扱いは得意だけど「融解」みたいな物質干渉は苦手なの! 溶かすことは出来るけど、それだと結晶構造が崩壊して粉々のドロドロよ」
「……頑張れ?」
「狡いのよ! 薫!! ズルイ! 狡い! 「火」以外はダメダメなのに、なんで昇華はこんなに上手いのよ?!」
「やっぱり教会暮らしだからじゃないですか? 凛もたまには日曜ミサにでてくるとか?」
「……ねえ薫、それは誰が取り仕切っているのかしら」
「……言峰綺礼」
 薫、目を逸らしました。
「上手くなる訳ないでしょぉぉぉおおお!!!」
「ああっ! やはりおじさまでは説得力が足りないかっ!!!」
「足りないにも程があるわよっ! そういうことでこのロードライトはもらっておくわ!」
「それとこれとは話が違いますっ! いいから私の石を返しなさい」
「宝石魔術は遠坂の魔術、貴女の宝石(いし)は私の宝石(いし)よ!」
「ええい、何を言っているのですか? 遠坂の家訓、優雅たれ。優雅たれですよ凛」
「だって、だって宝石が私に助けてくれって語りかけてくるんだもの」
「宝石から電波を受信しないでください! さあ、もう帰りますから早く手を開く!」
「薫のいじわる……」
 こんな感じの今日この頃、薫の宝石魔術はそれなりに上達しています。宝石魔弾は無理ですが。

 その日の深夜の言峰教会、裏手の森の開けた空き地の中央で、尼僧服姿の薫が静かに呼吸を整える。
 薫の魔術回路はメイン二本と数が少ない。経絡をサブとして連動しても、一流魔術師のレベルには届かない。
 だから薫は外付けの魔術回路を用意した。
 薫は懐から革張りの本を取り出した。背表紙に薫の洗礼名が刻まれている。
 そして表紙にレンズ状の大粒ガーネットが見て取れた。これは薫自身が練成昇華で作り上げた特大のロードライト・ガーネット、ラテン語の聖句が金糸で埋め込まれ、限定礼装として機能する。
 その働きは薫の魔力に呼応し、周囲の大源(マナ)を独自に吸収、魔力を生み出し術者に送る「魔力炉」だ。
 魔術師は、魔術礼装(ミスティック・コード)というマジックアイテムを持つものだ。
 例えば凛のそれは宝石だ。彼女は宝石に膨大な魔力をため続け、これを開放することで、大源(マナ)の汲み上げをせずとも強力な魔術を一工程(シングル・アクション)で発動できる。
 このように魔術師の魔術を助けるバックアップとなるものを補助礼装といい、逆に単一機能に限定された魔術礼装を限定礼装という。
 薫の礼装は限定礼装、魔力を生み出す限定機能、本の形のマジックアイテムなのだ。

「 ーー 告げる(セット) 魔導書、起動 ーー」

 起動した礼装「魔導書」が、周囲の大源(マナ)を吸い上げ薫に送る。
 儀式魔術で長文呪文詠唱をした方が吸収効率はいいのだが、それでも魔導書起動で魔力生産量は倍になった。
 リアルタイムでの魔力生成に留意するその考え方は、魔術戦闘を考慮したものなのだ。
 戦闘中には儀式魔術(フォーマルクラフト)を使う暇はない。
 何はともあれこれで薫の魔術回路はメイン四本+サブに相当するまでになる。凛には遙かに及ばないが、魔力の回復速度においては並の一流魔術師にもひけは取るまい。
 もっとも魔術師というものは研究者であることが本分なのだから、戦闘に焦点を合わせる薫の思考はちょっとおかしい。
 更に薫は魔術を紡ぐ。

「 ーー 黒鍵、顕現 ーー 」

 薫の呟きに応え、魔導書からページがするりと抜ける。それもやはり限定礼装。
 「摂理の鍵」の術式を写し取った聖典紙片は、薫の掌に張り付くと一メートルほどの細身剣に変化する。
 これも薫が作った限定礼装だ。
 聖堂教会の基本武装たる黒鍵を、薫は正式には持たせてもらえない。
 だから「摂理の鍵」の術式を読み解き、分厚い和紙にガーネットを「融解」で溶かして文字として書き込んだマジック・スクロールを自作した。
 遠坂の宝石魔術と聖堂教会の摂理の鍵を組み合わせた自作のマジックアイテム。と言えば聞こえはいいが要は黒鍵のコピー品。
 ブックカバーが「魔力炉」ページは黒鍵に変化する「聖典紙片」
 三年かけて、なんとか手にした薫の「武器」は未だに黒鍵だけだった。しかし三年たったのだ、少しは戦う力を身に付けた。
「準備はよいか? カヲル」
 声に応えて顔を上げた薫の視線の向かう先、そこに立つのは黄金のギルガメッシュ。
 右手に輝く宝剣を握り、左手に丸い盾を持っている。
「はい王様、お願いします」
 薫は自然体で背筋を伸ばし、両手の黒鍵はその切っ先を地面に向けたままである。その体から火の魔力が沸き立つように立ち上り、少女の体を覆い尽くす。
 それを見ていた綺礼から、薫に声がかけられる。
「薫。お前の魔力放出は魔術師や代行者の常識に当てはまらないユニークな魔術ではある」
 綺礼の呟きに、しかし薫は動かない。じっとギルガメッシュを見続ける。
「高い機動力と素早い身のこなしを作り出すが、全身から漏らす魔力はたやすく敵に感知されてしまうだろう。よってその術を用いるときは真っ向勝負以外に選択の余地はない」
 ギルガメッシュから視線は外さず、しかし薫は頷いた。
「つまり魔力放出”火の鳥”は奇襲には使えないということになる。しかし正面から突き進んでもお前に勝ち目はない。魔術師の使う攻撃魔術は面の攻撃が多い。飛んで火にいる夏の虫になりかねない。だから薫。お前はまず遠距離からの「強襲」そして中距離での高速移動攪乱戦術を心がけろ」
「はい!」
 返事と共に薫の体から更に魔力が噴出し、その身を浮かせて加速する。そして一気にギルガメッシュの間合いに侵入し、直角に跳ねるように盾の側に回り込む。後ろを取って黒鍵を突き入れるが、ギルガメッシュはそれを剣で受け流す。
「良い動きだ。カヲル、王たる我(オレ)に剣を向けること、この場は許そう。存分に掛かってくるがいい!」
「はい!」
 薫は斜め後ろに飛び退いて、黒鍵を槍のように投げつけた。
 身体強化の倍率は五倍から八倍で安定している。魔力放出と併せて行う投擲で、黒鍵は亜音速にまで加速する。一本、二本、黒鍵は薫の両手を離れて空気を切り裂き、ギルガメッシュの心臓めがけて唸りを上げて飛翔した。
「ハッ!」
 しかしギルガメッシュは英霊の顕現体たるサーヴァント。盾を使うまでもなく、宝剣をふるいたやすくそれを打ち落とす。
「リピート! (黒鍵、顕現)」
 火を噴きながら薫は移動し、その手に再び黒鍵が握られる。
 薫は思う。サーヴァント・アーチャー、ギルガメッシュは武器の所有者であって使い手ではない。よって武器の最高性能は引き出せないって、たしかそんな文章があった気がする。
 だがどうだ?
 やはりそれでも英霊だ。へたすればギルガメッシュも銃弾を剣で打ち落とすくらいやりかねない。面倒くさがって盾を出すとは思うけど。
 そもそもパラメータはどうなってるんだ? 筋力、耐久、敏捷性、Cか? Bか? 聖杯戦争システムが休眠状態の今、ランクはDくらいに落ちてるんじゃなかろうか。
 なのにギルガメッシュの反応速度は薫の黒鍵投擲をたやすく跳ね返し、突き込みや斬りかかりは簡単に吹き飛ばされる。
 そういえば、あれって通常値を「1」としてEが10。Dが20。Cが30だったよな?
 それってつまり、普通の人間の一流戦士の能力が「1」ということなんでしょうか?
 それだと筋力Cは三十人力、しかも戦士が三十人。
 敏捷Dでも、ジャンプ力が二十人分、垂直跳びが十メートル?
 ……そんなものかもしれない。やはり英霊は化け物だ。

 しかしそれでも負けてはいられない。弱いままではいられない。

 投げ続けた黒鍵は、剣で打ち落とされ、身をかわされて外れ、盾でもって跳ね返されて地面に落ちる。
 だがこの黒鍵コピーは薫が作った魔術礼装。この程度の距離ならば手にしてなくてもパスは繋がる。絆が切れることはない。
「浮かび上がれ!」
 薫の呼び声に応えて黒鍵はふわりと浮かび、作り手である薫の周囲に寄ってくる。
「行きますよ! 王様!!」
 従者のかけ声に、王はニヤリと嗤い、豪奢な意匠の盾をかざした。 
「一つ、二つ、三つ! 一つ、二つ、三つ! 三つ! 三つ! 三つ! 三つ!」
 浮かぶ黒鍵を次々に引っ掴み、薫はそれを連続投射。
 唸りを上げて飛翔した二十四本の黒鍵を、しかしギルガメッシュは剣と盾で巧みに受ける。浮かべた笑みも崩れることはない。
 更に続く薫の攻撃。
「炎上!」
 起動呪文(コマンド・キー)に応え、黒鍵に変化していた聖典紙片が一斉に火を噴いた。
 聖典紙片に書き込まれた文字は、もとは薫が練成昇華したアルマンディンとロードライトのガーネット。魔力を込めてそれを溶かした宝石文字だ。
 いわばそれは薫の属性である「火属性・炎上」を映した「炎上式典」
 燃えてしまえばもう元には戻らない消耗品だが、使いつぶさねば改良点も見いだせない。凛には悪いが今夜だけでガーネットの消費は数百カラットになるだろう。
 いや、自分で作ったものだから凛に叱られるのはおかしいですよね?
 聖典紙片から噴き上がった炎は、薫とギルガメッシュの間に防御陣を形成する。これで稼げるのは刹那の時間だ。だから薫は攻め続ける。
「Intensive Einascherung. (我が敵の火葬は苛烈なるべし)」
 それは遠坂の火炎呪文。防御陣から伸びた炎がギルガメッシュの掲げた盾を舐め上げる。否、炎は盾を超えられないのだ。
 薫は下がって距離を取る。そして意識を切り替える。

「 ーー 告げる(セット) ーー 」

 黒鍵を体の前で十字に構える。そして唱える洗礼の聖句詠唱。

「 ーー 私が殺す。私が生かす。私が傷付け私が癒す。
 我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない ーー 」

 黒鍵が仄かに発光する。

「 ーー 打ち砕かれよ。敗れた者、老いた者を私が招く。私に委ね、私に学び、私に従え ーー

 ーー 休息を。唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる ーー

 ーー 装うなかれ。許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を ーー

 ーー 休息は私の手に。貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。永遠の命は、死の中でこそ与えられる ーー

 ーー 許しはここに。受肉した私が誓う ーー 」

 そこで薫は飛翔する。上空に舞い上がれば、炎の向こうのギルガメッシュと目があった。かの王様は凶暴な笑みをその白皙の顔に貼り付け、己が従者を見上げて嗤う。

 来い。そんな声が聞こえた気がした。

「 ーーー こ、の、魂、に、憐、れ、み、を!!! (キリエ・エレイソン) ーーー 」

 聖堂教会の秘技、異端なる者の魂を打ち砕く「洗礼詠唱」を、薫はギルガメッシュに叩き付けた。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。地面に手をつき、這い蹲った薫が荒い息をついていた。
 それを見下ろすギルガメッシュの背後に光の波紋が波打って、剣と盾が消えていく。洗礼詠唱は効いてもいない。さすが対魔力スキル持ち、三大騎士クラスの一角アーチャーだ。
「良き稽古であった。カヲル。貴様の投擲の激しさもなかなかに心地よい。その調子で励むがいい」
 ギルガメッシュは笑みを浮かべて、己の従者をいたわった。
 なかなかに面白い。この従者はまさに火の鳥、炎を撒き散らして宙を駆け、唸りを上げて剣を飛ばすその姿、鑑賞に値する。
 更に面白いのは戦闘スタイル。剣を生み出し、剣を浮かせて投げつける。己の手で投げているのは泥臭いが、そのスタイルはまさに「アーチャー」つまりは自分の戦い方によく似ている。
 やはり従者は主人に似るか。王様はご機嫌だ。
「はーひー。ぅうー、一本くらいは当たると思ったんですがぁー。ふぅーふぅー」
「ハハハハハ。この我(オレ)を侮るなよ? されども流石は我の従者よ! なぁ綺礼?」
 ギルガメッシュの声を聞き、綺礼がこちらに歩み寄る。
「魔術との併用が前提とはいえ、良くもここまで鍛えたものだ。もう私では危なくて全力の稽古はつけられない。さすがは我が娘と言っておこう。しかしだ……」
 苦笑しつつ綺礼は薫に流し目を送り、薫はつつっと目を逸らす。
「やはり信仰心が低いのが問題と言えるだろうな。よくも洗礼詠唱(魂砕き)が発動するものだ。正直、不思議でたまらない」
 はぅっ、と薫は心臓の辺りを手で押さえる。サクッと何かが刺さった模様。
「くっくっく、子は親に似ると言うが、これはあれだ、愛がたりないのだろうか?」
「あはははは、おじさま。初夏だというのにサムイですよ」
 言峰綺礼に信仰心の何たるかを説かれる度に、薫は反発せずにはいられません。
「ハハハハハ。構わぬではないか。カヲルは我(オレ)の従者、故に神はすなわちこの我(オレ)よ。綺礼の神など適当に拝んでおけば充分だ」
「はい、王様」
「薫。そこではいと言われると私の立場がないのだがな?」
 言峰綺礼は神父です。養女の薫は信者です。一応。
「おじさま、立つ瀬がないなら座るのですよ」
「それでは川に流されてしまうな」
「多分問題ありません」
 養女の冷たい言葉に、しかし養父は涼しい顔だ。その横でギルガメッシュはハハハと笑う。
 こほんと小さく咳をして、薫は顔を引き締めた。
「ところでおじさま。あの件ですが、手を出してもいいでしょう?」
 自分を真っ直ぐに見つめる薫の視線を身に受けて、綺礼は諦めたようにふぅとため息。
「いいだろう。聖典紙片の黒鍵化、魔術礼装の作成、実戦形式での使用、そして洗礼詠唱を習得したのだ。約束だ」
 そして綺礼は頷いた。
「間桐臓覗との接触と監視を許可する」

 話は再び間桐邸。薫は桜の部屋にお邪魔して、彼女のためにポットから急須にお湯を注ぎます。
 手土産の水ようかんは、桜に言って強引に臓覗と慎二の所に持っていってもらった。戻ってきた桜を熱いお茶でねぎらおう薫です。
「はい、どーぞ。粗茶ですが」
 お茶は高級玉露で先日薫が差し入れたもの、だけどここは間桐邸。言ってることが無茶苦茶だ。
 しかし桜は恐縮してそれをいただく。
 二人はなんでもない話で談笑する。それはほとんど薫が一方的に話しかけるばかりだが、桜は時々笑ってしまう。
 目の前の少女の話によれば、言峰薫は三年前の火災の生き残りなのだそうだ。
 三年前の火災、その原因となった魔術戦の詳細を桜は知らない。しかし何かが起きていたことは知っている。自分のことを気にかけてくれていたおじさんが、ついに帰ってこなかったからだ。
 大切な人がたくさんいなくなった。薫は桜にそう言って、悲しそうに微笑んだ。桜は何も言えなかった。
 祖父、臓覗の言葉を思い出す。あの娘の親は教会の殺し屋だ。そして小娘も殺し屋の卵だと。
「でねー。強火で煮込んだらトマトの風味が飛んじゃって、スープが酸っぱくなっちゃってねー」
 このところ毎日のようにやってくるこの人の、今日のネタは料理の失敗談だ。薫は自分をネタにして桜を笑わそうとする。とても殺し屋さんには見えません。
「桜ちゃん、ちょとちょっと」
 おいでおいでをするお客様に桜は呼ばれるままに近寄り、手を引かれて隣に腰掛けた。すると薫は桜の肩を抱き、くんくんと匂いをかいでこう言った。
「桜ちゃんは水の匂いがするね」
 聞いた桜は恐怖した。水、水の匂い、自分から匂いがするという。その匂いはきっと……。

 ーー 蟲・蟲・蟲・蟲・蟲・蟲・蟲 ーー

 いやだ、怖い、やめて、泣き叫びそうになった桜はしかし、
「でも、湿布くさい私や薬草の匂いがする凛よりも素敵だね」
 という薫の言葉に気を失いそうになった。
 え? それはどういう意味なのか? 何を言われているのか判らない。
「私は父に戦い方を教えてもらってるんですが、殴られるわ蹴られるわ、時々は剣で刺されるんですよ、生傷が絶えないし背中の湿布が臭うでしょう?」
 薫はそこでごめんなさいと頭を下げる。桜は呆けて動けない。
「まったくウチのおじ、じゃなくて父は外道です。あれで神父としては優秀というのですから詐欺ですよ。でも訓練は私が無理にお願いしたので、今更逃げるわけにもいかないし。ああ、別に嫌がってる訳じゃないですよ?」
 そうなんですかと応える自分の声が、桜には遠くに聞こえた。
「それは凛も同じですけどね、継承した魔術刻印のマッチングは大変そうです。体の匂いが変わるくらい薬草とか毒草みたいなのを飲んでますよ。それでも何度かぶっ倒れて熱を出して、刻印ごと腕を切り落としたい。なんて言ってましたね。それでも魔術師として「遠坂」になろうと頑張っているんですから、凛は凄いですよ」
 桜は目眩に襲われる。
「間桐の体質改善技術は大したものですね。臓覗おじいちゃんの体は蟲で組んだものなんでしょう? 間桐の蟲の魔術はきっと医療に優れた魔術なんでしょうね。
 ねぇ、桜ちゃん。私は将来、外道の魔術師を狩る戦闘魔術師を目指しているのですが、怪我をしたら桜ちゃんに診てもらってもいいですか?」
 とうとうそんなことを言い出した薫に、桜は魂が飛んでしまいそうだ。
 神父の父に剣で刺される? 熱を出して腕を切り落としたい? しかしそれでも自分の意志で魔術を学ぶ?
 桜には判らない。それではまるで、自分で自分を苦しめるようなものではないか。薫も凛も、何を考えているのか理解できない。
 おまけに薫は間桐の魔術で怪我をしたとき治してくれと言う。出来るわけがない。自分が体験した間桐の魔術は蟲を使った拷問だ。蟲倉に突き落とされて、息をするのにも蟲たちの許可がいるような恐ろしい毎日だ。
 そんな自分が治療など、とてもできるものじゃない。

 ……だがしかし、本当にそうなのか? 桜は始めて考える。

 祖父、臓覗は蟲で体を形取る。あれを使えば言われたように、腕とか足とか作れそう。体に蟲を埋め込めば、内臓の変わりをするくらいはへっちゃらだ。
 そうか、この家、間桐の魔術は、医者より凄いかもしれない。桜は始めてそう思った。

「おいお前! 僕の妹になにやってんだよ!」
 気が付けば自分は泣いていて、薫に頭を撫でてもらっていた。そこに怒鳴り込んできたのは間桐慎二、この家の桜の兄だ。
「ああ慎二君こんにちわ、ごめんね。お話ししてたら泣かせちゃったみたいで」
 薫は桜にもゴメンネと言い、優しく頭を撫でてます。
 桜は首を振って違う違うとアピールする。言葉にしたいが何と言えばいいのか判らない。
「お前、教会の娘だからってデカイ顔するなよな。大体お前、遠坂の弟子なんだろ? 遠坂と間桐の家は名門同士で約束があるんだ。お互い不干渉って決めてるんだよ。なのになんで間桐の門をくぐれるワケ?」
 おおー。と感心したような顔になる薫さん。すげー、慎二だー。などと小さい声で言っているのはさて、どういう意味なのか。
「うんうん、慎二君はお兄ちゃんだね。よし桜ちゃん。辛いことがあったらお兄ちゃんに八つ当たりだ」
 ぶっと吹き出す桜と慎二、お前それは違うだろう。
 よく判らないうちに慎二も一緒にお茶を飲む。水ようかんも減っていく。
「言峰お前さー、そんなに魔術のこととか話してイイワケ? 神秘は隠されてるから神秘なんだろう?」
 水ようかん、柚子風味をもぐもぐ。
「そうですよー、でもこのメンツで隠すも何もないでしょう?」
 水ようかん、こしあんをつんつん。
「……」
 水ようかん、桜は既に三つ目です。
 慎二の機嫌は悪くない、薫は慎二を間桐の魔術師として扱っているからだ。
 そして不思議なことを言う。
 魔力は全ての者にある。とか。
 魔術回路がなくても儀式魔術や魔術礼装を作成、使用すればなんとか魔術はつかえるだろ? とか。
 作る魔術師、使う魔術師、占う魔術師、組織の中で頑張る魔術師、色々だよね。とか。
 魔術師とは命をかけて研究をする生き方だ、慎二君も死なないでね。とか。
 桜ちゃんは慎二君が守るよね。とか。
 桜ちゃん、嫌なことがあったらお兄ちゃんを後ろから刺せ。とか。
 慎二はその一つ一つに目を輝かせる。当然だろ。とか、判ってるさ。とか、僕の妹なんだから守ってやるのは当たり前だろ。とか、なんだそりゃー。などと言う。
 驚いた桜が目を剝くと慎二は目を逸らしてしまう。そこに薫が絡むのだ。慎二くーん、照れてるのー。とか言って。途端に荒れるお兄ちゃん。カオスっぷりに桜の頭は大混乱だ。

 あっという間に時間は過ぎる。薫は五時に帰ります。
「それじゃ、お邪魔しました。また来ますからよろしくね」
 薫は桜に向かって小さく手を振る。桜ははにかみ、慎二はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「あとは臓覗おじいちゃんにご挨拶をして、」
「ここにおる」
 廊下の角から、間桐臓覗が顔を出した。
「毎回毎回、屋敷を探し回られては面倒じゃ、さっさと帰るがいいわ小娘」
「はい、お邪魔しました。また来ますのでどうぞよろしくお願いします」
「……小娘が、なんなら家に帰れないようにしてくれようか?」
 臓覗がニヤリと嗤い相好を崩した。途端に空気が張り詰める。通路の空気が重くなる。
「やってみますか?
 我が礼装は、魔を滅ぼす摂理の鍵、燃え上がり、光を放つ炎上の聖典紙片。
 簡単にはいきませんよ、間桐臓覗。貴方には人食いの嫌疑がかけられています。聖堂教会に連なる者として、そして霊地冬木の管理者である遠坂の弟子として、しばらく貴方と間桐の家を監視するのが私の仕事です。私が死ぬのも仕事の内、言っておきますが私に手を出すと教会から部隊が来ると思います」
 慎二が前に出て桜を庇う、肩越しに見る祖父臓覗と言峰薫が数秒の間、睨み合う。
「失礼しました。どうも気が立っていたようです」
 引いたのは薫の方だった。これに臓覗は鼻白み、きびすを返すがそれを薫は呼び止めた。
「今日もお聞きします間桐臓覗どの。間桐は、いえ、貴方は何のために聖杯を求めているのですか?
 その身を蟲で補ってまで命を長らえ、求め続ける理想とは、一体どのようなものなのですか?
 どうか教えていただきたいのです。聖杯戦争に全てを奪われた私には尋ねる資格があるはずです」
 少女の真っ直ぐな視線を、臓覗は受け止める。しかし彼は応えない。

 帰ります。返事を聞き出すこともなく、言峰薫は帰って行った。

 インベーダーが帰った後も、臓覗は廊下に立って難しい顔を続けていた。桜は思い切って聞いてみた。
「あの、おじい様。間桐の理想ってなんですか?」
「……なんじゃと?」
 ギロリと光る臓覗の目に、桜は怖くて動けない。後ろでひっと上がった声は慎二だろう。ああ、兄さんごめんさない。
 ちょっと震えながら頑張ってその場に立っていたのだが、臓覗は背を向けて、行ってしまう素振りを見せる。しかし彼は廊下の角を曲がる前に呟いた。
「その内に、教えてやろう」
 祖父の顔にははっきりと苦悩の色が、見て取れた。

 その頃、薫は間桐の家を出て一つ先の通りの角を曲がったすぐそこで、へなへなと座り込んでいた。
 電信柱さん、支えてくれてありがとう。

 ーー 怖いよ ーー

 薫は涙を袖で拭き取った。間桐臓覗が怖かった。もう何度も会っているけど、向かい合うたび寿命が縮む。
 格が違う。偉そうなことを言ってはいるが、戦いになれば秒殺されるに決まってる。
 しかし今さら後には引けないのだ。
 気が付いたのは二年前、ふと見た間桐の家の窓、ガラスの向こうの間桐桜と目があった。
 その日から、自分の無力にさいなまれる辛い日々が始まった。
 もう我慢の限界だ。届かなくても手を伸ばす。それでもダメなら空でも飛ぼう。
 どこまで出来るか判らない。だけど私は助けたい。なれるならみんなに幸せになってもらいたい。
 そのために、卑怯な手でも何でも使う。運命(Fate)の流れを破壊する。この身は所詮イレギュラー、ならば世界をかき乱せ。
 ギルガメッシュに拾われて、言峰綺礼の娘になって、遠坂凛の弟子となり、間桐桜とお茶を飲み、間桐慎二はからかって、間桐臓覗には、誇りを取り戻してもらいたい。
 怖い。
 だけど私はここにいる。知っているのにゲラゲラ笑うばかりじゃいられない。
「薫?!」
 震える膝を押さえ込み、やっと立ち上がった薫に向かって、坂の上から凛が降りてきた。
「あははは、凛、ゲンキソウダネ」
「薫、大丈夫? もう! 綺礼の奴、何をやらせているのよ!!!」
「違いますよ凛。これは私が言い出したことですから、おじさまを悪く言ってはいけません」
「でも! ……判ったわ。薫は泣き虫のクセに強情なんだから。それでどうだったの?」
「あ、桜ちゃんは元気そうでしたよ、ふにゅっ」
 目尻をぴくぴくと振るわせる凛が、薫の頬を摘んで引き伸ばす。
「痛いれふー、痛いれふー、ごめんなひゃいー」
 涙を浮かべる薫だが、凛はほっぺを放さない。
「だ、か、ら、そうじゃないでしょう?! 桜が元気なのはいいけど、臓覗よ臓覗。私は会ったことないんだから、どうなのよ!」
「話まひゅー、話まひゅからはなひへー」
 解放された薫だが、頬をすりすりしながら涙目です。あくまめ、と小さな声で呟くものの、ギロリと睨む凛の視線に逆らえない薫だった。
 で? と尋ねる凛に薫はしばし考える。そしてぽんと手を打ち。

「ぬらりひょん」

 ひゅぅぅぅぅうううう。二人の間に夕涼みの風が吹きました。

「人が心配してるのにあんたはぁぁああ!!!!」
 あくま再び。薫の頬が伸ばされます。
「やめひぇー、千切れひゃうー、いひゃいよー、ゆゆひへー」
「許さないわっ! ところでぬらりひょんって何?」
「知らひゃいのに怒るのれふかー」
 薫は涙ながらに訴えるのだが、凛はその手を放さない。そのへんがあくま。
「もういいわ! 家に紅茶を用意してあるから来なさい! いいわね?!」
 返事を待たず、凛は薫を引きずるように歩き出す。
「行きまひゅー、行きまひゅから放ひひぇー」薫のほっぺがピンチです。

 数日後。
 深山町の中央交差点、そこから山側に登る坂道を進んだ横手の間桐の屋敷に、今日も薫は顔を出す。
 息を吸う、そして小さな手を伸ばす。
「さーくーらーちゃーん、あーそーぼー」
 薫(インベーダー)の戦いが始まった。


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あとがき
 三年も時間を飛ばすと、色々書かないといけなくて大変でした。でも分けたくなかった。
 みんな少しずつ幸せになってくれたらなー。というささやかなはずの願いを叶えるために、膨れあがる膨大な伏線、裏工作に頭が痛いこの頃です。でもまだ大丈夫、書く度に全体チャートに修正入れてますから、流れは破綻してません。今回の話もカレイドツインズの回を書く以前に内容(だけ)決まってましたし。
 やっとオリキャラである意味のある話になってきました。面倒ですがこれでいい。もちろん非難もあると思ってます。はい。綱渡りな展開ですし。
 管理人(私)の個人的な意見ですが、間桐桜の在り方を肯定し、同情ではなく、憐れみでもなく、ありのままを価値あるものとして狂うほどに愛する者がいるとすれば、それは間桐慎二しかいないのではないでしょうか。
 という訳で、桜は慎二に救ってもらう路線です。士郎が救う話は沢山あるので、そういうのもいいだろうとご容赦下さい。間桐慎二、薫とは別に地獄を見ることでしょう。がんばれ慎ちゃん。
 なお、Fate/黄金の従者は、キャラの根本的な個性、能力、在り方はいじらない。話の展開は大きく変える。というタイプの二次創作のつもりです。
 各キャラの個性・言動がおかしくならないように気を付けようと思います。
 でも基本的にコメディー(ギャグ&シリアス)です。

次回予告
 魔女たちの夏休み(タイトル決定)
 今回の続きです。ほのぼの風味。「衛宮」はギリギリ出ない予定です。
2007.11/25th

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